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2020年4月

有意差って何だろう

今年は軒並み学会開催中止ばかりのご時世ですが、昨年の冬に横浜の学会に参加してきたときのことです。いつもはシンポジウムや教育講演、あるいは特別講演などメインどころをハシゴして田舎医者として新しい知見を得ようと動き回るのが常でしたが、このときはめずらしく一般演題の発表を中心に聴きました。

若い将来有望な先生方の発表を眺めながら、みなが必ず使う共通用語、『統計学的有意差』が耳について離れません。最近は自分で研究して学会発表したり論文投稿したりすることがなくなりましたから直接統計処理などする機会もありませんが、むかしからずっと気になっていたのです。

「有意差って、何?」

統計学を駆使して統計学的に有意差が証明されると初めて"意味のある研究"として世間に認めてもらえるのですが、統計処理をしなければ有意かどうかもわからないレベルの差って、実際の臨床現場で意味はあるの?という疑問です。「心電図所見のこれが認められる群と認められない群とに分けて心臓収縮機能を比較したところ、認められる群の方が”わずかではありますが”有意差をもって低下していることがわかりました」という研究成果があったとして、その”わずか”の有意差があったことによって、今後の治療の要否の判断材料になりえるのだろうか?と思うことをたくさん経験してきました。どこか、研究発表のための研究、自己満足のための有意差検定になっていないだろうか、という疑問。もっと、一目瞭然でクリアカットに0か100かを振り分けられるものでなければ、臨床現場で用を成さないのではないでしょうか。まあ、そんな現象、現代社会ではそうたくさんあるものではないですけど、それでも今新しい指標になっていくものはすべてがそんなモノですから、若い研究者のみなさん、是非統計学的有意差なんかに頼らなくても良いような大発見をすべく、日夜研究に励んでください。

 

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太ももデブ

大腿が太い肥満者は高血圧リスク低い

 「肥満・過体重の人は太腿の周囲の長さ(太腿周径)が大きいほど血圧が低く、心臓疾患リスクが低下する」という研究報告が中国・上海交通大学のJie Shiらによって報告されたそうです(Endocr Connect, 2020; 9: 271-278)。
中高年住民コホートデータを分析した結果で、「肥満・過体重者では、大腿により多くの体重負荷をかけることが健康に寄与し、高血圧の早期発見にも役立つ可能性が考えられる」とのこと。

「過体重・肥満の中国人では、大腿周囲が大きいことが高血圧リスク低下に関連していた。下腿周径は、過体重・肥満者の高血圧および心疾患など他の合併症の早期発見・予防のために安価で有用な指標となりうる」
「腹部の脂肪とは対照的に、脚の脂肪は代謝に有益な可能性がある。その理由として、大腿筋/脂肪が皮下に蓄積し、糖・脂質代謝や血圧の安定化に有用な種々の物質を分泌することが考えられる」
というのですが、勘違いしてはなりません。単に太ももの太い人が高血圧になりにくくいと云っているのではなく、「太った人の中では」という条件付きです。正常体重の人には当てはまらない結果のようです。

「ふーん、そうかなぁ」って思うでしょ。中国人は日本人と違って大陸型の体型(欧米に近い体型)だから、体幹の太さの割に足(特に太もも)が細い人が多い印象がありますが、それが影響しているかもしれません。ちなみに、高血圧治療中の私は、体重が増えると血圧コントロールがうまくいかず、やせると良好になります。やせたときの方が太ももの太さは明らかに細くなります。わたし自身の実験データではこの結果は当てはまらないみたいです。それとも、スクワットの回数を増やしてなんとかして太ももをキープさせながらダイエットしたらもっと改善(内服が要らなくなる)する可能性があるということかしら。

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自信

一年前にここで披露した中学時代の作文を読んで、中学時代の同級生から、「あなたは物静かでおだやかな性格だと思い込んでいたから、とても驚いた」という感想をもらいました。たしかに、大声で怒鳴ったりすることもなければ友人に暴力を振るうこともほとんどなかったな、と思います。

でもそれは、一言で云えば『自分に自信が持てなかったから』ということになりましょうか。中学校には入学試験を受けて入学しました。地方都市だとはいえ街中の中学で、県内あちこちから集まっていましたが半分は小学校から街中に住んでいる子たち。わたしのような田舎者が知り合いが一人もいない環境の中で生き延びるには、静かに目立たないようにすることしかありません。

地元の小学生のときにはまずまずエリートで、それでいて陰で同級生をいじめる陰湿さも兼ね備え、親や祖母の金を盗んだりしていたブラック履歴がある少年だとは誰ひとり知らないであろう環境の中に投げ込まれましたから。それでも,徐々に環境に慣れ、部活動を通して友人もでき、いじめられたりいじめたりの新しい裏履歴も更新されるようになりましたが、結局中学卒業まで自分に自信を持つことは一度もありませんでした。運動にしても勉強にしても、周りには自分よりはるかに優れた人ばかりいたからです。高校3年間はさらにダメでした。どんどん凡人へ、いや凡人以下の自分に落ちていく実感に悩まされました。自分の人生の中で一番戻りたくない時代です。運動や勉強だけでなく、考え方や行動もみんなが大人に見えてきて、自分が見たことも聞いたこともない大人の世界の会話をしていて、自分の情けない毎日に萎むばかりの日々だった気がします。

きっと、現代社会の若者の中にも、わたし以上に自己否定で生きている若者がたくさんいることでしょう。存在の意味があるとかないとか、毎日そんなことばかり考えている若者が。そんな彼らが何十年後かに同窓会で友人に会ったとき、自分が考えていたほど周りは自分のことを疎遠に感じていなかったことを教えられることでしょう。「自分はどうせ外様(とざま)だから」なんていじけて考えていたこと自体に驚かれてしまったり、「何云ってんの? あの当時からずっと普通に友だちだったろ」とか云われて、肩すかし食らわされたり。 ま、そうは云っても今が渦中の子たちには何も聞こえますまい。それどころじゃないのだから・・・とりあえず、必死に乗り越えましょう。目立たないように、できるだけ静かに。

 

 

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肘で突く

ずっと気にはなっている『ナッジ理論』。意味は理解できるんです。そしてこれが行動経済学という分野のおもしろさなのだと思うんです。

 「肘で突くほどの小さなきっかけを与えることで人々の行動を変える戦略」として、企業のマーケティング戦略や公共政策で用いられる手法らしいのです。

一番有名なのは,公衆トイレの男性小便器の壁にあるとき突然現れた標的の的(アムステルダムで初めて使われたのは小さなハエの絵だったとか)。女性にはピンとこないかもしれませんが、男性なら1度は見たことがあるはず。別にどうということのない小さな的の絵なのですが、無意識のうちにその的に小便を当てようとしてしまうのです。その結果、飛び跳ねが減ってトイレの小便器周辺が汚れなくなったのだそうな。ま、慣れてしまうと的当て意欲も失せてきますから、そんなに長くは効果なかったんじゃないかと個人的には思いますが、それでもかなりセンセーショナルな出来事でしたね。

そのほかにも、
ファミレスメニューの「店長のおすすめ」→つい注文してしまう
スーパーレジ前の床にある足型表示→指示されなくてもそこで待つ
「ここは自転車捨て場です」の貼り紙→不法駐車しなくなる
メニュー表示を3段階にする→中くらいの値段を選ぶ

