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2020年7月

重篤感

感染者が見つかり始めると濃厚接触者から芋づる式に感染者が発見されていくので、しばらくはコロナ騒ぎが続くのでしょうが・・・なんか、私も私の周りの人も、どこか第一波の時と感じ方が違っている気がします。

たぶん第一波より第二波の方が一歩も二歩も自分周辺に近づいてきている感じがする。第一波の時は、自分がきちんと標準予防策を守って、しかも街中に行ったり交通機関を利用しなけりゃ罹らないだろうという自信があったりしたけれど、今度のは何やってても罹るかもしれないという感じがします。でも、一方で、今回の方が軽症だし世間のコロナ慣れ感が否めず、マスクをする人はするがしない人はしないし、「怖いよね」と言いながら隣とノーマスクで談笑しながら歩く人は若者もジジババも今の方が多い。早春と違って真夏だから、分かっていても面倒くさい、分かっていてもマスクする方が苦痛、という大きな敵がいる。感染予防よりは今の不快感解除と熱中症予防の方が急務なのでしょう・・・だって、第一波みたいにみるみる悪化してそのまま死んでいく人が今回はまだないのだもの。その証拠に、世の中に体温計と電池がなくなった早春の頃がウソのように、世間一般で体温測る御仁が極端に減っているのですよ(働いている人やプロスポーツ選手とかは計測・報告が義務だから必ずやってますけど)。

自分の周りは皆感染者かもしれないと疑心暗鬼の中、今の方が罹るかもしれないけど死なないかもしれないという何の根拠もない自信から、どこか重篤感に欠ける社会になっている気がします。まあ、諸悪の根源は経済活動復興のために感染が広がろうとも”もっと広く動き回れキャンペーン”を貼ったことと、だからこそ意地でも再非常事態宣言を発しないこととでこの中途半端な感覚にされてしまったのだろうことは明白ですけれど。

 

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犯人捜し

想定できたことだとはいえ、急速に地方都市に広がってきたCOVID-19の第二波感染。わたしの居住する熊本市でも4連休の最後の頃から一気に慌ただしくなりました。故郷の大分でも3ヶ月以上ぶりに感染者が出た、と騒ぎになりました。

「今どき、福岡に行った時点でアウトだよ!」
「感染するってわかっているのに、わざわざどうしてこの時期に大阪に観光に行くの?」
「がんばって自粛生活を続けているのに、東京からやってきてウイルスまき散らしやがって!」
「感染経路不明とかウソだよ。絶対にこっそり街中のおねえちゃんの店でうつってきてるに決まってるんだよ」

東京などと違って、毎日数人レベルの感染者が出てくる地方都市では、一例一例こと細かに行動が公表されるがために、それを一字一句漏らさず読んでいる一般市民の怒りの矛先がすべて感染者の行動そのものに向かって爆発します。国が頑なに軌道修正することなくGOTOを推し進め、飲食店側の感染対策のみを徹底させようとする反動が出ていることは明白だと思うのですが・・・。

何日の何時にどこで誰と会って何をして、どうやって家に帰って翌日何時から何をして・・・濃厚接触者やたまたま近くに居た人が感染するかもしれないからこそ、罹患者は惜しげもなくすべてをさらけ出し、それが役所のホームページに掲載され・・・結果として、誹謗中傷のターゲットにされてしまう。自分が調子が悪いのに出て行ったというのなら制裁されるべきでしょうが、自覚症状もなければ発熱もしていない人間が各々にそれなりの事情があって行動した結果なのだから、たしかに油断してしまったのだろうけれど、ちょっとかわいそうな気はします。

さらに、翌日から判明してくる濃厚接触者のPCR陽性者たちのことを、「先日感染が見つかった●例めの人と一緒に会食をした人」とか「●例めの感染者が会食した飲食店の店員」とか「●例めの感染者が働く会社の同僚」とか、書かれ方がまるで『●例めの感染者』が周りにうつしまくった悪の根源!みたいな感じに受け取られそうで、若干悪意を感じます。そうじゃない。たまたま最初に検査を受けて陽性が分かったのが『●例めの感染者』なだけであって、逆にこの人がだれかにうつされた被害者である可能性が少なくないのです。どうか、報道する側(特に活字にする方)は、一字一句の使い方にも細心の注意を払って書いていただきたいと切に願います。

犯人捜しや誹謗中傷なんて何の得にもなりやしない。わたしたちは、とにかく国の思惑に惑わされることなく、各自で標準予防策を守りながら、一致団結してじっと嵐の過ぎ去るのを待つことにしましょうや。

 

