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2021年5月

つばめの巣

わが家の玄関の扉のすぐ上に、つばめが巣を作りました。

昨年も開けていた南側の窓からつばめが入ってきて家の中に巣を作ろうとしていたので必死に阻止(だって、日頃は戸締まりしているのだから)しました。ところが、今年は(去年のつばめなのかわかりませんが)屋根のある北側の玄関フロアに目を付けた模様。土曜の午後、夫婦で県境まで買い物に行って帰ってきたら、玄関扉の上の壁に泥で濡らした藁しべを貼り付け始めているのに気付きました。大慌てで追い払い、箒で掃き落としたのに、ワンの散歩から帰ってきたらまた再トライ中。これまた掃き落とし・・・「これはどちらかが諦めるまで根比べだな」とか思いながら。翌日曜の朝6時、いつものようにワンに起こされておそるおそる玄関扉を開けたら昨夜よりもっと盛り上がった泥。すでに早朝からせっせと遠くの畑から何往復もしている模様(わが家周辺に泥の地はないのだからそれなりの距離を移動しているに違いない)。働き者である。颯爽と材料を加えて飛んできたつばめがわたしの姿を目撃して「おっとっと」という感じでUターン。前の道の電線に待機。だから、これ見よがしに踏み台持ってきて雑巾で何事もなかったかのように拭き落としてやりました。それをじっと眺めるつばめ。

さすがにこれで諦めるだろうと思ったのが甘かった。彼(たぶん旦那)には時間がないのだろう。「嫁がもうすぐ出産なんで」みたいな。朝から夕方まで夫婦で外出していたら、一気に巣ができあがっていました。ほとんど棟上げ状態で、散歩から帰ってきたらできた巣の上に鎮座して守ってる。「もう手を出させないぞ」とばかりに上からわたしをにらみつける彼はとても仕事の早い腕の良い左官屋さん。

「一度巣をかけたら毎年同じところに作りに来るからやっかいなのよ。だってここ玄関だから糞の始末だけでも大変なんだよ。生協の食材やヨシケイの食材を並べているから不衛生だし・・・」と断固阻止の意志を掲げていた妻が、とうとう降参しました。「なんか、つぶされてもつぶされてもまた一から作り始めるつばめの一途な健気さに負けたよ。わたしももっと優しい気持ちにならないといけないね。うちに福を呼び入れてくれるのかもしれないし」・・・ということで、彼の勝ち。昨日からわが家の住人になりました。

まだ巣にはだれも住んでいませんが、向かいの電線から今日もじっと監視しています。
 

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老化の加速度

あんなに怖がっていた雷の音に反応しなくなったどころか、わたし達の声もあまり聞こえなくなった様子に愕然としましたが、よく観察すると、彼女の老化は本当に加速度を増している気がします・・・うちの12歳半になる愛犬のはなしです。食事もしっかり食べますし、朝からわたしの起床に合わせて起きてきてずっと付いて回りますけれど・・・。

人間では何かの機能が落ちたとき、それが若い子たちがケガや病気で何らかの機能を失った場合であればその他の機能で代償するように発達するのでしょうが、老化に伴う機能の低下の場合はそれを他の機能で補おうとするのではなく他の機能も同じレベルに低下させて全体のバランスを保とうとするのだ、と以前教わったように思います。だから、心身の機能はいつもまんべんなく平均的に若さを保てるように常に意識することがアンチエイジングの観点からはとても大切なことになる、と。

おそらく、人間だけでなく自然界の生物たちもほとんど同様なのだろうと思います。だから、うちの老犬が加速度的に難聴になったことがとても気になっているわけです。暦年齢(12歳半)よりはるかに元気いっぱいに見える子なのだけれど、これをきっかけに一気に老化するのではないかと。この子の先代のワンが、同じようにとても元気だったのにこの子がもらわれてきてから一気に年老いたことを思い出しています。当時は、若い子と一緒に住むようになって自分がこの子にかなわない年寄りだと自覚して急に年齢を感じるようになってしまったのではないか(若い子にエネルギーを吸い取られたのではないか)と後悔しましたが、そうではなく、このアンチエイジングの加速度的老化の時期がちょうどその頃に来たのだと今は思い直しています。

