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2021年3月

今から掃除するつもりなの?

妻をディスってばかりでごめんなさい。

掃除大好き人間のわたしは、毎週末に家の掃除をします。働き方改革で有給休暇や振替休日も多いので、その都度掃除機を出したりすることもあります(できるだけやらないようにガマンしていますが、他にすることがないと、つい)。

そんな時に「え?今から掃除するつもりなの? そんなに汚れてないよ?」と妻に云われることがあります。「掃除は、汚れてからするもの」という概念と「掃除は、汚れないためにやるもの」という概念のぶつかり合いは、いつも平行線であります。だから、わが家の掃除は、基本的には彼女が外出している時か仕事に没頭している時を狙って行います。

自ら認める”片付けが苦手”な妻。何度片付けても食卓の片隅に積み上げられていくわらわらを眺めながら、「使ったモノをその都度元に戻す」それだけのことでいいのに、なぜそれができないのだろう?と思ってしまうわたし。きっと、わたしと同じ性格の人はみんな同じことを思っていることでしょう。でも、できないものはできない。『片付け上手の簡単片付け術』なるテレビ番組の類いを見る度に思う・・・簡単だろうがなんだろうが、片付けが苦手な人は片付けたいけど要領が悪いのではなく、”片付ける”という概念が根本的に違うから、きっと片付けられないと思う(云われたとおりにすればできるけど、習慣にはできないのだ)。なぜかというと、そうすることでインセンティブが得られるとは思えないからです。掃除にしろ、片付けにしろ、自分は別に困らないわけだし、仕事などの共同生活の場では周りに迷惑かけるからやむを得ずするわけで、それをすることで褒められるとか一目置かれるとか代わりに何かをしてもらえるとか、そんなメリットがないならしないはず。

そもそも”掃除好き・片付け好き”の輩(わたしを含めて)には到底理解できないことなのであります。でも、彼らは決して”なまけもの”とか”だらしない”とかではないということは、理解しましょう。

 

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時間の考え方

どうしても約束の時間に遅れたりギリギリだったりする人がいます。逆に、早々にやってくる人もいます。おそらく、わが家では前者が妻で後者がわたしです。だから、両者で30分以上差が出たりします。

妻を見ていると、ちょっとしたこと(たとえば「洗濯物を畳む」など)をするのに見込み時間を0に考えているように見えます。わたしはその行動用に5分の見積りをしますが、「そんなもん、ちょちょっとやればすぐ済むことなんだから、5分もかからないでしょ」と鼻で笑われます。実際、要領の悪い不器用なわたしと違って、彼女はちょちょっときれいに畳んで仕舞い終わることができます。一事が万事そんな感じです。でも、1つに3分かかったとしても、それが10項目集まったら30分なのでありますよ。0×100だけど、3×1030分なのですよ。そこんとこ考えてほしいのだけど、くどくど注意していると「煩わしい!」と叱られるので黙っているのですよ。

もっとも、わたしは行動の最小単位が5分計算だから、5×1050分・・・ほらね、20分の差なんて簡単にできるでしょ。どっちもどっちなんですよね、分かっているのだけれど、各々それが性分ですから、今更変えられないし、変えたところで居心地が悪い。だから、「これでいいのだ」と思うことにしています。

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桜の花

今年は、季節の進み具合が異常に早くて、すでに週末の雨風で満開の桜が散り始めました。夕方の散歩をしていても、風に舞う桜の花びらがとてもきれいです。赤い芯だけになった桜の花の周りはすでに若葉に取って換わろうとしています。3月に葉桜になってしまうのも異例の早さです。

入学式の頃に桜満開で新しい門出を祝うというのが日本の古くからの習慣なのに、季節が合わなくて残念と思う人もたくさんいるかと思いますが、わたしは逆のことを考えていました。これから儚く散るだけの桜満開の姿より、花びらの後に力強く芽吹いてきた若葉の姿の方が、これから希望に満ちた新しい生活の始まりを祝うには最適な光景だという気がしてなりません。

わが家近くの花見の名所では例年歩道を陣取った宴会客で通り抜けることもできないことが常でしたが、今年も昨年同様に静かに粛々と満開になりました。時折、真上に向かって写真を撮っている夫婦連れを見かける程度・・・昨年はそんな光景に異様さを感じましたが、今年はむしろそんな光景を落ちついて眺めることができます。昨年の今頃は、著名人がコロナで死亡するニュースばかりが続き、外に出ること自体が決死の覚悟でした。それを考えると、こうやって静かに桜を愛で、季節の移ろいに合わせた花々の本来の姿を眺める余裕が生まれている今年の春は、また格別ではあります。どんな異生物が人類を凌駕しようとも、季節の移ろいに合わせていつものように変わることなく開花する植物たちのなんと力強いことよ。

 

