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2021年1月

寝癖

最近、ごま塩アタマの寝癖がなかなか直らなくなって、この歳になって初めて毎朝ドライヤーでセットして出勤するようになりました。そんな私のアタマ、土曜出勤の今日はどうしても補正が効かない飛び跳ね方してて、結局そのまま出勤したけれど、受診者に偉そうなことを説明しながらどうも間抜けな後ろ髪(特に左側=受診者側)が説得力を奪っている気がしてしょうがなかったのであります。

本来なら今日か明日に散髪に行くはずの日(わたしの習慣は1ヶ月に1度のスパン)なのだけれど、最近若いときほど髪も伸びなくなってきていて、別に急がなくてもそうは困らないと思うから「来週でもいいかな」とか昨夜洗面所の鏡を見ながら思ったのですが・・・今朝のまとまらなくなった髪はやっぱり切りそろえてもらわなきゃダメだ! みっともなくてしょうがないわ。と凹んだわけです。

むかし、わたしが子どもだった頃、若くして髪がとても薄かった父親に家族みんなで「そのアタマで散髪してもらう必要あるの?」「どこ切ってもらったの?」と母と一緒にからかったものですが、「そうか、こういうことか」と今になって分った次第であります。お父さん、あんなこと云ってゴメンナサイ。

ということで、「明日は朝散歩の後に必ず散髪に行こう!」と誓った次第です。明日行こうと思う理由はもう一つ。ちょうど1年前にも思ったこと・・・行ける時に行っておかないと、1週間後に2人(私と散髪屋のお兄さん)が無事に会える保証はまったくない。それが新型コロナなのであります。

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時間が余っても

健診の世界では、この季節になるとどの施設でも1年の中で一番時間に余裕ができる時期になります。シーズンオフになるからです。今年度は春に新型コロナ感染症流行の第一波があって数ヶ月見合わせをした受診者の下半期への予約移動があったり、密を避けるために受診者数制限をしたりして例年とは若干様相は異なりますが、逆に個人受診者は今年の人間ドック受診そのものを見合わせる人も少なくありませんでした。そのため、空いた枠に職員健診を実施したりするのですが、とにかく午後の結果説明を行う人数が少ないために、この時期だけは夕方に時間の余裕ができます。

この生じた隙間時間に、ずっと先延ばしにしていた業務(依頼原稿書きやe-learning実施など)をしようと思うのですが・・・なかなか踏み出せずにいます。いや、大したことではないのだからやればいいだけのことなのですが、それができないのです。なぜなんでしょうね。ついつい、スマホを弄ってみたり、あるいはこうやってこんなどうでもいいブログを書いてみたりして逃避するわけです。注文された商品を作るのに毎晩夜中まで作業をしてその結果として体調が今ひとつの妻に、「昼間にソファに横になってゲームしたり録画貯めした韓流ドラマを見たりする時間に作業したらそんな遅くにならずに済んで早く寝られるんじゃないの?」と云うととてもイヤな顔されて「分かってるわよ、そんなこと。でもできないのよ」と反論される・・・それと同じなのでしょう。

今日も、結局何もしないまま定刻になって、退勤打刻して帰ってきました。むかしはこういう生活がすごく情けなくなっていたものですが、今は「まあ、明日すればいいことだし」と割り切ってしまう。いいことなのか、悪いことなのか・・・。

 

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昨日は産業医の日

熊本市の感染者数が日曜に5人になったのでこのまま終息かなと期待したけど、月曜はまた15人、そして昨日は5人で今日は10人。まだまだではありますが、それでも地方都市では一応年末年始に都会からシャッフルされてきた分がやっと落ち着く雰囲気です。病院や施設のクラスターは、ある意味いかんともしがたいけれど、意外に都会より地方や田舎の方が起こりやすい印象を受けるのは、やはり感染に対する考え方が甘いのだと言わざるを得ません。職場の職員もそうだし患者さんや入所者本人だけでなくその家族も・・・周りが知った人ばかりだから厳しいことを注意できないところもあるんじゃないかと思います。

そんな状況の中で、昨日は2週間に一度の産業医勤務でした。2週間前は、熊本市が医療非常事態宣言を出した直後だったのでリモートにしてもらいました。その後、熊本県が独自の緊急事態宣言を発令しましたから扱いとしては今の方が厳しいわけで、熊本市中心街に社屋のある会社ですし、本来なら昨日もリモートにすべきでしたが、昨年末から溜まった健診結果の報告書作りをしなければならないのと長期休暇後の復職面談が予定されていたのでどうしても出勤したい・・・ということで、出勤してもいいかどうかをうちの職場のTQM室に打診しました。そうしたら、こんな確認が来ました。

① どうしても出張が必要なのか? Webで解決できないのか?
② 1名あたりの面談時間と面談室の環境は適切か?(ソーシャルディスタンス や 換気など)

もちろん、個人情報が絡むので①は必要だし、②はきちんとできていることを伝えて出勤しましたが、実は復職のための相談をする相手とは別室でリモート面談することになりました。本当に、何をするにも大変な時代になりました。

私たち夫婦の友人で訪問看護をしている女性は、今日訪問した患者さんの「息子さんの職場の他の職員が感染した」ということで突然仕事をせずに待機中。その息子さんが陰性であることを確認するまでは仕事ができないそうです。息子さんには会ったこともないのに・・・難儀です。

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ウレタンマスク警察

マスクをしているかどうかではなく、「不織布マスク以外は悪だ!無意味だ!」と騒ぐ人が増えてきていると聞きます。先日は、電車に乗っていたウレタンマスクの小学生が見ず知らずに男性に「不織布に換えろ!」と突然腹を殴られたというニュースが流れたかと思えば、ウレタンマスクをしている若い2人連れの女性に、走行中の車を運転する男性がわざわざ横まで来て車を停めた上で「不織布マスクにしろ」と怒鳴られたというエピソードも聞きました。どうも、スーパーコンピューター富岳のシュミレーション動画(おそらく多くの日本人がテレビや雑誌を通してマスク越しに広がる赤や青の粒の動画を見たことがあるでしょう)のせい・・・不織布マスクの遮断効果に比べて、布マスクは効果が半減、今はやりのウレタン製マスクはさらに効果が低いというデータが、今になって急に持ち出されてきたせいのようです。

これだけ長い間ずっと自粛を求められると、人間は思いがけないモノをストレスのはけ口にするのですね。気持ちは分かるけど、不織布マスクなんて皆が皆つけられるモノではありませんし、鼻までしっかり覆えばかなり息苦しい・・・そもそも不織布だってわたしたちが使う医療用のモノと世間一般に使われるモノとで全く性能は異なります。

不織布に比べたら布製やウレタン製はウイルスを遮断する力が落ちるとはいえ、してないよりはるかに有効です。富岳のシュミレーションは最初に「マスクをしていないとき」というヤツを出していたではありませんか。不織布に比べて布やウレタンでは、マスクしてくしゃみをしたとか大声でしゃべって唾が飛ぶとか、そういうときに差がつくと云っているだけで、電車の車内で黙って立っている小学生や歩きながら話している女性たちがどんなマスクしていてもそんなに咎められる筋合いはありますまい。よほど、不織布マスクしていても鼻マスクしているオッチャンや、芸能人たちがよく付けているマウスシールドの方が飛沫感染を広げるという点では注意されるべきではありますまいか? 最近は、医療用不織布マスクの性能よりはるかに小さなウイルスまで除去できるウレタンマスクも製造されたと聞きますし、イライラの憂さ晴らしするのはもっと他のものにしてほしいものです。

それにしても、あごマスクの老若男女のいかに多いことか・・・昨日は勤務から帰っている看護師さんがあごマスクで運転していましたが、そこであごマスクするくらいなら外した方が良いんじゃない? だって、あご辺りの雑菌が全部マスクの内側に付着するんだぜ! 

