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2020年11月

コーヒーは痩せる?

<コーヒー+パンの朝食がメタボ抑制?―京都府医大>

「朝飯はごはんやろ!」というのが信条のわたし(まあ、そもそも『朝飯は食わない』がポリシーではありますが)には、この結果は認めたくないところではありますが、事実は事実なのでご紹介しましょうか。「J-MICC STUDY(日本多施設共同コーホート研究)」のデータ から分析して「Nutrients」に10月11日掲載された 京都府立医科大学大学院医学研究科地域保健医療疫学の小山晃英氏らの研究結果です。

「コーヒー摂取回数が多いほど内臓脂肪面積が小さい」
「コーヒーを1日1回以上飲む人は、内臓脂肪型肥満やメタボリックシンドロームの有病率が有意に低い」
1日1回以上のコーヒー+朝食にパンを食べる人は、肥満、内臓脂肪型肥満、メタボリックシンドロームの全ての有病率が有意に低かった 」
「1日1回以上の緑茶+朝食にパンを食べる人も、肥満とメタボリックシンドロームが有意に低かった」

つまり、「コーヒー摂取回数が多いほど内臓脂肪面積が小さくなり、1日1回以上のコーヒーの摂取習慣のある人では、内臓脂肪型肥満やメタボリックシンドロームの有病率が低いことが明らかになった。さらに、コーヒー摂取に加え朝食にパンを食べる人では、内臓脂肪型肥満やメタボリックシンドローム有病率がより低かった」というものです。

まあ、「コーヒーにはエネルギー消費を増やす作用が報告されていることや、朝食にパンを食べるとそれに合わせてコーヒーを飲む機会が増える可能性がある」という考察から考えると、パンの問題じゃないんじゃないの?と思わずには居られないのですが、どうでしょう。「朝はパンじゃなくてご飯の方が熱量が上がって体温を上げることができるから、絶対に朝食は和食にするべきなんです」と熱く語ってくれる保健師さんがおります。わたしもどちらかというとそっちの意見に賛成なんです。わたしの友人に「朝のコーヒーだけは譲れない」という女性がいますが、彼女は会う度に身体が膨らんでいるように見えるんですが、これは?(笑)

 

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フェイスシールド

新型コロナ感染の第三波が本格化してきて、熊本県でも危機感が増してきました。ウチの職場でも、各自にフェイスガードシールド(眼鏡タイプ)が配られました。「人間ドックの結果説明のときには、これを装着してください」とのこと。

まあ、装着することには何の異議もないのですが、「これ、使い捨てなの?」と聞いたら、「在庫はそんなにないから半永久的に自分保管で使ってください」との返事。お互いにマスクしている状況で、相手のマスクを通り越しての飛沫を防御するためにフェイスシールドをするわけでしょ。そんな飛沫を浴びたフェイスシールドをしたまま次の受診者に対峙して良いのかしら? 「汚れたら拭いて使ってください」って、どの程度を”汚れた”と云うのかしら? 「気になるなら、ひとり説明する毎に拭いたら?」と云われたけど、半端にアルコールで拭いてたら曇って見えなくなるんじゃないの? 何で拭くの? なんて、独りでディスりまくり。

「そもそも、診察のときにはしなくていいの?」と聞いたら、「診察は長時間じゃないかいい」と。「結果説明だって、10分くらいだよ」と云ったら、「15分以内と分っているならしなくてもいいですけど」と。あ、要するに『濃厚接触者』の定義に合致しないようにしたいわけかい。そういえば、先日熊本市役所にマイナンバーカードを受け取りに行ったときに係の職員さんはみんなマスク+フェイスシールド姿でしたし、彼らは何人も相手するけど拭いたり交換したりはしてなかった。あれと同じことなのね。ま、彼らは自前の布マスク、私らはサージカルマスクという点がそもそも違いますけどね。

そんな文句を家に帰ってから妻にグチってたら、「職場で、面倒くさい男だと思われているやろうね」と云われました。けだし正論。文句云わずに、静かに粛々と使わせていただきます、はい。

 

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筋肉量の問題?

