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2020年9月

最近気になっていること~コレステロール

先日ここで紹介したように、LDL(悪玉)コレステロールは可能な限り下げるのが脳心血管障害(心筋梗塞や脳卒中)予防のために必要だと考えられてきたのに、薬剤で積極的に低下させてもさせなくても予防効果に有意な差は認められなかったという報告が発表されて、再びカオス状態になりそうな気配があります。一度心筋梗塞や脳梗塞を起こしたことのある方が再発するのを予防する(二次予防)のには効果がある、というのは間違いないのでしょうが・・・。

そのときにちょっとだけ書きましたが、たとえば閉経後の女性はおしなべてコレステロール値は上昇します。女性ホルモンを作らなくなった影響だと云われていますから、別に食べ物の影響でもなく、不節制しなくても上がります。LDLコレステロールは若い人でも男女を問わず高い体質の人がいて、運動と食事を頑張って体重を10キロ減らしたとしてもLDLコレステロール値はほとんど変わらない人がたくさんいます。そもそも、こういう人たちはLDLコレステロールが動脈硬化発症の引き金にはなっていないのではないか?と思うのです。LDLコレステロールが増加したために動脈硬化を起こす人は確かにいてそういう人は積極的に薬剤治療を受けるべきですが、それらを全部まとめて平均点で評価しようとするから統計学的有意差が生じないのではないか、と思うのです。

ヒトのカラダは生きて行く上で不利になる体質をいつまでも残しては行かないはずです。閉経後の女性のコレステロールが高くなるのも、本来そこまで長生きすることを想定しなかったからと仮想しても、進化とともに自然淘汰されていくはずで、それが不利なのであればそういう体質の人は死滅して淘汰されていって然るべしです。ということは、閉経後にはLDLコレステロールが多くなることが生きて行く上で有利なことが何かあるのではないか。生活が乱れていないのに高LDLコレステロール血症のヒトにとっては、それが生きて行く上で必要な体質なのではないか。そう考えれば、納得がいきます。だから、高LDLコレステロール血症で要治療と評価されたらとにかくとことん生活療法をやってみて(半端な形だけの取り組みはやったうちに入りません)、それでも大して減らない人は、ことコレステロールに関してはもうそのまま放ったらかしておいてもいいのではないか、と思うようになりました。

ま、下げるべき人と下げなくても大丈夫な人との明確な棲み分けができないからこそ、「全員下げるに越したことはない」ということになるのでしょうけれど。

 

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よく噛むこと

わたしの人間ドック結果説明の基本は、

『無駄に動け、無駄に食うな、さっさと寝ろ!』
『面倒くさくなったときと諦めたときから、人は一気に歳を取る!』

ですが、もっと突き詰めれば、『よく噛むこと』と『ゴロゴロしないこと』に尽きます。

そんな『よく噛むこと』のメリットについてCare Netに紹介されていたので書き写しました。
1.唾液が出て口内が清潔になる~噛むことで唾液分泌が促進されて口中の細菌を減らすことができるので、虫歯や歯周病の予防になる。
2.消化がスムーズ~唾液の消化酵素によってデンプンを分解する。胃液も出やすくなって消化を助けてくれる。
3.満腹感を得やすい~満腹中枢を刺激して満腹感を早めに感じるようになり、食べた満足感を上げやすくする。
4.肥満や糖尿病リスクを低下させる~ホルモン分泌を促し、食欲を抑えることで肥満を予防し、糖尿病のリスク低下につながる。
5.脳を刺激し、活性化させる~咀嚼による刺激が脳に伝わると記憶力、思考力、集中力が高まり、認知症の予防になる。

わたしが噛むことを勧めているのは4のためなのですが、機序は少し違います。インスリンを無駄に分泌させないことにより、余ったエネルギーを体内に取り込むことが抑制できるのとコレステロールを血管壁内に取り込むのを抑制(動脈硬化を予防)するため、という意味で勧めています。でもそのために30回数えて食べたり噛み終わるまで箸を置いたりしていると味なんか楽しめなくなるから勧めません。料理はおいしく食べなければ意味がないのです。

『料理は丁寧に感謝を持って味わう』・・・それを実践するには、最初から料理を目の前に半分しかおかない勇気が要ります。量があればつい口の中に投げ込んでしまいますが、無いと分かったら丁寧に食います。『半分の量のおかずを目の前にして、これで腹一杯になるまで舐めるように食い尽くす』作業は、習慣づけしかありません。でも、やってみると意外に面白いモノです。是非、試してみてほしいです。

 

 