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今更の低炭水化物ダイエット論争

日本人に「低炭水化物ダイエット」は効果がない? 炭水化物は少な過ぎてもリスクが上昇

「低炭水化物ダイエット」が、体重減少や糖代謝の改善の効果があるという研究が海外で報告されている。しかし、日本人を対象に「低炭水化物ダイエット」の効果を調べた研究は少なかった。このほど、日本人9万人超を17年間追跡した大規模調査で、「炭水化物は少な過ぎても、多過ぎても、死亡リスクは上昇する」という結果が示された。”(スローカロリー研究会2021年01月15日配信)
解析した結果、「低炭水化物ダイエットスコア」は、低くても高くても死亡のリスクが高いというU字型の関連がみられた。死亡の原因別にみたところ、循環器疾患と心疾患で、同様のU字型の関連がみられた。
動物性食品にもとづく「低炭水化物ダイエットスコア」と死亡リスクとの関連はU字型であるのに対し、植物性食品にもとづく「低炭水化物ダイエットスコア」は値が高いほど死亡リスクが減少するという関連があることが分かった。

詳細は、本文を読んでもらうとして、想像以上でも以下でもない結果が示されており、日本人の体質として、『中庸』に勝る者はないという結論に達するのでしょうか。

日本人では、炭水化物の摂取量に対する脂質やタンパク質の摂取量が少ない場合と多い場合のいずれも、死亡リスクが高まることが明らかになった。

炭水化物の摂取量を減らして、脂質やタンパク質の摂取量を増やす場合には、死亡(とくに循環器疾患死亡)のリスクを低減する観点からは、脂質・タンパク質は主に植物性食品から摂取するのが望ましい

本文を読んでいると、いまだにその部分が解決していないのか?と思うけれど、「米国では炭水化物といえば炭酸飲料やソーダ、ケーキなどで、日本では主に米。米国の脂質・たんぱく源が主に肉類であるのに対し、日本ではいまだに魚介類。そして、「炭水化物の主力である穀類に含まれる食物繊維などの栄養素の摂取が減ると病気のリスクが高まる」というのも当たり前のこと。

まあ、”日本人”で括ってしまうなら、生活習慣の歴史であれ民族的な遺伝の歴史であれ、穀類と縁を切ることはできないことは明白なので、どちらかというと子どもの頃から日本食が大好きな子を育てることが良いのじゃなかろうか。でも、その親御さんがすでに欧米食に侵されているから、無理かな。
 

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早口

最近、どうもわたしの結果説明は早口である。それは自分でもわかる。先日、どこぞの病院の師長さんらしき女性に説明したときも、「先生はとても面白い話をたくさんするのに、早口すぎるのがとても残念」と直接意見されました。うん、その通り。

昔から早口ではあったけれど、結果説明するときには意識的にゆっくり話すように心がけていたのです。ご高齢の方も多いので大声でゆっくりと話さないと聞き取れないだろうと思って。それなのに、最近は再び早口・・・その理由はわかっています。たぶん『マスク』のせいです。聞き取りにくいだろうから大声で話すことには気をつけているけれど、どうも”息”が続かない。一気に話さないと、声が小さくなるか、コトバが途切れるか、どちらかになる。うっはー、結局、原因は老化かぁ。

などと、思い込んでいるのは自分だけかも。

お互いにマスクしているために表情を読み合うことができず、つい一方的な話し方になってしまうのも原因なのかもしれません。

 

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緑茶を飲むと死ににくい

緑茶が脳卒中や心筋梗塞後の死亡リスクを下げる?

 ”脳卒中や心筋梗塞で一命を取りとめたら、緑茶を摂取すると良いかもしれない――。緑茶やコーヒーの摂取量と死亡リスクとの関連を調べた、大阪大学大学院医学系研究科社会医学講座公衆衛生学の磯博康氏らの研究結果が、「Stroke」に2月4日掲載された。”(Care Net 2021/03/22配信号)

がんリスク評価のための共同コホート研究(JACC研究)のデータを用いて、1988~1990年に登録された40~79歳の4万6,213人を18.5年の間追跡した結果だそうです。日本人のデータであることは大事なことでしょう。それによると、「緑茶の摂取量は、脳卒中または心筋梗塞の既往者の死亡率と逆相関すること」と「コーヒーの摂取量は、脳卒中または心筋梗塞の既往のない人の死亡率と逆相関していた(心筋梗塞既往者は逆相関があったが脳卒中既往者では有意差なし)」ことがわかったのだそうです。

「1日に7杯の緑茶を飲む人たちは、時間に余裕がある生活の人が多い」とか「緑茶やコーヒーが、ベーコンチーズバーガーの悪影響を打ち消すことはできない」とか「カフェイン摂取量が過剰にならないようにする注意も必要だ」とか、アメリカのコメンテーターはちょっと懐疑的に評価していますが、日本人が良くお茶を飲むことを分ってないかも・・・1日7杯は特殊ではないかもしれません。緑茶もコーヒーも結局一緒に何を食うかということが問題だと云いたいのでしょうか。

「日本人を対象に行われた研究結果が、食習慣の異なる国にも当てはまるのかは不明だが、緑茶にはエピガロカテキンガレートと呼ばれる抗炎症作用のある成分が含まれており、心血管代謝領域でもその作用への認識が高まっている」との解説もありましたが、日本人はそもそもそんな目的のためにお茶を飲むのじゃないから、そんな習慣のない欧米人に「甘い飲み物を緑茶に置き換えることは賢明な選択だ」とアドバイスしても、ちょっと無駄な気がしますけどね。