など、思いがけないところでわたしたちは見事にだまされて誘導されていることがわかります。まあ、こういうものはだまされてもあまり悪い気はしないものです。相手はかなり意図的に誘導しているのに、「してやられた」と苦笑いする程度であることが重要なのかもしれないと思います。時々、あえて定価を高めに表示した上で、「●●%オフ!」と煽る詐欺まがいの商品表示がありますが、あれはいけません(先日、妻がまんまとその手法に引っかかって、結果としていつもより高い納豆をまとめ買いしてしまった!と怒っていました)。ちょっとウイットに富んだアイデアで、提供する側もされる側もウインウインの関係になれるようなそんなものを生み出してもらいたいものだと思います(自分でアイデア絞り出せる才能がないので、すべて他人任せですが)。

 

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老衰死

厚労省が発表した人口動態統計では、2018年の死因で「老衰」が脳血管疾患を抜いて第3位となりました(1位、2位は悪性新生物(がん)と心血管疾患です)。これはとても意外でした。そもそも、死因に「老衰」ってあるのか? わたしが臨床医だった頃、死亡診断書を書く機会はたくさんあったけれど、病院で看取った人は当然すべてが病死なわけで、第1死因に「老衰」と書く経験自体がありません。死亡診断書(死体検案書)記入マニュアルによると、「死因としての『老衰』は、高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用いる」と書かれているのだそうです。そう考えると、がん死と突然死以外は結局全部『老衰死』とも云えるのかもしれないけれど、介護施設での死や在宅医療の現場での死に対して、自然死=老衰死の人が増えていくのは当然なこと。むしろそれが文字通り”人間の自然のままの最期”なのだと考えれば一番健康で幸せな死なのだろうと思います。

ただ、健康に動き回っている世代(わたしたちのような)は老化が怖いし、それにいかに抗って生きるかばかり考えています。あるべき機能が日に日に衰え、ある日突然消えてしまったりするなんて、若い頃には考えてもみなかったこと。あ、いや、医者としてちゃんと知っていて、それは当たり前の自然な成り行きだと理解していたけれど、それが他人事だから理解できたのであって、自分のことになったらそうはいかないものです。そんな時期を通り過ぎて、人生の全う感に包まれて静かに達観できたときに「老衰死」というのが待っているのかもしれません。

わたしは、そんな感情になるときまで元気に生きていられるのかしら。

 『日本人の死因第3位になった「老衰」の定義は意外に難しい
NHKスペシャル 老衰死 穏やかな最期を迎えるには

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Enjoy Aging

自宅自粛中の誕生日。

1ヶ月前には「友人たちと知人のお寿司屋さんでパーッとお祝いしようね!」って計画していたけれど、情勢はそれを許しませんでした。それでも、何事もなく、家族や友人たちが普通に生活できていることに感謝しながら迎えられる誕生日というものにあらためて幸せを感じております。今日は誕生日だから前もって仕事も休みにしてくれていたのですが、あまり意味もなく、一日粛々と#おうち時間。早朝から友人から送られてくるおめでとうメッセージに返信するだけの日になりました。

昨日のテレビ番組で、ゲストの某氏が云っていたこと・・・「『Stay Home!』て云うでしょ。でも、あれは家に籠もってガマンしなさいって感じでイヤなんですよね。ボクはむしろ『Enjoy Home!』・・・家の中の生活を楽しみましょう!っていうのが良いと思うんですよね」というのが、何かココロに残ってしまいました。

#おうち時間を、Enjoy Home! いいですね。そうだ、こんな年だけど、自分は『Enjoy Aging』で行こう。今年は、きっといい年になるぞ!

※つい1~2ヶ月前にはAgingのために今後の人生の前途を悲観してうつ状態に入っていたのだけれど、とりあえずCOVD-19のおかげでそれどころではなくなっています。これはいいことだと受け止めています。

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庭の草取りをしながら

いつも、庭の草取りを独りでも黙々とやるときがわたしの思索の時間。良いことも悪いことも何でも考えてしまう時間。

先日の休みの日には、春先特有の雑草:モジャモジャと地面を這うように広がった雑草を抜きながら、「これってクラスターだよな」とか思ってしまいました。ウイルスの如き草の増殖を食い止めるには、これを根絶やしにしなければならない。少しでも残っていたらそこから無数の種が飛んで無数の芽を出して蔓延っていくんだ!とは思うけれど、でも根絶やしなんて除草剤でも使わない限りは無理だもの。その量の多さに負けて、「まあ、これくらいで許してやるか」と負け惜しみを云いながら、今回も中途半端で作業を終わらせました。

この『草取り作業』ってやつは、本当に不毛の作業です。いくら頑張っても1週間後には元の木阿弥。これからは一層その生長の加速度が増すことでしょう。でもね、いいんです。草取りをしたその刹那刹那に、目の前が綺麗になった実感さえ湧けば、それで。

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幸福感の脳

幸福感が強い人の脳は「ゆらぎ」が少ない、京都大学こころの未来研究センター発表

最近わたしは、『自分が幸せだと感じている』ということが人生の中で一番重要なことだ、という思いがどんどん強くなってきました。だからなのかもしれませんが、『幸福感』というキーワードにはすぐに食いついてしまいます(とはいえ、この記事はもうはるか前からクリップしたままになっていましたが)。

『自分が幸福だと強く感じている人は、大脳右楔前部という部分の安静時活動性が低い(脳内の低周波変動(低周波ゆらぎ)が少ない)』・・・京都大学こころの未来研究センターの佐藤弥らがScientific Reports 2019.8.208オンライン版で発表したこの結論がこの研究。

”楔前部の活動性”というのは『否定的な自己意識や心の迷い』と関係があるそうで、この『否定的な自己意識や心に迷いを生じる働き』が弱いことが、幸福感の基盤となっていると考察されています。さらに右楔前部と右扁桃体(感情の処理に関わる領域)の機能的結合が強い人ほど幸福感が強いことから感情を適切に処理することで幸福感が生まれる可能性も考えられるのだそうです。

「感情の起伏を抑えたり否定的な自己意識をなくすことが幸福感を得るには重要だ」ということになるので、考えてみれば至極当たり前の結論であり、そのために瞑想や座禅などの意義が高まるのだろうことは容易に想像できます。

ただ願わくばこの研究、おそらく学生たちであろう若いボランティアを使った実験なのですが、わたしたちの様に感情の起伏が若い頃よりはるかに低くなった一方でこれからの人生の不安が高まるばかりの中高年層の脳で調べても同じ所見を得るのかどうかを検討してもらいたかったです。
 

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言い訳

みんながね、”新コロ”を言い訳に使うのよ。

「運動してたんだけど、スポーツジムも閉まってしまって行こうにも行けないんだ」
「外出自粛だから外で走ったり歩いたりもできないんだ」
「毎晩のように営業で外で宴会ばかりだったのが全部中止になって家飲みが増えたら、返っていっぱい飲むようになって歯止めが利かないんだよね」
「自分なりに注意してるしちゃんと手洗いもマスクもしているけどどこでどううつるか分からないから、あまり我慢していてもしょうがないしね。むしろ、食いたいモノをしっかりおいしく食った方が免疫力もアップするという話も聞いたことあるし」

「新型コロナだもの。『Stay Home!』だもの。今はしょうがないわ」

人間って、本当に『言い訳の動物』だよね~(笑)

こんな話を聞いていると、分かるけどそこまで割り切れていない自分はマシな方なんじゃないのかと自画自賛したりする。休みでもちゃんと平日と同じ時間に起きて朝のルーチンをこなすし、運動もいまだに(むしろ今の方が)きちんとやっているし、お酒も自粛気味(あくまでも”気味”ですけど)。それでも、せっかく絞ってきたお腹が徐々に緩くなっていくのは実感として分かるし、昨日も有給休暇でしたが何もすることがないので散歩以外はずっと家でゴロゴロして食って寝て飲んで、の一日・・・「まあ、今はしょうがないわなぁ」と言い訳しながらお腹を擦るわたしも、結局は同類です。

良いんです。同志のみなさん、自分のできるレベルで、がんばりましょう!

