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『様子をみましょう(2)』

今回の連載コラムは4月に書いたものの後編。本当に書きたかったのはこっちだったかもしれませんが、もう遠い昔に書いたものなので、実は内容をあまり覚えていなかったりする。

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『様子をみましょう(2)』

前回は、体調が悪くて病院を受診した時の「様子をみましょう」について、医療現場の裏話を少々勝手な解釈で書いてしまいましたが、実は「様子をみましょう」には別の面もあります。

私たちが携わっている予防医療の世界、特に高血圧や脂質異常や高血糖などの生活習慣病について、人間ドックや健診で異常を認めて医療機関受診を勧められた場合のことです。紹介状を持って受診したけれど、「まだクスリを飲むほどではないから食事や運動に気をつけて“様子をみましょう”」と言われた時。受診した皆さんは『まだクスリを飲まなくていい』=『問題ない』と勘違いしてしまい、そのまま放置するパターンが少なくありません。そういう人の中には、1年後の健診で同じ項目でひっかかっても「去年“問題ない”と言われたから」という理由で受診しない人や、放置した結果、数年後に取り返しがつかないほど悪化してしまう人まで出てきます。そういう人に会うととても残念な気持ちになります。

生活習慣病の治療の主体は、あくまでも『運動と食事と睡眠』。これはれっきとした治療であり、それでも改善しない時にクスリ治療を加えますが、そうなったとしても運動と食事と睡眠はずっと治療の基本として続けなければなりません。この場合の「様子をみる」は、今後クスリ治療を加えることが必要にならないかどうか見守るということを意味します。「様子をみる」のは受診した本人だけでなく、経過を見守る医療者のことも指しています。私たちは、定期的に通院して採血検査や血圧測定を受けながら主治医にアドバイスをもらい続けることを目論んで紹介状を出しています。中には、クスリを飲みたくないので生活習慣の改善だけでいつまでも引っ張ろうとする人もいますが、生活習慣病はそれまでの生活がよほど乱れていない限り最終的にはクスリの手助けが必要となる場合が多い病気です。だからこそ、日頃の自分の努力の成果を確認してもらいながらクスリ治療の開始時期を逸しないようにするために『かかりつけ医(ホームドクター)』を作ってほしいのです。

「様子をみましょう」という医療用語はとても難解で曖昧模糊なコトバです。前回書いたような“厄介払い”のニュアンスだけではなく、医師の思いやりの表現でもあると思っています。「これから長い付き合いになるかもしれないけれど、私はあなたの健康を保つために見守っていきますから、一緒に頑張りましょう」というメッセージととらえてほしいものです。

 

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