見えないことの重要性
先日、胸部レントゲン写真の読影で感じたことを書きました(『胸部レントゲン写真』2020.6.26)。同じモノを見ていても、見える人と見えない人がいる。目線を変えてみると、見えるようになるものがある。そういう思いでした。この類いは、連載コラムにも書いてここに転載したウンチとバラの記事とも共通します(『価値観~ウンチとバラ』2018.7.19)。
それに対して友人がコメントを書いてくれていて、それを読んでいてふと違ったことを書いたのを思い出しました。このブログを書き始めてすぐの頃の文章です。それが、『地デジ対応』(2008.1.3)。そこの一部をコピーしてみます。
”人間の目というのは素晴らしいものだと痛感します。機械というのは高性能になるほどに冷酷にすべてを客観的に映してしまいます。機械が映したものはすべてを余すことなく私たちの脳に伝えます。それよりもはるかに高性能な人間の眼は、みたくないものは見ません。見えていても脳に信号を伝えません。このアバウトな、それでいてオーダーメイドの自分勝手な眼だからこそ、人間は生きていけるのだと思います。
補聴器も然りです。周りから入ってくる音を全部聞こえるようにしてしまう補聴器は脳をぐちゃぐちゃにしてしまうようです。「聞きたいものしか聞こえない」が、健全に生きていく人体に準備された神秘の装備です。”
医療現場では、検査結果としてそこに異常所見があることを分かっていてもあえて無視することはよくあります。人間ドックなどでは尚のことです。「同じ所見なのに、去年は『軽度異常』としていたのに今年は『異常なし』となっていたが、これは今回いい加減に読んだんじゃないのか?あるいは見落としではないか?」というクレームの電話を受診者本人からいただくことが時々あります。”機械”が読めばどちらも同じ結果なのに、それをせずに当てにならない”人間”が読むからそんなことになるのだ!と批判する人もいます。でも、これが大切なときもあるのだということ(気にしない方が良い場合もあるということ)を、わたしたちは知っています。
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