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何もしない日

4連休の最終日の今日は、山の草刈りをすると決めていたのですが、朝から激しい音を立てて襲ってくる土砂降りカーテンに、うちの愛犬と一緒にベランダで立ち尽くし・・・泣く泣く、断念。前回刈ったのはもう2ヶ月も前だから、きっと隣り近所に迷惑を掛けるほどに草ボウボウなんだと思うのだけれど・・・「しょうがないさ、草刈りしていて草刈り機に雷が落ちたら大変なことになるからな」。

最近、そういうところがとてもタンパクになりました。「しょうがないさ」・・・すばらしい日本語です。このご時世(コロナも大雨も)、この言葉で乗り切れないと生き延びていけないかもしれないとココロから思います。で、まあそれ(草刈り)は次の日曜日でも良いのだけれど、そのミッションを今日しないと決めた時点で、わたしの活動スイッチが完全に「オフ」になりました。夕方に愛犬の散歩にだけは行きましたが、それ以外は一日中寝間着のまま家でゴロゴロ。いや、今日だけではないんです。この4連休、昨日だけ用事があって天草まで行ったから何とか8000歩歩きましたけど、それ以外はほとんど家でゴロゴロ。

「何もしない」とココロに決めたわけではないんです。「何もしない」でも何も困らないから。何も変わらないから。で、何もしないなら昼間からお菓子食って昼間からアルコール飲んでしまっても、何も問題なさそうだから。休みに休んで何が悪い? 何も悪くないさ。ということになりまして・・・最近、自分の人生を俯瞰図で眺めた結果として、「何もしない」日があっても今のわたしの人生には負の影響は何もない!という結論に達したのであります。

さ、あしたから頑張ろう! 新コロの影響が身近にどんどん迫ってきているから、あしたから頑張れるのかどうかがちょっと微妙なのが現実ではありますが・・・。

 

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気になる日本語

今日、駐車中の車の中でテレビを観ていたら、新型コロナ最前線で戦うドクターが出ていて、彼が「ただでは転びません!」と云い切って、颯爽と歩いて行く画像を映していました。

ん? 国語教師の血を引く、自称”国語博士”のわたしの触覚がピクッと動きました。「この日本語、間違ってないのか?」・・・わざわざテレビ局がテロップを出すんだから正しいのか? でも、おかしくないのか?これは、「転んでもただ(で)は起きない」と云いたかったのではないのか? 医療人は頭は良いくせに意外にこんな勘違いの慣用句を平気で使うところがあるからな、と思ってスマホにメモしていました。

で、今、ブログに披露するために書き起こしているだけれど、念のためにパソコンで検索してみたら、「それもありだ」っていうのがちらほら出てくるのです。「もともとの成り立ちは間違っているかもしれないけれど、意味は同じなのだし、それで意味が通じるのだからそれで問題ないのではないか」というのです。そんな小さな事にこだわらなくても・・・的な。

最近、『日本語の常識』というのに自信が無くなってきました。そもそもコトバというのは常に進化(変化)していくもの。そもそもの成り立ちは何であれ、時代の中で使いやすいように変わって行くもの・・・ちょうど今頃が日本国語の変化に加速度を増している時期なのかな。でもなー。「したたかに転ぶ」わけではなく、「たとえ誤って転んでしまったとしても、そのままタダ起き上がるだけじゃなくて、何か得て次に活かす」という意味なのだから、「ただでは転びません」は生き残ってはいけない日本語なんじゃないのかしら。

 

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おそるおそる

昨日、わたしが20年弱応援しているプロサッカーチームの応援のために、仕事を終えてから実家近くのスタジアムに行きました。新型コロナ感染症拡大予防のため限定5000人の事前予約を済ませたホームサポーターのみが入れる試合。前回は大雨で山越えするのが危険だったために当日になって参加断念したので、実質昨日が今シーズン初めての生観戦になりました。

入場するときにアルコール消毒→サーモグラフィ撮影→シーズンパスで身元確認→予約していたQRコード確認で入れます。隣りと3席以上あけて、前後の席と左右にずれるように配慮して、観客はホームサポーターのみ(シーズンパス、回数券客優先)。入場者は全員がマスクをし、試合中も騒ぐことも手拍子もなく、良いプレイしても拍手のみ。ポカしてもヤジることもない・・・感染予防を完璧にするとはそういうこと。田舎チームのサポーターはマジメにきちんと決められたことをこなしていました。

ここまで完璧なのに・・・。自分が買ってきたペットボトルのお茶を時々飲む。マスクを半分外して飲む。飲んだらまたマスクする・・・これをこなしながらも、何故か不安になるんです。ペットボトルのキャップを外して飲む度に、キャップを捻る自分の手はきれいなのか?と。トイレに行ったら備え付けの石けんで手洗いし、持参のアルコールで拭くのに・・・どこかでちょっと油断して指のどこかにスキを作っていないか?と不安になる。こんな調子だから試合中にマスクを外して弁当を食う気になれず、試合後の帰り道でコンビニに寄って買ったアラレのお菓子を運転中に頬張りながら・・・この手は清潔なのか?と不安になる。コンビニで商品を受け取った後にアルコール消毒してないな・・・と。