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やめられそうでやめられないこと

朝、出勤前に二階の小部屋にある仏壇に手を合わせながら、ふと思うことがあります。

この習慣、いつからこんなに熱心に続けるようになったんだっけ?

朝6時に起床。むかしは朝からブログを2個したためてから出勤していたし、一時は30分以上かけて毎朝自転車通勤をしていたこともあるけれど、そのどちらもをやめてからはわたしの朝のルーティーンはほぼ固定しました。起きてすぐに愛犬を庭に出し、ゴミ出しルールに従ったゴミをゴミ置き場に持って行き、必要なときには生協の空箱やヨシケイの箱を玄関先に出し、それからタイマーで早朝に洗い上がっている洗濯物を干し、愛犬に朝食を出してから自分の用を足し、その後グルコサミン3粒をR-1で飲み干します。この1年はさらに体温を測定して値をフォームで職場に送信した後、血圧を測り、それらをスマホに記録・・・この時点でほぼ45分を経過します。7時には出勤しなければなりませんから、その後に仏様の水替えをして蝋燭に火を灯してから線香をつけ、そしてリンを鳴らして手を合わせてお参り。それから慌てて洗顔、着替えして出勤。出勤することを除けば、休みの日も平日もほぼ同じことをもう何年も続けています。

さほど信心深いわけでもないわたしが、遅刻しそうになっても仏壇に手を合わせるなんてこと、少なくとも10年前にはなかったと思います。全くしなかったわけではないけれど、週に1回あるかないかでした。それが変わったのはいつからなのだろうか。朝の貴重な1時間の中で、仏前で手を合わせること以外はすべて生活に必要なことだけど、お参りだけは「今しなくても」と思うことは多々あります。「浄土真宗は形にこだわらないからいちいち仏前に直って手を合わせずとも、心で合わせておけば効果は同じ。仏様は天上からちゃんと見ておられる」と若い頃教わったもん!とこんな時だけ信者顔をしてもいいモノを・・・。

別に今しなくてもいいことなのに、何かしないまま出勤すると気持ちが悪い。線香上げる時間がなくてもせめて水替えと蝋燭までは済ませたいと思う。確かに、熊本地震の後、姉の手術の前、妻の手術の前、何となく手を合わせて無事をお願いした。でも、別にしっかりした仏教徒でもないから困ったときだけの神頼み、勝手信者なのであります。そう云いながら、いつの間にか、やめられそうでどうしてもやめられなくなった習慣のひとつであります。

 

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降圧剤と新型コロナの関係

主要降圧薬で新型コロナ感染リスクは上昇しない

 ”高血圧の治療に広く使われているアンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害薬とアンジオテンシン受容体拮抗薬(ARB)は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への罹患リスクや合併症リスクを高めないことが、大規模国際研究で示された。米カリフォルニア大学教授のMarc Suchard氏らが実施したこの研究の詳細は、「The Lancet Digital Health」に2020年12月17日掲載された”

HealthDay Newsから転載されたCareMetの配信記事です。実は恥ずかしながら、1年前にCOVID-19が流行し始めたころ、「持病に高血圧症のある患者は感染が重症化しやすい」というのは知っていましたが、「治療薬として服用しているACE阻害薬とARBが悪化させる原因になっている」という話がマスコミを通じて話題になったことなど知りませんでした。たしかに、今になって検索してみると、すでに去年の4月の段階でその説を否定するコメントなどが出されていました(「【新型コロナウイルス】降圧薬の服用でCOVID-19は重症化しない 欧州と米国の高血圧学会が声明を発表」)。それを今回大規模国際研究を行って実証したということでしょうか。

「喫煙者は非喫煙者より返って重症化しにくい」という話を大義名分にして「コロナで死にたくないから今は禁煙しないでできるだけタバコを吸うようにしてる」なんてことを涼しい顔して云っていた知人がおりましたし、スタチン系薬剤は認知症を起こすらしいから飲みたくないと云って動脈硬化バリバリの人が薬剤を勝手に中止したり、その都度患者さんの管理をしている医者側はヤキモキします。根本的に本末転倒な話ですが、薬剤はそもそも異物であり毒物ですから大なり小なり身体に負の影響は与えるはずで、それを踏まえてもメリットの方が多いから服用を勧めているのだということを理解はしておくべきでしょう。

もっとも、今回のコロナ禍の様に今まで経験したことのない敵が現れたときには、今回のような実証研究をしない限り真実は分からないとも云えます。だから、改めめACEやARBの関与が否定されたことは重要なことなのだと思います。ちなみに、わたしはアムロジピン(カルシウム拮抗剤)を服用中なのですが、これは問題ないのでしょうかね?

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間食、早食い、寝る前の食事

肥満リスクを相加的に高める3つの食習慣

 ”間食、早食い、就寝間近の食事という3つの習慣のうち、あてはまる数が多い人ほど肥満や腹部肥満の人が多いという。久山町研究のデータを、九州大学大学院医学研究院衛生・公衆衛生学分野の吉田大悟氏らが解析した結果であり、詳細は「Nutrients」に10月16日掲載された”

CareNet2020/12/29号で配信されたHealthDay Newsの記事です。

さもありなんの内容で、「云われなくても分かっとるわい」と云いたくなる内容でも、きちんとデータ化して該当者に突きつけるのは重要な行動変容のための方法ではあります。

久山町研究のデータを用いて、「間食をするか」、「他人よりも食べるのが速いか」、「就寝前2時間以内に食事をするか」という3つの食習慣について解析(2014年に住民健診を受診した40~74歳の福岡県久山町の地域住民1,906人(男性43.8%)について)した結果、どんな肥満に関連する因子で調整しても、この3つの食習慣に該当する数が多いほど肥満・腹部肥満の頻度が有意に高いという結果です。特に、『若年者、男性、就業者』にその傾向が顕著・・・夜遅くまで働いて帰ってきてから爆食いしてさっさと寝る、あるいは昼間はゆっくり食う時間がないから短い時間でバタバタ食うか空き時間に空腹に任せてお菓子を食う・・・「こんな仕事をしている間はしょうがないでしょ」と言い訳しながら、それでも若いから太っていてもさほど切実な問題だとは思わない。こんな連中に、たとえこんなデータを健診や特定保健指導で並べられても素直に生活を改めるとは思えないのです。何か良い方法はないかしら。