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スロカロ

『低炭水化物ダイエット』は肥満やメタボに良い? 悪い?

なかなかわかりやすくまとまっていたので読んでみました。「スローカロリー」とは、糖質の小腸での消化・吸収速度をゆっくりさせることで食後高血糖や肥満を抑えようとする考え方ですが、完全に市民権を得たように思います。ただ、概念は同じでもその方法論は千差万別で、いまだにどれが正解なのかわかるようでわからない現状があります。低脂肪が良いとか低炭水化物が良いとか高タンパクが良いとか、世の中単純に栄養素だけで論じ過ぎ(しかもゼロか百かの議論ばかり)だというのがわたしの持論ですので、この記事はとても参考になりました。

結局、「低炭水化物ダイエットか低脂肪ダイエットか」ではなく、「健康的なダイエットか不健康なダイエットか」という至極当然な結論になるわけで、
●「健康的な低炭水化物ダイエット」とは、食物繊維の多い全粒粉やシリアル、玄米など質の良い炭水化物、デンプン質の少ない野菜、大豆や豆類、ナッツ類などの植物性タンパク質を十分に摂り、動物性食品に含まれる不飽和脂肪酸を摂り過ぎないという食事法。
●「健康的な低脂肪ダイエット」とは、飽和脂肪酸を控えめにして、植物性タンパク質を十分に摂り、品質の良い炭水化物を摂る食事法。
となるのは容易に理解できます。

ただ、一般論として「健康的な食事」は「不健康な食事」よりおいしくない。というか、魅惑の禁断の刺激が決定的に足りないから食指が動かない人が多い、というところがネックなのだと思います。理屈はわかるけど、健康のために簡単に誘惑を振り払えるほど人間の”欲望”は柔なモノじゃないのですよね。「この方法が良いという話とそうでもないという話があるでしょ。訳わかんないから、もう自分の好きなようにしようと思うんですよね」と云う受診者さんがたくさんいますけど、”欲望”ってどんな正論にも簡単には負けません。スロカロを論じる上でも、「何を食うかよりどうやって食うか」という概念を地道に脳裏に焼き付ける根気強い作業が要るのだと思っています。

 

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感動する脳

わたしのiPadの『メモ』には、ブログネタになりそうなタイトルや書きかけの文章や、気になった記事や本の写しがたくさんあります。必要なくなったら(ブログにアップしたとか書くのを止めたとか、面白いと思ったけどあとで読んだら興味がわかなかったとか)消していくようにはしてあるのですが、少し仕事が空いた時間にずっと前の方をスクロールしてみたら、一番下に2015/02/19の文章~『感動する脳』PHP文庫 茂木健一郎~というメモがみつかりました。

おそらく、茂木先生の本を読みながら気になったところを書き写したものと思われるけれど、最初に必死に書き写しすぎて疲れたのか、”大切なのは「意欲」”という一節の書き写しだけで終わっています。この本、どこにやったかなぁ。これを書いた1年後に熊本地震が襲っているから我が家の書斎の本棚の本は全部なだれ落ちてしまったから、拾い集めた後にどこに戻したか記憶が定かではありません。

自分の書き写した文章を読んでみました。

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大切なのは「意欲」
新しいものを生み出す創造力というものは、体験×意欲です
「生きる上で避けることができない不確実性への適応戦略」というものは、実は普通に生きていれば年を取るにつれて減っていくもの
明日が今日と同じはずがない
加齢に伴って意欲が落ちていく大きな要因は、体験や知識が多く蓄積されることによって、不確実性の要素が減っていくことにある
「根拠のない自信」が大切

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5年前には、どこか他人事だった内容(おそらく、地域住民への健康講話のネタにと思ってメモしたのかも)が、今読むと異常にしっくり入ってくる。今、自分に一番欠如しているのは「意欲」だと云いきれるからです。

「感動」は脳を進化させる
 意欲が脳を刺激する

これ以上、メモしてないのです。今こそ茂木先生のこの本、読んでみたいのに・・・処分してないなら我が家のどこかにあるはず。さっそく探すことから初めてみましょう。

 

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『様子をみましょう(1)』

今回の機関誌連載のコラムが発行されました。ちょっと内容が激しいしちょっと今の新コロ禍にタイムリーではないと思うけど、原稿出したときはこんな社会になるとは思っていなかったからなぁ。これ、珍しく2回連載なんです。「次回楽をしたい」という下心もありますが(笑)

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『様子をみましょう(1)』

テレビの健康番組で、自らの体調不良について質問した某タレントに対して「それは様子見で大丈夫でしょう」と専門医が答えていたのを見て、つい苦笑いしました。「様子をみる」~医療の世界で大昔から存在する魔法のコトバですが、私はあまり好きではないので外来担当をしていた時にはできるだけ使わないようにしていました。

「とりあえず様子をみましょう。何かあったらまた来てください」と医者に言われたら、どうしますか。「良かった。それほど重篤な病気じゃないのだな」と安心できますか。何か腑に落ちないモヤモヤした気持ちで帰路につくのではありませんか。だって、自分の症状は何も変わってないし状況は何一つ解決していないのです。「様子をみる」とは、誰が何をどうするのか。「何かあったら」とは、何がどうなったらという意味なのか。具体的なことがほとんどわかりません・・・そんな曖昧模糊な内容をひっくるめて「様子をみましょう(みてください)」と言っています。

実際には、患者さんの症状の原因が今ひとつはっきりしない時に使う、いわば逃げ口上みたいなものだと思っています。検査した結果からは大きな異常所見は見当たらない。もう少し悪くなったらわかるかもしれないが、たぶん悪くならないだろう。自分の経験上、治療することは何もないと思う。放っておけば治るかもしれない。でも重篤な病気が隠れていないとも限らないので安易な言い方はできないし、「問題ない」と言えば不満に思われるかもしれない・・・そんな医者の心の内が見て取れるコトバ。診断に自信があるなら即座に「放っておいて大丈夫」と言い切るかあるいは治療を開始するでしょうし、症状が気になるならさらなる精査をしたり専門病院を紹介したりするかもしれない。そう考えると、「できたら関わりたくない」という本音を表している部分もあるやもしれません。

少々乱暴な書き方をしましたが、「様子をみる」とはそんなあやふやな状況を“行間を読む”形で酌み取って「後は自分で決めてください」と逃げていく、そんな日本人的なコトバのような気がします。だから、魔法にかけられたままにせず自分の疑問や不安は具体的に確認しましょう。私みたいなお節介な医者は自ら具体的な指示をします。わからないものは「わからない」と言いますし、「今より悪くなったと感じたらすぐまた受診するように」とか「1週間経っても変化がなかったら●●科を受診してみたら」とか言ってくれるでしょう。でももしそれがないなら「何をどうしたら良いのか」を自分から質問してください。本当は、日頃からそういうことを何でも聞ける『かかりつけ医(ホームドクター)』を持っておくのがベストなのですが。