ちょっと、病気です。ちゃんとしている自信はあります。でも、もしそれでも感染したら・・・自分が原因であるかどうかなど関係なく、試合観戦者に感染者が出れば当然PCR検査を受ける義務が出ます。わたしが自粛で仕事しないだけでなく職場か数日閉鎖になるかもしれないし、職員や利用者全員に確認のためのPCR検査が義務づけられるでしょう。わたしは何もしていないし、体調は万全だし、国や自治体の指針に従って行動していたし、なのに戦犯扱いされるかもしれないのです。

昨日、天草で感染が確認された医療従事者の男性は、症状もなければ2週間以内の県外に出たこともないのに、たまたま受けた職員健診で肺炎所見が見付かったから、念のために緊急抗原検査を受けてみたら陽性だったそうで、こうなったらどうしようもない。本人がどこに行ったとか、何をしたとか全く意味が無くなってしまいます。おそろしや、コロナウイルス。

 

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オレがやらずとも

わたしの職場でも働き方改革が進んできまして、積極的に振替休日や有給休暇を取得するように指示されて、定着してきています(COVID-19感染のために最近の業績悪化の対策として時間外勤務を時間休に振り替えるよう依頼されているところはありますが、決してそういう意味ではありません)。

職員が積極的に休みを取るようにするために仕事のシェアを進める風潮が出始めたころ、わたしはずっと反発していました。「頭数だけ揃えればいい、形だけ説明できるヤツが居ればいい、というものではないんだ!」「皆が画一的に仕事をするようになったら、仕事の質が落ちてしまう」・・・だから、『オレがやらなくて誰がやる?』と叫んでおりました。

でも、今こうやって皆に仕事をシェアしてもらって、「あら、こんな読影の判定してるんだ」「たぶん、これ、甘い説明しかしてないんだろうな」とか思いながらも、「ま、それでもいいか」と割り切る自分。自分が居なくても粛々と業務は進んでいくんだと痛感し、『オレがやらなくても誰かがやってくれる』と理解できると、意外にとても気持ちが楽になりました。

「自分が居なくても誰かがやってくれる」というのは、一歩間違えば自分の存在意義の否定に繋がります。やってみたら、「オレがやらない方がうまくいく」と気づいたりなんかして。自分の存在意義の消失は「生きがいの喪失」に繋がるかもしれない・・・そんなことを思っていましたが、実際にやってみるとそんなことは杞憂に終わりそうで、最近は週の半ばに休むことにもすっかり慣れました。休んだ翌日に休んだ分の仕事の最終チェックもしなくて済むようになったので、完全にリセット休日にすることができるようになりました。

『オレがやらなくても誰かがやってくれる』・・・自分の流儀にこだわりさえしなければ、それはそれで素晴らしいことだと思います。

 

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元気ない草

昨日は、庭の草取りの日。何しろ2週間連続で豪雨続きだったから、庭の草が一気に伸びました。

・・・と思ったけれど、始めて見たらさほどの伸び方でもなかった。前回根絶やしせずに茎だけ切ったやつらが単に伸びてきただけ・・・禿げ散らかしたオヤジの頭でも1ヶ月経つとそれなりに凸凹になって切りそろえないと汚らしくなる、というのと同じ感じ?(笑)それでも、地面に這いつくばって汗をたらたらかきながら格闘すること1時間半。いつものようにトラ刈りではありますが一応うちの愛犬が庭を駆け回るのに支障がない程度には短くなりました。

そんな草取りの最中、ふと思ったのは、「最近、庭の草の伸び方が衰えたなぁ」ということ。もう半分以下に減ってしまった芝生の伸び方だけ見ても、家を建てた25年前辺りに比べたら全然伸びる早さに勢いがない。昔はすぐに伸びてしまって庭の芝生の中に蜂が巣を作っていたこともあったくらい・・・。土がやせていってるのかしら?とか、芝が年取ってしまったのかしら?とかいろいろ考えるけど、雑草の伸び方もここ数年、一気に勢いがなくなった気がします。少なくとも、家主がヒマにまかせて草取り頻度が増したからではないということだけは云えます。

なんだかね・・・いや、何故こんなこと書いたのかというと、草の伸び方の勢いが家主自体の勢いの無くなり方に比例しているのかな?とか思ったもので・・・(笑)何事にもあまりときめかなくなった今日この頃・・・”枯れオヤジ”になった感満載なのであります。そういえば、ここ数ヶ月はどんな寝方をしても寝癖が付かなくなりました。髪が立つだけの元気すら無くなったのかー?