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エチケットの問題

最近は、マスクを拒否しただけで飛行機を降ろされるとか、入場時のマスク装着願いのある飲食店に無視して入ったお客さんが追い出されるとか、そういうことが起きる度に賛否両論が渦巻いてイザコザが絶えません。「コロナに対して敏感になりすぎだ」とか「強制力は無いのだから最終的には個人の判断でよい」とか「周りに迷惑をかけるのだから、公の場では自分の主張とは関わりなくマスクはすべきだ」とか「こんなヤツが居るからコロナが無くならないのだ」とか、みなさんいろいろおっしゃります。

わたしの意見を云わせてもらうなら、こんなもの、「コロナ感染予防にマスクが意味があるかないか」などの議論ではありません。「マスクしてない人は来ないでくれ」と云っているだけのこと。「靴を脱いで上がってください」と書いてある建物や店に土足のまま上がってくる客が正解か不正解かと云っているのと同じことだと思いますから、賛否両論どころか意見を云い合うこと自体が論外です。「強制力は無い」ということはありません。「協力を求めている」というスタンスですが、「うちを利用するならこれだけは守ってください」と云っているのだから、「守らないなら、うちを利用させません」と云っている。イヤなら使わなければいいというだけの話のように思います。

最近は、みなさんが自分の生き方を主張して、何をしようが自分の勝手で何かが起きても自己責任だという風潮にありますが、それは自分だけで生活するときのことであって、社会の中で行動するときには最低限のエチケットは守らなければなりますまい。そんな基本的な常識が”常識”ではなくなっているので、こんなカオス状態になってしまったんでしょう。

 

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ロスへの心構え

我が家の愛犬は2ヶ月後に12歳になります。歳の割にとても元気で先日諸検査を受けたらほぼ正常でしたが、最近ちょっと口臭がひどくなってきたので今のうちに歯石取りをしてもらおうと、行きつけの獣医さんにお願いしました。ついでに尻尾にできた小さなイボも取ってもらうことにしました。全身麻酔をするので夕方まで預ける形になり、わたしも職場から帰宅していたので一緒に迎えに行きました。歯は1本だけ歯槽がダメになっていたとのことで抜歯されましたが、それ以外は何事もなく無事に連れて帰ることができました。

わたしが唯一心配だったのは、高齢だから全身麻酔から覚めなくなるのではないか、覚めたとしてもその後急に年相応の老犬の立ち振る舞いに変わるのではないか、そんなことでした。実際、病院スタッフが連れて出てきたときには元気そうに走っていましたが、家に帰るなり昏々と寝るし一言も吠えないし、起きたら起きたで立ったまま何かまだボーッとして「ここはどこ?」という顔で辺りを見回すし・・・足取りが軽い割に、少しボケてきたのかなと心配になりました。翌朝の散歩中も今ひとつでしたが、その後徐々に正気に戻ってきたのでやっと安心できました。

それでももうすぐ12歳。ビアデッドコリーの寿命としては高齢の部類に入りました。「歯石取りは4年前に1度やってますね。でも、今回がきっと最後ですね」と先生に云われ、そりゃそうだなと思う一方でそろそろ存在が無くなることも覚悟し始めなければならない歳になってきたのだということに気付いて急に寂しさが湧いてきました。「今日、朝からこの子が家に居なかったでしょ。ホントに寂しいよ。いつもはどこに居るのかわからないほど家の中のどこかで寝ているだけだけど、それでも”存在”していることに慣れてきたでしょ。この大きな身体が家の中に存在しないというだけで、ポッカリ何か大きな穴があいたみたいになるのよ。これはマズいよ。この子が居なくなったら、本当に深刻なロスになってしまうと思う。この家には思い出が多すぎてもう住めない!と云い出すかもしれない」と妻がとなりで呟きました。

この大きな身体は今の子で3代めです。この家ができて直後からずっと1、2匹のワンが一緒に存在していました。でももう、自分たちの歳を考えると4代めをブリーダーさんにお願いする勇気はない。この子が居なくなったら、耐えられないような寂寥感に襲われるのでしょうか。たしかに、怖いです。

 

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わたしの性格

HSPの自己診断テストに全く合致しなかったわたしですが、さほどズボラな性格とも思えません。細かいことに執着して何事も几帳面・・・世間でわたしのことをそう評価していると思いますが、それは多分合っています。

「あなたは、几帳面だけど、繊細ではないよね」と妻が云う。「その失礼な云い方はなんとかならんのかい?」と内心カチンときましたが、云っているとは間違っていません。でも多分、彼女が云いたいのは「何でも思ったことをストレートに云う」性格のことをいっているのでしょう。「どうしてそんな云い方するの?」と良く彼女が云う。「別に間違ったことなんか云ってないでしょ」と反論すると「云い方にデリカシーがない」と・・・そこが”繊細さに欠ける”という評価のポイントなのでしょう。

