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2020年6月

ラパポート聴診器

今の病院に研修医で働き始めたとき、聴診器を新調しました。当時のボスに薦められて買ったのはマークX(10)(日本ライト株式会社)でした。チューブが長すぎると音が遠くなるから短く切りなさいと云われました。切ったらとても良く聞こえるようになりました。でも、その後東京に行った後に帰ったとき、同僚が持っていた聴診器に一目惚れしました。それが、ヒューレットパッカード社製のラパポート聴診器でした。二本の柔らかいチューブの曲線がとてもかっこよくて、何か一流になった気分になれました。

それから25年以上、わたしはずっとこの聴診器と一緒に医者を続けてきました。2本のチューブを繋ぐバネが折れて交換したことが2回、イヤーチップが割れてしまって替えたことは何回だったかもう覚えていないくらい。壊れる度に部品を調達して修理してもらって、ずっとわたしの傍らにおりました。でも、そんな愛おしい聴診器の販売元のヒューレットパッカード社がこの製造部門から撤退し、それを引き継いだフィリップス社も数年で撤退・・・結局製造中止になったというニュースを聞いたときにはとても落胆しました。

1、2年前に聴診器の中核であるチェストピースのベル型面が割れました。聴診器に裏表があるのを見たことがあるでしょう。膜型とベル型・・・各々に用途が違います。ベル型を使うのは循環器内科医だけでしょう。胸に軽く当てて心音の低い方を聞き取るためにあります(ナース用の聴診器にはベルはないでしょう。たぶん必要ないから)。聴診器のベル面は皮膚に触れるか触れないかの微妙なタッチで軽く充てて心臓の低いピッチの音を聞き取る目的で作られています。循環器内科医の腕の見せ所の道具です。その大事なベル型面のプラスチックの枠が割れてしまったのです。慌ててアロンアルフアでくっつけてみたのですが、小さな隙間ができてしまい胸に当てるとその隙間に皮膚が挟まって痛いので使い物にはなりません。しかもしみじみ眺めてみたら、表面にはちいさな傷や凹みもあって、そもそも用を成していなかった様です。

イヤーチップの部分は何度も部品交換してもらいましたが、これも先日最後のストックを使ってしまい、いよいよ後がなくなりました。もちろん、後継社が古いラパポート聴診器の部品交換をしてくれることは存じているのですが・・・さて、今になって部品交換を依頼するかどうか、悩むわけです。10年前なら間違いなく交換しましたし、もしかしたら新しい聴診器を新調したかもしれませんが、今となってはこの傷だらけの老体聴診器と最後までつきあうのがよろしいのではないかという気がしてきています。今度壊れたら、おそらくもうこの聴診器は使えない。そのときをわたしの医者人生の最後の区切りにしようかしら、なんて。

そんな想いでヘッドに刻まれた「RAPPAPORT」の文字をそっとなぞってみました。

 

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腰痛

「いいのかなあ、これで?」
「なんか、恐ろしいなぁ!」

実は、昨日、思いがけずに朝から晴天になったので庭の草刈りを敢行したのですが、作業を始めてすぐに左の腰が痛くなり始め徐々にひどくなりました。「まだほとんど何もしてないのに」と思いながら痛みを押して続けていましたが、ちょっとかがむことすらままならなくなり、「こりゃダメだ」と一時中断。おそらく、その前日に愛犬のブラッシングをしたことで筋板を傷めたのだと思い、ダメ元でとりあえず家にあったインドメタシン系の軟膏を塗りました。「今日、草刈りしておかないともう当分できないんだけどな~。参ったなぁ」と凹みながらちょっと広めに塗ったのですが・・・塗った直後からウソのように痛みが消えてしまい、結局それから約2時間、完全に刈り終わるまでまったく痛みを感じることはありませんでした。「効くでしょ、これ」と、頑固な肩こりで悩んでいるためにヘビーユーザーになっている妻が得意げに云いました。

まあ、痛みも消えたし、予定していた作業が滞りなく完了できたのですからありがたいことではあるのですが、考えてみたらこれとても怖いことですね。本来、カラダの痛みとか発熱とかいうのは体内からのアラームです。「おまえ、今ムリしてるんだから、休め!」という体内に住む神さんからの警告サインです。なのに、それがちょっと軟膏を塗るだけで消えてしまうんです(発熱も消炎鎮痛解熱剤の内服や坐薬を1回使うだけで落ち着いてしまうことがあります)。これは、自然の摂理に対する冒涜(ぼうとく)なのではないか?と悩んでしまいます。決死の覚悟で切実なる悲鳴で訴えたのに簡単に抑えられてさらに酷使されるのかと凹んでいる自らのカラダを他所に、”してやったり”とほくそ笑んでいるアタマの構図・・・果たしてわたしは、そんなことに何も気づかないフリをしていてもいいものなのかしら?