 

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『様子をみましょう(2)』

今回の連載コラムは4月に書いたものの後編。本当に書きたかったのはこっちだったかもしれませんが、もう遠い昔に書いたものなので、実は内容をあまり覚えていなかったりする。

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『様子をみましょう(2)』

前回は、体調が悪くて病院を受診した時の「様子をみましょう」について、医療現場の裏話を少々勝手な解釈で書いてしまいましたが、実は「様子をみましょう」には別の面もあります。

私たちが携わっている予防医療の世界、特に高血圧や脂質異常や高血糖などの生活習慣病について、人間ドックや健診で異常を認めて医療機関受診を勧められた場合のことです。紹介状を持って受診したけれど、「まだクスリを飲むほどではないから食事や運動に気をつけて“様子をみましょう”」と言われた時。受診した皆さんは『まだクスリを飲まなくていい』=『問題ない』と勘違いしてしまい、そのまま放置するパターンが少なくありません。そういう人の中には、1年後の健診で同じ項目でひっかかっても「去年“問題ない”と言われたから」という理由で受診しない人や、放置した結果、数年後に取り返しがつかないほど悪化してしまう人まで出てきます。そういう人に会うととても残念な気持ちになります。

生活習慣病の治療の主体は、あくまでも『運動と食事と睡眠』。これはれっきとした治療であり、それでも改善しない時にクスリ治療を加えますが、そうなったとしても運動と食事と睡眠はずっと治療の基本として続けなければなりません。この場合の「様子をみる」は、今後クスリ治療を加えることが必要にならないかどうか見守るということを意味します。「様子をみる」のは受診した本人だけでなく、経過を見守る医療者のことも指しています。私たちは、定期的に通院して採血検査や血圧測定を受けながら主治医にアドバイスをもらい続けることを目論んで紹介状を出しています。中には、クスリを飲みたくないので生活習慣の改善だけでいつまでも引っ張ろうとする人もいますが、生活習慣病はそれまでの生活がよほど乱れていない限り最終的にはクスリの手助けが必要となる場合が多い病気です。だからこそ、日頃の自分の努力の成果を確認してもらいながらクスリ治療の開始時期を逸しないようにするために『かかりつけ医(ホームドクター)』を作ってほしいのです。

「様子をみましょう」という医療用語はとても難解で曖昧模糊なコトバです。前回書いたような“厄介払い”のニュアンスだけではなく、医師の思いやりの表現でもあると思っています。「これから長い付き合いになるかもしれないけれど、私はあなたの健康を保つために見守っていきますから、一緒に頑張りましょう」というメッセージととらえてほしいものです。

 

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必要なときは、ない!(2)

(つづき)

そんなことで総括しようとしたら、うちの妻のことを思い出しました。一緒に愛犬の散歩をしている間中歩きスマホしている彼女。「それ、今しないとダメなことなん?」と云うと「うん、すぐ済むから」と云いながら結局小一時間の散歩の大部分をスマホ眺めてついてくる。「なら、来なきゃいいのに」と云うと「少しはカラダを動かさないと」とか嘯く。愛犬は、彼女の足が遅くなると歩調を合わせようとするのでいい迷惑である。そんなアラ還女性を身近に見るにつけ、我が町でも『歩きスマホ禁止条例』を制定してもらえないものだろうかと切に思ってしまう。

この条例には罰則規定がありません。「なんで作らないんだろう?」とも思いますが、そこまで制定すると細則を作るのが面倒くさいのでしょうか。数ヶ月前に制定された新しい道路交通法、『自動車運転中にスマホ/携帯を触るだけで罰則されます』というやつも、一体どれだけの期間有効だったでしょうか? 運転していると、スマホ弄りながら運転しているドライバーをいくらでもみつけますし、何年も前から決められている運転中の携帯通話なんて、今やパトカーとすれ違っても平気な輩がいるくらい。まあ、あれを見ていると、罰則規定なんて作っても無駄と云えば無駄。ルールをきちんと守る人は何でも守るけれど、守らない人はどんな規則ができても守らない。いっそこの際、どこぞの国みたいに、「違反者を見つけたらその場で射殺してもOK」くらいに決めてしまえ!

ヤバいヤバい。オヤジの独り愚痴がどんどんエスカレートしてきてしまった。わたしこそ、正義の名の下に自分のうっぷん晴らしをするタイプの典型ではないか。

 

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必要なときは、ない!(1)

某自治体が『歩きスマホ禁止条例』を制定して話題になりました。条例なのだから、これを機会に他の自治体もどんどん制定すれば良いのに、と思うオヤジであります。

外頭インタビューで、「良いことだと思いますよ。罰則規定の作れば良いのに」という中年男性の発言の次に、若いお嬢さん(マスクしていたから年齢不詳だけれど)が「原則、賛成です。でも、どうしても必要なときっていうのもありますしね」と答えていましたが・・・そんなときなんか、本当にあるのか?