今度、先月に生まれた子犬がわが家に来ることが決まりました。今度は今居る先輩犬がもっと若さを維持できるように、何とかサポートしてやりたいと思っている次第です。

 

 

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眉間の皺

「先生、眉間に大きな皺が寄ってますよ」

職場の廊下を散歩していたら、複数のスタッフに指摘されました。今日だけではありません。最近よく云われます。すれ違いざまにわざわざ声をかけてくれるのだから、本当に目立っているのでしょう。そっと診察室の鏡を覗いてみたら、たしかに眉間に深い縦皺がある・・・。

何も考えないで黙々と散歩してるだけなのだから、いろいろ深刻な考え事をしてできたシワではありません。これは明らかに眼が疲れて焦点を合わせようとして力が入ったときのシワ。それは分かっているのだけれど、午後の眼の疲れは今に始まったことではないはずなのに、最近になって急に目立ち始めたというのは由々しきことであります。

だって、眉間の深い縦皺って、何か大病をする前触れだっていうじゃない? 昔、額の縦皺がトレードマークだった某俳優さんは自殺したりくも膜下出血で急逝したりしたし。胃がんで亡くなったうちの母親も若い頃からいつも額に縦皺寄せていました。

イヤだイヤだイヤだ。意識して目を見開いて眉毛を額に挙げて額に横皺をいっぱい作ってみた。超間抜けな顔になった。「目、どうかしたんですか?」・・・今度は違うスタッフから質問されました(笑)

 

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打診の回数

高月病や成人T細胞白血病の発見で有名な高月清先生がご逝去された。

こんな有名な先生が九州の片田舎の大学の教授として赴任されたときにはとても驚いた(まあ、医学生だった当時は毎日芝居に明け暮れていたのでそんな有名な先生と云われても、実はあまりピンとこなかった)。

学生時代、診断学を教わった。「なぜ打診するときにトントントンと3回叩くのかわかりますか?」と聞かれたことをよく覚えている。「トントントン、3回叩くととてもリズムが良いいいからです。別に2回でも1回でもいいんですけど、3回の方が調子がいい。だからです」・・・つかみ所がなくて変わり者だったけれど、とても人間味のある先生でした。ご冥福をお祈りいたします。

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みんなマジメにやっているのかい?

最近思うのですが、マスコミや芸能人の方々の中では新型コロナウイルス感染者の数が異常に少ないと思いませんか。たしかに頻回にPCR検査をしてチェックを厳しくしてるであろうことは分りますが、それでも毎日あれだけの人の出入りが有り、アクリル板でパーテーションできているとはいえ必ず放送本番中はマスクをせずに大声で楽しげに話しているのです。

あれで、感染した人は「感染しました」と発表する程度の少人数。当然、常日頃から注意をしっかり払っているのでしょう。でも、毎日何百人も新規感染者が発表されている東京や大阪の中にあって、極端に少なくありませんか。実は、医療現場でも、感染者はかなり少ない。病院スタッフが感染したら公表されるわけだから全国全部の医療機関の数を考えたら、クラスターを起こしている施設だけ数えても微々たる数です。

それを考えると、「ちゃんとマスクしていたのに感染した」「ことあるごとに手を洗っていたのに」って、本当なのかなと思ってしまいます。テレビでは例外中の例外を選んでインタビューしているのだろうけれど、階段を上るだけで息苦しくなるくらいに空気漏れしないようにキッチリとマスクして、食事中や歯磨き中に友人と談話したりせず、何かを触ったら必ず手洗いや消毒してたら、新型コロナなんか絶対感染したりしないんじゃないのかな。

この考え方、甘いのかしら。

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わたしのメール、どこに行ったんでしょうね

3ヶ月に一度の定期コラムの締切が来週に迫り、仕事の合間に少しずつ形にしてきた文章をこの週末に仕上げてしまおうと思って、金曜の夕方にWordデータとして添付ファイルにしてわたしの自宅にメールで送ったのですが、帰宅してパソコンを開けてみたら、届いてませんでした。迷惑メールとかに分類されてないか確認したけど、なし。一日彷徨ってから届くかと思ったけど、今日も届きませんでした。

