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日記帳

毎日、Facebookさんから自分がアップした過去の記事が『過去の出来事』として案内されてきます。昨日は「アリスが静かに逝きました。急いでお義母さんの家に向かっています。」という2014年3月4日の文が出てきました。「アリス」とは義母が飼っていたパピヨンの老犬です。「ベルが死んでから1週間ぐらいして追うようにしてアリスが逝ったんだよね」と、私たち夫婦の飼っていた愛犬の命日の2月20日に妻が話していたのですが、どうも勘違い。1週間後ではなくて2週間後だったということ? 自信がなかったので、2007年から毎日アップしているブログを紐解く。たしかに、彼女の命日は2014年3月4日で間違いないようです。自分たちの記憶の曖昧さに凹むとともに、日記を付けていて良かったなと思いました。

そのままもう少しスクロールすると今度は2016年3月4日、「間に合いました」という文とともに地元の葬儀場の写真。父の葬儀もここでやりましたが、これは父ではない。母方の親戚の葬儀の様だ。誰だったか思い出せないが、その前後のつながりからして叔父の葬儀。また、2016年3月4日前後のブログをたぐる。「98歳になる叔父が食べ物を喉に詰まらせて急死した。通夜には間に合わないが翌日の告別式に出るために午後から休暇を取って帰省する」と書いてあるのは前日3月3日だった。

わたしが思い立って2つのブログを始めたのは2007年の暮れでした。このブログはわたしが還暦になった辺りから一旦止めた後今は不定期で書いているけれど、もう1つのブログは日記帳代わりに毎日書いています。たしか、熊本地震で避難した時にちょっと途切れただけだと思います。日記なんて見直すことなんかないだろうと思っていたし、ブログは人に見せる日記だから込み入ったことは書いてないだろうと思ったけれど、今になると重要な記憶の道しるべになっていることを痛感しています。この13年だけでも決して平坦な道ではなかったわたしの人生です。ありがたや、ありがたや。

ブログは自分で日記帳に書き記したものと違い、ブログの会社が閉鎖したら全部消えてなくなってしまうもの。そんな不安も以前はありましたが、「なくなったときはなくなったとき、どうせ大事に読んでくれる遺族がいるわけでもないのだから、形に残しておいても意味は無い」と割り切ることにしました。きっと宇宙のゴミみたいに浮遊している文章はこの世には山ほどあるのでしょうけれど、でも、今はわたしの大事な記憶のよりどころです。

 

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