たぶん、「ない」。もし、部屋にスマホを置き忘れてきたとしても、別に困らないし。たぶん「地図アプリで場所探すとき」とか大義名分を並べるのでしょうが、世間の歩きスマホはそんな用途の時は一部だと断言できる。LINEの返事なんて今歩きながらしなくたっていいし、イヤホンしながらネット検索やネット記事/動画を観て歩かなければならないほど切羽詰まった忙しい生活しているようには到底見えない。そもそも、急ぎの要件でどうしてもスマホ見なきゃならないのなら、立ち止まって弄ればいいことだ!と、オジサンはつい怒ってしまうのであります。

「移動中だったのでメールを見ることができませんでした」と答えて叱る上司は、今や本末転倒。「運転中だったのでLINEは読むことができませんでした」と云えば反論できないご時世なのだから、相手の問題で歩きスマホする理由にはなりません。

レジ袋もそうですが、わたしたちの様にもともと「普通」から「便利」に換わった世代は「普通」に戻すのにさほど困りません。でも、「普通」から「不便」に換えさせられる世代は「到底容認できない」と思うのでしょう。 (つづく)

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レジハラ

まあ何でもかんでも言葉に変えて話題にすること自体がどうかと思いますが、7月1日からのレジ袋有料化に伴って生じた『レジ袋ハラスメント』、略して『レジハラ』とは・・・これ如何に?

「今まで無料だったから払わない!」とごねたり、レジでモタモタしていると「早くしろ!」と怒鳴られたり、有料レジ袋買っていると「ちゃんとマイバック持ってこんか!」と説教され、日本人は総じて苛立っている様子です。もうとっくに無料レジ袋廃止にしていたスーパーとかはあまり混乱しませんけど、さすがにコンビニは生まれたときからレジ袋ありきの文化だから、レジ付近にマイバックに商品を入れるスペースすら作られてなくて本当にアタフタしますね。

『自粛警察』しかり、『マスク警察』しかり、日本人は規律正しき民族だからマジメが基本だけれど、一方で奥ゆかしさの文化だから、『空気を読む』を美徳とする民族だったはずなのに・・・気持ちに余裕がなくなっているのは、やはりCOVID-19によって心身が蝕まれた影響なのでしょうか。昔は”おせっかいババア”や”説教オヤジ”はあちこちに居て地域を見張って守っていたモノではありますが、最近のクレーマーは正義の名の下に自分のうっぷん晴らしをしているに過ぎない部分が強いモノだから、売りコトバvs買いコトバのいい争いに進展してしまうのでしょうかね。

レジ袋なんか存在しないから生きているおいさんには、なんか微笑ましい変化にも見えます。ま、効果のありなしは別にして、聡明な日本人はすぐに慣れてしまうことでしょ。

 

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疑心暗鬼

昨夜からの台風直撃並みの暴風に続いて未明から激しい豪雨に見舞われて、なかなか安眠できず、蒸し暑さもつきあって小便に起きること4、5回。とても寝苦しい朝を迎えて、日課の朝検温したら36.8℃! 「いつもより高いやん!」と独りでおののく。

この程度で心配になるのは、昨夜報道された高松市の男性保健師さんの感染の影響かも。高松市から人吉球磨の被災地に派遣されていた彼は道中で感染した可能性もあるわけで・・・つい先週、熊本市の危険レベル1に引き下げられて安心していた心をガツンと砕き散らされてしまいました。こうなると、いつどこでどうやって感染するのか、もはや”東京問題”と他人事にしておくわけにはいかなくなりました。今朝からだるいのが、単純な寝不足のせいだと言い切る自信がなくなってしまいました。被災地で避難所に避難している人たちもきっと疑心暗鬼になってしまっているでしょう。被災地には(ボランティアは県内限定だけど)警察や自衛隊やDMATや県外から手助けに来ているスタッフは決して少なくはないのです。さらに実家が被災して首都圏や関西圏から片付けのために里帰りしている人も少なからずいます。こんな大きな災害を現地だけで完結させるなんて到底無理なことです。共存しながら助け合わなければなりません。悩ましい問題です。

でも、こんな時期に、単なるパフォーマンスのために汚染地区東京から子分たち引き連れて”視察”にやってきた首相の感性は理解できない。「今だからこそ、申し訳ないがリモートで」という対処をしてもだれも非難はしまい。「自分たちは大丈夫」という感覚はシアターモリエールのクラスター連中と何ら違わないではないか!