どうしたのだろう? 最後に「送信」するのを忘れたのだろうか? それとも、自宅のアドレスを選んだつもりでアドレス候補一覧の一つ下を選んでしまったのだろうか? 一つ下には誰のアドレスがあったか覚えてないぞ。職場に行って確認すればわかることだけど、今週は土曜日閉館だから事務所は閉まっていて入れないだろう。月曜になるまで待つしかないのか。もし、違う人にメールを送ったんだとしたら、相手はもらって戸惑ってるに違いない。「なんでわたしにこんなメールが?」「これ、わたしに何しろって言ってるの?」とか思ってるかもしれない。

もうこうなったらどうしようもないのだし、特に個人情報が誤送信されたわけでもないのだから、焦ってもしょうがないことは分っているのだけれど、わたしは性分だから、こういうことが看過できない。クヨクヨするのであります。

まあ、ひとつだけハッキリしてることは、この週末にコラムを仕上げるのはムリだということです。

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「食事療法」

生活習慣病を語る上で、基本になるのが食事と運動。でも、人間ドックの受診者さんと話していると、「結局、食事制限ですよね」というコトバを聞きます。この『食事制限』というコトバにずっと引っかかっているわたしです。

どうして、皆さんは『食事制限』とか「食事を我慢する」とかいうマイナスなイメージになるのだろう?と考えたとき、ハッとひらめきました。そもそも「病気の治療としての食事療法」というところから始まっているから、どこか食事の管理の考え方が重いものになってしまっているのだと思います。日本の医療の歴史(世界の医療も同様かもしれませんが)が、「病気になった→食事を変えなければ治らない→食事制限をしなさい」という流れにあって、その延長上に『予防医療』とか『一次予防』『アンチエイジング』などという概念が派生してきているため、考え方が『治療』というものから脱皮できていないのではないでしょうか。

予防医療は”病気の治療”ではありません。”病気にならないように注意する”というコトバもあまり好きではありませんが、「食生活を少しアレンジし直してもっと気兼ねなくおいしく食べる」方法を見つけ出す提案です。だから、『食事制限』とか『食事療法』とかいう病気治療の用語を使わない、というよりそんな単語を連想させない指導の仕方をしてほしいし、世間のマスコミや健康番組も、病気予防、重症化予防という云い方を極力さけてもらいたいと思うところであります。

 

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マスク談義

「ダメだ、これ、呼吸ができなくて苦しい!」

梅雨の晴れ間に日課の愛犬の散歩をするのに、慌ててマスクして出てきた妻が叫びました。いつもしている不織布マスクではなく、通販で買ったウレタンマスク。

「マスクは、その状態が一番正しいんだよ。ボクの不織布マスクもいつも苦しい」
「だって、これ息吸うたびに鼻と口にくっついて息させないようにするから、怖いよ」
「その分、外からのスキマがないと云うことだから、ウイルス除去にはそれが一番優れているってことじゃないか」
「寝ているときに鼻と口を塞がれて窒息死させられているようなものよ。少なくとも不織布マスクしてたときは、こんなことなかったんだから」
「そりゃ、日頃の不織布マスクがユルユルだってことでしょ。変異株の感染者が『いつもちゃんとマスクしていたのに』って云ってるのは、そんなユルユルのマスクしてた人たちに違いないんだから」
「何だっていい。とにかくこれして散歩なんかしてたらわたし酸欠で倒れるかもしれない」

外の散歩だったので、できるだけ外していても大丈夫なように人通りの少ない道を選んで散歩しました。それにしても、そのマスク、昨年末に買ったときには普通にはめて使っていたじゃない? そう指摘したら、「だってあのときは内側に不織布マスクした上で二重マスクして使ってたからスキマがちゃんとあったんだと思う」ですって。

まてまて、そんなんじゃ、一層ダメじゃん!

 

 

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ロッカーの貼り紙

 スタッフ各位

ロッカー室 利用上の注意!