今は、超ビッグサイズのかっこいい服が多すぎるから大きくなっても気にならないのかしら。しかも、太っていてもさほど異性から毛嫌いされないし・・・思い起こせば、わたしがまだ超肥満時だった小学校低学年から高校卒業までのころ、巷にはわたしが着れる服はほんの少ししかなかった。中学生なのに、どこぞのじいさんが穿くような地味なでっかいズボンしかなく、LLサイズ自体が数が少なくてデザインや色よりもまずは「入る服はどれ?」というところから服選びが始まる・・・そんなこと今はないものなぁ。今は超でっかい服でも返ってオシャレだったりするし・・・ここが最大の問題かもしれないかも?(笑)

全く横道に逸れた結論になって、ごめんなさい。

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結果説明のモットー(番外)

実際のインタビューを新婚の管理栄養士さんから受けながら、ふと思い出したことがあったので、追加で書いてみます。

説明に影響を与える要素として思いの外大きなものに”年齢”があります。受診者(患者)さんの”年齢”ではなく、説明をする私たちの”年齢”です。”経験”というよりは”年齢”です。

例えば、食後高血糖を起こさないようにするための食べ方のアドバイスとして「よく噛む」というのがあります。健診に関わる保健師さんたちの常套句は『1度に30回以上噛む』ですが、わたしはそんな言葉は使いません。「保健師さんは健診結果に改善効果があるから」と自信もってますけど、「あんたら自分でやってみたことあるんか?」と云いたくなる。30回なんか数えていたら食べているもの自体の味が分らなくなるから、絶対あんたらは続けられないよ!と。あ、ちょっと横道に逸れました。こういう時にわたしは、「飲み込みかけてまだ噛めると思ったら一度戻してでも噛んでください。そのうちに噛まずにはおれなくなって気付けば今まで気付かなかった味に驚くでしょう」とアドバイスするのですが、相手が高齢だと「どうせもう”残された人生は短い”のだから、もっと噛んでおかないと勿体ないぞ、と思って噛んでください」とか平気で云います。こんな失礼な言葉、わたしの歳だからこそ相手も笑ってくれますが、これを今回インタビューしてくれた栄養士のお嬢さんが云ったら、「小娘のくせに失礼なヤツだ!」と反感を買う可能性が高いでしょう。

遠い昔、わたしがまだ循環器内科で毎晩のように緊急カテーテル治療を行っていた頃、忘れられない出来事がありました。真夜中に急性心筋梗塞で救急搬送されてきた男性にすぐにでも再疎通療法を行うべく、一緒についてきた奥さんに病状とできるだけ早くに治療をする必要があることを説明して治療の承諾書にサインをもらおうとしたのですが、奥さんが「朝になってかかりつけ医に相談してから決める」と頑として首を縦に振らず、治療にとりかかれないままゴールデンタイム(再疎通療法の効果が期待できるのは発症から3時間、せめて6時間以内だと云われていました)が過ぎようとしていました。いつも早朝出勤してきた当時の部長が説得に当たり、やっとゴーサインが出たのですが、あとで部長がわたしに云ったのは、「気を落としなすな。君の説明の仕方が悪かったわけじゃない。奥さんの云うには、『あんな若造が、初対面なのに”今治療しないと死ぬ”とか無責任なことを上から目線でまくし立てて脅すから怖くなった』のだそうだよ。インテリジェンスの高い仕事(学校の先生)しているのに、どうして今置かれている状況が分らないのかねえ」と。あの時にはピンとこなかったけれど、今の歳になってみると何となく分ります。今突然わたしの前に若い営業マンが現れて、わたしにどんな意見や提言をしたとしても、わたしは「とりあえず、ノー」と答えるでしょう。

説明を受ける場合にたまたま自分を担当する説明者が”年季”が入っている人かどうかというのは、受ける側の立場に立てばとても大きな要素なんだと思います。もちろん、歳を取っていれば良いというモノでもありません。「このジイさん、偉そうに知ったような口きいているけど、本当は何も分ってないんじゃないの?」と感じさせる人も少なくありませんからね。

 

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結果説明のモットー(3)

(つづき)

インタビュー用に準備された質問への答を総括してまとめてみるとこうなります。

●患者さんやご家族が先生の説明に求めているものは何だと考えますか?
→自分の今の健康度はどうなのか?このままでいいのか?何か新たにするとしたら何をしたらいいのか?そんなことに対する具体的な評価とアドバイス。「自分は健康か?」という命題に対する明快な解答。

●説明の内容を理解していただくために配慮していることは何ですか?
→心の鍵を開ける。短時間で心を開いてくれるように説明の順序や口調に注意する。本人が気にして構えていることに対して肩すかしを食らわす。

●先生の決め台詞は何ですか?
→健診結果を良くするために生きているのではない。楽しくなければ人生の無駄遣い。おいしく食べなければ食べる意味がない。諦めたときから歳をとる。女性としてのプライドを持って。アラ●●の戦いはアンチエイジングの戦い。など多数。

●先生の考える納得のいく説明とはどのようなものですか?
→自分が今から何かをしたくなる気持ちにさせること。そして、具体的に何をしたいと思わせてくれること。何が悪いかではなくて何をしたら良くなるかを理論的に教えてくれる説明。それでもできない人間の気持ちを理解して寄り添ってくれる説明。

●思い出に残っている場面
→先生の説明は、ものすごくわかりにくいですね。と言われたこと。
→相手が憮然とした態度なので私も不機嫌に話していたら「その態度は何だ!」と激高されたこと。

●説明がむずかしいと感じたときどう対処する
→明らかに聞き流しているなと思うときにはあえて深追いはしない。ムキにならなければならないほどわたしにこの人を変えさせる義務はないのだから。ただ、今まで説明した先生方が多分使っていないであろうワードはいくつも投げ込んでおきます。聞き流しているようで意外に聞いているから、後で何となく心に引っかかるようにしておく。それで十分です。 

●説明に関して昔と今との違いを感じることはありますか?
→健康に対する意識が高くなっているので返ってやりやすい。たとえば便潜血。昔は、やれ便が硬かったからとか痔があるからとかどうもないからとか理由付けして精査を拒む人が多かったけれど、最近は「そうですね、怖いから受けてみます」と若い女性でも積極的に受けようとしてくれる。

 

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結果説明のモットー(2)

(つづき)