 

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メモの整理

わたしのiPadの『メモ』に残しているもののうち、意味のわからないものや用事が済んだものを整理しようと覗いてみた。そもそもブログネタや講演ネタに使えそうな内容の覚え書きなのですが、その中の一ページにこんな言葉の羅列がありました。

デジタルヘルス
ミンクル
アジェンダ
MACE
バゾプレッシン~社会のために何かをしようというホルモン
大脳深部白質病変の正体
エックスフォージ
PTS(血栓後症候群)
ドラゴンナイト(セカイノオワリ)

メモを最後にいじったのは2017/06/20でした。さてさてこれどうしたものかしら。一応、ネタにならないかどうか文献検索しながら眺めてみたけれど、壮大すぎるものから一言で終わるものまで、きっとこれらを単独で使うために並べたネタ帳じゃないんだと思いますね。何かを論じるときに、そっと付け足すプチ情報みたいなものではなかったかと。ドラゴンナイトとセカイノオワリはさすがに旬を超えた感ありだけど・・・一応、すべてこのままにしておきましょう。まあ、今回のような虫干しがない限り、当分日の目を見ることはないでしょうけれど。

 

 

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厳格な血糖管理は危険?

HbA1c6.5%未満でPCI後の心血管死リスクが増大

”初回PCI後の心血管死リスクが最も低いのはHbA1c7.0~7.5%であり、HbA1c6.5%未満では有意なリスク増加が認められた”(Cardiovascular Diabetology 2020.2.18 オンライン版)

つまり、「厳格な血糖管理は、細小血管症抑止には有効だが大血管症に対してはむしろリスクを高める可能性」を示した結果だということです。もちろん、対象者の中でHbA1c6.5%未満の人に高齢者が多く、合併疾患(高血圧やCKD)のある人が多かった様ですが、HbA1c7.0~7.5%群が一番リスクが低く、「HbA1cが低くても高くてもリスクが上昇するというU字型の関係」が見られ、特にHbA1c6.5%未満群のリスク上昇が有意だったというのです。さて、それは結果なのか原因なのか? 

糖尿病患者に対する経皮的冠動脈インターベンション(PCI)施行後の生命予後とHbA1cの関連について検討したという順天堂大学のこの結果って、意外とセンセーショナルな結果じゃないのですか? わたしが無知なだけであって実は臨床現場では常識的な想定内の結果なのですか? なぜなら、糖尿病患者の心血管イベント二次予防として注意すべきことがコントロール不良症例だけでなく、「あまりにも厳格な血糖管理をするとでも心血管死リスクが上昇する可能性がある」というのです。となると、「PCI後の糖尿病管理はほどほどに」ということを患者さんに伝えすべきだ、ということになるのでしょうか。

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口腔機能低下症

本年4月から健診で「後期高齢者の質問票」というのが付くようになりましたが、これは高齢者が多くなるこれからの社会の中で、いかに高齢者に特化した健康指導ができるかということが重要になるからです。先日、人間ドック学会からも「高齢人間ドック受診者指導の手引き」という小冊子が配布されてきました。

わたし自身が徐々に対象者に近づいている状態で「高齢者」という単語を特化して使うのに若干の抵抗感を抱きつつ働いています(「あそこにいるばあさんが足がヨボヨボでハラハラしたよ」と、きっと自分より遙かに年下であろう老人のことを言う85歳の義母のような悟り方はできませぬ)が、そんな高齢者の生活管理の中に『口腔機能低下症』があります。

全身の機能が低下して要介護リスクが高まると云われる『フレイル』や『サルコペニア』に繋がる重要なポイントで、咀嚼機能(噛むこと)の低下と嚥下機能(飲み込むこと)の低下を併せて口腔機能の低下(『オーラル・フレイル』)と云います。日本老年歯科学会のホームページによると、”「口腔機能低下」とは、加齢により口腔内の「感覚」「咀嚼」「嚥下」「唾液分泌」等の機能が少しずつ低下してくる症状です。「口腔機能低下」を早期に自覚することで生涯にわたり、食べることを楽しみ、会話に花を咲かせ、笑顔が続く健康長寿を支えます。”とあります。口腔機能低下症についての説明も載っているので是非ご一読ください。

 これ、実はわたし自身で置き換えてみてもわかります。機能低下の最初のステップは、「口腔リテラシー(関心度)の低下」と「う歯・歯周病、歯の喪失」です。たまたま、一昨年から約一年間歯の治療に通ったからこそ歯磨きを丁寧にするようになりましたが、わたしは退職して社会から離れたら口のことなんか全然興味なくなるかもしれません。人に会うわけでもないのだから歯磨かなくてもいいんじゃない?めんどくさいし、とかすぐ思ってしまいそう。次の段階では、すでに最近「滑舌低下」が甚だしいのが実感でわかります。まだ、むせたりこぼしたりはあまりない(全然、とは云えないのがさびしいが)が、滑舌が明らかに悪くなりました。若い頃は演劇人として舞台にも立ったから発声練習や早口言葉などお手の物だったし、そもそも今でも人と話すことが仕事なのに。

で、どうしたらいいのかしら。ということで、『「口腔機能低下症」と診断された方へ』を参考までに・・・読んでみたけど、これ意外にめんどくさそう。でも、せめて昔やっていた発声練習でも再開しておいた方がいいかも、ですね。

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恐ろしい日々

毎朝がとても恐ろしい、というのが正直な気持ちです。

熊本市は毎日新たな感染者が出ているとはいえ、ほぼ感染経路が追える患者さんばかりなので、街中や公共交通手段を利用せずに毎日標準予防策を遵守しておれば感染するはずがない、とは分かっているのです。でも・・・怖い。

毎朝毎晩検温して体調とともに申告するのが決まりです。朝の検温で熱が上がったことなど一度もないのにいつも数字を見るのが怖い。時々スパイク状の発熱パターンを示してすぐ治まるのが特徴だとか聞くと、たまたま発熱した時に検温してないだけかもしれないとか思う。朝起きるとすぐに喉がモヤモヤする。寝る前にハメていたはずのマスクはすぐにどこかに外れ、夜中に小便に起きるたびに付け直す。だから口開けて寝ているせいだと思うけど・・・昨日の朝は通勤の運転中に急に痰が絡んできた。こんなことは最近では初めてだ。コロナは粘稠性の痰が特徴だと聞いたことがある。心配でしょうがないので運転中ずっとのど飴を舐めていたら一応落ち付いたので安堵した。変な空咳が逆流性食道炎の症状でいいのか自信がない。何か寒気がする。急な気温変化があっているけれど、これが寒気なのか寒いだけなのかの区別が付かない。その時に検温しても平熱だから、寒気ではないだろうと思う。何かふらふらすると、それが体調不良なのかお腹が空いているだけなのかの区別が付かなくて不安になったりする。

ゴルフ仲間に、あちこち出張で県外に出て行く人が居る。「オレは免疫力をつけているから大丈夫だ」と豪語していると聞く。意図的に彼から距離を置くようにしているが、私の妻の友人は彼と親しいので良く会うようだ。となると、彼が感染したら私はその濃厚接触者の友人の夫だから、間接的に接触者ということになるのではないか。だとしたら14日間自主的に仕事を休む必要があるのではないか。そういえば妻は先週彼と直接会ったと云っていたから、私は濃厚接触者の夫ということになるのか?人間ドック受診者の皆さんは受付で体温チェックや問診チェックを受けているけれど、それでもどんな人が居るかも分からない。世間のスーパーや公園には県外からきた人や都会から呼び戻された子どもや夫も居るに違いない。なんか、生活する上で周りが全部信用できなくなってくる。

あ~不安だ。医療者であってもこれだけ不安なのだから、世間の皆さんの不安感はもっとすごいのかもしれない。昨日は産業医出勤にタクシーを利用したし、夕方には学校検診の心電図判読作業も依頼されて担当者と一緒にやった。あと2週間は何が起きてもおかしくはないぞ! テレワークにすることはできないのだろうかー!