 

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見えないことの重要性

先日、胸部レントゲン写真の読影で感じたことを書きました(『胸部レントゲン写真』2020.6.26)。同じモノを見ていても、見える人と見えない人がいる。目線を変えてみると、見えるようになるものがある。そういう思いでした。この類いは、連載コラムにも書いてここに転載したウンチとバラの記事とも共通します(『価値観~ウンチとバラ』2018.7.19)。

それに対して友人がコメントを書いてくれていて、それを読んでいてふと違ったことを書いたのを思い出しました。このブログを書き始めてすぐの頃の文章です。それが、『地デジ対応』(2008.1.3)。そこの一部をコピーしてみます。

 ”人間の目というのは素晴らしいものだと痛感します。機械というのは高性能になるほどに冷酷にすべてを客観的に映してしまいます。機械が映したものはすべてを余すことなく私たちの脳に伝えます。それよりもはるかに高性能な人間の眼は、みたくないものは見ません。見えていても脳に信号を伝えません。このアバウトな、それでいてオーダーメイドの自分勝手な眼だからこそ、人間は生きていけるのだと思います。

補聴器も然りです。周りから入ってくる音を全部聞こえるようにしてしまう補聴器は脳をぐちゃぐちゃにしてしまうようです。「聞きたいものしか聞こえない」が、健全に生きていく人体に準備された神秘の装備です。”

医療現場では、検査結果としてそこに異常所見があることを分かっていてもあえて無視することはよくあります。人間ドックなどでは尚のことです。「同じ所見なのに、去年は『軽度異常』としていたのに今年は『異常なし』となっていたが、これは今回いい加減に読んだんじゃないのか?あるいは見落としではないか?」というクレームの電話を受診者本人からいただくことが時々あります。”機械”が読めばどちらも同じ結果なのに、それをせずに当てにならない”人間”が読むからそんなことになるのだ!と批判する人もいます。でも、これが大切なときもあるのだということ(気にしない方が良い場合もあるということ)を、わたしたちは知っています。

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胸部レントゲン写真

世間の皆さんは、一定の経験年数を経た医者なら(年数なんて関係ないと思っている人も少なくないかもしれませんが)同じレントゲン写真を見たら同じように診断できると思っていませんか?

わたしが今の職場に就職したころ、うちの病院には放射線科医はいませんでした。胃や脳や心臓や、各々の臓器の治療のスペシャリストたちの集団であるという自負がすべての医師にあり、診断に必要な検査は自分でオーダーし自分で判読しきちんとした診断を下せるだけの実力があるから、わざわざ画像診断だけをする医者なんて必要ない!と拒絶していたのです。そんな職場だから、一番最初にうちの病院に派遣された放射線科医は本当に苦労したと思います。

でも、彼らが来て初めてわかりました。彼らには、わたしたちには見えていないモノが見えているということが。

一枚の胸部レントゲン写真がシャウカステンに掛けられている(シャウカステンとか今やどこにもないのかも)として、わたしたち循環器内科医は心臓の様子や大動脈の様子や心不全になっていないかを診ます。呼吸器科医は肺がんや炎症所見がないか、あるいは肺気腫になっていないかを診ます。でも、放射線科医はもちろんそのどれもを診ますが、さらに骨や皮下組織や胃や横隔膜や首や甲状腺や腕や・・・写真に写っているものすべてを診ます。わたしたちには見えなかった骨折や皮下腫瘍や甲状腺腫が見えています。さすがは読影のスペシャリストだなと感心したものです。わたしも今は予防医学のスペシャリストとしてかつての放射線科医と同じようにレントゲン写真の隅々までチェックするようになり、臨床医だったころには見えなかったものが少しは見えるようになった気はしますが・・・まだまだです。

どんなものでも、目の前に同じモノがあったら皆が同じモノと認識できているとは限らないということは、社会生活をしていたら皆経験していることだと思います。見たくないから見ないでいることも多々あるでしょうが、いつもとは違う角度から眺めてみる、あるいは見えているモノを隠して眺めるなどの試みは、やってみて損はないように思います。

 

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筋肉痛

先日の日曜日に久しぶりにゴルフを楽しみました。一応、職場のコロナ自粛の指示が若干緩和されたからです。朝から夕方までしっかり歩き回り、帰ってきたらそのまますぐに愛犬の散歩・・・最近彼女が散歩に目覚めて、熊本地震以降頑なに行こうとしなかった熊本動植物園側に率先して行こうとするので、散歩が約1時間の長丁場になっています。

そんなこんなで筋肉疲労がすさまじく、記録された歩数は約25000歩。いつもの倍の歩数です。こりゃ、翌日以降の筋肉痛が憂鬱じゃわい!と思いながらベッドに入ったものの、翌月曜日はごく普通。歳をとると筋肉痛が出てくるのが数日後になるから歳はとりたくないもんだとか思いましたが、火曜になっても水曜になってもいっこうに筋肉痛が襲ってこない。今日は木曜日ですから、もう日曜の筋肉疲労の影響は今後現れては来ないな、と観念した次第です。

そういえば、夜寝る前に腹筋運動も再開しているのに、ちっともお腹の筋肉が痛くない。まだ取り巻きの脂肪が多すぎて筋肉を傷つけるところまでには至ってないということかな、とか思ったのですが・・・。

そもそも、運動後に筋肉痛を起こすのは速筋と呼ばれている筋肉群でしょ。痛みが出なくなったということは、筋肉が発達しすぎているか負荷量が足りないか、それとも速筋がないかなんだって? それって、わたしの場合は明らかに後者じゃないの? そんな寂しい結論なのか?

 

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なんだかなぁ

仕事中、用を足しに行くために廊下を歩いていたら、はるか後ろから小走りで近寄ってくる足音。

振り返ると、何か急ぎの用事でもあるのか、保健師さんが息を切らしてやってきます。顔の2/3が大きなマスクで覆われていますので表情はうかがい知れませんが、焦っているようなので立ち止まって道を譲りました。

「あ、先生、どうもすいません」

彼女は小さく会釈をして足早に通り過ぎていきました。が、次の瞬間、トイレの向こう側にあるエレベーターのボタンを押して待ち始めました。

「ん? なんで?」

ちょっと目を疑いました。若い人たちのやることに理解できない年寄りになってしまった自分。だって、ここは4階フロアです。職場のこの建物の中では最上階ですから、彼女の目的地は3階以下・・・そんなに急いでいるんなら、階段を駆け下りた方がエレベーターを待つよりはるかに早くないか? しかも下るだけなのだからさほどのカラダの負担にもなりますまいに・・・。わたしがトイレのドアを開けるときにはまだエレベーター待ちしていましたのでその後の事は存じませんが・・・彼女には、「階段を使うと早い」という発想がないのでしょうかね。あ、いや、そもそも、フロア移動に「階段を使う」という選択肢がないのか?