まあ反論はたくさんあるもののそれはさておき、自分の性格を自己分析する機会が多い今日この頃・・・自分の性格をひとつ挙げるならまず『自分に負けたくない』ということばが出てきます。わたしは若い頃から他人と競うのが得意ではありませんでした。負けず嫌いな性格なのだとは思いますがそれを表に出すのが好きではありませんでした。自分に自信がなかったからでしょう。他人に認めてもらえるのはとてもうれしいから頑張ることは頑張るけれど、他人に勝つことに快感は得られませんでした。ただ、自分には勝ちたい。というか、自分が決めたことは最後までやりたいという思いは人一倍強く、「自分にだけはウソをつきたくない」という気持ちに裏打ちされています。

若い頃のわたしは、自分が嫌いでした。すぐに自分にウソをつくから。できなかった理由を自分で見繕って、自分で自分に正当化させようとすることが多かったから。「自分の決めたこと」を他人に明言するわけではないのだから、やりとげたかどうかは自分だけが分かることなわけですし。最近は、できなかったことは「できなかった」と素直に認めるようになりました。やると決めたことができなかったことは自分に負けたことになるのかも知れないけれど、それでも今の自分の方が好きです。できなかったことは認めるけれど、その後もこっそりできるまで頑張るのが自分の性格だと知っているから。あるいは、次はできるような目標に換える勇気があることを知っているから。

 

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HSP気質

先日、テレビを見ていた妻が、「○○さんは典型的なHSPなのよね。たぶん、わたしもそうだ」と呟きました。○○さんというのは彼女の仕事の同僚です。

HSPとはHighly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)、つまり”刺激に対して非常に敏感で、繊細な気質をもって生まれた人”という意味なのだそうです。必要以上に細かいことが気になってずっとそれにとらわれてしまうために精神的なストレスが強くなってしまうようです。テレビで自己診断テストの例が出ていて、それをやっていた妻が、「ほーら、やっぱり。わたしは当てはまらないのが1つしかない」と云いました(一方、わたしは当てはまるモノが1つしかなかった)。「ね、わたしは実はとても繊細なのよ。ちょっとしたことがずっと気になったりするでしょ。だから、わたしに接するときはそういうつもりで接してよ」とも。

実は、うちの愛犬こそHSD(Highly Sensitive Dog)なのであります。単なる臆病とかではなく、異常なまでにセンシティブ。これは大嵐の日に東京から揺れる飛行機の貨物室に入れられて熊本にやってきたことへのトラウマと、2016年の熊本地震のトラウマとでできあがった後天的な性格かと思っていましたが、もしや彼女も生まれ持っての脳の扁桃体の過敏性なのでしょうか。HSP気質に合った職業は、芸術家や医療従事者や学校の先生だとテレビでは云ってましたけど、医療従事者や学校の先生だとかえって一層、神経がすり減ってしまうのではないかしら。その点、クリエイターの道に進路を換えた妻は、良い選択だったと云えるのかもしれません。

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夫婦は同じ生活習慣病?

夫婦は同じ生活習慣病になりやすい

”夫が生活習慣病で治療を受けていると、同居の妻も同じ生活習慣病で治療を受けている割合が高いという事実が明らかになった。筑波大学医学医療系ヘルスサービスリサーチ分野の田宮菜奈子氏、杉山雄大氏、渡邊多永子氏(現在の所属は厚生労働省)らの研究グループによる論文が、「BMJ Open」7月28日オンライン版に掲載された”

Care Netで2020/09/16に配信された内容です。欧米の報告と同様、日本の場合でも、「夫が生活習慣病の治療を受けている場合に妻が同じ疾患で治療を受けている割合(治療を受けるリスク)」「妻が生活習慣病の治療を受けている場合に、夫が同じ疾患の治療を受けるリスク」ともに有意に高くなっており、まさしく『生活習慣病』だと云える結果が示されたことになります。

長年同じ食習慣なのだから当たり前だと思われがちですが、『生活習慣病』とは、『遺伝的素因』+『環境的素因』+『生活習慣』で構成される病気なのですから、そもそもの遺伝的因子が異なり、さらに人種の違いなどが絡むと、まったく同じ生活習慣でも同じ病気にかかるとは限らないというのが常識です。現に、わたしの家系は高血圧家系で妻の家系は糖尿病科系、結果として実際にかかる病気の種類はお互いに異なっています。だから、今回の報告には異議を唱えたい人間の一人です。もっとも、塩分好きのわたしと甘い物好きの妻とでは初めから食事の嗜好が違います。多動児のわたしとじっとしているのが好きな妻とでは活動パターンも違います・・・同じなのは体型だけでしょうか(笑)
 