 

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かばん語

昨日の『ぎなた読み』のように、聞いたことのない一括りの単語に、なんかちょっと惹かれる爺です。「へえ、そんな云い方するんだ?」とか思うと、知らなかったことが悔しいというよりも感動してしまう。

ということで、『かばん語』。まさしく、まったく聞いたこともない。『かばん語』というのは、「複数の語のそれぞれの一部を組み合わせて作られた語」なのだそうですが、その語源が『鏡の国のアリス』の中に出てくる一群の造語を「portmanteau」という両開きタイプの旅行カバンにたとえて紹介したことから始まる、なんて知ろう由もない。

これに辿り着いたのは『ブランチ』。妻がインスタグラムに『BRUNCH』と書いてあったのを見て、『BRANCH』じゃないの?と思って検索した事から始まります。わたしたちの年齢でブランチという単語を自分で使うようになったのはそう遠い昔ではありませんが、ずっとbranch(枝)から派生した言葉だと思いこんでいたのです。『ブランチ(BRUNCH)』は、「朝食と昼食を兼ねた食事」という意味の造語です。つまり、「breakfast」+「lunch」→「brunch」ということ(「Breakfast」が「Break(壊す)」+「fast(断食)」でできた言葉だというこは学生時代に英語の先生から聞いて知ってましたけれど)らしい。

これを知ったからといって、今後の人生に何か活かせることがあるかどうかといえば多分何もないでしょう(というか、”鏡の国のアリスに出てきた両開きの旅行かばん”自体がピンとこないのですから、きっとすぐに忘れてしまうと思う)けれど、でも、この歳になって、「へえ、そうなんだ」と思う事って、そう多くないから、ちょっと嬉しくなるというのが正直な感想です。

『かばん語』の他の例は、

smoke(煙)+fog(霧)→smog(スモッグ)
破(やぶ)る+裂(さ)く→やぶく
捕(とら)える+捕(つか)まえる→とらまえる
よそう+盛る→よそる
さすがに、「熱さまシート」まで入れ始めたら小林製薬の独壇場になってしまう(笑)

こういうコトバ遊びの造語がそのまま正式な単語として認められることがすばらしい(言葉は生きている、そして成長していく・変化していくということだから)と思います。
 

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ぎなた読み

先日、同級生のLINEグループに『巨人の星』のオープニング主題歌をアップしてくれた友人がいます。

♪思いこんだ~ら、試練の道を~♪

この有名なフレーズを聴くと必ず思い出すのが妻が若かった頃に話してくれた勘違いの話です。彼女はずっと『重いコンダラ』だと思っていたそうで、主人公の星飛雄馬がグラウンドをならすためにひっぱっている重そうな道具のことを専門用語で『コンダラ』と呼ぶのだと思い込んでいたというのです。それはグラウンドを整地するためのローラーのことです。

そんな恥ずかしい話をふと思い出して、しばらくLINEグループの話のネタにしたのですが、試しに『コンダラ』で検索してみたら・・・驚きました。あの整地ローラーのことを今は『コンダラ』と呼ぶそうです。妻と同じように勘違いする人が多くて、そんな都市伝説から俗語に成長したのだとか。ことばの進化って本当に面白いものだと思います。

こんな『コンダラ』のような読み方を『ぎなた読み』というということを皆さんご存じでしたか?
Wikipedia によると、「ぎなた読み(ぎなたよみ)は、日本語において、語句の区切りを間違えて読むこと。弁慶読みともいう」だそうです。つまり、「弁慶がなぎなたを持って」という一文を読むのに、本来は「弁慶が、なぎなたを持って」と読むべきところを「弁慶がな、ぎなたを持って」と読むというもの。

国語教師の息子として生まれたわたしは、幼少のころからしっかり国語教育を受けてきたので、こんな読み間違いは絶対にしない自信があります。それが自慢でしたが、世の中、こんな読み間違いして皆で大笑いする方がはるかに楽しいし、それでコンダラのように呼び名を変えてしまう・・・それはそれなりに奥深い人生を送れたかもしれないな、と思ったりします。

Wikipedia読んでいたら、つい笑うものばかり。ある意味、秀逸ですね。

PS)ちなみに、巨人の星の主題歌が流れている時のオープニング画面には星飛雄馬がコンダラをひっぱている場面なんて全くでてこないんだそうですね(笑)

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人生を変えてしまうかもしれないこと

先日、熊本の病院で大変な事件が起きました。

市内の基幹病院である公的医療機関の入院患者から新型コロナウイルス感染者が出たと報道されました。病院内も世間も大騒動です。その患者さんは最初から個室に入院し、入院後2週間以上してから突然に発熱し、検査で肺炎が疑われて検体検査をしたら新型コロナ陽性反応が出たために、指定医療機関に転院しました(熊本市ホームページの報道の通り)。

その後、当該病院は病院機能をすべてストップさせて、濃厚接触者だけでなく関わった可能性のある職員190人のPCR検査を迅速に行いましたが、すべてが陰性でした。「すばらしい。よかった、よかった」で終わるはずだったけれど、何かがおかしい。患者さんは2週間以上個室から出ていないし面会家族は限られている(PCR陰性)のに、感染源が特定できないのはなぜ? そう考えた関係者が、念のためにすべての行程を再確認した結果、実は「当該患者さんのPCR検査はもともと陰性だった」ということがわかったのです。検査センターの担当者の検体番号入力ミス・・・それだけの単純なミスでこの大騒ぎになりました(前出ホームページから)。

とても恐ろしいことです。濡れ衣を着せられた当該病院のスタッフの中には配偶者の出勤停止指示やお子さんの保育園登園停止依頼を受けた人がおられると聞きます。病院の信頼も丸つぶれでしょう(こういう訂正報道は最初の発覚報道ほどは浸透しないものです)。でも、一番かわいそうなのは当該患者さんです。感染してもいないのに感染者しかいない感染病棟に隔離されたのだけれど、今度は簡単に一般病棟に退室できるのかしら。いや、そんなことよりももっと怖いことは、もし190人のスタッフの中にPCR陽性者が一人でも出ていたら・・・その人が感染源ではないかと疑われるだけではなく、結果を見直しされることもなく当該患者さんはずっと感染者のレッテルを貼られながら生きていくことになったはずだということです。新型コロナに感染したかどうか(もちろんこれから遅かれ早かれ多くの人が感染するだろうと云われていますが)、それは社会的にも精神的にもものすごいストレスです。周りからバイ菌扱いされ、自分は急に重症化して命を落とすのではないかという不安感に苛まれるのです。そんな全く逆の人生をたどるかもしれないことがちょっとした記載ミスで起きた。ということは、発覚していなかったけれどこれまでにも起きていたことかもしれないし、こんな数件しか扱わない地方都市でそんなもんなら、大都市の大量検体を扱うところではちょこちょこ起こっているのではないか?という疑心暗鬼に繋がりかねません。