わたしたちの仕事は、毎年ご指名いただく常連さんやたまたま何度も担当になって顔を知っている方を除けば、基本的に初対面の人を相手にします。なのに、高々10分か15分で話が完結するのです。だから、会ってすぐに心を開いてもらわなければなりません。わたしたちの施設では、説明の順番を待つ間、結果表のコピーを渡して前もって見ておいてもらうようにしています。そうすると、名前を呼んだときにきわめて神妙な顔つきで入ってくる人がたくさんいます。明らかに構えて入ってきます。自分のデータから何を云われるか、毎年のことだからほぼ想像がついているのです。聞く耳を持たないか、とにかく聞き流そうと準備している様子が顔の表情にありありと表れています。この人たちの心を開くのは意外に大変です。でも意外に簡単です。こうやって診察室に構えて入ってこられる方には、まず最初に全く関係ない項目から説明を始めることにしています。胸部CT検査や胃内視鏡検査、あるいは腹部エコーなど画像診断の画像から入るようにしているのですが、順番に画像を眺めながら説明をしていると、少なくともわたしがどんな感じの人間であるかは感じ取ってもらえます。そして、心の準備をしている生活習慣の悪さを非難する人間ではなさそうだということも感じてもらえるとしめたものです。もちろんCTでは内臓脂肪の多さを、腹部エコーでは脂肪肝のなんたるかをそっとインプットさせます。ここで少しでもコトバのやりとりができればおそらく受診者の多くは少しだけ心を開いてくれています。そうすると、その後インスリン初期分泌不全の何たるか、何をしたら良くなりそうか、具体的に何をしようか・・・そんな建設的な会話をすることができて、診察室を出ていく頃には温和な顔に変わってくれているのです。

「こんなに詳しい話をしてもらったのは初めてです。本当にわかりやすく説明してもらってありがとうございました」・・・こういうコトバをよくもらいます。でも実は何も特殊なことは話していません。同僚や上長が試しにわたしの説明を聞いても「全然普通じゃないか」と拍子抜けされます。そうなんです、別に他の人より長く話しているわけでもない(むしろわたしが一番説明時間が短いらしい)し、説明する項目を省略しているわけでもない(原則としてすべての項目を説明しています)のです。それでもこんな感想をしていただけるのは、おそらく、相手が心を開いてくれたからだと思っています。短時間で相手の心を開いてもらう唯一の方法は、会ったら可及的速やかにわたしの心を開いてしまうこと、あまり意識したことはないけれど、きっとそういうことなんじゃないかなと思っています。しかめ面で憮然とした表情で部屋に入ってきた人が10分後にはニコニコして出て行きながら「ちょっと頑張ってみます」と云ってくれたときが一番うれしいです。

まあ、行動変容の難しさは、そんな顔して出て行っても大部分は何も変わらないということなのですが。 (つづく)

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結果説明のモットー(1)

勤務している病院の某委員会から、結果説明に関するインタビューを受けることになり、前もっていくつか質問項目をもらいました。だから、この機会にちょっと自分で考えてみました。

テーマは『患者さんに納得していただくための説明』

そもそもわたしたちが毎日行っている人間ドックの結果説明は、病院の医療者が関わっている治療学とも診断学とも違うところに位置しています。『健診』といえば、イコール『病気の早期発見』とそれを『早期治療』に繋げる作業だと思っている人がまだ医療者の中にはたくさんいます。もちろんそれもありますが、今の主流はむしろ健康人生に対する行動変容への現状把握と云えます。「健診を受けるのは、自分に病気がないか見つけることだ」と思っている人もまだたくさんいますが、最近の健康ブームの影響で「今後健康な人生を送るために、自分は何をしたら良いか、このままでもいいのか、何か注意すべきことはないか」ということに対して何らかのアドバイスをしてもらうために人間ドックを受けている人が多くなってきました。『行動変容』というのは予防医学の中の源流であり、一番克服が難しい壁なのです。

医療者は人間ドックの結果表を眺めるときに、「どこかに悪いところがないか」という目だけで見る人が多い気がします。『批判するためにデータを見る』という感じです。だから、受診者さんのカンファレンスをしていても、「この人は特に問題なので、何もすることがありません」と云いきる保健師さんもおられます。でも、そうじゃない。去年までと比べて良くなったところがどこか、少しずつ悪化してきているところはどれか、それはそのままで良さそうか?今のうちに何かアドバイスしておいた方がいい項目か、もしそうなら何を勧めたら良いか? 努力して良くなったのなら、その努力はこのまま続けるだけでいいのか、この際何かを付け加えた方がいいことなのか・・・わたしたちのすべきことはたくさんあります。

かと云って、勘違いしてはならないのは、健診データを良くするために人生を送っているのではないということ。それだけは見失わないように注意しています。 (つづく)

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『優しい目』

定期投稿コラムを掲載してもらっている機関誌が発行されたので、ここに掲載します。本当に書きたかったことが完成せずに突貫で題材を変えたので不本意な気持ちで書いたこの記事。まあでき上がってみるとまずまずの内容かな、と無理矢理納得させているところです。

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『優しい目』

 

我が家の愛犬はビアデッドコリーという犬種で、両目は長い前髪で隠れています。その隙間からちゃんとつぶらな瞳で見ているのですが周りからは目がないように見えるようで、そこがとてもチャーミングでもあります。目立つ犬種なので、公園を散歩していると注目を浴び、特にこどもたちは必ず見つけます。

こどもたちの反応は明らかにふたつに分かれます。「目が見えなくてかわいい!」という声と、「目が見えないから怖い!」という声です。「あの犬、目がな~い!」「毛で隠れているけどちゃんとあるよ。かわいいねー」・・・そんな親子の会話を聞こえないふりして通り抜けるのが常ですが、「ほらワンちゃん。かわいいね~」「イヤだ! 目が見えないから怖い!」と叫ぶ声をすれ違いざまに聞かされるとちょっと驚きます。こどもたちの目線でみると大きくて得体の知れない妖怪に見えるのかもしれません。「目」(視線)から得られる情報はとても大切だということを改めて知らされます。こどもたちは、見知らぬモノと対峙する時や大切なお母さんと話す場合、相手が怒っていないか、楽しそうか、あるいは心を許しても大丈夫な状態かなどを目の中の表情から判断するのだろうと思います。だから、優しく微笑んだ目でのぞき込んであげないと一瞬にして心を閉ざしてしまいます。実は、犬たちもまた人間たちの表情を敏感に感じ取って生きています。様子をうかがいながら寄って来るうちの愛犬は、私が穏やかな目線で笑っていることを確認した途端に尻尾を大きく振り回して身体を捻って喜んでくれます。