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エビデンスの否定

LDL-C低下治療にベネフィットなし

 Medical Tribuneに配信されたアメリカのUniversity of New MexicoのRobert DuBroff氏らがBMJ Evid Based Med(2020年8月3日オンライン版)に報告した内容は、マスコミの報道次第では、たぶん臨床現場の医師と患者さんたちを右往左往させる報告になるでしょう。

心血管疾患の中等度~高リスク患者に対して、多くの治療ガイドラインがコレステロール低下薬による治療を推奨しているけれど、きちんと再検討してみると、「全試験の4分の3で死亡に対するベネフィットが得られず、半数で将来の心血管リスクに対するベネフィットが得られていなかった」だけでなく、「目標が達成できなかった22件のうち死亡に対するベネフィットは4件、CVDに対するベネフィットは14件で報告されており、ベネフィットが得られた割合はLDL-C低下目標が非達成の試験でむしろ高かった」というのです。

簡単に云えば、「動脈硬化の危険因子であるLDLコレステロールを薬剤を使ってしっかりと下げても、心血管疾患の予防には寄与していない可能性がある」という結論のように思われます。”The Lower, The Better(低ければk低い方が良い)"の概念を覆す内容なだけに、かなりセンセーショナルな報告のように思われます。コレステロール治療論争にますます拍車がかかることは間違いなさそうですが、一番怖いのは、まだ何の結論も出ていないのに、興味を持ったマスコミの記者たちが面白い話題だとばかりに中途半端に取り上げることだと思います。

そもそも、LDLコレステロールが多すぎれば動脈硬化を来すために”悪玉コレステロール”と呼ばれるわけですが、生活習慣に関わりなく体質的に多い人は多いし、女性では閉経以降に必ず増加する物質なわけで、「普通に生きていて人間の体内に生存に不要なモノは溜まるはずがないのではないか」というわたしの想いがあります。太古の時代から閉経以降には上昇するのだから、そんな人はその方が生きていく上で有利だからそうなっているのではないか。つまり、生活習慣の乱れで本来溜まるはずのないLDLコレステロールが体内に溜まっている人と、LDLコレステロールが体内に多いことで不利益をもたらさない体質の人とを一緒くたにして平均点で語ろうとすることに無理があるのではないか?と思っているわたしです。

 

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緑茶

最近、夕食の後などに無性に喉が渇くことがあります。休みの日の昼下がりなどにもときどきそうなります。

でも、そのときに冷蔵庫に冷やしてある2リットルのペットボトルに入ったお茶を飲みたい気持ちになれません。なぜだか、これを飲んでも満足する状態が想像できないのです。別に、炭酸飲料やアルコールを欲しているわけでもありません。冷たい水はOK。麦茶なんかはなおさらOK。

どうしてなのでしょう? カフェインが入ると利尿作用が強くなることを身体が知っていて、「いまはそれじゃない」と拒絶しているのでしょうか? でも、たぶん、コーヒーなら飲む気がするから、カフェインとか関係なさそう・・・全く逆に、麦茶はイヤだ、緑茶がほしい!と感じることが昨年にはあった気がします。何が作用しているのかなぁ。

めちゃくちゃ焼酎が飲みたくなるときと、日本酒なら飲むけど焼酎なんか見たくもないと思うとき(最近はこっちかな)があるのだけれど、それと同じだろうか? 

ま、いいや。とにかく、水分補給を何の苦も無くできる幸せな日々に感謝しているところです。

 

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そんなことはない?

先日、わたしが人間ドックを担当している壮年男性が1年ぶりに人間ドックを受診されました。彼は昨年、循環器内科の外来を受診して無症候性心筋虚血(典型的な症状はほとんどないけれど心臓の筋肉を栄養している冠状動脈の血流が落ちて十分な酸素が心臓の筋肉に届かない状態が起きていること:症状があれば『狭心症』か『心筋梗塞』です)が見つかったので、カテーテル治療(ステント留置術)を受けました。

その彼は長年とても頑固な頭痛に悩まされていたのですが、このカテーテル治療を受けた後、ウソのように頭痛が消えたのだそうです。何年ぶりかで爽快な気分になって、外来受診時に、「ありがとうございます。おかげさまであの治療のおかげで頭痛がなくなりました」と外来主治医に話したら、若い医者は「そんなことはありえない。関係ないよ」と一笑に付したのだそうです。