年一回の恒例になった、職場のダイエットプログラム『Wellness Program』。今年も担当保健師さんが活動量計(自称『まめ太郎2020』)を持って来ましたのでいよいよスタートしました。

今年のわたしの勝手に考えたテーマは『いつもとはちがう冬スペシャル』(なんのこっちゃ)。この日のためにしっかり食べてしっかり酒飲んでお腹をしっかり膨らませておきましたから、「待ってました!」という気持ちです。昨年は冬スーツが入らないくらいの膨らみ方をして特別な危機感満載でしたから、腹囲マイナス10cm、体重マイナス7kgという驚異の成果を得ることができましたが、3ヶ月くらいしか持ちませんでした(3月に終わって夏の頃にはすでにベルトがきつくなっていましたから)。わたしの場合は決して”コロナ太り”ではなく、「ま、また、冬になればイヤでも頑張るんだから」という安心感が邪魔をした感じ。

開始時の腹囲を測ってもらいました。99~91cmでした(目一杯膨らませたときが99cm、目一杯引っ込めたときが91cm)。完全に想定の範囲内、ちっとも驚きません。だって、昨年は開始時が97cm(標準的な膨らませ方)で終了時が87cmでしたから、簡単に凹むはずです。ところが、体組成計で体重を量ったら、77.6kg(体脂肪率19.4%)でした。「へ、そんなに少ないはずなかろ?」と思って計り直ししてみたけど77.5kg。変わりません。因みに、昨年の開始時の体重はたしか81kg(22.0%)で、終了時が74kg(17.2%)でした。お腹が1年前と同じレベルまでリバウンドしたのに体重がそれに追いついていないというのはどういうことでしょう。妻の作るにまかせて炭水化物減らしてタンパク質メインにする食事が効いているということかしら? それとも、お腹の脂肪だけしか増えられなくなった(今までは皮下脂肪メインだったのに今年は内臓脂肪が増えたとか)? あるいは筋肉が縮んでしまったとか? この季節に80kg超えしてなかったことなんか長いことなかったので、返ってショックだったりしますが・・・だから、こんなにお腹が膨らんだのに外見上あまり太ったように見えなかったんですね。これが、歳というものだったらイヤだな~。

ま、とりあえず、頑張りましょう。今回のチェックポイントは『アル中からの脱却』ができるかどうか、です。

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劣化

最近、一気に顔が劣化したなぁ。

「そんな歳には全然見えない。若いわ~」と云われてほくそ笑んでいたのはほんの5年前くらいだった。

けれど・・・今の顔は見るからにじいちゃんだー!

ほっぺのシミも濃くなったけど、皮膚の色もシワもこの1年で一気に劣化した~。

これ、コロナ禍の影響かもしれない。マスクして生活しているから、油断してしまった感満載。

どうでもいいや、って。

あーん。悔しい。

 

 

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ありがとうねっ!

今日はお鍋でした。夫婦で美味しく食べ終わった後、卓上お鍋のコンセントを外してコードを折り曲げてまとめていたら「いつも片付けてくれてありがとう」と妻がねぎらってくれながら、取り上げられました。「ありがとう」と云いながら、折り曲げ直しをしています。「あ、そのまとめ方じゃいけないのね」と云ったけど、笑いながら無視されました。どうも、しまい方がそもそも彼女の流儀と違うらしい。いらんことをしたのかも。

そういえば、遠い昔、中学校の修学旅行で京都の旅館に泊まったときのことを思い出しました。班長をしていたわたしは、朝、みんなに指示して、使った布団を全部畳んで部屋の片隅に積み上げました。「よし」と満足したところにバイトっぽい大学生がやってきました。布団の整理をするため。「えへへ、どうだい」と露骨な顔はしなかったけれどちょっとドヤ顔で構えていたら、彼がニコニコしながら、「うわ、畳んでくれたんや! ありがとねっ」っとお礼を云うなり、上から順番に片っ端から畳み直し始めました。「たたみ方が違ったんやな。イランことしただけやん」と友だちが笑いながら囃し立てましたが、彼は手を休めることなくこっちを向いて「そんなことないよ。ここに積んでくれてたからめちゃくちゃ仕事しやすい。さすがやね、班長」と相変わらず優しい顔で云ってくれたのでした。

なんか、とても恥ずかしかったからその後にどう反応したのか忘れてしまいましたが、あの時のお兄ちゃんの笑い顔だけは忘れられません。とてもかっこいいお兄ちゃんでした。

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背の高いお嬢さん

最近の若いお嬢さんの中には普通にスラッと背の高いお嬢さんがたくさんいます。うちの職場スタッフの中にも数名、モデルさんかと思うほど足が長くてスタイルの良いお嬢さんがおります。