いかん。こんなに苛立ってしまって。そんな今日は午後から街中の会社に産業医出勤。この保険会社も今回の水害被害で九州内から手伝いに集まってきていると聞きます。もはや、市中で安全なところなんてどこにもないのでしょうか。

 

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メールで打診しても梨の礫だった件

今回、豪雨の予報のために大分で行われた今年最初の観客試合参戦を断念しましたが、そのときのJチケットの扱いについてフットボールクラブに電話したら担当のおねえさんがとても丁寧に教えてくれました。

そのときにふっと思い出したことがあります。公共のHPやスポーツ系のHP、あるいは学会などのHPを見ていると「質問/お問い合わせは下記アドレスにメールで送信してください」とよく書いてあります。コロナ禍以降、「テレワークしているから電話ではなくメールで」という要望も増えてきています。わたしはそもそも対面の会話ではしどろもどろになるし、相手の都合に関わりなく電話で問い合わせるのが申し訳ないという気もあるために、まずはメールや質問フォームがないかを確認してそれを優先することにしてきました。ただ、きちんと書いてもまったく返信のないことが数回ありました。

一回はゴミ処理場へのメール。「こうこうこういうゴミはどこの処理場に出したら良いのか、HPを見ても判断がつかないのだけれど」というやつ。結局何も返信されないうちに熊本地震に襲われて、瓦礫だらけになったからついでにまとめて全部出してしまった。一回はサッカー関連。「書かれている通りの方法でやってみるけれど相手が受け付けてくれない。何がおかしいのか?」という内容。これもまったく梨の礫でしたが、そのまま新型コロナ騒動になってすべてが中止になったからもうどうでもいい・・・。

こういうのはどういうことなのでしょう? イタズラメールだと思われているのか、面倒くさいから担当者がサボっているのか、あるいは問い合わせメールは何回かしつこく書かれてきてから返信することになっているのか? たぶん直接電話したらきちんと答えてくれるのだろうけれどそれができないのですよ・・・メール質問を受けるための専門の部署は本当は存在しないのではないか?とか疑っている今日この頃です。

 

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アプリで治療

禁煙治療用アプリが国内初承認へ

 ”厚生労働省の審議会は2020年6月19日、CureAppが承認申請していたニコチン依存症を対象とした治療用アプリ(デジタル治療)の承認を了承した。今後、厚労省内の手続きを経て、約1カ月後に薬事承認を得られる見込み。治療⽤アプリはソフトウエアを活⽤して病気の治療を目指すもので、海外では既に実用化されているが、⽇本での承認は初めてになる”

禁煙補助薬チャンピックスと組み合わせて使うアプリで、吸いたくなったときにアクセスすると医者がするのと同じような共感や提案をしてくれるのだそうで、呼気中CO濃度も記録できるというからモチベーション維持には意外に有効なのかもしれません。以前は、医者に話すようなことを器械(スマホ)に話しかけて意見をもらってやる気を起こすなどということは、空しいばかりではないか? 形だけでいい加減になるのではないか?と疑心暗鬼でしたが、最近はロボットが何でも相手をしてくれる時代。変に上から目線の医者や悩みを打ち明けても鼻で笑うような医者に相談するくらいなら、アプリに相談した方がよほど気が落ち着くことも少なくないような気もしますね。

『薬価収載』『保険適用/保険点数』などのキナ臭い内容が絡んでくると、途端に形だけのものになりそうだと邪推してしまうのが日本人のサガなのかもしれませんが。

 

 

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ニコチンがコロナをやっつける?

喫煙でCOVID-19感染リスクは低下

 おそらくMedical Tribuneに寄稿された大阪大学大学院環境医学招聘教員大島 明先生の記事を一般の人は読むことはできないと思いますが、割と重要な提言だと思います。

WHOがCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)について今年4月29日に WHO によって招集された公衆衛生学の専門家による研究のレビューで、「喫煙者は、非喫煙者と比べCOVID-19が重症化しやすいことが明らかにされた」という声明を出したために、喫煙者が非難を受ける立場になりましたが、どうもその後に出てきたいくつかの研究では、喫煙者の方が非喫煙者や喫煙をやめた人よりも感染リスクがむしろ低いというものが多いことが分かった、というものです。

大島先生はその論文のいくつかを解説してくれていましたが、要するに喫煙者がコロナ感染に対して必ずしも不利ではなく、むしろ有利ですらあるという疫学データが出ていることに目を背けてはいけないということを伝えたいようです。残念ながら日本では喫煙歴の疫学調査がなされていないので日本での実態は把握できません。なんでそんな結果になったのかは分かりませんし、明らかな生活習慣病危険因子である喫煙をわざわざ推奨する根拠になるはずもありませんが、事実は事実として単なるスケープゴードにさせないようにしなければなりますまい。