「箱がキライだ」と言い訳しながら階段しか使わないわたしには到底理解できない光景でした。ま、彼女が目的を達成する上では大した問題ではなかったのでしょうが・・・ちょっと不思議な風景に見えたので、そっとここに告げ口してしまいました(笑)

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白内障と体内時計

「あ、たしかにそれあるかもしれない」

Medical Tribuneから配信された記事を読んで、素直にそう思いました。

生体リズムの乱れに白内障が関与

”白内障患者では生体リズムに障害が起こるのだろうか。奈良県立医科大学眼科学教室の吉川匡宣氏は、第59回日本白内障学会(5月29日~6月11日、ウェブ開催)で、白内障は夜間血圧の上昇や動脈硬化、認知機能障害と関連することを報告。その要因として、生体リズム障害が関与している可能性を指摘した”

そもそも、目から入ってくる光が視交叉上核を介して体内時計をリセットさせ、松果体に達した光刺激によってここで産生されるメラトニンの分泌を抑制することで目を覚ますわけで、白内障のように光を遮る病気は、必要な光刺激が得られないために体内時計を狂わせることになります。つまり、高度の白内障患者さんが手術で視力を取り戻すと、それは”網膜での光受容が増えることで、認知機能が改善する可能性がある””術後にメラトニン分泌量が増加して、それによって糖尿病や心筋梗塞の発症リスクを低下させることができる”という結果をもたらし、「白内障手術は視機能の改善だけでなく、生体リズムの乱れを改善して全身の健康状態の改善に役立つ可能性がある」というのは、理解できる結果だといえましょう。

ところで、私は右目だけ白内障が進んでいます。一応、左からの光刺激があるので大勢に影響はないような気がしますが、右目を手術したら血圧が下がったり、もの忘れが良くなったりするかもしれませんね?
 

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マスクと検温

「あなた、最近まったく体温測ってないでしょ?」

と言うと、悪びれることなく、「うん、測ってない。めんどくさいし、熱ぽくないし」と答える妻。

きっと世の中、みんなそんな感じなんでしょうね。世間のドラッグストアや電器店から体温計がなくなり、体温計に特化されたボタン電池がコンビニですらすっかり消えてしまい、あれだけ猫も杓子もしつこく体温を測っていたというのに・・・県をまたぐ移動や夜の営業などの制限はなくなったときの「万全の感染対策を講じた上で」という条件は、別にお店側だけに向けたメッセージではなかったはずなのに・・・。体温測定なんて慣れてしまえばそんなにめんどくさいことではない(ま、私の場合は、毎朝測定して職場指定のformsに入力/送信するのが義務だから、習慣化させられていますけど)。体感として「熱はない」と思っているから測らないというより、「今の時期に測って高熱だったらめんどくさいことになるから測らない」という輩も少なくない気がします。

一方で、テレビ見ながらなんか気になるのはマスク。テレワークとかリモート出演とかで画面の向こう側で参加しているゲストの皆さん、なんでマスクしているんでしょうね。その部屋には、すぐ間近には少数のスタッフ以外誰もいないんじゃないのかしら? だったら、マスク外して話しても問題ないんじゃないの?とか思ってしまう。スタジオにいる人たちはソーシャルディスタンス保っているという理由でマスク外しているのに・・・。それと、最近よく見かける記念写真ですけど。どこぞの方が寄付をしてくれたとか、表敬訪問してくれたとか、そんなときの記念写真撮るのにみんんが顔全体を覆うような大きなマスクをしたまま写っているって、おかしくないですか? 何のための写真撮影なのですか?それじゃ、似たような背格好の人ならなりすませるし・・・。コロナは飛沫感染、たとえ密だとはいえ、何も話さずに同じ方向を向いて、撮影の瞬間に数秒マスク外せばそれで済むこと・・・だとしたら、みんなで外して写した方がいいに決まってるじゃないのかい。

 

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リセットされるらしい。

KUMAMOTO市政だよりが来ました。第一面に

熊本健康アプリ『もっと健康!げんき!アップくまもと』7月1日リニューアルスタート!

の記事を発見しました。ちょっとだけショックです。私が毎日使っている無料アプリで、いまやこれがあるから毎日10000歩以上頑張ろうという気持ちになれているのです。今日なんか調子に乗って20000歩以上も歩いてしまいました。

これはもともと1月~3月に施行運用されて、本運用される前に新コロ蔓延が起きてしまい、本運用開始がずっと延期になっていたのですが、いよいよ7月1日に運用開始が決まったそうです。実はそれに伴って、いままで貯めてきたインセンティブにかかわるポイントがリセットされるそうなのです。「アプリ削除や再インストールは必要ありません」と書いてあるのですが、わたしのこれまでの軌跡は残るのだろうか? ポイントはリセットされてもいいのだけれど、せっかく歩いてきた歩数の記録は残してもらえると嬉しいんだけどな。

なくなっても何も困らないことは分かっているのだけれど、でもせっかく頑張ったのだから・・・もはや戦友の領域です(笑)そういいながら、せっかく7キロ以上やせたわたしのカラダがここにきて一気にリバウンド中。これは”コロナ太り”ではありません。単なる、食い過ぎです。ここで再起せずにいつする? まけないぞ!でも、だからこそリニューアルのための中断期間:6月25日~7月1日朝9時が、わたしには命取りになるかもしれないのであります。