とりあえず、濡れ衣が晴れた当該病院関係者と当該患者さんは、”えん罪”に発展せずに良かったです。日頃の標準予防策が徹底されている証でしょう。たまたまPCR検査を受けさせられた190人のスタッフの全員が陰性だったということは、考えてみればものすごいことです。何もない一般市民グループをたまたま200人弱選んでサンプリングした様なもの(医療機関に勤務している分だけ、一般市民よりリスクは高い)です。仕事だけではなく、ここ2週間のプライベートな日常生活をすべてさらけ出したようなものです。その中に陽性者が一人もいなかったのです。これは熊本市民としても誇るべきものなのかもしれません。

一方で、本当は陽性なのに陰性にされた人。すでに感染して入院していた人らしいですが、「やっと陰性になった」と一旦は喜んだのではないかと思うと、切ないです。早くこの新型コロナの渦が消えていってほしいと心から祈ります。

 

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オキシトシン

毎日の日課で昼休みに職場の廊下をウォーキングしていたら、検査室の前の壁に『オキシトシン』の文字を発見しました。今、こんなストレスフルな毎日だからこそ、オキシトシンが大切!とかいう内容だった気がします。

思いがけずに眼に入ってきた『オキシトシン』というホルモンの単語がずっと気になっていたので、この機会にちょっと調べてみました。

通称『幸せホルモン』とよばれるオキシトシンですが、出すのは簡単そうで、意外に現代社会ではそうでもないのかもしれません。オキシトシンの主な作用は、ちょっと堅い云い方(学問的な云い方)すると、抗ストレス作用、摂食抑制作用・・・恐怖刺激に対するすくみ行動を抑制する、肥満を抑制するなど・・・の他に、母性の制御(妊娠、分娩、授乳、母性行動)などにも働くようです。その辺は、どうぞ本文をお読みください。

今回取り上げたのは、あくまでも『精神的な安らぎを与えるといわれる神経伝達物質のセロトニン作動性ニューロンの働きを促進することでストレス反応を抑え、人と交わったりする社会的行動への不安を減少させる』という作用に興味を持ったからです。他の記事によると、オキシトシンの効果には、
幸せな気分になる
•脳・心が癒され、ストレスが緩和する
•不安や恐怖心が減少する
•他者への信頼の気持ちが増す
•社交的となり人と関わりたいという好奇心が強まる
•親密な人間関係を結ぼうという気持ちが高まる
•学習意欲と記憶力向上
•心臓の機能を上げる
•感染症予防につながる
などが列挙されていて、考えてみると今の自分にこそ必要なことばかりではありませぬか。ちょっと驚きました。

それではこれを分泌させるのはどうしたらいいのか? お母さんと子どもの関係でもわかるとおり、基本的にはスキンシップに勝るものはないようなのです。でも、現代社会はバーチャルの時代。恋人や家族やペットに囲まれていないとなかなか難しい。特に外出自粛のバーチャル世代は何をしたらいいのか。心から感動したり、感謝したり、笑ったり・・・結局ここに帰るのですよね。わたしは決してバーチャル世代ではないけれど、これから独り孤独になっていく不安に苛まれるのは、まさしくオキシトシン不足への不安なわけで、何らかの形で周りとのコミュニケーションを保つ努力を欠かさないようにしなければと思っています。

そうか、だから今、自閉症スペクトラムの患者さんにオキシトシン治療を試みる動きがあるのですね。
 

 

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おいおい腹が出てきたぞ!

毎年恒例のダイエットトライアルに成功して、早1ヶ月です。

「ちゃんと体重を量り続けてくださいよ」と、健康管理室の保健師さんに出会うたびに云われるけど、いつも丁重にお断りしているわたし。「体重計にはこのトライアルの期間しか絶対に載りません!」と頑なに宣言していますから。

「いつでも止めてやる」と云いながらも、まだ、毎日の日課の運動は几帳面にこなしているのです。今回腹囲が10センチも縮んだのは『つかまりスクワット』と『騎馬突き』と『腹筋運動』をまじめに続けたからだ、という実感があったからです。体重測定のしがらみから逃れて若干気持ちが緩む(ダイエットが成功する秘訣は『やる気』だ!)けれど、それでも頑張っているんです。でも、ふと気づいたら、お風呂の時に見える洗面所の鏡に映る私の裸体・・・また、腹出てきてる? 必死で引っ込めてみるとまだ引っ込むけど気を抜くと飛び出てしまう! これ、少なくとも2ヶ月前のレベルに戻っている!?

さ、どうでしょうか。ここで、<修正生活に戻る=『やる気』を再度誘起する>という行動に修正できるかどうか? 原因は分かっているんです。『やる気』が失せただけではありません。夜、飲んでますもの、食ってますもの、いろんなものを(笑)夕食前後のお菓子やお酒や・・・分かっているんです。んでもって、これを止めれば元に戻ることも分かっているんです。どうするかなぁ、と戻りつつあるお腹を摩りながら思案するわたしなのであります。

一ヶ月後を、乞うご期待!(って、だれも期待してないか)

 

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今こそ体内時計の維持を!

<新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行下における、こころの健康維持のコツ:先の見えない中であっても、日常の生活リズムには気をつけよう>

昨日、わたしが所属する日本ポジティブサイコロジー医学会から、会員宛に国際双極性障害学会(ISBD)と光療法・生物リズム学会からのこんなが提言文が配信されました。”本提言については、その引用・複製・転載は自由です”とありましたし、和訳をしていただいているので、エキスを抜き取ってご紹介します。基本的にはいかに自分の体内時計をいつも通りに維持できるか、ということですが、具体的な提言を自分のできることから始めてみてはいかがでしょうか。

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こころ穏やかに過ごすために役立っている、最も重要な脳のメカニズムのひとつが、“体内時計”と呼ばれるものです。

新型コロナウイルス感染症の世界的大流行のような生活を激変させる出来事に直面すると、私たちの体内時計は乱れやすくなるだけでなく、一度乱れたその体内時計を適切なリズムに戻すことも難しくなることがわかっています。特に、仕事や子育て、人との関わりといった、一定のリズムで毎日決まって行ってきた社会的活動(日課)が失われると、体内時計が変調をきたし、正しく作動しなくなってしまいます。結果として、不眠や食欲低下、元気がなくなったり、つらい気分に陥ったりといった、時差ぼけに似たような不快な心身の症状が生じてきます。

たとえ新型コロナウイルス感染症の世界的大流行のように、生活が混乱している最中であっても、体内時計が正確に働くように努めることで、つらい気分をやわらげることができます。

