やめられそうでやめられないこと
朝、出勤前に二階の小部屋にある仏壇に手を合わせながら、ふと思うことがあります。
この習慣、いつからこんなに熱心に続けるようになったんだっけ?
朝6時に起床。むかしは朝からブログを2個したためてから出勤していたし、一時は30分以上かけて毎朝自転車通勤をしていたこともあるけれど、そのどちらもをやめてからはわたしの朝のルーティーンはほぼ固定しました。起きてすぐに愛犬を庭に出し、ゴミ出しルールに従ったゴミをゴミ置き場に持って行き、必要なときには生協の空箱やヨシケイの箱を玄関先に出し、それからタイマーで早朝に洗い上がっている洗濯物を干し、愛犬に朝食を出してから自分の用を足し、その後グルコサミン3粒をR-1で飲み干します。この1年はさらに体温を測定して値をフォームで職場に送信した後、血圧を測り、それらをスマホに記録・・・この時点でほぼ45分を経過します。7時には出勤しなければなりませんから、その後に仏様の水替えをして蝋燭に火を灯してから線香をつけ、そしてリンを鳴らして手を合わせてお参り。それから慌てて洗顔、着替えして出勤。出勤することを除けば、休みの日も平日もほぼ同じことをもう何年も続けています。
さほど信心深いわけでもないわたしが、遅刻しそうになっても仏壇に手を合わせるなんてこと、少なくとも10年前にはなかったと思います。全くしなかったわけではないけれど、週に1回あるかないかでした。それが変わったのはいつからなのだろうか。朝の貴重な1時間の中で、仏前で手を合わせること以外はすべて生活に必要なことだけど、お参りだけは「今しなくても」と思うことは多々あります。「浄土真宗は形にこだわらないからいちいち仏前に直って手を合わせずとも、心で合わせておけば効果は同じ。仏様は天上からちゃんと見ておられる」と若い頃教わったもん!とこんな時だけ信者顔をしてもいいモノを・・・。
別に今しなくてもいいことなのに、何かしないまま出勤すると気持ちが悪い。線香上げる時間がなくてもせめて水替えと蝋燭までは済ませたいと思う。確かに、熊本地震の後、姉の手術の前、妻の手術の前、何となく手を合わせて無事をお願いした。でも、別にしっかりした仏教徒でもないから困ったときだけの神頼み、勝手信者なのであります。そう云いながら、いつの間にか、やめられそうでどうしてもやめられなくなった習慣のひとつであります。
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