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大雨洪水警報

今朝は雨も風もすごかったけれど、結局カミナリが鳴らなかったからうちの愛犬は単に不安だけの夜(震えることなくケージ監禁も必要ありませんでした)。朝の出勤時にも雨はまあまあ強かったけれど、昨日の帰りの阿蘇路で全く前が見えない超土砂降りを経験したので正直さほどのダメージではありませんでした。それでも県境や大分市内は集中豪雨だったみたいです。被害などなかったでしょうか。

昨日今日のような大雨でワイパーがヒュンヒュン唸る中に佇む時に思い出すのは、4年前の熊本地震の後にノアの箱舟のような大雨が続いて家の中が水浸しになった時のこととその数年前の大雨で滝室坂が崩壊してしばらく大分に帰るのが大変だった時のこと。

昔は、どんな大雨が降ってもそんなに深刻に思わなかった。仕事場の駐車場から建物に着くまでに全身水浸しになるようなことは何度もあったけれど(そういえば1度だけ、職場の駐車場まで水が上がってブレーキの利かなくなった車でやっとこさ家に帰りついた経験があった)生活に困るようなことはなかったから。でも、最近の大雨は尋常ではない。想像だにしない命の危険を感じる事も多くて、何が起きるか分からないのでとても怖いのです。・・・経験値は生きていくための防衛策として恐怖心を植え付けるものなのだなと実感します。

PS)そういえば、医師国家試験の受験当日に同級生の車に乗せてもらった時も、たしかこんなとんでもない大雨だったなあ。

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アップルウォッチ

たまたま日経ビジネスの記事が送られてきて、時計オタク(笑)の特集だったのですが、アップルウォッチの記事をつい読んでしまいました。

アップルウォッチは時計業界を破壊するのか?> 

そもそも、わたしはアップルウォッチにも興味はないしその対極にあるマニアックなアンチーク時計にも興味はないのです。時計は狂いなく時を刻んでくれれば最高だと思っているわけです(でも、今使用中の40歳の誕生日に妻が買ってくれた自動巻き時計は、先日2回めのオーバーホールしたばかりなのにもう2分も進みます)。実は昔、自分の管理のためにJawboneの活動量計バンドを使ったときに、毎日コアに使っていたら故障して1回は無償で交換してくれたけれど2回めは冷たくあしらわれ「あなたの扱いが乱暴なんじゃないんでしょうか」みたいな対応だったので、モバイル系の精密機械は結局そうなもんなんだ、というのがわたしの感覚的な結論なので、Iphoneユーザーではあるけれどアップルウォッチには全然興味が湧かないのであります。

でも、こういうメカの凝縮状態に嬉々とするひとたちにとって、アップルウォッチは日々日進月歩のようです。特に、新型コロナが猛威を振るったときに発表された体温計Watch+ for Watchなんて、「とうとうこういう時代になったのか?」と感動すら覚えました。もっとも、そこにムリして集約しなければならない理由が見当たらないからあくまでもマニアックな『コアマニアの道楽』というのがわたしの本心です。やっぱり、最終的には「突き詰めればとことんアナログでありたい」「とことん個人差が大きい世界が好き」というわたしに一致できる世界はこの延長上にはないんだろうな、と痛感するばかりであります。

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じっとしているなんて、できない。

大分に住む叔母の娘さんからLINEが届きました。「心臓手術を勧められているけどどうしたらいいだろうか?」という内容。もう80歳を越えた叔母は、わたしが幼少の頃から姉のように面倒を見てくれ、父亡き後は親代わりになって実家や墓の面倒を見てくれた人です。昨年末に夫婦で挨拶に寄ったときにちょっと動いてもふうふう言っていて、見るからに心不全状態。彼女には重症の心臓弁膜症があることは知っていましたから、あまり動かないで予定より早めに病院受診をするように言ったのを思い出します。叔母は、独身時代からとにかく良く動く。というか、よく働く。その習慣が抜けず、息切れしていても近くの病院までリハビリのつもりで歩いていたのできつく叱っておきましたが・・・「何もせんでじっとしよるんで」と言いながらも、きっと少し調子が良くなったらまた家事のわらわらや庭いじりをしていたのではないかと懸念します。

でも、それ分からないでもないです。「何もしないで家でじっとしている」なんて、わたしも絶対にできないと思う。病気や二日酔いで一日寝ていることくらいまではできるけれど、それを今後一生続けなさいと云われたら、そんな生活、想像すらできません。「何もしなくて寝とけば良いなんて、超ラッキーじゃーん!」って妻なら云うのかもしれないけれど、わたしには苦痛以外の何物でもありません。そもそも何か好きなことをして生活しているのではなく、何かしていないと落ち着かないから動くのです。でも読書とかYouTubeとか、やってみようとしたけどすぐに飽きた。1週間入院するとかならそれでも何とかなるけれど、時間つぶしのための何か、では生きている意味が感じられないのです。「また元気に動き回るために今を自粛する」というのであれば、頑張れるけれど・・・。

「手術したらそのあと寝たきりになるんじゃないかと母は心配している」と娘さんは書いていました。「寝たきりになって子どもに迷惑はかけられない」という思いの発言なのでしょうけれど、その裏には、「寝たきりで何もしない余生なんて意味が無い」と思っているかもしれないと思います。祖母(叔母の母)の晩年がずっとそうで、それを介護していた叔母は寂しそうで情けなさそうな母親の姿をずっと見てきたのです。