『日常生活を規則的に送るための自己管理術』
●自宅待機や在宅勤務であっても、自分自身で毎日決まって行う日課を設定しましょう。そうすることで、あなたの体内時計は安定して働くようになります。
●毎日、同じ時刻に起きましょう。決まった時刻に起床することは、体内時計が安定して働くために最も大切です。
●毎日、一定時間を屋外で過ごすようにしましょう(訳注: 密閉・密集・密接の3密の状況を避け、一人でいられる場所で)。体内時計の時刻合わせには、朝の光が欠かせません。朝といっても、お昼近くよりは、午前中の早い時間帯が望ましいでしょう。
●もし、あなたが外に出られないとしても、少なくとも2時間は窓際で過ごし、日の光を浴びながら、心の落ち着ける時間を持ちましょう。
●在宅での仕事や学習、友人との電話、料理など、毎日行ういくつかの活動はやる時間を決めましょう。そして、毎日、同じ時間に行いましょう。
●毎日、運動をしましょう。できれば、毎日、同じ時間帯で。
●毎日、同じ時間に食事をしましょう。食事の時間になっても、食べたくない時もあるかもしれませんが、それでも時間が来たら少量でも良いので何かを口にしましょう。
●人との交流は、たとえ社会的距離確保の期間中であっても大切です。リアルタイムに考えや気持ちを分かち合えるような人はいるでしょうか? テレビ電話か音声通話かはどちらでも結構ですので、可能そうな方とコミュニケーションの機会を持つようにしましょう。すぐに相手が思いつかなくとも、誰かいなかったかを思い出してみましょう。LINEのような文章だけの会話であっても、リアルタイムにメッセージが行き交うものであれば大丈夫です。そして、毎日、同じ時刻にそういった相手とコミュニケーションするスケジュールを持ちましょう。
●日中の昼寝(特に、午後遅くの昼寝は)は避けましょう。もし、どうしても昼寝が必要な方は最大でも30分以内に抑えましょう。昼寝は、夜の深い睡眠を妨げます。
●夜間に明るい光(特にブルーライト)を浴びるのは避けましょう。コンピューターやスマートフォンのディスプレイも含まれます。ブルーライトは、睡眠に不可欠なホルモンを減らしてしまうことがわかっているからです。
●自分自身に合った、起床と就寝の時間を決め、一貫してその睡眠リズムを保つようにしましょう。もし、あなたが夜型ならば、たとえ家族の人より少し遅く寝て、少し早く起きることになったとしても大丈夫です。毎日、同じ時間に床につき、同じ時間に起きることがポイントです。

 

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生活不活発~笑いましょう

不要不急の外出自粛のもう一つの弊害は、人との会話が減って、笑うことが減ってしまうことです。密閉・密集・密接を避ける3密(ちなみに、『三密』とは密教用語で、身密・口密・意密という仏の身体と言葉と心によって行われる3つの行為のことらしい。ま、ここではどうでもいいか)の勧めによって、皆が家の中に籠もりがちになりますが、先行き不安の社会の中で家の中でも会話が減り、独り者なら尚のこと一言もしゃべらないままに一日が過ぎていくことは日常茶飯事でしょう。そうなると、表情がなくなり、口角が下がって免疫力が一気に低下することが知られています。それの解決法は、笑うこと。無理矢理に表情筋の体操として美容トレーニングのような運動(あいうべ体操なども含まれますかね)もありですが、やはり今の社会状態を考えるなら何といっても笑うことしかありますまい。

深刻な重症感染者や死者が全世界で急増しているために何か楽しく笑うと不謹慎だと思いがちですが、よく考えたら、今の自粛は単に「家から出ないこと」というだけのことです。東日本大震災や熊本地震の時とは根本的に違います。テレビをつけると「新型コロ」から始まる話題ばかりの中、極力お笑い番組をチョイスするのが我が家の暗黙の了解です。そんな番組がなければ撮り溜めしていた番組から選りすぐりのバラエティ番組を夫婦で見ながら大声を上げてバカ笑いすることに努めています。

独りでいて、そんな面白いテレビ番組もyoutubeも何もみつけられないとしても、なんとか笑いましょう。こんなSF映画みたいな現実なんて、笑っていないとやってられませんよ。

 

 

 

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生活不活発~動きましょう

新型コロナ(COVID-19)の拡散予防のために外出自粛が促され、『Stay Home!』と叫ばれ、高齢者になるほど(しかも持病があるほど)感染すると重症化しやすいと云われている昨今、一番強く受け止めてもらいたい若者たちは「オレには関係ない」と云わんばかりにたむろして動き回っています。一方で、高齢者になればなるほど怖がって家から一歩も出ない人が急増していることが問題になってきているので、各学会が警鐘を鳴らしています。

たしかに我が家の近くの公園を散歩していても、早朝(まだ公園入り口が閉まっている時間帯)こそ湖畔の遊歩道を足早に歩く中高年を見かけますが、ちょっと時間が遅くなると一気に姿を消し、若い家族やカップルばかりになります。こんな光景、今まで見なかったぞと素直に思います。

高齢者ほど健康のために毎日きちんと体操をしたり散歩をしたりして規則正しい生活を送っていると思われがちですが、それは「しないと不健康になる」と思っているからであって、別にせずにはおれない訳ではありません。”人間には『運動欲』という欲望は存在しない”~そもそもめんどくさくてしょうがないのだから、しなくてもいいという大義名分さえ見つかれば、それを免罪符にかざして「家でじっとしておきたい」~とそれが本音の高齢者は少なくないと思います。

運動不足になる日々のために、プロスポーツ選手や運動指導者などがあちこちで動画配信をしています。でもこれ、基本的にはYoutube見れる環境の若者向けだし、皆が集まってやる健康教室やデーサービスではなく家で一人でしろと云われても・・・ねえ。私のような超多動児ですら、「することがなんもねえなぁ」とか云いながら一日中寝っ転がってスマホいじってたりするのですから。

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お風呂に入ろう?

週5日以上の入浴で脳心血管リスク減少~日本人3万人の前向き調査

血行動態機能改善に伴う入浴の心血管疾患予防効果について、中年期の日本人約3万人を追跡調査(大阪府立公衆衛生研究所:鵜飼友彦ら)し、入浴頻度が多いほど心血管疾患リスクが低下するという結果を報告したそうです(Heartオンライン版2020年3月24日号)。

それによると、心臓突然死やくも膜下出血については入浴回数と関連はみられなかったものの、ほぼ毎日または毎日入浴している人は入浴回数0〜2回/週の人に比べて心血管疾患(冠動脈疾患、脳卒中全体、脳梗塞、脳内出血)リスクが有意に低かったのだそうです。

一応、従来の心血管疾患リスク因子と食事因子を調整した結果だというのですが、さてどうなのだろう。対象は40〜59歳の3万76人でそれを20年追跡したそうなのだそうですが、入浴習慣というのは単なる衛生観念の問題だけではなく、経済的な問題も大きいのではないでしょうか。あるいは偏見かもしれないけれど、普通に社会の中で仕事をしているのに「ほとんど風呂に入らない」人は、基本的に生活が乱れている人が多いのではないでしょうか。そうなると、それは入浴回数の問題だけではないのでは? あるいは、湯船に浸からずにさっとシャワーだけ浴びてすぐ寝てしまう人も多いようですがそういう場合の心血管疾患リスク減少効果はどうなのかも知りたいところですね。

お風呂に関わることで言えば、高齢になるほど「面倒くさく」なって、「どうせ外に出ないからお風呂は入らなくてもいいや。化粧もしなくていいや。顔も洗わなくていいや。歯も磨かなくていいや」となっていく、そのフレイルサイクルを未然に洗い出すために、高齢者にこそ入浴頻度の調査が重要ではないかという気がします。

 