”今年4月26日の報道によると、フランスではCOVID-19重症化防止のためにニコチン製剤投与のトライアルが計画されつつある。また、5月27日の報道によると、スウェーデンではスヌース使用とCOVID-19との関連を評価するための調査が開始された”というのは、ちょっとショックではありますが・・・。

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平屋か二階建てか

未曾有の水害のターゲットが今回は球磨川水系だった。人吉の町が私の知っている人吉ではなくなってしまっている。最近は毎年のように起きる線状降水帯の餌食になった姿ではあるけれど、自分の知っている町がターゲットになると辛い。しかも、たまたま前線がこの位置にとどまったからこの結果なのであって、もう少しだけ北に逸れていたら我が家の界隈がターゲットになっていたかもしれないことを考えると身の毛もよだつ思いです。そんな雨が今日も九州を襲っています。今度は九州一帯に及ぶかなり広範囲の様相。熊本市内は想定より軽かったけれど、ついさっきから我が家の窓の外でも激しい雨音に変わりました。明日になるのがちょっと怖い。

熊本地震以降、2階建て以上の家に住むのが不安になってきて、ちょっと揺れただけで「大丈夫か?大丈夫ね!」と確認してしまう習慣が付いてしまった我が家。おそらく、そんなトラウマに生きる熊本の住民は少なくないはずです。近所の道をワンの散歩で歩いていると、地震で倒壊した家屋の跡に真新しいモダンなお宅が立ち並んでいます。全く違う町に入り込んだかのようです。そんな新しい家の中で、敷地に余裕のあるお宅は軒並み平屋に替わっています。その気持ちとてもよく分かります。うちも、「建て直すなら絶対に平屋だよね」と夫婦で語っています(まあ、歳取って腰や膝が痛いことも理由ではありますが)。

でも、今回のような水害を目の当たりにすると、ちょっと悩みます。東日本大震災の被災地も平屋が多くなったと聞きました。だから、今回のような水の被害が出たら逃げ場がないのです。今回の人吉水害も家の二階まで水が上がりました。平屋では屋根に登っても助かるかどうか分からない高さです。

神様と自然の気まぐれに、振り回されてばかりいる人間の儚さよ。

 

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白々しい

「毎日ラジオ聴いていると、番組のMCの人の受け答えってすごく白々しいよね」
「心がこもっていないって云うか、聞いていないって云うか、興味ないんだろうなって思う」

先日、妻がそんなディスったグチを云いました。「わたしに対して、あなたはいつもそんな聞き流し方ばかりだけどね」・・・心の中で思いましたが口には出しませんでした(笑)

ところが先月の某日、夫婦で実家の墓参りに行った帰り道、カーラジオで電子禁煙パイポの通販番組がありました。禁煙パイポって、今は”電子”禁煙パイポなんですね?驚きました。で、この番組のMCの男の人が、流ちょうに商品紹介するお兄さんに合いの手を入れるのだけど、このMCさんのことばがホントに白々しくて、笑ってしまいました。多分、この人はそもそもタバコを吸わない人かとっくにやめている人だと思います。なのに、無意味に感動しすぎ。禁煙するためのグッズなのに、「今ならさらに2パック追加で」とか「味が飽きないように違う味のセットもサービスします」とかいうのですよ。そしたら、「うわーそれはすごい」「ありがたいですよね」「至れり尽くせりじゃないですか~」とかおだてまくていました。「禁煙したけりゃ、要らんじゃろそんなに。そこまで吸ってたら、禁煙なんか絶対にできんわ!」と苦笑いしながら吐き捨てたら、「そんなにムキにならなくても」と妻に笑われましたけど。

商品の販売が目的だからしょうがないかもしれないけど、あれじゃ返って邪魔なんじゃないのかしら? まあ、それでも番組を流しているということは、これだけ笑いものになることも想定済みの、おそらくは目論見通りの番組構成になっていたのかも。マーケティングって、奥わたしが想像する以上に深いモノなのかもしれないですね。

 

 

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仏様の水

大した信仰心があるわけではないのですが、今年になって毎朝仏壇に手を合わせるのが朝の出勤前のルーチンになりました。新型コロナの蔓延が影響したのかもしれません。墓参り帰省自体を長い間できませんでしたから。

朝、ろうそくに火をつける前に水替えをするのですが、水を入れようとしたとき、容器の中が汚れているのに気づきました。埃が落ちて内壁に張り付いているみたい。それが気になって洗い落とすこともありますが、そのまま気づかなかったふりをして水を入れる場合もあります。出勤前で慌ただしいからという理由です。

