「正解はいつもひとつ」ではない
むかし、ここで『カギをかけるか開けるか』(2008.5.20)という話を書きました。カギっ子のわたしは学校から帰ったら外から泥棒が入ってこない様に家中のカギをかけて回るのに、後から帰って来た4歳違いの姉は泥棒が侵入してきてもすぐに逃げられるようにわたしがかけて回った家中のカギを開けて回りました。『全く同じ事に対しても発想の仕方には真逆の考え方が存在することを子どもながらに知りました』と書きましたが、世の中にはこのようなことはたくさんあることを知っています。
「真実はいつもひとつ」というのは某アニメの主人公探偵の決め台詞ですが、本当はそうではありません。医学の世界でも、常識と思われてきたことには必ずアンチの考え方が存在することを何度かここにも書いてきました(『定説には必ず逆説がある』2008.2.21)。高血圧の治療や脂質異常の治療ですら、すべきかすべきでないかという全く逆の話に答えが出ていないのです。
自分の考え方に対して、その逆の考え方があることをいつも知っておくことは大事です。自分の考え方を否定されるようなことは少なくありません。そんな時、そのアンチの意見を聞きたくないと、それを無視するかあるいはその意見の間違いや矛盾点を見つけ出そうとします。自分に自信があればあるほど、自分の考え方以外は全部間違いだ(自分の考え方がベストだ)という思いに成りがちで、そうなると視野はどんどん狭くなるのが常です。わたしもむかしものすごく尖っていた頃、自分の考え方がすべて正しいと信じていた時期があります。「どうして、こんな当たり前のことができない?」と周りを責めていたものです。最近は変わってきました。恩師に諭されたからというのもあります(『恩師の遺言』2008.2.18)し、自分に自信がなくなってきたからというのもありますが、ふと、あの子どもの頃の姉の考え方のことを思い出したからなのではないかと思っています。「へー、そんな考え方もあるんだ。よくもまあ、そんな発想ができるなあ。スゴいな~!」と驚いて感動できる余裕、忘れていました。凝り固まった年寄りのアタマには想像だにできなかったような柔軟な発想がどんどんできていく若者たちの考え方に最近はいつも感服するばかりです。
いまさらながら、「アンチの発想って面白いな」と思うことしきりです。
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