目線の大切さは、決してこどもや犬だけの話ではありません。大人は今までの人生経験と想像力と忖度で対処するのでこどもたちのような直感的な反応はしないものです。でも今年は新型コロナの影響で顔の大部分をマスクで覆っている人ばかりなので、相手の顔が目でしか確認できません。だからその大切さをより強く感じます。仕事場のスタッフですら「今の、誰?」と悩んだり、初対面で名刺交換した人の顔が分らなかったりというのは茶飯事です。口元で微笑んでいても相手には表情(心の中)が伝わらないということをしっかり意識して、唯一見えている「目」に表情のすべてを注ぎこまなければなりません。時々ものすごい目力で凝視されて「怒っているのかしら」とたじろぐこともありますが、こんな今だからこそ、お互いに目を通して真意を伝え合えるようにいたしましょう。

 

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運動に関わる情報(2)

30分ごとに3分の運動が血管を健康にする

 ”長時間の座位行動が続く時は、30分ごとに3分の簡単な筋力運動を行うと、血管機能の有意な改善が期待できるというデータが報告された。オーストラリアン・カトリック大学(オーストラリア)のFrances Taylor氏らが、2型糖尿病患者を対象に行った研究結果であり、詳細は「American Journal of Physiology. Heart and Circulatory Physiology」に11月8日掲載された。”

『交通機関が整備され、テクノロジーの発達により職場や家庭でも身体を動かす機会が減っており、社会そのものが長時間の座位行動を増やす環境に変わってきた』中で、特に糖尿病患者さんの血管内皮機能は低下している人が多いので、血管内皮機能を改善させるための方策について検討されました。①7時間中断なく座位を保つ、②30分ごとに3分間の簡単な筋力運動を行う、③1時間ごとに6分間の運動を行う、で比較したところ②が一番良かったそうで、「座位行動による血管内皮機能の低下を抑制するには、座位中にそれを中断する頻度が、中断中に行う運動の時間の長さよりも重要である可能性が示唆された」と結論されていました。

新型コロナ禍での巣ごもり生活、テレワーク生活の中では、さらに運動不足が深刻であり、特に糖尿病などの基礎疾患がある人にとっては血管機能の劣化は心筋梗塞や脳梗塞などだけでなく目や腎臓にまで影響を与えるほど重大です。糖尿病患者さんはきちんとした"運動習慣"がなくても単に立ったままテレビを見ているとかいうだけでも血糖値が改善するというデータがかなり昔からいくつか報告されています。ただ、『運動好きな2型糖尿病患者さん』は稀です。30分ごとに立ち上がることくらいはできますが筋トレ3分間というのはかなりハードルは高い印象なのですが、現実的な話なのでしょうか?

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運動に関わる情報(1)

Care NetからHealthDay Newsで配信された運動に関する情報が2題送られてきました。

4階まで1分で上れたら、ひと安心

 ”階段を4階まで1分以内に上ることができれば、心臓の状態は良好である可能性が高いことを示した研究結果が、欧州心臓病学会(ESC)科学プログラムのバーチャル会議(EACVI-Best of Imaging 2020、12月11~12日)で報告された。”

60段の階段を走らずに、かつ、立ち止まらずできるだけ短時間で上る方法で検査した時、40~45秒で上がれたらトレッドミル検査で9~10Mets以上ある(心機能良好)ことになるそうです。これまでの研究でこれは1年当たり1%以下(10年以内に10%以下)の死亡率だそうです。一方、4階まで1.5分以上かかる人は8Mets未満に相当し、これは1年当たりの死亡率が2~4%(10年以内では30%)に相当するというのです。

実はわたしの診察室は4階にあり毎回階段を使って(80段あります)移動しているのですが、そんなに早く上がれるかなあと不安になっています。この研究の対象は、『冠動脈疾患の既往のある患者、または、胸痛や労作時の息切れなどの症状が見られ冠動脈疾患が疑われる人』とあるので、逆に時間がかかるようなら日頃特に症状がなくても冠動脈疾患が隠れている危険性があるということにもなるわけですよね。

PS)こっそり、時間を計ってみようかなと思って先日やってみました。80段の階段を約60秒・・・まあまあギリギリ行けた感じ(ちと安堵)。

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何のために報道する?(後)

アメリカ大統領選挙の後の騒動がいまだに続いています。トランプ支持者の前代未聞の議会乱入事件で世界中から非難囂々の様子です。騒ぎを煽動した容疑でトランプさんが弾劾裁判にかけられるのかけられないのと騒いでいます。実はこんな悪評だらけのトランプ氏ですが、わたしの友人からは全く別の情報をもらっています。大統領選挙は実は本当にバイデン派が組織だった大不正を行ってやった結果であり、トランプの云うことが本当なのだ。中国共産党の言いなりになる民主党バイデンが大統領になったらアメリカは中国に支配されてしまって世界はとんでもないことになるんだ! なのにアメリカも日本も本当のことを報じようともしないのだ!と怒って云うのです。

わたしは、決してこの情報をガセだとは思いません。「あり得ることだな」と思います。でも、あえてリアクションせずに静観しています。だって、「だからどうする?」と考えたら、どうにもできない話だからです。かつて、トランプ氏が予想外の大勝利をおさめて大統領になった途端、これまで築き上げてきた世界のリーダーとしてのアメリカの姿をすべてかなぐり捨て、アメリカに得にならないことをことごとく破棄して世界中が大騒動になりました。でも、あのとき、わたしたちに何ができたか? どんな批判をしても全く意味がなかった。なぜなら他国の施策であり、他国の国民が決めることだから。わたしは、あのときと同じことだと思っています。我が国の不正の話であれば場合によっては真実を見逃してはいけないと正義感に燃えることは必要かもしれないけれど、今回のアメリカ大統領選での真実が何であるか、それは知らないより知っていた方がいいかもしれないけれど、でもきっと知っても何のメリットもないことではあると思います。それだったらむしろ世間の多くの人と同じように、何も知らない方が幸せなのかもしれない、とも思います。

ここ1週間の首都圏の街中報道は、根本的にこれと同じ部類なのではあるまいか。だって、「緊急事態宣言を出したのにちっとも危機感がない!」と嘆き、「国民ひとりひとりがもっと自覚を持って不要不急の外出を避けて自粛しましょう!」と神妙にコメントした直後に某デパートの北海道物産展開催中の紹介をしたり各地のグルメ番組を流したりする・・・そんなマスコミの方がはるかに節操がない気がするでしょ。

 

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何のために報道する?(前)

月曜日(成人の日)の夕方に夫婦でワン散歩していたら渡線橋の上をけたたましい音量で軍歌を流しながら右翼団体らしい街宣車が通り過ぎていきました。成人の日って彼らの心を煽る何があるのだろう?とか思ったけれど、単に「国民の祝日だから国旗を揚げろ!」的なパフォーマンスなのかしら。音のする方に目を向けながらずっと車を追いかけている妻に「いちいち見ちゃダメ。彼らは自分たちを注目してもらうために大きな音出している暴走族と発想は同じなんだから、見てしまったら彼らの思う壺。無視ムシ!」と忠告。