手術は、再びセカセカ動く生活を取り戻すために受けるもの。そういう前向きの気持ちで立ち向かってほしいと思っています。

 

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6月16日

週の初めに朝のミーティングで1週間のスケジュールの確認があります。

わたしには、スケジュールの詳細は覚えていなくても日付を見ると「あれ、確かこの日に何かあったぞ」と胸騒ぎのようなモノを感じる才能があります。自分の予定だけではなく、職場の研修会の案内とか学会の申し込み開始日とか・・・何なのか思い出せないことも多いのですが、それでも「何かがある」という自信があるのです。今週は、15日、16日、18日。

今日15日は2020年度の職員駐車場の申込書提出開始日。今年はコロナ騒ぎで1ヶ月遅れで通知が来ましたが、こんなことは早々に提出しておかないとすぐ忘れてしまうので先週のうちから準備しておりました。18日は20日出勤予定分の振替休日。21日はゴルフコンペの予定だけど職場の要請で私は自粛。で・・・16日。何だったかなぁ? 自分の職場のスケジュール表を見てもスマホの Time Treeを確認しても何も書いてない。職場の重要講座や臨時会議の予定もない。単なる勘違い?「今週の天気予報で唯一晴マークがあった日」とかかしら? なんかめちゃくちゃモゾモゾして居心地が悪いのだけれど、結局思い出せませんでした。

ただ、スマホのスケジュール表見て思い出しました。6月16日は父の仮命日(仮なのは、死後に発見されたために正式な命日が分からないから)・・・これを思い出させるためにあの世から父がテレパシー発信したのかもしれません(笑)「18日か21日に墓参りに来い」ってことかしら。定期的にプロサッカーの試合がホームであっていた頃には悩むこともなかった墓参り。先月の久々の墓参りから1ヶ月経つから、ちょっくら行ってきましょうかね。

 

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2020梅雨入りに思う。

降らなきゃ猛暑日が続き、降ったら降ったで洪水警報・・・加減というものを知らない昨今の気候ですが、そもそもこの地球温暖化に伴う異常気象は10年以上前から警鐘が鳴らされていました。でも、経済活動を優先しながら「自分だけが反省するんじゃ不公平じゃん!」みたいな云い分で無視し続け、ちょっとした変化に対して「この程度なのに学者は大げさなことを云って不安を煽っている」とかうそぶいていたツケなのしょう。ここ数年、常軌を逸した嵐や気温異常だらけなのに、「よその国の海上温が上がっているための異常気象だから自分たちではどうしようもない」と他人事を装って被害者顔をしているものだから、とうとう神様が腹を立てて新型コロナという刺客を世に送り出したんだ!なんてなことを考えているわたし。

実際、いかに無駄なく効率よく儲けられるかを最優先に考えれば、現実不可能だと拒絶されてきた24時間営業の時間短縮や詰め込み営業による過重労働も、コロナ禍で”新しい生活様式”として3密を避ける生活を最優先にしてみたら、できないこともないことが分かってきた。世界中が同じ条件に落ち込んでみて初めて「みんなでなんとかしないとヤバい」と思うようになるって、ちょっと寂しいけれどそれが”ニンゲンのサガ”というものなのかもしれません。

2011年の東日本大震災の後、日本中が自粛したけれど、あの時は「早く前の社会活動に戻そう!」という動きが皆のモチベーションになっていたから今回とは根本が違うのだと思います。でもあの時、「節電してエレベーターを使わずに階段を上りましょう」という働きかけに皆が不満も云わすに従いました。わたしはあれ以降いまだにエレベーターなんか使わなくなりましたが、あの時旗振りをした職場の幹部さんが社会が落ち着いてきた途端に先頭切って箱の前に並んでいるのを見たときに、「ダメだなこりゃ」とタメ息がでたモノです。

今回こそは、と思うけれど、これも新コロのワクチンとか治療薬とか確立した時点で、「喉元すぎれば熱さ忘れる」ということになるのかしら。今の生活が、”がまん”ではなく、もともと備えられてきた”ニンゲンのあるべきキャパ”なのだということに気づかなければならないと思うのですが。

 

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宍戸錠?

昨日、散歩中にはめていたマスクのひも(といっても柔らかいガーゼ状の紙性ですけど)がプチンと音を立てて切れました。妻が大量購入したこの某国製マスクで同じ仕打ちを受けたのはこれで3回目です。特に暑くなって汗をかくので濡れて切れやすくなってきている(まるで金魚すくいのポイみたいに)感じではあります。

でも、それを見ながら妻が笑うのです。「もっとやせて顔を小さくしないと・・・」とか云って。そのとき、先日妻に云われたことばを思い出しました。
「どうしたの?何食べてるの?」
「何も食べてないよ」
「あら、ほっぺが宍戸錠みたいに膨らんでいるから,何か食べているんだと思ったよ」
「太ったんだよ。今週になって急にほっぺが膨らんで四角い顔になってきたんよ。なんで太ってきたんだろね?」
「それ、太ったんじゃないよ。顔の皮膚がたるんで落ちてきてるんだよ。だから宍戸錠なんだよ」

俳優の宍戸開さんのお父さん、往年の名優宍戸錠。若い頃のしゅっとした顔立ちから歳とともに膨らんできたほっぺがトレードマークになっていました。今年の初めに急逝したばかり。

「それ、ヤバいヤツやん。老化の象徴やん!」

急にアンチエイジング魂が燃え上がってきました。今日のお昼から急遽「あいうべ体操」始めました。なんか妻が買ったローラーみたいな美顔器があったよな。あれ貸してもらおうかな。