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高GI食の弊害

高GI食、心血管疾患・死亡リスク増大と関連/NEJM

低・中所得国を含む5大陸で実施された前向きコホート研究「Prospective Urban Rural Epidemiology(PURE)研究」の結果、グリセミック指数(GI)が高い食事は、心血管疾患および死亡のリスクを増大することが明らかとなった。NEJM誌オンライン版2021年2月24日号掲載の報告。”( Care Net 2021/03/05配信号)

想像以上でも以下でもない結果で、「どうして今更?」という印象ですが、実はこれまでの実証データは西洋人のしかも高所得層を対象にした研究ばかりで、非西洋人や低~中所得者のデータがなかったからそれを検証した、というところに意義があるそうです。
高所得国4ヵ国(カナダ、スウェーデン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦)、中所得国11ヵ国(アルゼンチン、ブラジル、チリ、中国、コロンビア、イラン、マレーシア、パレスチナ領土、ポーランド、南アフリカ共和国、トルコ)、および低所得国5ヵ国(バングラデシュ、インド、パキスタン、タンザニア、ジンバブエ)のデータを分析評価』とありました。残念ながら日本は入れてもらえなかったんだなぁ。

だから、「心血管疾患および死亡リスクを下げたかったら、高GI食は食すべからず」ということなのですが、たぶん高GI食の方が安くて旨くて腹持ちが良いんですよねー。だから、低~中所得者ほど高GI食から離れるのは至難の業だと思うのです。この分析データから何をどうしろというのか、その内容こそが重要なのだと思いますが、単に「高GI食は避けましょう」では何も解決しない気がします。
 

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自覚症状

先日、人間ドック受診者の心電図を判読していたら、1年前と全く違う波形に変化した人がいました。この1年間のうちに心筋梗塞を発症してしまったことを示す所見(陳旧性心筋梗塞の所見)です。健診をしていると、こういう知らない間に心筋梗塞を起こしてしまった人が時々います。高血圧症などで外来通院しているにもかかわらず、気付かれていないパターン。それは「自覚症状がない」から、主治医にも話さないし、そのために病院を受診することもないからです。でも、実際に診察をしてよく話を聞いていると、決して「症状なし」ではないことがわかります。

「ちょっと胸が苦しい時期があった」「何か胃が痛い感じがした」・・でも、しばらく様子をみていたら軽くなったのでそのまま放置した・・・後から考えれば、そのときに急性心筋梗塞になったことは間違いないのでしょうが、心筋梗塞と云えば”七転八倒の尋常ではない痛みと苦しみ”というイメージがあるので、よもや心臓のトラブルだとは考えもしなかったでしょうし、幸い、ちょっと様子をみていたら改善したわけだから、このために病院に行くことはしないでしょう。「歳のせいかな」「ちょっと飲み過ぎたかな」・・・自分でこっそり反省して、こっそり解決させる・・・おそらく、専門家であるわたしでもそうするのではないかと思います。わたしが長い間悩まされている逆流性食道炎にしても、自分はきっと逆食だと思い込んでいるし、逆食の薬を飲んだら改善したから、たぶん犯人は逆食だと自己診断するわけだけれど、逆食の所見と虚血性心疾患の症状とが区別つかないことは自分でよく分かっているつもりです。

急性心筋梗塞は、突然心臓が破裂したり心不全になったりあるいは危険な不整脈が出たりして発症直後の死亡率がとても高い病気です。だから、「ちょっとでも変だったらすぐに病院を受診して」「ダメ元だから」と、わたしたちは簡単に云いますが、そりゃ尋常じゃない痛みが出れば救急車を呼ぶかも知れないけれど、典型的ではないどちらかというと軽い程度の症状があったら、「とりあえず様子見」が世の常です。

理屈で考えるよりはるかにむずかしいのが現実です。

 

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引き継ぐもの

最近、わたし自身もそして妻も、どこか人生の閉塞感というか得体のしれない不安感に襲われることがあります。妻は毎日多くの商品の注文があって休む間もなく忙しく働いていて、ちょっと過重労働のためか頭位性めまいや激しい耳鳴りのために倒れ込むこともありあますが、そんな合間に、ふっと見せる表情に表れています。時々、夜中にそっと「手をつないでくれ」と手を出す・・・そんなこと去年までにはなかったことなのに。最近年老いてきた愛犬についても、本当はこれで最後にしようと決めていたのに、「この子が居なくなったらこれからの生活は耐えられないかもしれない」と云い始め、高齢のブリーダーさんにその場で電話をした、彼女の居ても立てもいられない気持ちもよくわかる。

1年前のわたしはもっと酷かったけれど、その後に襲ってきたコロナ禍でそれどころではなくなってしまったからずっと落ち着いていました。それが、最近になって少しずつ1年前の感覚に襲われ始めてきているところです。

たぶん、わたしたちの抱いている不安は年老いて失われていく不安ではなく、引き継ぐものが誰も居ないことに対する不安なのだと分っています。家にしろ諸般の手続きにしろ、自分たちだけですべてのケリを付けなければならないであろう不安。イヌにしても私たちが居なくなったら(あるいは世話できない状態になったとき)誰かにお願いしなければならない・・・そんな経験をしたことのない漠然とした不安の中にいるわけです。それはもちろん、わたしたちに子どもが居ないことや親類縁者がみな年寄りだということだけでなく、日頃から心を許してきた友人・知人がおらず、夫婦ともにそういう人間関係をすることが苦手だったことによるのでしょう。