首都圏に緊急事態宣言が発令されて最初の週末、かつ成人式の日。どのテレビ局も銀座や渋谷や新宿やと人手が出てきそうなところにカメラを繰り出させては「前回の緊急事態宣言の頃と比べたら何倍も多い」とか「日ごろと同じような密です」とか、いちいち報道していました。成人式が中止になったり制限されたりしているのに晴れ着姿の若者が屯している風景とか、今年も出ましたお騒がせ暴走ニイちゃんたちの所業とか・・・あるいは緊急事態宣言による飲食店の気持ちのインタビューとか、まったく想定内のそんな風景をどうして報道するのだろうか。別に知らなくても困らないことばかり。しかも、どうせ街に繰り出したり大騒ぎしたりする連中はテレビなんか見ないし、テレビ見ている連中が「なんだみんな出てるんだったら意味ないじゃない。私も出よう」と考えるとは思わないのかしら。こういうものは基本的にすべて無視して、一切テレビカメラなんか持ち込まないようにするのが一番だと思います。「真実をありのままに映し出すのが報道の責務」とか云っているけれど、本当はその絵が視聴率を上げるからしている週刊誌的発想なのは明白であって、視聴者は実情なんか知りたくもないに決まっているんだ!と憤慨中。

 

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老いは突然に!?(2)

突然年老いてきた愛犬のお腹をゆっくり撫でながら、そういえばわたしの目が老眼鏡していてもよく見えなくなったのも昨年の秋、ある日突然にだった気がします。9月の長休み(シルバーウイーク)明けだったか・・・久しぶりに読影するためにPC画面見たら、その前まで見えていたモノがぼやけていて・・・運転免許更新のために春にコンタクトレンズを少し強めたから老眼鏡でないと近くが見えないのは覚悟してたけど、そして実際コンタクトレンズ装着した目に老眼鏡をかけて快適に仕事をしていたけれど、それが突然、老眼鏡でもよく読めないことがおき始めて、とても焦ったことを思い出しました。

昨年末の12月半ばから突然便秘になったのも何の誘因もなかったのですが、いまだに酸化マグネシウムを服用しないとなかなか出なくなりました。その前日までごくごく普通に快便だったのに・・・一時的なものだと思っていたけれど、これもまた「ある日突然に」襲ってきた老化の1つなのでしょうか? そしてもうひとつ。先日、ホームセンターに行ったときによく切れそうなハサミを買いました。最近のわたしの握力の低下ときたら、ちょっと立ち直れないほどに凹んでしまったのです・・・お菓子の袋を破れないのです。袋の端がギザギザになっているやつ。あきらかにここを縦に切り裂いて開けろ、というやつ。いくら開けようとしてもビクともしない。こんなもの誰でも指で簡単に切れると思っていたのに・・・だから諦めてハサミを使うことにした(ほんの1週間前には「負けないぞ」と云ったのだけれど)のです。敗北感に苛まれておりますが、これが自然の流れというもの。ペットボトルの蓋を開けるために開栓器買うのも時間の問題かも・・・。

新型コロナ禍以上に憂うつなわたしの今日この頃なのでございます。

 

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老いは突然に!?(1)

11月に満12歳になったばかりのうちの愛犬が、年を越すか越さないか辺りから急に変になりました。日頃は変わることなく元気いっぱいで朝晩のフードも与えたら即完食する状態なのですが、隙あらばどこでも爆睡する時間が急激に増えました。ほんの数ヶ月前まではちょっとした物音でも跳ね起きて、わたしが階段を降りる音や引き戸を開ける音がしたら勇んで駆け下りてくるのが常でしたから、最近の急激な変化に戸惑っています。朝起きて階下で呼んでも一向に反応がないときなど、まさか息絶えているんじゃないか?とあらぬ心配をすることもあります。

たぶん、急に耳が聞こえなくなっているのだと推測します。町田にある犬舎から飛行機で送られてきた日が大嵐のとんでもない天候の日で、さらに5年前には熊本地震も経験し、彼女は物音に異常に敏感に反応する子になりました。花火の音や雷が遙か遠くで鳴っていてもガタガタと地響きがするくらいの震え方をして怯えるのが常でした。それが最近急にそんな反応も鈍くなり、必ず気付いていた車庫のシャッターの上がる音や玄関の鍵が開く音などにも全く反応せずにお気に入りのガラス戸の前で庭を眺めていたりします。「老化はこんなに突然に襲ってくるモノなのかな」と寂しい気持ちになる一方で、無意味に音に過敏になることもなくやっと安らかな日々が送れるようになって良かったなという穏やかな気持ちにもなっています。

もっとも、意味もなく夜中に吠えて回ったりボーッと突っ立っている時間があったり、あるいは普通に昇降していた階段で躓いたりする回数が増えてくると、先行き不安にもなってもきます。日に日に意固地になっていくこの子、二階から抱えて降りることなどさせてくれるだろうか? 薄暗くなると階段を降りるのに躊躇するようになった彼女の目はかなり真っ白。白内障で見えなくなっているのだろうことも推測されます。「ボクの目とおんなじだ!」と笑うと彼女はちょっとイヤそうな顔をしてすぐに鼻でわたしを突きます。

 

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医療非常事態宣言

関東大都市圏の『新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言』の発令が”遅きに失した”と批判され、対応が中途半端すぎて政府には真剣さが全くないと揶揄されています。さらに関西大都市圏も知事が「発令の申請をした」と報じられ、いつも先を行く大阪府知事は大阪府独自の措置をすると云っています。時間稼ぎをしているうちに少しでも好転しないかという思惑が見え見えでなかなか首を縦に振らない政府も、きっとここまでは認めることになるのでしょう。

そんな中、熊本市長が『熊本市医療非常事態宣言』というのを昨日発表し、市民に危機的非常事態だというメッセージを送るとともに、「蒲島郁夫知事に国への緊急事態宣言の要請を含めた強い措置をとるよう求めたことも明らかにした」とのこと。そうなんです。地方都市なので絶対値がさほどでもなくてあまり目立ちませんが、老健施設や病院のクラスター爆発だけでなく、たしかに経路を追えない感染者の数が急増のようです。「医療が逼迫してこのままでは崩壊するかもしれません」などというコトバはもう昨年12月初めからずっと発せられていて、ほとんどオオカミ少年状態(「来るぞ来るぞ、といいながらちっとも来ない」みたいな)だったことをずっと気にしていました(どうしてもっと厳しい表現を使わないんだろう、と)が、重症患者を引き受ける熊本市民病院ははるか前から満床だということは知っていましたし、この市長の緊急会見も若干”遅きに失した”感を否めません。