本人は苦笑いしながら冗談交じりにそんな話をしてくれましたが、わたしはそれを聞くなり、「その医者はなんでそんな云い方したんだろう?」と思いました。「へえ、そんなこともあるんですね。不思議だけど、それはラッキーでしたね」って云っておけばいいことじゃないの、と。治療で冠状動脈が拡張されたことそのものが頭痛に影響を与えることはないかもしれないけれど、それに付随した薬剤はたくさん加わったのだし、心筋血流改善がひいては全身の血管系の血流を改善させることになっても何ら不思議はない。別に因果関係に興味が無くても、現象として起きた朗報は一緒に喜ぶ余裕は欲しいよな、とか思ったりしました。

甲状腺全摘治療を受けて甲状腺ホルモン内服で管理している妻は、自律神経系の諸症状が術前より激しくなったり、今まで反応したことのないものでアレルギーが出たり、まあまあいろいろ悩まされています。でも、外来主治医に話してもほとんど鼻で笑われるのだそうです。「そんなこと聞いたこともない」と。「あんた、自分で飲んだことがないから分からないんだよ。何なら試しに甲状腺全摘して内服してみなよ。そしたら、わたしの云ってることがどういうことか実感できるさ、と云ってやりたい!」と、声を荒立てながらわたしに愚痴る愚痴る。でも、そんな彼女の様子をみるにつけ、身体の反応は必ずしも理論通りではないのだろう、ということを理解しております。

こういう理解のしかたが、『年季』ってやつなのかもしれませんね。

 

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スティグマとイナーシャ(2)

 Clinical inertia(臨床イナーシャ)ということばも今回の研修会で初めて知った単語です。

「Inertia」とは、”別の力を加えず状態が変化しない「慣性」であり、「治療目標に達していなくても、治療内容の再考など適切な対応をしないこと”とスライドには書かれていました。

どういうことかというと、少し検査値が正常に達していなくても「この次も正常にならなかったら何か考えましょう。とりあえず今回は今までの薬で様子をみましょう」と云ってしまって、そのまま次の受診時も、その次の受診時も同じような対処を続けてしまって、結局的確な治療変更や治療強化の機会を失ってしまうことへの懸念です。高血圧の治療とか、脂質異常の治療とか、わたしたち医者はついやりがちな過ちです。「まあまあなのだから、そこまで強い治療を強いなくてもいいのではないか」という思いがどこかにあるのだと思いますし、「薬を変える」ということに対して患者さんがイヤな顔をするのではないかと勝手に思って、ついいい顔をしてしまいがちになるのです。

「目標までもう少しだけど、治療目標を達成していないので、もう一度見直しする」という姿勢が重要で、ひいてはその努力によって患者さんの予後を良きモノに導き出せるのだという強き意志を持って治療をすべきである、という日本のクリニックの外来医師に対するメッセージであると受け止めました。

ちなみに、これは『高血圧治療ガイドライン2019 第14章 高血圧管理の向上に向けた取り組みと今後の展望 203ページ』に掲載されているそうです。お手元にお持ちの方は、一度ご確認ください。

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スティグマとイナーシャ(1)

今年は人間ドック健診情報管理指導士(人間ドック健診アドバイザー) 2020年度ブラッシュアップ研修会もWeb開催でした。Web視聴で単位をもらえるのはとても助かります。仕事を休まなくていいし、田舎の人間にとっては旅費や宿泊費が浮くのもとても助かります。

そのweb視聴をこの週末に行いました。講義を視聴する中で、気になった単語が、『スティグマ』と『イナーシャ』です(武田病院健診センター枡田 出先生「知っておきたい生活習慣病関連の臨床ガイドラインのポイント」から)。

『スティグマ』(stigma)は、特定の属性に対して刻まれる「負の刻印」・・・誤った知識や情報が拡散することで、対象者が精神的・物理的に困難な状況に陥ること、だそうです。

たとえば糖尿病は、完治する病気ではないけれど治療法が飛躍的に向上して血糖コントロールを十分に保つことができるようになり、現在は普通の人と何ら変わらない生活が送れるようになっています。それなのに糖尿病であるがために就職や昇級に影響を与えたり、あるいは「糖尿病の人はそもそも日常生活がだらしない」などという誤解を受けて誹謗中傷を受けたりするがために、自分が糖尿病であることを隠したりして治療勧告を無視して重症化するパターンが少なくないというのです。

あるいは、わたしたち医療者は、患者さんに対して「糖尿病患者の寿命は10年短くなる」とか「きちんと治療しないと重篤な合併症を引き起こすぞ」とかいう脅しの切り口で啓発しようとする傾向があります。わたしの大嫌いな『重症化予防』という切り口はまさしくこれだと思います。これは予防医療従事者や自治体の保健師さんとかはつい良かれと思ってやってしまいそうなことです。このネガティブな面の強調が”社会における糖尿病に対するスティグマを助長する”のだ、と講義では指摘されていました。