 

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体内時計リセットの実感

『人間の体内時計の乱れをリセットするのは目に朝日を浴びることである』

ここでも何度も書いてきましたし、『睡眠』を語る上で必ず出てくるキーワードなので、最近の健康ワードとしてテレビでも良く出てくることです。だから、健康オタクでなくても聞いたことはあるでしょう。

でも、理屈は分かるけど、「朝早くに起きて部屋の窓のカーテンを開けて朝日を浴びましょう!」という行為は意外に面倒です。特に夜更かしした翌朝や夜に寝付けなかった翌朝に、カラダが起き上がろうとしても頭が枕から離れないようにイヤイヤして藻掻くのが常です。

それが最近、「あ、これだな」と実感できるようになりました。平日はもとより、休日の朝も原則的にいつもと同じ時刻に起きるようにしているのですが、「通勤のために朝7時に家を出なければならない」という義務感で起きのに比べて「別に今起きなきゃいけないわけじゃないんだぞ」という葛藤がある休日の朝。おかげさまで毎日が平日の愛犬が5:55になったら起こしに来る(起きなければしつこく吠える)ために、自らの葛藤に負けることなくせいぜい15分遅れ程度で起きることができるのであります。そんな事情だから、とにかく眠い。「これはつらいぞ」と思いながら、ベランダのガラス戸を開けてワンを庭に出し、予約タイマーで洗い終わっている洗濯物を庭の物干し竿に干すのが日課です。で、その後にワンの朝食の準備をしている頃、不思議と私の頭がすっかり覚醒モードに変換されていることに気づかされます。仏壇の水を替えて手を合わせている時には頭もスッキリしています。つい15分ほど前に「起きるのが死ぬほどつらい」と思っていたのがウソのよう・・・これが『体内時計のリセット』なのね!と気づいたのは、実はつい最近です。

宵っ張りで夜中まで仕事をしているために朝ギリギリまで起きてこない妻にそんな話をしてあげるけど、睡魔の誘惑に押さえ込まれ続ける彼女は、平日ならわたしのお弁当を作らないといけないけど休日ならそのミッションもないから、愛犬を誘って二度寝・・・もったいないなあと思いながらそんな二人(妻と愛犬)の寝顔を眺めております。

 

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コロナやせ

朝出勤して最初に会った女性スタッフに朝の挨拶をしました。話すのはかなり久しぶり。

「なんかちょっとやせたんじゃない?」と云ったら、
「はい、なんとなくやせたみたいです」という答が返ってきました。もともとスリムな女性でしたが、彼女もいつの間にかアラサー女子、それなりにふっくらしてきていた印象があったのですが、明らかにシュッとした感じになっています。

「コロナのせいで外食する回数が激減したからだと思います」と(そういえば、うちの妻も1ヶ月前よりかなりやせました。傍目にもわかるくらい。「打ち合わせとかで友だちと食べていたランチ会がなくなったせいだと思う。どんだけランチ食ってたんや?て感じかな」とか云って笑ってました)。

「あと、外に出ないので休みの日には家でテレビ見てるか本を読んでるかだけで、筋肉も落ちたんじゃないかしら」とも。彼女は医療人らしく冷静に分析して付け加えてくれました。

世の中、太ったり血糖や血圧や肝機能が悪化したのをすべてコロナのせいにして「運動できなくなったから」とか言い訳する人がたくさん居ます(これを『コロナ太り』と呼ぶ)けど、逆に『コロナやせ』する人も少なくないことを再認識しました。でも、自分の意思に関わらず生活習慣が変わった場合は必ずカラダがパニクります。元に戻そうとする力(ホメオスターシス)が働くからです。アフターコロナでも”新しい生活様式”を余儀なくされるはずです。今回の生活変化で太ったとしてもやせたとしても、体調に問題がないのであればむしろ今の状態を維持させることを意識していくことが得策だろうと思います。太った人がこれから一層太るようだと危ないし、やせた人が今以上やせるときは病気も考えなければならない・・・とはいえ、今を維持するのはなかなか至難の業です。同じ生活を続けているだけでは今を維持できますまい。意識すればするほど難しくなる。でも、ぜひ、頑張ってください。ちなみにわたしは、生活も変わってないから体型も変わっていません(笑)

 

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本来の生きる目的

日曜の朝もいつものように6時過ぎに起きます。いつものように洗濯物を干したり、日課のストレッチ運動をしたり、愛犬の朝ご飯の世話をしたり、ついでに平日にはできない朝散歩を愛犬とこなしてきたりして、今パソコンに向かっているところ。

朝散歩をしながら、朝早くからジョギングしている老若男女とすれ違い、日課のワン散歩をしている人やいつものように語り合いながら歩いている夫婦を見かける日々です。そんな人たちを見たからというわけではないのですが、ふと「人間の本来の日々の生活は、何をするのが本当なのだろうか?」と考えました。「休みの日も平日も同じリズムで生活するのが健康を維持して若さを保つための基本生活です」・・・”健康”とか”人体”とかそういう立場ではそうです。「当たり前だ」と思います。そもそも、人間の営みに平日とか休日とかはありませんし、太陽が上がれば起き上がり日が沈めば寝るというのが人体のもともと備わっている体内時計のメカニズムだということも知っています。

