『新しい生活様式』
定期発行の機関誌が発行されましたので、いつものように定期掲載のコラムを転載します。この原稿を書いているときに、「まだこんな過去のことを書いているの?」と嘲笑されることを期待していましたが、どうも、目論見は外れてしまいました。まだまだコロナ禍はアフターになりそうにありません。
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『新しい生活様式』
この原稿が掲載される頃、社会は一体どうなっているでしょう? 突然襲ってきた新生物が世界中を恐怖に巻き込んだまま出口も見えないのに、さらに大雨が地方都市を一瞬にして呑み込んだかと思えば次は連日の体温越えの猛暑。昔観たSF映画の様に、地球が人間の生きる場所ではなくなる・・・そんな不安を抱きながらこれを書いています。
今年はきっと歴史に残る年になります。「今だけだから、もう少しだけがまんして」と言われながら、一体どれだけ頑張ってきたことか。新型コロナの出現は、社会のあらゆることを根本から変えました。不幸にして生活の糧を失った方もいます。学校も職場も家庭生活も通勤も遊びも買い物も宴会もスポーツもコンサートも、何もかもが1年前とは全く違います。でも、そんな中で私たちは意外と強(したた)かに生きています。「ステイホーム」「コロナ太り」「3密」「ソーシャルディスタンス」「自粛警察」・・・いろいろな用語が生まれ、最初は恐怖と絶望に打ちひしがれていたのに、いつの間にか手洗いもマスクも日常になりました。自作マスクや柄入りマスクは当初は異様でしたし「真夏にマスクなんて」と思いましたが、気付けば可愛いデザインや新性能の品物を手に入れて皆がオシャレに着こなしています。テレビ会議やオンライン授業やライブ配信のコンサートにも慣れました。もしかしたら、コロナ禍は人類の進化の過程の必然だったのかもしれません。そもそも未経験の出来事に対しては正解がありません。すぐに前の生活に戻るかもしれないし、これがニューノーマルに変わるかもしれない。「2020年は大変な年だったね」となるのか「2020年までは原始的な生活をしていた」と歴史の教科書に載るような変貌をとげるのか、それはもうしばらく経たないと分からないことです。
ただ、私が一つだけ気にしているのは、“直接触れ合えなくなること”への危機感です。IT化が進み、バーチャル空間のもとで「場所の壁や時間の壁を取り去り、働き方や勉強やコミュニケーションのあり方に全く別の生き方を選択させる」と某学会誌に書いてありました。夢の世界の実現がコロナ禍のおかげで加速された感じですが、バーチャル体験ではどうしても体現できないのが“触れる”ことです。直接手をつなぎ、肌が触れあい、吐息を感じることで繋がり合い、癒やし合える。それが人間です。ともに口角泡を飛ばして語り合い、ともに歌い、ともに感動し合うこと・・・それはバーチャルでは偽物になるのではないか・・・こんなことを考えること自体が古い人間の杞憂でしょうか。この正解もまた、時が経って初めて分かることでしょう。
唯一今分かることは、「巣ごもり生活のせいで太ってしまって」という“コロナ太り言い訳”はそろそろ通用しなくなってきたということですかね。
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