何も解決しないままに、なんとなく先送りにしてやり過ごしていますが、これは”取り越し苦労”という感じなのでしょうか。

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首のシワ

「うわ、じいさんみたいなシワが出てきたな」「シミも多くなって」

鏡を見ながら自分の首のシワやシミが多いことに嘆く日々です。

でも、昔ほどではありません。15年くらい前に首元のシワや皮疹がわき出るように見えたときは血の気が引きました。「なんじゃこれ!」と思い、まあ自分が思っているほど酷くはないのかも・・・と淡い期待を持っていたら、職場のスタッフから「先生、その首どうしたんですか?」と驚いた顔で聞かれたので、「本物なのか~」と凹みました。でも、これはゴルフの時の日焼け止めクリームのせいだとわかり、しっかりステロイド軟膏を塗り込んだら良くなりました。でも、そんなことを繰り返していくうちにもうその凸凹の皮膚もシワも消えることはなくなり、ふと気付いたら日焼けによるであろうホクロやシミがたくさん出てきていて、見るからに老人斑。

そう、『老人斑』・・・いいコトバだ。むかしは大嫌いな単語だったけれど、今はこのコトバで慰められています。もうそんな歳なんだもの、これはこれでしょうがないことだもの、と。最初にひとつふたつ出てきたときは気になってしょうがなかったけれど、これだけびまん性に首を覆ってしまったら、もうそれはただの模様。「まあ、こんなもんだろ」・・・急に気にならなくなってきたから不思議である。

また、アンチエイジングの戦いに完敗しました。

 

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開花宣言

ここ数日、夏日に近い暖かい気候の中で、あちこちでサクラの開花宣言が発表されています。わたしの住む熊本市は昨日が開花宣言。朝には開花した花は0輪だったのに午後には開花宣言。それくらい、ポップコーンのようにパンパンパンパーンっと開いた感じでしょうか。

毎年、標本木として指定されたサクラの木に花が咲いているかどうかを気象台の職員が肉眼で確認する、というとても原始的なセレモニーがいまだに行われていることが面白いなあといつも思います。なぜか”標準木”は奥手の木が多く、正式に開花宣言された頃には周辺のサクラはすっかり開花しているなんてことは日常茶飯事です。しかも、この『開花宣言』はあくまでもソメイヨシノのこと。若いころは、”サクラ”と云えば”ソメイヨシノ”のことだと信じていました(日本にある桜の木のほとんどはソメイヨシノなのだ、と)が、最近のテレビを見ていると、ソメイヨシノの前に満開になる河津桜とか彼岸桜とかそんなソメイヨシノ以外のサクラが世にはたくさんあって、国民の多くがそれらで花見を楽しんでいることを報じてくれています。そう、サクラは『ソメイヨシノ』かそれ以外かではなく、ソメイヨシノは数ある桜の種類の1つなのであります。

それだけ形骸化してしまっている『開花宣言』なのに、いまだに儀式のように気象台職員が指先確認し、その姿を地元放送局のカメラが追ってテレビでいち早く報道するのは、どうしてなのだろう。そして、どうせコロナ禍で花見の宴席も禁止されてるというのに、国民は『開花宣言』がどこより遅いとか去年より早いとかそういうことに一喜一憂し、「やっと開花宣言されましたね」とかあちこちで話題になる、いわば風物詩。これはたぶん、春を待つ人の心の区切りなのでしょう。「これでやっと春が来るぞ!」という明るい気持ちに駆り立てる。そんな効果なのでしょうか。

まあ、開花宣言は、まだ花びら数個だけ・・・春はもうちょっと先ですけどね。

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後ろ姿

職場の長い廊下を歩いていたら、後ろから「もしや、そこを歩いているのはジャイ先生じゃありませんか?」と声をかけられました。

振り返ると昔なじみの看護師さん。
「先生、わたし誰だか覚えてます?」
「もちろんです。○○さんでしょ」
「うわー、先生に会うの何十年ぶりかしら。後ろ姿で、もしやって思ったんですよ」

しばらく歩きながらお話ししました。わたしがまだ循環器内科で臨床をやっていたころ一緒に病棟で働いたことのある看護師さんです。一旦退職して、今はパートで働いているのだとか。

あの若い頃のわたしと比べたら、シルエットは全く違っている(今の方が10kg以上萎んでいます)だろうに、髪の色も全く変わってしまったのに、それでも分るって何故なのでしょう? 若い頃からのかっこ悪い姿勢を正そうと日々歩き方に注意しているというのに・・・。うちの愛犬が散歩中に見知らぬ老人に向かって尻尾を振って近づこうとして、「あの人、後ろ姿がどこかあなたに似ているんだよ」という妻の言葉にショック受けた時と同じくらいの打撃。いや待てよ、「昔と同じくらい若い後ろ姿だ」ということだったのかも・・・違うか。

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親孝行

コロナ禍の中、簡単には里帰りもできず遠く離れた年老いた親に会えない日が続いている方も少なくないでしょう。特に関東圏など感染流行地域の方はよほどのことがない限りなかなか地方に帰ることもできないご時世です。