糖尿病は決して『治る病気』ではない。でも、『きちんと管理すれば普通の社会生活が送れる病気』であることをもっと強調すべきです。もっとも、わたしは「糖尿病はサバイバル系の最高峰の病気だから、何も食えなくてもたくましく生きていける」「他人が毒を食ってゴロゴロして平気な中で、"紳士淑女たれという人生を送らざるを得ない、選び抜かれた由緒正しい家系"なのだから一番健康的な人生を送れることになるでしょう」などと云って、発病前からもっと楽しく頑張る方法を提案している”変な医者”ではあります。

 

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マスク美人

マスクと云えば、わたしが医学生だった頃、夏休みを使って市中の公立病院の麻酔科の見学に1週間ほど行ったことがありますが、あのとき、当時の麻酔科部長が云ったことばを思い出しました。

「君たち、くれぐれも、仕事中のオペ室のナースを見て惚れたりするなよ!」

オペ室のナースはいつもマスクをして目元しか出していない。みんな美人に見える。オペ室のナースはいつもテキパキと仕事をこなし、器械出しなどもきちんとできる優れたナースが多い。でも、それが日常生活だと思ったら大間違いだぞ。そもそも、マスク外したら印象が全く違うから、外で出会って声かけられても、「だれ?」と思うことは多々ある。仕事のできるできないが日常生活の家事のできるできないとは関係ない。きちんとオンオフを切り分けられる力量がある。さらに人を見る力も養えられているからな。よほど自分に自信が無ければ太刀打ちできないかもよ。とまで云われたのを思い出しました。

今となってはとても失礼な話です。パワハラ・セクハラものかもしれません(笑)でも、たしかに一理あります。今はコロナ禍で多くがマスクで顔の半分以上を隠している状況です。うちの職場のように同じ年格好のお嬢さん方がたくさん働いているところでは、正直、誰だか区別が付かないことが多々あります。もともと美人さん揃いの職場なのにさらに涼しい目元しか見えないとなるとみんながマスク美人・・・よほど特徴的な声でもしていないと遠目ではわかりません。これで夏用に髪を切ったりなんかしたら、おじさんには識別能力ほぼゼロです。お店のレジのお嬢さんも受付のお嬢さんもゴルフのキャディさんもみんなマスク美人。逆に、テレビでわざわざ名前まで出されて紹介されているのにマスクでほとんど顔を売り出せない人をみると、もったいないと思うことしきりです。

でもこれで、急にマスクを外すようになると、対人関係がとても不安になる人がたくさん出てくるのではないかと懸念します。わたしですら、顔の表情(とくにだらしない口元)に自信がないから、それが隠せてラッキーとばかりに自信を持って相手を見据えて話せていたのに、それがなくなると、恥ずかしくて急に相手を直視できなくなるかもしれません。マスク美人が急に自信なげなモジモジお嬢さんに変わってしまうのは、なんかとてももったいない気がするのですが・・・。

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マスクの夢

昨日はご機嫌な夕食だったおかげで21時半には就寝し8時間睡眠でした(まあ、1時間毎におしっこ起床はしましたが)。熟睡はしましたが、途中で妙な夢をいくつか見ました。

一つは東京のどこかの駅構内(JRなのか私鉄なのか定かではない)の夢。ものすごい数の人で雑然としているのですが、ほとんどの人がマスクをしていない。していないおじさんが怪訝そうな顔でマスク姿の私をのぞき込んで通り過ぎる。「いいのか、こんなことで!」と愕然としながら歩いていたら目の前のガラスに映る自分の姿を見て愕然としました。なんと、私もマスクをしていないのです。「げげ、こんなところで無防備にマスクしてなかったら、感染するじゃないか!」と驚いたところで目覚めました。

次には大学時代の同級生が出てきました。今度は私はちゃんとマスクをしていました。彼は私を呼びかけるなり、「こんなマスクでも通用するのかな」と言って、隙間だらけの向こうが透けて見えるようなガーゼマスクを差し出しました。「これじゃやっている意味ないだろ」と突き返したら、「ふーんそうかなぁ」と内科医らしからぬことを呟きましたが、「じゃこれは?」と今度は小さな鼻眼鏡のようなおもちゃを出しました。「こんなのどこで買ってきたの?これじゃ、そもそもマスクじゃないし」と答えたら、今度は何も答えず受け取りました。そんな彼はマスクをしていませんでした。

わたし、ちょっと、マスクうつになってきているのでしょうか。

 

