仏様の水
大した信仰心があるわけではないのですが、今年になって毎朝仏壇に手を合わせるのが朝の出勤前のルーチンになりました。新型コロナの蔓延が影響したのかもしれません。墓参り帰省自体を長い間できませんでしたから。
朝、ろうそくに火をつける前に水替えをするのですが、水を入れようとしたとき、容器の中が汚れているのに気づきました。埃が落ちて内壁に張り付いているみたい。それが気になって洗い落とすこともありますが、そのまま気づかなかったふりをして水を入れる場合もあります。出勤前で慌ただしいからという理由です。
「そんな汚い水、あなたなら飲まないでしょ!」とむかし妻に注意されたことを思い出しました。でも、実際に誰かがこの水を飲むわけじゃないんです。形だけの問題です。そもそも浄土真宗は形にとらわれない宗教・・・心の中で手を合わせておけば功徳があるという教えのはず。気持ちの問題なんだから、朝の忙しい中で水替えしていること自体が偉いわ、オレ!とか言い訳してみる。
そんな言い訳をしながら手を合わせている姿を、両親は天国から眺めて苦笑いしてるのだろうかな、とか思っただけでバツが悪くなりました。
昨日の朝は食器用洗剤でこすり洗いして、満足行くまできれいにして供えました。ま、「食器用洗剤が残っていたら、かえってこの水おいしくないだろうな」とか思って手を合わせていたら、なんか可笑しくなりました。いつも独りよがりな自問自答、自己満足の日々だなぁ。
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