そんな中、友人にちょっと嬉しいことがありました。大学時代に一緒に演劇をやっていた友人です。彼は他の仲間と30年近く前に上京し、今でも東京で舞台俳優として活躍しています。年老いた母は地元に暮らし、最近は、たとえコロナ禍でなくても最近の彼の雄雌を観に行くことはかないません。兄が観に行ってはその様子を話してやるだけ・・・それでも嬉しそうに聞いていると、以前、お兄さんから聞いたことがあります。

そんな彼らが、コロナ禍の中で今回上演している芝居の公演を同時にオンライン配信も行いました。それをお兄さんが準備してお母さんに見せたら、「よう声が出とるね」と褒めてくれたそう。もちろん友人本人も嬉しかっただろうけれど、お母さんも期せずして息子の晴れ姿を画像で観れたのはさぞかし嬉しかったことでしょう。

今やエンターテインメント界はオンライン配信が普通になりましたが、こんなことは、おそらく新型コロナが流行らなければ起きなかったこと。今回のことは、ケガの功名と云えるかも知れません。

 

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プライド

うちの愛犬は12歳の誕生日を越えた辺りから急に衰えが見え始めてきました。歴代のワンたちの中では一番の病気知らずで、”犬らしくない”節度のある食習慣(適量をわきまえる)を若い頃から続けており、きっとサーチュイン遺伝子がバンバン刺激されているからこんなに若いんだろうなと感心するくらい、ずっと小娘のように飛び跳ねていました。それが、目も弱くなり、後ろ足の筋力も衰えてきたようで、庭で遊んでいても突然転んだり、散歩中に躓いたり、あるいは家の中の階段の第一歩目を踏み外しそうになったり・・・そんなことが増えてきています。

彼女もそんな変化にちょっと戸惑っている様子で、突然転んだり、歩いていて躓いたりすると、とっさに困った顔をしてわたしの顔を見上げます。でも、すぐに何もなかったフリをしてまた歩き始めます。それは照れ隠しなのか、それとも想像しないことが起きた現実を認めたくないと考えるのか、そのまま(いやむしろその直前より跳ね回るようにして)時を遣り過ごそうとしています。

そんな彼女の姿を見ていて、「自分と同じだな」と感じます。ガラスに映る自分の歩き方が「じいさんみたいや」と感じて必死で背筋を伸ばしたり、時々何もないところで躓きそうになった時も『想定の範囲内』というフリをしてしばらく意識的に足を引き摺らないように気をつけたり・・・若い頃と何ら変わらないと思って生活しているのに、ふとしたところで若い頃とは全く違うフィジカルに気付いて愕然とするのです。わたしは、そんな自分の”老化”を早々から受け入れようとしていましたが、彼女の振る舞いを見ていて考え直しました。これこそがアンチエイジング! 「わたしは昔と変わらないのよ」というプライドを持って生きていくことが重要なんだな、と。

この子が子どもの頃、先住のワンが急に老け始めて、「若い子に若さを全部吸い取られたのかな」と反省したものですが、あの頃の歳が今のこの子の歳と同じでした。それを考えると、この子も今後さらに老化して、あるとき突然自分の老いを受け入れるようになるのかなと思うと、ちょっと寂しくなります。「女性のプライドを持って戦いましょう!」と人間ドックの説明時に妙齢の女性には云っていますが、まさしくそれこそがアンチエイジングの最後の砦なのでしょう。

 

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鼻水ずるずる

コロナワクチン接種を3日後に控えて、最近アナフィラキシーの報告例が急増してちょっとココロ穏やかでないわたしです。もちろん、いわゆるアナフィラキシーショックの状況とちょっとした副反応とを混在させているから過大警告だと言うことは百も承知。どうせ、接種後30分以上はその場に待機するのだから、そしてそこは病院なのだから、どんな対処もしてくれるでしょう。高血圧の持病持ち、冠動脈石灰化著明のわたしとしてはその数日後に起こるかもしれない脳血管系トラブルの方がはるかに心配です。なにしろ今年は『八方塞がり』の運気ですから、わたし。

そんな中、ちょっと気になっているのは、昨日あたりから急に出始めた鼻水症状。まるで花粉症の様にずるずる落ちてくる感じなので、ずっと鼻をすすってないといけない。そのうちちょっと息苦しい感じも出てくる。これ、本当に花粉症かなんかじゃないの?今までまったく縁のなかった世界に、よりにもよってこんなタイミングで引き摺りこまれたということなのか? 大丈夫かな、こんな状態でワクチンなんて未知の異物を注射しても・・・。とか悩んでいるうちにすっと症状は消えて、何と言うこともない午後。昨日も、朝に愛犬を病院に連れて行って帰ってくる時に鼻水が激しかったけれど、昼にはなんともなくなり、午後に商店街まで歩いた時は何事もなかった。午前中だけなんだ、これ。となると、花粉症ではないのでは・・・なら、一体何が??

