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本来の生きる目的

日曜の朝もいつものように6時過ぎに起きます。いつものように洗濯物を干したり、日課のストレッチ運動をしたり、愛犬の朝ご飯の世話をしたり、ついでに平日にはできない朝散歩を愛犬とこなしてきたりして、今パソコンに向かっているところ。

朝散歩をしながら、朝早くからジョギングしている老若男女とすれ違い、日課のワン散歩をしている人やいつものように語り合いながら歩いている夫婦を見かける日々です。そんな人たちを見たからというわけではないのですが、ふと「人間の本来の日々の生活は、何をするのが本当なのだろうか?」と考えました。「休みの日も平日も同じリズムで生活するのが健康を維持して若さを保つための基本生活です」・・・”健康”とか”人体”とかそういう立場ではそうです。「当たり前だ」と思います。そもそも、人間の営みに平日とか休日とかはありませんし、太陽が上がれば起き上がり日が沈めば寝るというのが人体のもともと備わっている体内時計のメカニズムだということも知っています。

でも、今朝わたしが気になったことは「人間は何をするために生まれた(存在する)のだろう?」ということ。朝早く起きて何をするために生まれてきたのだろう? 当たり前と思っている生活リズムは学校に行ったり仕事に行ったりする社会環境があるから始まった常識であり、朝飯前に野良仕事をする習慣も狩に出る習慣もそれは食うための手段。野良をしなくても食う物があり、仕事を退職しても朝早く起きて、さて何をするのが本来の姿なのだろうか?「定年退職したら何もすることがなくて家でゴロゴロしている」お父さん方(たぶん、もうすぐわたしもそうなりそう)・・・仕事をしていた頃にできなかった趣味を本格的にするとか、菜園を作ってみるとか、本を読み漁るとか、地域のボランティア活動をするとか、いろいろ見つけ出せばいいんじゃないの?とか云われるんですけど、それは「することがないから」でしょ! 朝から決まった時間に仕事に行かなくて良いのだったら、本当は早起きなんかする必要はないわけで、そもそもどうして神様はそんな体内時計を設計したのだろうか?ということを知りたい。”悠々自適な生き方”というのも後付け感満載の単語。人間以外の動物たちは、日々”悠々自適”なようでそうではない。人に飼われるペットや家畜を除けば皆、生きていくために生きている。種を保存するために生きている。それが本来の存在価値だと認識しています。それではニンゲンはどうか? やはり生きていくために生きているし、種の保存のために生きているのだ・・・そうか、わたしたち世代は本来は存在しない世代(ここまで長生きすることは想定されていなかったわけで)だから、生きていてもいなくてもどうでもいい存在なわけだ。朝起きは生きていく上で重要なことで、生きがいは生きていくモチベーションだけど、あとはいつ消えてもらっても地球規模で眺めると大差ないこと。なまじ『人生の目的とは何か』なんて考える頭ができてしまったから厄介なわけか。

なんか、辛くなったから考えるのやめましょう(笑)

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