「そんな汚い水、あなたなら飲まないでしょ!」とむかし妻に注意されたことを思い出しました。でも、実際に誰かがこの水を飲むわけじゃないんです。形だけの問題です。そもそも浄土真宗は形にとらわれない宗教・・・心の中で手を合わせておけば功徳があるという教えのはず。気持ちの問題なんだから、朝の忙しい中で水替えしていること自体が偉いわ、オレ!とか言い訳してみる。

そんな言い訳をしながら手を合わせている姿を、両親は天国から眺めて苦笑いしてるのだろうかな、とか思っただけでバツが悪くなりました。

昨日の朝は食器用洗剤でこすり洗いして、満足行くまできれいにして供えました。ま、「食器用洗剤が残っていたら、かえってこの水おいしくないだろうな」とか思って手を合わせていたら、なんか可笑しくなりました。いつも独りよがりな自問自答、自己満足の日々だなぁ。

 

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失われていくもの

今朝の夢はとても後味が悪かった。今停めたばかりの愛車がちょっと目を離した隙に音もなく盗まれた夢でした。近くに居た友人に「多分もう見つからんやろな。まあ、しょうがねえわ」と悲しげな顔で諭されました。そこで目覚めたらまだ朝5時半でしたが、二度寝するとまたイヤな夢を見るかもしれないと思ってそのまま起き上がりました。実は、この夢のちょっと前にも何か取り返しの付かないものを失って絶望感に浸っている時に目覚めて、「あー夢で良かった」と安堵したばかりだったのです。

最近、日中に起きたことの尾を引く夢をよく見ます。先日は、サッカー観戦予約のJリーグチケットの話題を友人とLINEで交わしたせいか、どうしても予約がうまくいかない夢だとか、受け付け開始の遙か前からソワソワする夢だとかを立て続けに見て、朝起きた時にはすっかり疲れ果てていました。ゴルフの予約取った日の夜には、トラブルだらけで前に打てずに皆に責められる夢を見ました。

昨夜は・・・右目がさらに見えなくなっている事実に気づき凹んでいました(これは夢ではなく現実です)。裸眼で近くのスマホを見ても左目ほど見えない・・・「白内障がさらに進んだのかな」と思いながらちょっと不安のままに寝ました。夕方には妻が「同時に違う音が聞こえると一方の音が全く消えてしまう」と不安がっていました。親族が皆難聴になっていて、自分も耳が聞こえなくなるんじゃないかという不安。だから、何かが少しずつ失われていくことへの不安と落胆が、今回の夢になって現れたのかもしれない、と思いました。

失われていくもの(なくなってしまっても、もう今の人生のうちで修復はできないであろうもの)が、日に日に多くなっていくのが、ときどきものすごく寂しくなる今日この頃です。

 

 

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受診控え

生活習慣病患者の2割が通院せず自粛/血糖トレンド委員会

 今回CareNetに、東京慈恵会医科大の西村理明先生が代表世話人をしている「血糖トレンド委員会」の調査結果が報告されていましたが、本当に由々しき問題だと改めて痛感させられました。この報告によると、
●定期的な通院を必要とする生活習慣病患者の20.4%がコロナ感染予防を理由に通院を自粛。
●さらに、患者の44.9%は今後の通院もいまだに不安を抱いている。
●その一方で、外出自粛で58.6%の患者が体調管理への意識が向上した。
というのです。

もともと、高血圧や糖尿病は自覚症状も乏しく通院を中断する患者さんが多い病気です。今回のように外出自粛を促され「不要不急の病院受診は控えましょう」と云われたら、薬がなくなっても通院を控えてしまう。それに加えて「高血圧症や糖尿病患者さんほどコロナに罹ると重症化しやすい」というデータが発表されたものだから、尚のこと怖がって病院に通わなくなった人たち・・・本当は、治療中断による合併症=脳卒中や心筋梗塞が起きることの方がはるかに危険(コロナだらけで医療崩壊するとそんな急病を受けてくれる病院がなくなることも重大です)なのに。

今回の調査はインターネットによる意識調査なのだから、おそらく一番コロナを怖がっている高齢者はあまり入っていないことでしょう。絶対に薬を切らすことのできない甲状腺がん術後の人などと違い、高血圧や糖尿病はしばらく切れても体調に変化を来しにくいものです。「病院受診を自粛している分、自分の健康管理をより意識するようになった」というのは良いことではありますが、この中には本当は内服管理を中断してはいけないのに、コロナを理由に服用をやめて「その分食事や運動に留意するように努めた」と胸を張って主張する患者さんもいるだろう、と懸念するのです。

是非、通院を中断してしまっている方は、本格的な第二波が押し寄せる前の今のうちに早めに受診してください(東京はもうすでにちょっと危ないかも)。

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