そんな彼女たちを眺めていると、とても姿勢が良いことに気付きます。だからこそ立ち振る舞いがモデルさんみたい、と感じるのかもしれません。昔から、背が高いとちょっと目立って恥ずかしくて、そのためについつい猫背になりがちでした。私の身長は175~177cmくらいですが、小学校の頃からすでに170cm弱あって、飛び抜けていた(さらに足が短いから座高が異常に高かった)ので、つい猫背になり、結局そのまま今でもどれだけ胸を張っても格好悪い、それがコンプレックスなのであります。けれど、彼女たちは、堂々としています。おそらく、幼少の頃からそのスタイルが当たり前で、そういうことへの劣等感がなかったのでしょう。周りにも同じような人が複数いたのかもしれません。あるいは、脚が長いから、私と違って、座っていると目立たなかったのかもしれません(笑)

そういえば、最近になって、お嬢さん方の姿勢があまり悪くない気がしています。一時期、履き慣れないハイヒールなど履くがために背中を曲げて歩く女の子がとても多かったし、スマホを弄るのでいつも猫背だったりして、歩く姿が”類人猿みたい”と思うことが多々ありましたが、最近はそうでもない。あれは靴の進化のおかげですか、それともSNSなどを通して若い子たちの意識が変わったおかげですか? どちらにしても、姿勢のいい若いお嬢さん方が街中を闊歩する風景って、とても爽やかで良いことだと思います。

 

 

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粛々と第三波

見事に爆発してきました。

「GoToが悪いのではない、GoToを利用する人各々の努力が足りないのだ」という。「みんなで飲食店に行くのは問題ないけれど、食べるときにマスクを外して大声でしゃべるのが悪いのだ。マスクを外したときにしゃべらずに静かに食事をすれば感染はしない」と、真面目な顔をして専門家が解説しておりましたが、これ本気で云っているのだろうか。何のために連んで飲食店に行こうとするのか。そんなことするくらいならテイクアウトして家で独りで食べる方がマシではないか・・・そんなことを思いながら、確かにうちの職場の休憩室もいろいろ椅子の配置やパーテーションの工夫を凝らしてみているのに、結局2人3人そろえば無防備に談笑している。談笑してはならないと云っているのではなく、「食べる時は食べることに専念し、食べ終わってマスクをしてから話せばいいじゃないか」と、私もよく思います。私は、食事中に話をするのが苦手で黙々と食事する習慣なのでそういうことに全然抵抗はないのだが、ヒトは集えば話さずにはおれない生き物なのだろうか。

「『Withコロナ』(何度聞いても『みずころな』と聞こえる)だからどんなに注意していても罹ってしまうものなのだ」とテレビでは云われているけれど、「本当なのかな?」と思ってしまいます。これだけ長い期間を経過しても、私の周りは元より、関東・関西の友人・知人の中にも、いまだにひとりも感染者がいない(感染したというはなしを聞かない)のです。これはどういうことなのだろうか。私は「医療者だから」と云われてしまえばそれまでだけど、少なくとも特別なことは何もしていない。サッカー応援にもプライベートのゴルフにも行っているのに色々考えてみても感染する要素がどこにあるのかわからない。普通に標準予防策を行い、普通にマスクして、普通に手洗いして、外で食事するときには話さず、夜の街に出かけない(今の世の中、普通のことだらけ)ならば、感染するはずがない(これから何が起きるかわからないので大きなことは云えないけれど)のではないか、としか云いようがない。

そろそろ一般論と統計学で集約的に報道するのをやめて、具体的に何が悪いのかきちんと解説してほしいものだわ。あるいは、自分の行動は問題ないのかあるのかチェックして判定するソフトくらい提供してほしいものだ(結果に責任持つなら、無料でなくてもすぐダウンロードするよ)。

 

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どっちが幸せ?