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日本ポジティブサイコロジー医学会

日本ポジティブサイコロジー医学会からも心の安定を保つためのメールマガジン(2020年3月号)が届きました。これまた、今だからこそ多くの人に読んでほしい内容なのでコピペします(転載許可は受けていません)。ただ、これを読む今現在、これがまだ通用するフェイズであることを祈りながら。

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【3月号の紹介】
コロナウイルスの不確実性に直面する中、冷静さを保つのを助ける簡単なエクササイズ
世界はあなたを求めています – あなたがもつ24種の最善の資質すべてを (徳性の強みをこの時期にどう活かすか)

【3月号の執筆者】
松隈 信一郎(日本ポジティブサイコロジー医学会事務局/慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室)

<コロナウイルスの不確実性に直面する中、冷静さを保つのを助ける簡単なエクササイズ>

記事名:A simple exercise to help stay calm in the face of coronavirus uncertainty
著者名:Martin Seligman
雑誌名:Medical Press, March 16, 2020
https://medicalxpress.com/news/2020-03-simple-calm-coronavirus-uncertainty.html

【要 約】
コロナウイルスに関する状況が日々変わってきており、このような不確実性は不安や恐怖をもたらします。ポジティブサイコロジーの創始者であり、ペンシルベニア大学ポジティブサイコロジーセンター長のマーティン・セリグマン氏は「人間のマインドは自動的に最悪のケースに偏ってしまいます。それも、しばしば不正確なものに」と述べています。「破局的思考は進化における適応したマインドのフレームワークであるが、通常は非現実的にネガティブなものです。」自分のマインドを再びフォーカスし直すために、セリグマン氏は「Put It in Perspective (大局的に見る)」という簡単なエクササイズを提案しています。それは私たちのマインドが最初に行う最悪のシナリオを想起し、その後、最善のシナリオへと移り、最も現実的なシナリオに落ち着くように進めます。この考えは思考を非合理的なものから合理的なものへと再び方向づけることです。

ステップ1: 自問自答する 「起こりうる最悪のシナリオは何か?」
これは皆さんの年齢や健康状態によって変わるでしょう。セリグマン氏は77歳でペンシルベニア州Montgomery郡に住んでおり、コロナの感染拡大を予防して最近閉鎖されたという自身のシナリオを例として挙げます。彼の最も重々しい考えは自動的に極端な方へと向かいます。「私は確実に感染します。なぜなら私の娘はここの学校に行っているからです。一旦、感染すると、厳しいケースとなり、70代で死ぬでしょう。」

ステップ2: 次に自分自身を最善の結果を考えることへと仕向ける
このステップの段階では、セリグマン氏は「私は感染しませんし、家族もしないでしょう。終息して、大丈夫でしょう。」と考えました。

ステップ3: 次に、最も起こり得そうなことを考慮する
セリグマン氏は最も現実味のある結果として、「私は多分、最終的には感染するかもしれません。しかし多くの大人と同じように、ほとんど無症状もしくはおだやかなものでしょう。たとえリスクが高い年齢といっても、非常に健康的ですので、病気で1~2週間は不調でも、後に回復するでしょう」としました。

ステップ4: 最終的に最も現実味のあるシナリオに向かう計画を作成する
これは最も起こり得ないことについてエネルギーを浪費することとは異なります。厳しい状況となる不測の事態へと向き合うためのものです。皆さんの計画は個別の状況によります。例えば、自分が風邪を引いた時は、子どものケアを確保する必要があるか?家にいないといけないならば、十分な食料や薬はあるか?仕事へはどのような意味があるのか?自分が高リスク集団であれば、誰か自分のことをケアしてくれる人はいるか?などです。セリグマン氏はこのエクササイズを多くの状況や異なる集団で試してきました。

 

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職員健康管理室からメッセージ

職場の職員健康管理室から職員全員にメッセージが配信されました。こんな時だからこそ注意したいこと。とてもためになるのでほとんどそのままコピペします。何の許可も受けていませんけど・・・。

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感染症の流行と活動の制限が続き、緊張や不安など高まりやすくなっています。それは当然のことですが、特に親しい人、家族との間では普段になく口論、きょうだい間でもけんかが発生しやすくなります。皆さん、大変お疲れ様です。日々の活動にあたっては、ねぎらい、休息を大事にし、支え合っていきましょう。そういった中でもこころが辛くなることはあるものです。そんな時は、信頼できる同僚や上司に相談をしてみませんか。

① 朝起きて夜寝る、こころとからだを健やかに保つ生活を心がけましょう
  □充分な睡眠、ほどよい量でリズムの良い食事
  □気持ちを落ち着けるためのアルコールやたばこは極力ひかえましょう
  □メールや電話、時に LINE などを使って、信頼できる友人や家族と会話をしましょう。

② 私たち大人も、子どもも正しい情報に適度な量・時間、アクセスしましょう
  □医療に従事している私たちは、正しい情報(国や自治体の発信)にアクセスできる力を持っています。また感染管理室からのメールは定期的に私たちに届いています。
  □テレビやインターネットで情報にさらされることが続くと疲れてしまいます。離れる勇気も持ちましょう。

③ デマや偏見、差別に容易に結びつくことを避ける
  □その情報の真偽は分かりません。「どうなのだろう」と一度その情報の真偽を確かめられるように、落ち着いて情報を受け取る・発信するようにしましょう。
  □SNS の利用についても普段以上にいろいろな情報が飛び交います。慎重に、客観的な目をもって活用しましょう。

 

 

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視力低下の正体

自然光では見えなくなる右目の話

先日、運転免許更新のためにコンタクトレンズを新調しました。右目だけ見え方が一気に悪くなったからです。おかげで無事に免許更新できたのですが、ずっと気になっていたことがあります。 今回も、数年前にコンタクトを変えた時も、あるいはその直後に遠近両用メガネを作った時も、ずっと気になっていたのです。

病院やメガネ屋で視力検査すると見えるのに家に帰るとほとんど見えない。
「見えないんですけど」と再度調べてもらうけど、「ちゃんと合ってますけどね」「そのうち慣れるんじゃないですか」と、神経質オヤジを見る目で言われて追い返される。でも、帰ったら全然見えない。「何でやねん!」と左目を閉じたり開けたりしながら歩く日々でした。

それがどういうことか、今回初めてわかりました。私の目、人工光(電灯の光)の下ではよく見えるけど、自然光(太陽の光)になった途端に見えなくなる。だから、暗いところで調べる視力検査は合格する(運転免許センターの適性検査でもよく見える)けど、そのまま外に出て運転しようとすると右目がぼやけているのに気付くのです。 自然光の中のバイオレットライトが窓ガラスで遮断されるから、子どもの頃に窓を開けたり外で遊ぶなりしないと近視が進むことがわかったという慶應大学の坪田先生の話を聞いたのはもう3年くらい前。でも、私のやつはその逆。自然光の方が視力が出なくなるって、どういうことよ?

そんな不安感を抱きながら、今日の眼科受診時に看護師さんや医者に聞いてみました。「あ、それは白内障だからですね」・・・誰もが至極当然な顔をして無機質に答えられました。散瞳して眼底検査を受けながら、「この真ん中のところが白内障強いから真ん中だけぼやけるんじゃないですか」と。はい、その通りです。「直射日光あまり浴びないように注意して、ちゃんとサングラスかけてください」「もっと進むなら手術も検討しましょうか」って。

そうか、白内障って、そんなもんなのか。自分で経験して初めて理解したわたしです。

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