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今日は9月9日

今日は『救急の日』というより『重陽の節句』というより『湘南ベルマーレ戦の日』というより、やはり我が家では『インディの命日』。我が家の長男犬が玄関タイルの上に横たわって息を引き取った・・・あの時にも玄関で一緒に寝たなぁ。「あなたは仕事があるからベッドで寝てください」と妻に言われて途中からその場を離れたから、最後の姿に立ち会うことができなかったけれど、それまでの1週間、ずっと横に添い寝して勝手にいろんな会話を交わした・・・そんなことを思い出す日。

最近、今の愛犬セイラがよく寝るようになって、夜中には時々ボーッと立って自分がどこにいるのか分からなくなる時があるようだ。私が朝起きても数ヶ月前までのように一緒に起き上がって階下まで付いてくることが少なくなり、「目は覚めていますよ」と言いたげに横たわったまま尻尾だけは振る。歳取ったなあとつくづく思う。もっと日頃に刺激を与えてやらないとホントにボケそうだ。

そんな彼女が、昨夜夕食の後で急に立ち上がってじっと階下を眺めていたから、もしや、インディ君の気配があったとか?と、親ばかチャンリンは思ってしまうのであります。

こんな日に、頼んでおいたお酒が届いた(7日に予約していたけれど台風のために集配を停止していたY運送会社から)ので、やはりこれは、インディ君を忍んで一献いただきながら合掌!かな。そんな横で、すでにセイラは爆睡中。そんなセイラの誕生日はインディ君が逝って2ヶ月後だから、夫婦で勝手にインディ君の生まれ変わりと決めた・・・ということは、セイラ姫の歳はもうすぐ12歳か~。

 

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夏休みは何のためにある?

”特別な夏”を過ごした子どもたちが学校に登校していくようになりました。今年はコロナの影響で春から休校が長くなり、教育カリキュラムが消化できない分だけ夏休みが短くなったそうですが、それでも2週間以上はあったことでしょう(その前に何ヶ月もコロナ休暇があったんだから決して短くはないとオジサンは思うぞ)。

で、『短かった夏休み』だし『外出自粛要請』だし、「どこにも行けなかった」とぼやく子どもたちや「どこにも連れて行けなかった」と嘆く親たちのコメントを聞きながら、「ん? そもそも小中学生の夏休みはなぜあるの?」という疑問が湧いてきました。なぜなら、自分たちの夏休みなんて親にどこかに連れていてもらった思い出なんて数えるほどしかなかったからです。

夏休みは、学校教育法施行令第29条「学期及び休業日」でいう夏季休業日というやつ。なぜ休まなければならないか? 夏は暑くて授業どころではないからか? 私たちはそういう風に教わってきたけれど、今時の義務教育は教室に冷暖房完備なのは当たり前で、確かに今年は換気しなければならないからちょっと異様だけど、それでも教室はほぼ快適です。というか、そんな暑くて外を出歩くべきでないから休むのなら、どこぞにレジャーに出かけるなんて以ての外じゃ!と云いたくなる。「日頃の教室の座学では経験できないことを自由研究でさせる機会」とか「教師が自己研鑽の研修をする時間がないから」とか後付けの理由はたくさん書かれているけれど、そもそもの始まりはきっと欧米諸国のサマーバケーションの真似事ではないのかしら? 欧米諸国は年度の区切りが夏だから、夏に家族みんなで仕事や勉強の一切合切を忘れてすべてをリセットさせる習慣がある。日本が新しい教育制度を取り入れたときにシステムをそのまま真似たからこうなった、というのが真実じゃないのかしら? だから、日本の制度の場合は「春休みを2ヶ月くらい取って、新年度を迎える」というのが本当で、夏休みは短くても、あるは取らなくてもかまわないし、少なくとも真夏や真冬にあちこち遊びに行くのは危険だぞ!と云ってやりたい。

その点、大学は休みばかりです。夏休みが7月初めから2ヶ月、冬休みが12月初めから1ヶ月、春休みが1月半ばか2月初めから2ヶ月以上・・・1年の半分は休みです。その期間をバケーションしまくってバカチン頭になるか、やりたい研究に没頭して成果を出すか、人生、自分で切り開くのが大学というところです。”特別な夏”の前に”特別な春”も過ごした子どもたちも、同じように、この期間に煩悩にまかせて遊び呆けた子どもたちと好きなことに没頭して勉強しまくった子どもたちとでは、極端な差が出ていることでしょう。大学生は自己責任だけど、子どもたちは100%が親御さんの責任ですよ。

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Web研修会

9月に入って日本人間ドック学会の『人間ドック健診情報管理士2020年度ブラッシュアップ研修会』のWeb研修会が開始され、わたしも送られてきたテキスト資料を開いて勉強を始めました。今年は学会も研修会も軒並みWeb開催が主流になり、7月には日本心臓リハビリテーション学会のWeb開催に参加して、指導士に必要な15単位をしっかり獲得しました。

