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どっちが幸せ?

自分の大好きな食べ物が目の前にあふれるほど大量にあって溺れるように食ってもまだたくさんある、という状態に憧れたことのある人は少なくないでしょう。「しあわせー!」としみじみ思うのでしょうか。方や、大好きな食べ物がほんの一食分だけ確保できて、それを食べたくなったときに大切に何度も何度も噛みしめながら味を堪能する。「しあわせだな~」と思う。

究極の選択として、どちらが幸せでしょうか。前者の方に決まっていると答える人が圧倒的に多いと思っていましたが、最近はそうでもなくなってきているのかもしれません。浴びるようにいつでも食べられる幸せはすぐに飽きてきてしまうことを知っていますから。せっかく食べるなら、”のどごしだけの満足(同じ味をつけた石ころ飲み込んでも同じ、みたいな)”よりも”五感すべてを満たしてくれる満足”の方が良いことはすぐに実感するはず。

ただ、たくさんあることによる「いつでも手に入る安心感」はやはり捨てがたい魅力。一食分だけの幸せでもそれが定期的に供給されると分かっていたら安心できるけど、今度はいつ手に入るか分からないとなると、急に心許ない。『食べ物』を『お金』に置き換えた方が実感しやすいのかも知れません。一生のうちには使い切れないような大金持ちになりたいとは思わないけれど、来月の生活がどうなるかわからないような貧乏にはなりたくないと思う。だから、マジメに働いてほどほどの貯蓄を持っておこうとするのでしょう。生活のことを気にせず毎日を過ごせるならば、別に遊んで暮らすのではなくて毎日きちんと働くのだとしても何ら不安は湧いてきません。

「幸せ」って何だろう。哲学や概念論の話ではなくて、理屈や倫理観で論じるのではなくて考えてみるとき、わたしが最優先にしているのはやはり”安心感”なのだろうなと思います。そして、今はそれが先行き不透明だから幸福感に浸ることができないのだろう。そんなことを考える今日この頃なのであります。

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