やらなければならないこと
わたしが将来のことについてこんなに陰鬱なココロに落ち込むとは、5年前には思ってもみませんでした。4年前の熊本地震で家も社会も何もかもがなくなるかもしれないと悲観したあのときの虚無感の方が遥かに軽い、と感じてしまうなんて。
一週間前の三連休、毎日妻と連れ立っていろいろと出歩いたり家の掃除をしたり庭の草取りをしたりと動き回ったのですが、振替休日を取った四連休めの最終日にはさすがにすることがなくなりました。若い頃はやらなければならないことが山積みで、一つ一つ片付けている間にさらに未処理の仕事が増えていって、いつも何かに追われて生きてきました。やっとそんな柵(しがらみ)から逃れて、マストの職務も今年度いっぱいで他人に譲ることができて、肩の荷が降りたなと思ったら、本当に何もすることがなくなった自分に気づいて、ハタと戸惑っているわけです。
まだ定年までは数年あるので毎日通勤しなければならないことだけが救いです。定年退職して、本当に毎日が日曜日になったら、何もすることがなくて1日が異常に長くなって、わたしのココロは耐えられなくなるのではないだろうかと思う今日この頃です。「定年になったら悠々自適に自分のしたいことを存分にしたい」・・・かつての職場のボスも、胃がんで亡くなった母もいつもそんな事を云っていましたが、やらなければならないこともやりたいことも何も浮かばない今のわたしは、先行きが思いやられます。「なにもしなくて良くなったら、毎日一日中釣りをしていたい」とか「カメラをずっとやりたかったんだ」とかそんな夢を語る友人たちがうらやましい限り。
今新しく制作活動に没頭している妻を尻目に、何かを始めて遅ればせながら仲間作りをしたいものなんだがなぁ。くどいと云われそうだけど、やりたいこともやらなければならないこともないのは、とにかく辛い。もっともっとやらなければならないことがあったような気がするのだけれど・・・何かやることがないかと考えるのが、本当に辛いことだと気づきました。
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