何のかんの云っても、まがりなりにも誘因はおそらく”年末年始”・・・シャッフルされる規模が例年より小さいとはいえ、結局外から入ってきたのだろうことは明白。どうなんでしょうね。この『医療非常事態宣言』というのも、多くの市民はピンときてないのじゃないかしら。実質今までの措置(飲食店の時短営業とか不要不急の外出自粛とか)と何も変わらないのだし、テレビで緊急臨時放送をされたわけでもなく、わざわざ若い子たちがネットで動画を見たりしないだろうし、新聞も読まないし・・・。このニュースが昨日は全国ニュースで流れたそうで、むしろ関係ない県外の人の方が知っていたりする。まあどこでもこんなものなのでしょうね。一応、テレビニュースでは県知事へ要望したことも報じられたそうですが・・・残念ながらこの温度差、あまり期待できない気がします。

今さらですが、自分のことは自分で守るしかない、ということでしょう。

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標準予防策

わたしが勤務する病院は8年前に国際評価であるJCI(Joint Commission International)認証を受けて2022年には2回目の認証更新受審を控えています。日本の常識ではなく世界の常識に鑑みて医療の質を維持し国際標準を満たしている証になるのだそうですが、まあその基準が大量な上に事細かに厳しく、「そこまでしなくても」というモノばかりで初めて受審するときには陰で悪態つきながら呆れたものです。今でも「そんな無駄なことが要るのか?」と思う項目はあります。でもこの一年、世界を震撼させているCOVID-19(新型コロナウイルス)感染に直面してみると、JCI認証を受けるためにがんばったことがそのまま活かされていることに気付かされます。日本の常識は世界の非常識・・・感染予防のための標準予防策の徹底が世間でさけばれている中、普通の医療者ですらそこまでしなかったであろう手洗いの仕方やマスクの着脱などを何のストレスもなく無意識に行えている自分に気付いたとき、「JCIってすごいんだな」と思った次第です。

 ただ、ふと思ったのですが、この冬はいつも猛威を振るうインフルエンザが異常なくらい形(なり)を潜めていて、ほとんど発症していないに等しい状況です。これを「新型コロナの対処のために国民全員がいつもマスクしてことあるごとに手洗いをしているからだ。人間、やればできるじゃないか」と解釈していたのですが・・・まあ一部では正解なのかもしれませんが、本当にそれでいいのかしら? だって新型コロナの猛威は止まることを知らずとうとう二度目の非常事態宣言を発出するに至っているのです。国民皆マスク+手洗いが実行されているのなら新型コロナも鎮静の方向に行くはずだし、まともにマスクしてない輩が多いから新型コロナが減らないのだとしたらインフルの減少ももう少し限定的になるはずです。何か他の大きなファクターがあるのではないかしら。しらんけど。さらに感染性胃腸炎はそんなことに関わりなく増えています。手洗いもマスクも用を為していないじゃないか?

『標準予防策』を検索していたら日赤豊田看護大学のPDF資料『イラスト みんなの感染対策マニュアル』がありました。看護学生のためのモノのようですからかえって一般の方にもわかりやすい気がします。ご参考までに。

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お弁当の蓋

毎日妻が作ってくれたお弁当を昼に食べます。遠いむかし、虎ノ門にある病院で働くために新婚で上京した時から(東京は物価が高いのだから昼食ぐらい手弁当で浮かせなさい、と諸先輩がアドバイスしてくれたので)妻は弁当を作ってくれ続けています。

そんなお弁当の蓋を開けて、蓋の裏側にくっついたごはん粒を一つ一つ箸で摘まんで食べるのが、私の最初にするルーティーンです。この作業をしながら,新婚の頃を思い出します。

「そんなことしないでよ、卑しん坊みたいでみっともない!」
弁当の蓋の裏に付いたごはん粒を当然な顔して食べているわたしの姿を初めて見たとき、妻が強い口調でそう云いました。
「なんでだよ。うちはばあちゃんから『お百姓さんが汗水垂らして作り上げたお米だから一粒たりとも疎かにするな』という指導をされているんだよ」
「そんな屁理屈どうでもいいから、少なくとも人前ではそんな貧乏くさいことしないで。あなたは医者なんだから」
「医者だとか、そんなこと関係ないよ。別に悪いことなんか何もしてないんだから!」
・・・中学の時からそうやって食ってきたわたしも、わたしの家の代々の習慣を否定されてカチンときてそう口答え。

そんな口論をよく繰り返しました。こういう習慣は、結局は子どもの頃に受けた躾に起因します。都会育ちの妻は母親からプライドの教育を受けてきたのでしょう。農家出身の我が家では農家としての教育を受けてきました。何が良いとか悪いとか、そういう問題は別にして、子どもの頃の親の躾が一生すり込まれていくのだということを、若いお父さんお母さんはいつも意識しておかねばなりません。そして、自分が常識だと思っていることも自分の家の躾に起因するモノであって決して普遍的な常識ではないことも多々あるのだと云うことを意識しておくことをお勧めします。その子が社会に出たとき、社会常識と違っているとイジメに遭う危険性も秘めているからです(弁当の蓋のごはん粒のことではありません)。

今は、かつての飽食の時代(バブル時代)と違って世の中の常識も様変わりしてしまったせいでしょうか、夫婦ともにお弁当はまず蓋の裏のごはん粒から食べます。結局我が家では、わたしの習慣の方に落ち着きました。

 

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超加工食品の呪縛

超加工食品の多い食事はティーンの心臓に悪影響

 2020年12月20日にHealthDayに書かれた記事を読んでみました。

”米国の青少年では、1日の摂取カロリーの約3分の2は超加工食品に由来することが新たな研究によって明らかになったからだ。この研究では、超加工食品の摂取量が多いほど、心臓の健康状態の重要な指標が悪化することも示されたという。詳細は、米国心臓協会学術集会(AHA Scientific Sessions 2020、11月13~17日、バーチャル開催)で発表された”

というものです。ちなみに、『超加工食品』の定義は「主成分が食品から抽出された成分や食品由来の成分で作られ、加工されていない状態の食品そのものをほとんど含まないスナック類や飲料、調理済みの食品をはじめとするさまざまな食品」なのだそうです(ポテトチップスやクッキー、キャンディー、ソフトドリンク、温めるだけで食べられるピザやインスタントスープ、ホットドッグ、チキンナゲットなど)。

”「青少年期に超加工食品の摂取量が多いと、長期的には心血管疾患を発症するリスクが高まる可能性を示している””青少年の摂取カロリーの42~88%を超加工食品由来のカロリーが占めていた”

などの内容を読みながら、まあそれはその通りだなと思い、特に新たな思い入れは何もないのですが・・・これをもっと自然に近い形の”本物の食品”に換えることを推奨しているようだけれどこれは今更彼らに云っても無理だと思います。彼らにその味を教えたのは彼らの親であり、親もまた大なり小なり超加工食品のおいしさを知ってしまった(まだ彼らが子どもの頃は自然食品の方が多かったのかもしれないけれど)口だから。最初に口にする時から”本物の味”を教えない限り、企業努力の賜物であるこの魅惑の商品に勝てるはずがありません。喫煙者が禁煙するよりももっとむずかしいことだと思います。おそらく、彼らは彼らの親よりも若い年齢で動脈硬化性疾患を発症するでしょうから、反省して食生活を換えることがあるとしたら、そんな病気になった時か、あるいは自然食で育った人と結婚して洗脳された時か、それしかないと思うんですよね。