昨夜見つけた足裏のほくろ様の出っ張りは、弄ってたら出血していつもの傷に戻りました。血豆だったのかしら。むしろその横(土踏まず)に水虫できている感じで、そっちに軟膏塗ったけど今日はずっとそれが痛い。

なんか、ちょっと不調です、わたし。 

 

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パンツのゴムが

ここ数日、マジでパンツのゴムが緩い。突然緩くなった。夜寝ていて、あきらかにスースーするのは、パンツと腹の間にスキマができたからだ。それは間違いない。今まで何度も経験したことのあるこの感覚は、わたしのカラダの減量サイクルが突然始動し始めた合図だと思っています。それは、本当にある日突然カチッと音を立てて始動します。何か特殊なことをしたからではありません。去年は1月の後半のある日でした。今年はもう起きないのかなと諦めていたけれど去年より1ヶ月半遅れで始動しました(たぶん)。

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これからを想う

阪神淡路大震災の時には、「とんでもないことが起きたな」と思ったけれど、どこか他人事でした。

東日本大震災はそれよりはるか遠くで起きた惨事でしたが、原発のことや商品流通のことで九州にも大きな影響が出ました。不夜城のごときコンビニや自販機の電気が消され、空港の電灯も薄暗くなり、うちの職場でもエレベーターを使わない運動が起きました。日本はもはや昭和のわたしが子どものころの社会に縮小されるに違いないと覚悟しました。2度連続して襲ってきた熊本地震では、ガラガラ音を立てて落ちる瓦の音の中で揺れる地面を這いつくばって逃げ惑い、もはや自分の家も社会もすべて失ってしまうものだと覚悟しました。今まで見たこともないひんまがった風景の中に佇みながら、「生きている」ことのありがたさを噛みしめました。

何かどれも遠い昔のような気がしますが、これだけ何度も人生を諦めた経験をするのはめずらしいだろうと思っていました。その都度、いろんなものを諦めました。そして、とりあえず今できることをして前に進もうと思いました。それらは、まがりなりにも間違ってはおらず、おかげで今があると思います。

そんなわたしたちにさらに追い打ちをかけたCOVID-19の襲撃はとうとう世界中の惨劇となりました。もはや、自分たちは死に絶える!近未来のSF映画のごとく地球はすべてが廃墟となり、蠢くものはすべてがゾンビで・・・と、何をしても怯えていたのはほんの1年前です。周りの人も物も何もかもが猛毒に見えました。外に出ることを許されず、人と関わることも許されず、ニンゲンとしての尊厳も保たれないギリギリの世界に身を置きました。あれはもう何年か昔のような気がしますが、まだ1年です。経済も生活も何もかもを犠牲にしながら今を乗り切るのに必死な日々。これから本当に立て直しが効く世の中に戻れるのだろうかと考えると絶望しか浮かばないけれど、5年前、10年前のことを考えたら、地球全体の一大事だとはいえ、なんとかなるに違いないと思うことにはしています。

10年目の節目になる明日、5年目の節目になる1ヶ月後、思うことは、「無事で何より」という想いだけです。これからのことを考えると何もかもが不安ですが、とりあえず目の前の階段を一歩一歩上っていくしかないのだろうと割り切って。

 

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こそトレ

おうちでこっそりトレーニング』~”慶應義塾大学スポーツ医学研究センターと神奈川県藤沢市は、藤沢市保健医療財団とともに、新型コロナウイルス感染症の影響により運動不足の人が増えるのが懸念されるなか、オンライン動画プログラム「こそトレ!~おうちでこっそりトレーニング~」の公開をはじめた。”(保健指導リソースガイド20210226日号)

ちょうど1年前は殺伐とした空気の中で、本当に巣ごもり必至(外に出たら監視されて非難されるレベルの)の状態で、ネット上の動画で運動がとても流行りました。特に急に身体を使えなくなったプロアスリートの面々が家の中でもできる簡単トレーニングを無料配信してくれたことを思い出します。今でも、参考にしているYoutube動画はいくつかあって、今やっているプライベートのダイエットトライアルにも取り入れています。

あのときのことを考えたら、今はかなり自由になりましたね。外を散歩してたりジョギングしてたりして非難されることはまずありません(もちろんマスクなどの予防策を徹底しているからでしょうけれど)。そんな中で緊急事態宣言の再発令+再延長の関東圏では、やはり怖くて外に出られない人は多いのでしょう。そもそも人間には「運動欲」がないから、できない理由を並べながら面倒くさいから「しょうがないもんね」と言い訳するのが常。こういうオンライン動画プログラムは自らスキマ時間を見つけ出す気がなければなかなかハードルが高い。本来なら、どこぞのホールに連れてこられてみんなで頑張らざるを得ないから重い腰を上げるというものです。単に配信しただけではそう簡単には動きませんよ、ニンゲンは。
 

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大酒飲みの女性

女性が多量飲酒をすると乳がんリスクが1.7倍に上昇 女性ホルモンが影響か 日本人女性16万人対象の大規模調査

 ”女性がアルコールを飲み過ぎる習慣を続けると、乳がんの発症リスクが1.7倍に上昇するという調査結果を、愛知県がんセンターがまとめた。 過度の飲酒ががんの発症リスクを高めることは知られているが、今回の研究は約16万人の日本人女性を対象に行ったはじめての大規模な調査研究であり注目される。”(保健指導リソースガイド2021年03月02日号)

