『様子をみましょう(1)』
今回の機関誌連載のコラムが発行されました。ちょっと内容が激しいしちょっと今の新コロ禍にタイムリーではないと思うけど、原稿出したときはこんな社会になるとは思っていなかったからなぁ。これ、珍しく2回連載なんです。「次回楽をしたい」という下心もありますが(笑)
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『様子をみましょう(1)』
テレビの健康番組で、自らの体調不良について質問した某タレントに対して「それは様子見で大丈夫でしょう」と専門医が答えていたのを見て、つい苦笑いしました。「様子をみる」~医療の世界で大昔から存在する魔法のコトバですが、私はあまり好きではないので外来担当をしていた時にはできるだけ使わないようにしていました。
「とりあえず様子をみましょう。何かあったらまた来てください」と医者に言われたら、どうしますか。「良かった。それほど重篤な病気じゃないのだな」と安心できますか。何か腑に落ちないモヤモヤした気持ちで帰路につくのではありませんか。だって、自分の症状は何も変わってないし状況は何一つ解決していないのです。「様子をみる」とは、誰が何をどうするのか。「何かあったら」とは、何がどうなったらという意味なのか。具体的なことがほとんどわかりません・・・そんな曖昧模糊な内容をひっくるめて「様子をみましょう(みてください)」と言っています。
実際には、患者さんの症状の原因が今ひとつはっきりしない時に使う、いわば逃げ口上みたいなものだと思っています。検査した結果からは大きな異常所見は見当たらない。もう少し悪くなったらわかるかもしれないが、たぶん悪くならないだろう。自分の経験上、治療することは何もないと思う。放っておけば治るかもしれない。でも重篤な病気が隠れていないとも限らないので安易な言い方はできないし、「問題ない」と言えば不満に思われるかもしれない・・・そんな医者の心の内が見て取れるコトバ。診断に自信があるなら即座に「放っておいて大丈夫」と言い切るかあるいは治療を開始するでしょうし、症状が気になるならさらなる精査をしたり専門病院を紹介したりするかもしれない。そう考えると、「できたら関わりたくない」という本音を表している部分もあるやもしれません。
少々乱暴な書き方をしましたが、「様子をみる」とはそんなあやふやな状況を“行間を読む”形で酌み取って「後は自分で決めてください」と逃げていく、そんな日本人的なコトバのような気がします。だから、魔法にかけられたままにせず自分の疑問や不安は具体的に確認しましょう。私みたいなお節介な医者は自ら具体的な指示をします。わからないものは「わからない」と言いますし、「今より悪くなったと感じたらすぐまた受診するように」とか「1週間経っても変化がなかったら●●科を受診してみたら」とか言ってくれるでしょう。でももしそれがないなら「何をどうしたら良いのか」を自分から質問してください。本当は、日頃からそういうことを何でも聞ける『かかりつけ医(ホームドクター)』を持っておくのがベストなのですが。
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