 

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今、気になっていること(2)

田舎の爺ちゃんの気になっていることなんて世間では何も気になってはいないでしょうが、もう一つ気になっていることがあるので、世間の反応など無視して書きますけどね。

年末に、お歳暮で戴いた焼酎(4合瓶)を開けようと蓋を捻った(スクリュー式の蓋)のだけれど,ビクともしないわけよ。考えてみたら、ペットボトルも最近往生することが時々ある。一番最初の開封時は固定されているから固いのは固いのだけれど、それでもつい最近まではチョイっと回せば普通に回っていたはずさ。それが開かない(というか動かない)ので、すごい形相で赤い顔して必死に回そうとする姿を見て妻が「なんちゅう顔しているの?」と笑う。「力がなくなった」のではなく,多分「握力が落ちた」んだと思う。人間はこういうショックな出来事があったときに歳を取るのでしょう。「もう歳だから、握力が落ちたのね。しょうがないか」と思ってしまうと一気に歳が進んでしまうから、「くそう、まだ負けないぞ。ちょっと油断していただけだから、次からはちゃんと開けてやる」という意気込みをいつも持っていたい・・・そう心に誓った年末なのでありました。

便秘とか目が見えないとか握力が落ちたとか不眠だとか、そんな悩みは妻には云わないことにしています。云うと「早く病院受診しなさいよ。あなた医者でしょ」と叱られるから。あるいは「晩酌が過ぎるのよ」とか「本当は気のせいなんじゃないの」とか「まだそんなじじいの発言する歳じゃないでしょ!」とか言いたい放題云われて、こころが凹むから。それでも、「今に見ていろ、ちゃんと克服してみせるから」と密かに闘志を燃やす材料にはなっています。

 

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今、気になっていること(1)

年末から続く便秘(実際には毎朝踏ん張ったら出るから『便秘』の定義には当てはまらないのでしょうが)のために酸化マグネシウム製剤を服用したりバナナを食ったりしていますが、まあ良いような悪いようなです。それはそれで慣れましたし、「そのために体重が増えた」なんて言い訳材料にしたりはしません。

それよりも、1月3日の早朝(正確には2日に就寝した後)から続く夜間頻尿が気になってしょうがない。1時間~2時間ごとに膀胱が満パチになって起きずにはおれなくなるのです。時には30分も開かないうちに行きたくなって起きることもなります。これまでもたまにこんな日はあったけれど、それが3晩続くとなるとこれは尋常ではありませぬ。「あなたのは典型的な過活動膀胱だから」と昔から妻が云っていたとおり、夜中に2回くらい起きるのはいつもだったけど、それが4回も5回もとなるとちょっとため息が出るだけでは済まないところがあります。まあ、かといって睡眠不足かというとそうでもなく、毎朝6時にはきちんと起きるけれど昼間に睡魔に襲われることもほぼないし、至って爽快ではある。だから、そのままにしているのだけれど・・・。

 

 

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初夢

今日の朝に見た夢が初夢ですか?

今年の夢は、いつになく鮮明に覚えています。今まで経験したことも、もちろん夢に出たこともない、異質な夢でした。それも医療関連の・・・。

医局で弁当食っていたら胸ポケットに入れた院内携帯のバイブが鳴りました。サイレントなのでしばらく気付かずに、「はい?」と出たら何かバタバタしている音が聞こえた後にプープープー(切られた)。救急患者が搬入されたか心マッサージかなにかしているか、そんなことが想像される音。「CCUで呼ばれたので急変かもしれません。ちょっと行ってきます」と、スマホ弄りながらまったく無反応な女医さんに伝えて席を立ちました。CCUに行ったら、たしかにバタバタしているけれど全然知らない患者。

この患者さんの対応のために呼ばれたのかなと思ったところでまた携帯が揺れました。
「はい?」
「先生、今どこですか?」
「CCU」
「あ、ちょうど良かった。CCUの入り口のところにご家族が来てるから急いでムンテラしてください」
「だれの?」
「○○さん」
それ、誰? わたしの受け持ち患者さんじゃないし。
「ぼくでいいの? なんか相手を間違ってない?」
「先生で間違ってませんよ」
「ボクは今から外来だよ。なんで、ボク?」
「知りませんよ、そんなこと。とにかく手術開始を待っていますから、先生早くTURの説明してください」
待て、待て待て。オレを誰だと思ってる? 人間ドック担当医よ。その前は循環器内科医よ。
「TUR(経尿道的膀胱腫瘍切除術)なんてしたこともなければ見たこともないのに、なんでオレがムンテラできる?」
「何でもいいけど、とにかく急いでムンテラしてください。お願いします」

・・・プープープー(切れた)。途方に暮れてたら目が覚めました。まだ夜中の3時でした。

何だったんだ、これ? 実はその後もう一度違う医療夢みました。産業医しているわたしが新しく赴任してきた事務長に意見してるところ。喘息の吸入しながらドクターショッピングを繰り返す彼に「そんなことしてたら命を落としますよ」と云っていたところで目が覚めた。

なんかイヤな感じ。いまさら臨床現場に戻る気もないけれど、夢の中では明らかに外様の空気で、たぶんだれも自分のことを当てにしていない感の中で「なんで、オレこんなとこで働いているん?」とグチっている自分。何やこら!

 

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謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。

まがりなりにも、今日まで感染することなく無事に新年を迎えられた幸運を心から感謝しております。

それにしてもコロナに対する温度差のものすごいことよ。あれだけ世間で騒いでいても、「東京で1300人超えた」と報道されても、大晦日の都会は若い人で溢れている。「政治家たちがやっているから」とか詳しいこと知らないくせにコトバ尻取って面白がる若者もいるし。TVニュースによると都会の年始の神社は人で溢れている。「夜中に初詣に来てみたら、人多すぎ! 密状態で怖い~!」とかSNSに写真をアップする輩がいる・・・「おまえがそこに行くから多いんじゃ!」と独りツッコみする。

ま、新年早々他人を批判してもしょうがないわ。いつも行く神社に破魔矢とお守りを返しに行かないといけないけれど、わたしたち夫婦は日ごろ素通りする近くの小さな神社にお参りしてきました。一応、氏神様。行ってお参りしたらちゃんとお祓いもしてくれた。参拝する人たちは皆新年の挨拶を交わしている。わたしも一応挨拶はするけれど、相手が誰だかよくわからない。この機会に、近所の人たちと顔見知りになっておくべきなのかもしれない。

そんなことを思いながら、元旦も無事に終わろうとしております。ありがたや。

 

 

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