でも、今朝わたしが気になったことは「人間は何をするために生まれた(存在する)のだろう?」ということ。朝早く起きて何をするために生まれてきたのだろう? 当たり前と思っている生活リズムは学校に行ったり仕事に行ったりする社会環境があるから始まった常識であり、朝飯前に野良仕事をする習慣も狩に出る習慣もそれは食うための手段。野良をしなくても食う物があり、仕事を退職しても朝早く起きて、さて何をするのが本来の姿なのだろうか?「定年退職したら何もすることがなくて家でゴロゴロしている」お父さん方(たぶん、もうすぐわたしもそうなりそう)・・・仕事をしていた頃にできなかった趣味を本格的にするとか、菜園を作ってみるとか、本を読み漁るとか、地域のボランティア活動をするとか、いろいろ見つけ出せばいいんじゃないの?とか云われるんですけど、それは「することがないから」でしょ! 朝から決まった時間に仕事に行かなくて良いのだったら、本当は早起きなんかする必要はないわけで、そもそもどうして神様はそんな体内時計を設計したのだろうか?ということを知りたい。”悠々自適な生き方”というのも後付け感満載の単語。人間以外の動物たちは、日々”悠々自適”なようでそうではない。人に飼われるペットや家畜を除けば皆、生きていくために生きている。種を保存するために生きている。それが本来の存在価値だと認識しています。それではニンゲンはどうか? やはり生きていくために生きているし、種の保存のために生きているのだ・・・そうか、わたしたち世代は本来は存在しない世代(ここまで長生きすることは想定されていなかったわけで)だから、生きていてもいなくてもどうでもいい存在なわけだ。朝起きは生きていく上で重要なことで、生きがいは生きていくモチベーションだけど、あとはいつ消えてもらっても地球規模で眺めると大差ないこと。なまじ『人生の目的とは何か』なんて考える頭ができてしまったから厄介なわけか。

なんか、辛くなったから考えるのやめましょう(笑)

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頻尿と青竹踏み

今日の昼下がり、ボーっとテレビを観ていたら医学番組の特集があっていまして(多分過去の再放送『たけしの家庭の医学』)、頻尿の予防法を解説していました。本当はゴルフ番組を観ていてそのままうたた寝してしまい、目覚めたら番組が替わっていたという状況なので最初の方は良くわかりませんでしたが、とにかく、讃岐うどんの工場で、デスクワークの職員は頻回におしっこに行くのに現場の人は1回も行かない、という現象がなぜ起きるのかを解説しておりました。

理屈の部分は寝ぼけていたので良くわかりませんが、とにかく現場の人が頻尿にならないのは腰のあるうどんを作るために足で踏んでいたおかげである・・・だから、「足裏刺激をすれば頻尿は改善する」ということなのだそうです。実際、青竹踏みの器具を毎日3分間踏み続ける実験では、夜中に4回も起きていたおじさんが3日後には明け方近くの1回しか行かなかったのだからすごい。試しにちょっとググってみたら、皆川倫範(信州大学泌尿器科学教室講師)の研究成果の記事を発見しました。どうもこりゃ本物のようだ。

実を云うと、わたしの夜間頻尿は激しくて、就寝後1時間~1時間半後からオシッコに起き、その後はほぼ2時間事に起きる毎晩。だから夜中に3~4回オシッコで起きるのは当たり前なのです。歳をとると膀胱が固くなって拡張力が落ちるためにすぐに尿意を感じるようになるのだとか、夜の水分量が多いと頻尿になるのだとか、年寄りは睡眠の質が悪くて交感神経が興奮するためだとか、そんな理屈にいちいち納得してほとんど諦めていたのです。それが、青竹踏みするだけで本当に解決するのかしら。ちなみに、毎日12000~15000歩は歩いている(階段も頻回に昇降)のだけれど、これでは足の裏の刺激にはならないということかしら。あのイボ付き青竹踏みは苦手だけどただの青竹ならできるかも・・・やってみるか。

 

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老後の日

本日、6月5日は『老後の日』なのだそうな。「高齢者自らが、楽しく、元気に、夢と希望を持って生活できるように生き方を考える」ことを目的に平成20年に神戸市老人福祉施設連盟が制定したものだそうな。

「ろう」6「ご」5の語呂合わせというだけでなく、65歳以上が高齢者(今度高齢者の定義が引き上げられるそうですが)であることも兼ねてこの日になったのでしょう。統計上の日本人の高齢化率だとか、高齢者の人数だとかが示されて「もはや65歳は老後ではないぞ、動けるなら生きがいを持ってもっと働け!」と煽るための日なのかもしれません。でも、そんな机上の空論(他人事)ではなくて、まさしく老後寸前(定年を繰り上げさせられて本当に退職金もらえるのかなと不安にもなる)のわたしなんかは、ちょっと気分が凹んでしまいそうなコトバの響きを感じる日です。

新型コロナの影響が今後どれだけ続くのかも分からない中、60歳で退職してきちんと退職金もらっておいた方が良かったのではないか(今後業績不振になると退職金なんてまともに出してもらえなくなるかもしれない)という思いと、第一線の医療現場に残っていたからこそ、マスクもアルコールも業務に支障が無いレベルで確保してもらえるし、きちんと標準予防策をとらせてもらえるのだから定年延長になって良かったという思い。正直、複雑な思いで迎える『老後の日』であります。

奇しくも、配信されてきた医療記事に<在宅での高齢者の健康づくりに活用できるスマホ用アプリを公開>というのがありました。なかなか面白そうだなと思いつつ、こんな老人の使うモノを使うのはシャクに障るな、とも思う。わたしは、何かと複雑なお年頃なのでございます。

 

 

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パン食は太るのか?