正直なところ、仕事を休むことなく、自分の好きな時間に好きなタイミングと格好で自己学習してそれで資格単位を得られるなんて、こんなありがたいことはないな、とこっそりコロナ禍に感謝しているところもあります。もちろん、仕事を堂々と休んで公費で他の都市のおいしい料理を食べたり観光地を時間の許す範囲で巡ったりできる学会出張を楽しみにしている人たちも多いでしょうから、彼らにとっては舌打ちモノなのかもしれませんが。

昨日はさらに『日本人間ドック学会認定医・専門医研修会』からもWebオンライン開催のお知らせが届いたので早速申し込みました。視聴閲覧の確認ができれば単位をいただけます。日本人間ドック学会総会そのものもWeb開催になるはずだから、これも申しこむことにしています。一方で、わたしが毎年参加を楽しみにしていた『日本抗加齢学会総会』もWeb開催で事前参加登録の締め切りが8月31日でしたが、結局申し込みを断念してしまいました。ずっと悩みましたが、急に面倒くさくなってしまって・・・必要な資格単位をとるわけではないから、というのが最後の決め手でした。

Web学会、Web研修会は自分のペースで取り組むことはできますが、裏返せば自己学習の面倒くささがあります。独り、パソコンの前に座って動画視聴をし、課題を独りで考えて入力していく地道な作業・・・マジメに取り組んでも不マジメに取り組んでもそんなに差はないであろう作業・・・『自己学習』って本当に自分との戦い以外の何物でもないのですね。コロナのためにいまだに一度も大学キャンパスに足を踏み入れることもできず、ずっとオンライン授業をこないしている大学生が、「ずっと独りで誰とも関わらず孤独な毎日で、実力は本当にちゃんと付いているのか不安」「こんな通信教育を受けているのと変わらないような生活で、何のために大学に入ったのかわからなくなった」と悩んでいるのを先日テレビニュースで見ましたが、それが良く理解できる気がします。

 

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あごマスク

最近、あごマスクしている人をよく見かけるようになりました。車の運転をしている人(とくにトラックや営業車の運転手)だけでなく、自転車に乗ってる若者や、道を歩く老若男女まで、さらに職場のドクターとかにも廊下を歩くときにはあごマスクって御仁、少なくありません。たぶん猛暑で暑ぐるしいからしているのだと思うのですが、「そんなら外したらいいのに」といつも思ってしまいます。

だって、どう考えても不潔でしょ。ずっと口を当てていた場所を今まで埃と汗にまみれてきた顎の皮膚に直接当ててるんですよ。暑いから汗だらけになっている皮膚に当てて、汗で濡れたマスクをまた口に当てるんですよ。まだ、鼻だけ出してずらしてはめている人の方がマシだと思います。

同じ不潔操作なら、一旦外してポケットにでも入れておいて必要な時(人通りが多くなったり、人と接触する仕事の場になったりした時)に取り出してはめる方がリーズナブルです。「だって、マスクを外すと、マクス警察に攻撃されるじゃないか!」と思っているのかもしれませんが、あごマスクしている人を見て「マスクしている」なんて考えてはくれません。持っているんならちゃんとはめろ!と逆に説教されるかも。そもそも、まわりの人がそう思うような場所では当然あごマスクではなくて口にきちんと装着してなければならないのです。

ま、とにかく、あごマスクはみっともないのでやめてほしいなと思います。

 

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コロナ太りとコロナやせ

昨日愚痴っておいたけど、一応、メモくらいは記録しておきましょうか。

<コロナ太りとコロナやせ>

そもそも「動かなくていい」という大義名分をかざせば動かなくなるのは人間の性分なので、てきめんに影響を受けた人が『コロナ太り』・・・「コロナ太りなんですよ~」とあたかもコロナが全部悪いかのような言い訳をするわけです。一方で、外出を控えてランチやディナーの会食会議ができなくなった人たちはどんどんやせていく『コロナやせ』・・・人間にはホメオスターシスという大きな力があって、何が起きてもすぐに元の状態に戻そうとするはずなのに、それをも凌駕するほど新型コロナは恐ろしいモノなのかしら?

<今だけだから?>

「ずっと運動していたんですけどね、コロナのせいで動けなくなってしまったし、テレワークになったせいで家から出ずに食べてばかりだから、ですね~」と云いながら、悪びれることなく出てきたお腹を擦る・・・自己分析はみんな完璧なのです。なぜ、堂々としているのかといえば、大義名分があるから。「だって、自分ではいかんともしがたいことだからしょうがないのだもの」って。

あー情けない話じゃ。

 

 

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