自分の大好きな食べ物が目の前にあふれるほど大量にあって溺れるように食ってもまだたくさんある、という状態に憧れたことのある人は少なくないでしょう。「しあわせー!」としみじみ思うのでしょうか。方や、大好きな食べ物がほんの一食分だけ確保できて、それを食べたくなったときに大切に何度も何度も噛みしめながら味を堪能する。「しあわせだな~」と思う。

究極の選択として、どちらが幸せでしょうか。前者の方に決まっていると答える人が圧倒的に多いと思っていましたが、最近はそうでもなくなってきているのかもしれません。浴びるようにいつでも食べられる幸せはすぐに飽きてきてしまうことを知っていますから。せっかく食べるなら、”のどごしだけの満足(同じ味をつけた石ころ飲み込んでも同じ、みたいな)”よりも”五感すべてを満たしてくれる満足”の方が良いことはすぐに実感するはず。

ただ、たくさんあることによる「いつでも手に入る安心感」はやはり捨てがたい魅力。一食分だけの幸せでもそれが定期的に供給されると分かっていたら安心できるけど、今度はいつ手に入るか分からないとなると、急に心許ない。『食べ物』を『お金』に置き換えた方が実感しやすいのかも知れません。一生のうちには使い切れないような大金持ちになりたいとは思わないけれど、来月の生活がどうなるかわからないような貧乏にはなりたくないと思う。だから、マジメに働いてほどほどの貯蓄を持っておこうとするのでしょう。生活のことを気にせず毎日を過ごせるならば、別に遊んで暮らすのではなくて毎日きちんと働くのだとしても何ら不安は湧いてきません。

「幸せ」って何だろう。哲学や概念論の話ではなくて、理屈や倫理観で論じるのではなくて考えてみるとき、わたしが最優先にしているのはやはり”安心感”なのだろうなと思います。そして、今はそれが先行き不透明だから幸福感に浸ることができないのだろう。そんなことを考える今日この頃なのであります。

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県民性の恐ろしさ

毎朝、出勤のために愛車を運転して信号待ちしていると思うことがあります。

運転していると、信号機が青になったから出ようとすると赤になっているはずの交差車線から数台の車が交差点に突っ込んできます。あるいは右折車線で矢印信号に換わったから出ようとすると対向車線の直進車が我が物顔で交差点に突っ込んできて進路を邪魔します。これは、熊本でのドライバー生活を始めた昭和の終わり頃から全く変わらないので、”熊本人の県民性”だと心得ています。

一方、隣県大分では、オートレースさながらに、信号が青に換わる瞬間を皆がまんじりともせずに待ち構えていて、換わった瞬間に飛び出てきます。これが”大分人の県民性” 第一歩を隣の車に負けてはなるモノかと云わんばかりの飛び出方です。

おわかりでしょうか。大分県民と熊本県民が交差点で出くわしたらどうなるか。方や青になった瞬間に飛び出す車と、方や赤になっても交差点にツッコんでくる車・・・この両県で長い間運転をしてきたおかげで、基本的に安全運転になってきた(周りがまったく信用できない)わたしであります。

「大分の運転は交通違反じゃないけど、熊本の運転は完全なる交通違反だね。熊本の方が犯罪者だね」と冷静な分析をするのは妻、根っからの熊本県民であります。

 

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性(さが)との戦い

予防医療に携わりながらちょっと空しい気持ちになるのは、いわゆる”死の四重奏、五重奏”で、「今夜心筋梗塞で倒れても別に驚かないぞ」という検査データの受診者にどれだけ脅しをかけても、基本的にピンときてないだろうことが見て取れるときです。

わたしが救急医の現役だった頃、夜中の救急車で搬送されてくる急性心筋梗塞患者さんの多くが、今、目の前にしているような人ばかりだったわけですが、何の徴候もないのに将来の危険性の回避のために行動変容を起こすというのは至難の業だということを承知しています。一回、生命に関わるようなひどい目に遭わないとヒトの人生観は変わるモノではありません。急性心筋梗塞で緊急入院して九死に一生を得た患者さんは、入院後にそれまでの人生を反省し、「これからは改心しよう」とココロに決めるというのは良く耳にしますが・・・。

その後見違えるような節制人生を送るのですが・・・5年もすれば当時の改心も忘れて元の生活に戻ってしまって・・・その頃合いに再発作! 心筋梗塞を再度発症してしまうのであります。「あのときあんなに肝に銘じたはずじゃなかったんか!」と自分からも他人からも突っ込みを入れられるわけですが、いやいや、これこそが人間の性(さが)・・・そう簡単には悟りを開けはしないのであります。そういう点では、暴走族ややくざの道から足を洗って堅気の人生になる、というよりはるかに難しい。例えは悪いけれど、大麻中毒や不倫癖や窃盗癖の方に近いのかもしれないと思います。『行動変容』というモノは、それが一生もんになればなるほど、それまでの生活様式や人生観まで変えてしまわねば成立しないモノなのであります。