日本人女性の体質は欧米人女性とは違う(もともと飲酒量も少ないし、代謝産物のアセトアルデヒドの分解酵素が少ない)ということで、日本人女性を対象にして調べた結果が上記の内容なのだそうです。もともと、食生活の欧米化や不健康な生活パターンが乳がん増加の原因だとは云われてきています。15万8000人が対象の研究で、”2,208人が乳がんを発症し、乳がんになったグループの喫煙率は60.6%、飲酒率は78.5%といずれも高かった”そうです。結局日本人女性でも欧米人と同じように大量飲酒によってエストロゲン(女性ホルモン)の濃度を上昇させて過剰になることで発がんを助長するのだということがわかったそうです。

最近の日本では、若い男性ほど酒を飲めない(飲まない)人が多くなり、一方で若い女性ほど大酒飲みの人が増えているように見えますから、「乳がんを予防するためには若い頃から飲酒は控えめにすることが重要です」と云われても、ねえ。

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見た目のアンチエイジング

先日、地元のフリーペーパーの記者さんから動脈硬化についての取材を受けました。

動脈硬化というのは、動脈壁の一番表面を覆っている内皮細胞に傷がつき、そこから変性した悪玉コレステロールが内側に入り込むことから始まって、まるで腐蝕した水道管の表面みたいになる現象で、心筋梗塞や動脈瘤などの命に関わる病気に進展する引き金になります。

そんな動脈硬化は、実は子どもの頃から始まっています。以前、「不慮の事故で亡くなった小学生の司法解剖をしたらすでに動脈に変化が見られていて愕然とした」という病理学の医師の話を聞いたことがあります。少なくとも、現代社会では20代には確実に動脈は老化し始めています。にもかかわらず怖い物知らずの若者たちは紙巻きタバコや電子タバコを我が物顔で吸い、大酒飲んで暴飲暴食し、不夜城のごとくに明け方まで起きて騒いでいます(コロナ禍で自粛が叫ばれても動じない世代)。そして、40歳近くなって健診か何かで動脈硬化の文字を発見して愕然とし、50歳くらいになって慌て始める。でも、もう元には戻らない。わたし自身、自分の大動脈と冠状動脈に動脈硬化の石灰化がしっかり認められているのを見つけてショックを受けて、その数年前まで喫煙をしていたせいだということを反省して、中途半端に高いまま放置していた血圧も悪化の誘因になるのだと気付いてしっかり内服治療を始めたけれど、もはや時遅しでした。

そして、同じことがお肌でも云えます。若いときには怖い物なしで直射日光を浴び、遅くまで飲み食いしているかと思えば、急なダイエットで必要な栄養素を排除してスカスカ・カサカサの皮膚細胞になっても気にしなかったけれど、30代、40代と年が上がっていくと出てきたシミやシワにやっと気づき、こりゃいけないとばかりに突然のスキンケア、でももう老化してしまったモノは戻らない。動脈硬化と皮膚の老化は似たようなモノですから、云い換えれば、若いウチから見た目のアンチエイジングに留意しておけばそのまま動脈硬化の予防にもなるということを、若者たちに是非知っておいてもらいたいと思っておる次第です。

 

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日記帳

毎日、Facebookさんから自分がアップした過去の記事が『過去の出来事』として案内されてきます。昨日は「アリスが静かに逝きました。急いでお義母さんの家に向かっています。」という2014年3月4日の文が出てきました。「アリス」とは義母が飼っていたパピヨンの老犬です。「ベルが死んでから1週間ぐらいして追うようにしてアリスが逝ったんだよね」と、私たち夫婦の飼っていた愛犬の命日の2月20日に妻が話していたのですが、どうも勘違い。1週間後ではなくて2週間後だったということ? 自信がなかったので、2007年から毎日アップしているブログを紐解く。たしかに、彼女の命日は2014年3月4日で間違いないようです。自分たちの記憶の曖昧さに凹むとともに、日記を付けていて良かったなと思いました。

そのままもう少しスクロールすると今度は2016年3月4日、「間に合いました」という文とともに地元の葬儀場の写真。父の葬儀もここでやりましたが、これは父ではない。母方の親戚の葬儀の様だ。誰だったか思い出せないが、その前後のつながりからして叔父の葬儀。また、2016年3月4日前後のブログをたぐる。「98歳になる叔父が食べ物を喉に詰まらせて急死した。通夜には間に合わないが翌日の告別式に出るために午後から休暇を取って帰省する」と書いてあるのは前日3月3日だった。

わたしが思い立って2つのブログを始めたのは2007年の暮れでした。このブログはわたしが還暦になった辺りから一旦止めた後今は不定期で書いているけれど、もう1つのブログは日記帳代わりに毎日書いています。たしか、熊本地震で避難した時にちょっと途切れただけだと思います。日記なんて見直すことなんかないだろうと思っていたし、ブログは人に見せる日記だから込み入ったことは書いてないだろうと思ったけれど、今になると重要な記憶の道しるべになっていることを痛感しています。この13年だけでも決して平坦な道ではなかったわたしの人生です。ありがたや、ありがたや。