知ってた?「太る朝食」vs「痩せる朝食」

ヒマにまかせてニフティニュースを読んでいたら、こんな記事が目にとまりました(ん?「記事に目が」か?・・・違うな)。「朝食がパン食だと和食よりも太る」というのが常識だというのは本当なの(”太る”かどうかではなくて、これが”常識だ”ということに対して)? そもそも朝食を摂らないわたしはあまり興味がないのですが、若いお嬢さんたちを中心に「ご飯は太るから朝食はパン食にしている」というのが常識なのだと思っていたのですが、そうじゃないのですね。

この記事に書かれているのは、①ロールパンや洋食はおかずに脂質が多く含まれるのが問題であること、②小麦粉(パン)はご飯より消化が早くてすぐ空腹になること、③空腹時の腸は吸収率が高いことなどが原因なのだそうです。実際、”日本肥満学会が定義した肥満の基準であるBMI25以上の方に「基本的に朝食の主食は何を食べていますか?」というアンケートを取ったところ、48%がパン(ご飯は18%、麺類は11%)”だったとのこと。正直、とても意外でした。何か、百寿者の方は洋食の朝食派の方が多い印象を受けていたのです。また、先日ここで紹介した広島大学の緒形ひとみ先生のレクチャー(『朝食を食え?(1)』 でも、”「おにぎりだけ」の朝食は、洋パンや栄養調整食の朝食より暗算作業効率が低下し体温上昇も抑えられる”というのがありましたから、どちらかというとパンを支持しているのかと思っていました。

もっとも、これは「太るか瘦せるか」の内容であり、「健康的か否か」ということではありませんし、「長生きか否か」ということでもありませんから、論点はしっかり抑えておかないといけませんかね。ちなみに、わたしは断然和食派です。生まれてこの方、まともに洋食の朝食をした時期はありません(コンビニでサンドイッチを買って食うことはありますけど・・・あ、そうだ。たしかに毎朝コンビニのサンドイッチを食べていると確実に太った!)一貫して体調が良いのは、そのおかげだと思っています(なのに”朝飯食わない”ってどうよ?笑)。

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タンパク20gの壁

先日、『高齢者のフレイル対策に高タンパク食は奨励すべきか否か』の誌上ディベートを紹介した際、立命館大学の藤田聡先生が書かれていた「タンパクは毎食必ず20g以上摂取しなければ筋肉が分解されてしまう」というショッキングな内容。「特に現代人(高齢者だけでなく成人でも)は朝食でのタンパク摂取量が少なすぎる」と主張されておりました。

で、”タンパク20g”って一体どの程度なの? 昼と夕はおそらくクリアするでしょうが、朝食ではどんなものを食べたらクリアするのか、さっぱり見当が付きません。ということで、職場の管理栄養士さんに聞いてみました。

<タンパク質の目安>
●大豆・乳製品・卵
 納豆1パック(40g):6.6g
 木綿豆腐1/4丁(100g):6.6g
 卵1個:6.8g
 牛乳200cc:6.6g
 プロセスチーズ25g:5.7g
 ヨーグルト120ml:1.8g
●肉・魚類
 牛挽肉70g:12.0g
 牛肉肩ロース70g:11.3g
 豚挽肉70g:11.3g
 豚肉肩ロース70g:12.4g
 鶏もも肉70g:11.0g
 鶏むね肉70g:14.9g
 ロースハム2枚(40g):6.6g
 鮭70g:15.7g
 かまぼこ3きれ:2.9g
●炭水化物
 ごはん軽く1膳(120g):3.0g
 食パン6枚切1枚(60g):5.6g

朝食で口にしそうな食材を選んで表にしていただきました。そもそも「お肉70g」ってどのくらいなのよ?という料理をしないオヤジの基本的な疑問は置いといて・・・「ごはん+納豆+鮭」とか、「食パン2枚+牛乳+ロースハム」とかならクリアするのか。前日の夕飯の残りのおかずを食うのが一番手っ取り早いかもですね。朝にR-1と卵焼き2切れ(昼の弁当のおかずの残り)しか食わないわたしの朝のタンパク摂取量が少なすぎることは十分承知しております。最悪「朝から木綿豆腐1丁食って行けば良い」と旧友が教えてくれた、あれを実践すればいいんでしょ(もっとも、持病の尿管結石がもっとできやすくなるかもしれないけれど)。

 

 

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永年勤続

わたしが勤務する病院で、わたしはいつの間にか30年勤続表彰を受ける立場になっておりました(出入りの期間を合計したらすでに30年を有に超えていたそうです)。コメントを職場の機関誌に載せるとのことで原稿を書かされたのは2月。そういえば、その後COVID-19の影響で表彰伝達式が延期になってそのままになっていますが、私が貰うはずだった表彰状と記念品は、どうなったのかしら(笑)

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このたびは永年勤続表彰をいただき、ありがとうございます。

“ご縁”というのは本当に不思議なものです。研修医時代、本来赴任予定だった同僚の代役として循環器科に来たのが当院との初めての出会いでした。研修を終えて地元に帰る前夜に、今は亡き●●部長から「あと1年だけここでやってみないか?」と誘われたのが次のご縁。心臓核医学を学ぶために東京の病院に行く時には一旦退職しましたが、諸事情で3年後に熊本に帰ることになった時にも無条件で迎え入れていただきました。

わたしは医師人生の大半をここで過ごしました。一貫して自分のやりたい事を好きなようにやらせてもらえたのは、上司に恵まれ、同僚に恵まれ、さらに病院スタッフに恵まれたおかげだと思います。研修医時代から納得いかなければ誰にでも食ってかかっていた私を咎めることなく認めてくださった上司・先輩方には特に感謝しております。

「あなたは幸せ者よ」と妻や友人からずっと言われてきました。定年まで残り数年ではありますが、当院の一員として最後まで尽力させていただきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

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