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性(さが)との戦い

予防医療に携わりながらちょっと空しい気持ちになるのは、いわゆる”死の四重奏、五重奏”で、「今夜心筋梗塞で倒れても別に驚かないぞ」という検査データの受診者にどれだけ脅しをかけても、基本的にピンときてないだろうことが見て取れるときです。

わたしが救急医の現役だった頃、夜中の救急車で搬送されてくる急性心筋梗塞患者さんの多くが、今、目の前にしているような人ばかりだったわけですが、何の徴候もないのに将来の危険性の回避のために行動変容を起こすというのは至難の業だということを承知しています。一回、生命に関わるようなひどい目に遭わないとヒトの人生観は変わるモノではありません。急性心筋梗塞で緊急入院して九死に一生を得た患者さんは、入院後にそれまでの人生を反省し、「これからは改心しよう」とココロに決めるというのは良く耳にしますが・・・。

その後見違えるような節制人生を送るのですが・・・5年もすれば当時の改心も忘れて元の生活に戻ってしまって・・・その頃合いに再発作! 心筋梗塞を再度発症してしまうのであります。「あのときあんなに肝に銘じたはずじゃなかったんか!」と自分からも他人からも突っ込みを入れられるわけですが、いやいや、これこそが人間の性(さが)・・・そう簡単には悟りを開けはしないのであります。そういう点では、暴走族ややくざの道から足を洗って堅気の人生になる、というよりはるかに難しい。例えは悪いけれど、大麻中毒や不倫癖や窃盗癖の方に近いのかもしれないと思います。『行動変容』というモノは、それが一生もんになればなるほど、それまでの生活様式や人生観まで変えてしまわねば成立しないモノなのであります。

 

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