ブログは自分で日記帳に書き記したものと違い、ブログの会社が閉鎖したら全部消えてなくなってしまうもの。そんな不安も以前はありましたが、「なくなったときはなくなったとき、どうせ大事に読んでくれる遺族がいるわけでもないのだから、形に残しておいても意味は無い」と割り切ることにしました。きっと宇宙のゴミみたいに浮遊している文章はこの世には山ほどあるのでしょうけれど、でも、今はわたしの大事な記憶のよりどころです。

 

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気味が悪い

今年のダイエットトライアルは昨年と違って難航しています。3ヶ月を経てまだ2キロも減量できていません。やはりモチベーションの違いでしょうか。昨年は、2月に新潟で行われる永年勤続表彰に着ていく服がない(いつも着ていたスーツのズボンがとまらないほどに太った)という切羽詰まった状況で頑張って体重10キロ以上、腹囲10センチ弱の成果を上げました。でも今年はちょっと緩んだお腹を今一度引き締めたいという願望でスタートしたものの、学会は軒並みweb学会で、会議も時々リモートでの環境の中にあって、昨年のように無理にスーツを着なければならない状況にもなりません。だから昨年のようなマスト感が湧いてこないのです。

それでも頑張っているわたし。今年は3月末までトライアルが続きます。その間は毎日職場の体組成計に載るのがルーチン。それが、突然、妙なことになりました。一昨日76.0キロ(最近は75キロ代に落ちるか落ちないかのレベルで行ったり来たり)だった体重が、昨日に突然77.2キロ(量り間違い?と思って再検査するも全く同じ値)。何が起きたのかわかりません。特に前夜暴飲暴食したわけでもないし、特別むくんだ感じもない。体調も悪くない。腑に落ちないままに今日おそるおそる載ったら今度は75.8キロ。毎日1キロ以上の乱高下。これ、どういうことでしょう? そりゃ、最後に元に戻ったから「きっと昨日のが器械のトラブルだったんだ」と思うことにしましたが、実は昨夜、入浴を済ませた辺りから強烈な利尿作用が始まり、翌朝まで1時間に1~2回小便に起きるような状況でした。といことは、やっぱりこの1.4キロは1400ccの水だったんだろうか? いやいやそれならもっとむくんだり息切れしたりするはずだ、と医療者としての知識が否定する。

身体の中で何かが起きているからこんな常識外れの乱高下が起きているのだろう。他人だったら、「まあ体重が戻ったことだし、しばらく様子をみましょう」とか無責任に逃げることができるけれど、自分のこと、特にこんな年寄りの身体のことだから、あれやこれやと考えてしまうのはやむを得まい。特に腎機能は大丈夫なのか、前立腺肥大がないことは知っているから、この尋常じゃない夜間頻尿はやはり過活動膀胱の仕業か? 右心不全とか心配ないのだろうか?何か検査しておかなくても大丈夫なのだろうか。「今月末にちょうど職員健診ですね、そこで問題なければ大丈夫でしょう」と他人なら云ってあげるけど、「職員健診レベルでは何もわからないよ」ということは客観的に知っている。

とにかく、気味が悪い。そして、今日は睡眠不足だからとにかく眠い。

 

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アフターコロナ

大都市圏で緊急事態宣言を解除するだのまだ早いだの巷はうるさいけれど、いまだに理解できないのは、解除されたことで一般市民に何か変化はあるのですか? 行動自粛は今までと何ら変わらないはず。飲食店の時短要請が緩くなることで、今まで行き場がなくて公園に缶ビール持ち込んで大騒ぎしていた不届き者たちの収容先ができるだけのこと(本当はどっちもNGだけどな)? 後は公共施設(体育館や動物園や図書館など)で休館にされていたところが再開するくらいか。「宣言解除されたのに街はまだ閑散としています」と夕方のニュースで云ってましたが、それが当たり前なんじゃないん?

まあ、首都圏さえ終息したら地方は勝手に落ち着くでしょう(言い換えたら首都圏が終息しない限り無理)。「そもそも、新型コロナをいまだに指定伝染病扱いにしているからこんなパニックになっているのだ」と批判する専門家も最初から多いし、「冬場に大流行したのは去年までのインフルと同等だ、いちいち騒ぐな」というのも理解できているのですが、それでも今は世界的に騒動が落ち着くまで現実的には変えようがないでしょう。「ワクチンは本当に救世主になれるのか?」・・・初めての経験だからそれすら誰も答を知らない。

そんな中で、最近ふと思います。今やマスクは生活必需品で付けていないと不安でしようがないくらいの状態。もし、インフルと同じようにワクチンに効果があることがわかり、治療薬も生まれそうだという状態になったとしたら、すぐに人混みの中でマスクを外す勇気が生じるだろうか? そもそもマスクなしで街中に出かける勇気(その前に人混みを見てたじろがない自信)ができるだろうか。ホテルに一泊するとか、まずは出張で飛行機に乗って東京に出かけるとか、そんなことが躊躇なくできるようになるまでにどれくらいかかるのだろうか。街中で大宴会するなんてもっともっと先。「明日から、何しても良いですよ!」と専門家が宣言したとしても、その第一歩を踏み出す勇気は、わたし的にはかなり高いハードルです。

あ、いや、きっと何も起きないことなんか容易に想像できるのです。今すぐやってもこんな地方都市ではきっと大丈夫なんだと分かっているんですけど・・・。

 

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