 

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インフルエンザ2

「インフルエンザに罹ったことがない」という人には大きく2つのパターンがあります。

1つは、罹っていることに気付かない人。大した発熱もなく症状も軽く、「風邪をひいたみたい」と思っている人です。厄介なのは、本人の症状は軽いけれど周りにうつすリスクは普通の感染者と同等にあるということです。ちなみにわたしも昔一度このパターンの疑いをかけられたことがあります。風邪症状があるし倦怠感が強いけれど体温を測っても微熱だけだから「インフルじゃない」と云い張って隣県にスポーツ観戦に行ったりそこで忘年会したりしました。そのとき一緒にいた友人には何も問題なかったから「ほれみろ!」と胸を張ったけれど、数日後に妻が高熱を出し、病院でインフルの診断を受けました。妻は「わたしがうつしたのだ」といまだに云っています。

もう1つのパターンは免疫力が高くて本当に感染しないか、してもきわめて軽症で終結する人。家に籠もって厭世的な生活を送っている人なら当たり前ですが、普通に社会で生活している人でこんなパターンの人は決して少なくありません。おそらく、こんなパターンの人は、新型コロナにも強いのだろうと推測します。

なお、わたしは仕事の都合でやむを得ず早々に予防接種をしました(させられました)。わたしの妻は接種することができません。アレルギーによる副反応が強くて受けられないのです。だから、わたしが外から家に持ち込まないようにしなければならないのです。

 

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インフルエンザ

「わたしはこれまでインフルエンザには罹ったこともないのですが、周りのお友だちが『今年はちゃんとインフルエンザの予防接種を受けておいた方がいい』としつこく云うんです。どうしたらいいでしょう?」とわたしが担当する受診者さんから質問を受けました。

後期高齢者の彼女は多くの持病を抱えており、最近圧迫骨折を繰り返してほとんどが家の中の生活をされています。今年は新型コロナとインフルのダブル感染が懸念され、持病を持つ高齢者は積極的に予防接種を受けることを国は推奨しているようです。でも、方や、今年はインフル患者が異常に少ない。これは新型コロナの予防対策が日本中で徹底した(外では全員がマスクをし、ことある毎に手洗いや手消毒をし、至る所で非接触型体温計が設置されている)おかげでしょう。それを考えると、少なくとも例年よりインフルに感染する危険性が高くなっているとは思えません。インフルエンザの予防と新型コロナの予防は全く同じ(むしろ新型コロナの予防の方が格段に厳格)です。それでなくても持病があるから例年より感染の標準予防策を徹底しており、しかも食べ物の買い物以外はほとんど家を出ない生活をしているくだんの女性にとって、ことさら今年インフルエンザの予防接種を受けなければならない理由がみつかりません。

だから、「しなくてもいいんじゃないですか」と答えました。

「でも、予防接種をしないと友人たちが家に遊びに来てくれなくなるんじゃないかと心配なんです」と返事。そりゃ、逆に、周りのお友だちがきちんと標準予防策を徹底すればいいことでしょ。インフルの予防接種は受けたら罹らないのではなくて重症化しないだけですから、感染者が近づいたら元も子もありません。それは、今年に限ったことではありますまい。

先日は「今まで予防接種を受けたこともないのだけれど、今年は受けておいた方がいいのかな」と県外の友人から相談を受けましたが、これもまた同じ。新型コロナに罹らないように注意する以上の特別なことは必要ないと思っております。

 

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暴飲暴食

「わたしはむかしから暴飲暴食なんか全然してないんだけどな」
先日人間ドックを受診したご婦人が、そう呟きました。

わたしは、「してるさ! 単にしてないと思い込んでいるだけさ!」
と、本人のカラダの訴えを躊躇なく代弁してあげました。

だって、そうじゃなきゃ、毎年毎年こんなに脂肪肝と内臓脂肪の増加が認められるはずがないでしょ。

もっともっと自分のカラダと対話してください。カラダの訴えを聞いてやってください。

アタマとの対話じゃダメですよ。アタマにカラダと対話させるのもNG。
だって、絶対にアタマに云いくるめられてしまうに決まっているのだから。

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