①ロッカーの上には、物や靴などを置かないでください。
②傘は、傘立てまたは各自のロッカー内での保管をお願いします。ロッカーの扉には掛けないで下さい。
③ロッカーと壁との隙間に物やゴミを放置しないで下さい。白衣の脱ぎ捨ても禁止。
④白衣は共用のものです。大切に取り扱ってください。
⑤ロッカー室に設置してある各種ごみ箱に、家庭内のごみを廃棄しないで下さい。

『靴はロッカーの中に保管して下さい』

                              総務室

・・・・・・・・・・・

職場のロッカー室の出入り口の扉に、真っ赤な紙のこんな内容の注意書きが貼られているのに最近気付きました。こんなの今まで貼ってた?いや、最近貼ったんでしょ。これって、何? 新入職員の素行が悪すぎるから病院の総務が怒り心頭に達したってことかしら。最近の若い方は、こんなことをいちいち書いておかないと自分勝手に振る舞うほどに非常識だということなのかしら。どこかの公共のスポーツジムか県立体育館のロッカー室の貼り紙かと勘違いしました。正直、なんかちょっと寂しいです。

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やっぱり聞こえてなかった

例年より20日も早く、熊本県を含む九州北部が梅雨入りしました。

ここ1、2週間くらい、明らかにわが家の愛犬セイラの耳が遠くなってきたのに気付きました。もう築25年のわが家のビルトインの車庫はシャッターを上げ下げする度に激しい軋み音がします。その音がした途端にクォンクォン鳴き始めて帰ってきたことを喜んでくれていた彼女が、カギを開けて家の中に入っても全く無反応・・・帰ってきたことに気付かずサンルームで爆睡しています。「セイラ~、居るの~?」と声をかけるとやっと気がついてバツの悪そうな顔で起きてきます。先日は、わたしが帰って二階まで上がって妻と話している声に気付いて慌てて玄関に行って、しばらくそこで「声はすれども姿が見えず」状態でうろたえていました。彼女自身もいつもと違う変化に気付いてどうしていいのか戸惑っている風です。

彼女は、嵐の中を飛行機に揺られて来たことと、5年前の熊本地震で逃げ惑ったことで、とにかくカミナリを怖がります。遠くでゴロゴロ音がしただけでカラダ中を震わせて失禁したり狭い部屋の中に逃げ込んだりして大騒動になります。そんな彼女が、週末の大雨や今朝の嵐のカミナリ混じりの大雨の中で全く反応しませんでした。シャッターの軋み音と同様、カミナリの音域の音も聞こえなくなっているみたいです。まったく反応することなく爆睡していました。

ココロ安らかな顔して眠っている姿を眺めると、「良かったのかな」とは思うのですが、少し寂しい気もします。齢(よわい)12歳6ヶ月。このまま梅雨が長雨になって散歩にも行けない日が続いたら、一気に老化して呆けてしまうのではないかと心配でなりません。

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つぶやき

わたしの20年近く応援しているプロサッカーチームが下のカテゴリーに降格圏にいてなかなか勝てないでいるもどかしさの中で、重苦しいココロを抱えた毎日を送っています。それでなくても新しい変異を遂げた異生物感染がわたしの済んでいる地域でも爆発的に増えてしまって、1年前以上のココロの重さをもたらしています。

こんなとき、SNSはメンタルを一気に破壊します。見なければ良いことなのに、ついいつものくせでヒマに任せて見てしまう。SNS、特に不特定多数につぶやくTwitterなどは、こういうときには基本グチや批判しか書き込まれません。このむしゃくしゃする気持ちをはき出すために勝手につぶやける道具なのだから、それは当たり前。ところが、それを読んだ他人がそのことに腹を立てて、あるいはショックを受けて反応する・・・そもそも自分でフォローをしなければ耳には入らないはずなのに、フローしている人が「いいね」とすると、知らない人につぶやきが自分のスマホ画面に出てきてしまうのがSNSというもの。それが良いことであるときもあるのですが・・・。

新型コロナ感染に対する政府の対応が悪い、勝てないのに対処できないチームスタッフが悪い、などの批判だけでなく、オリンピック出場内定選手への誹謗や批判、「なんでおまえらだけ優遇される?」などのお門違いな怒りなど・・・まあ、面と向かって話すわけではないものだから言いたい放題のようです。こうなると、もはや、「読みたくなければ開けなければ良い」だけでは済まされない社会現象になってしまっていて、傍観者であるわたしのココロも痛いばかりです。基本、グチや批判や悪口だからつぶやくのであって、「良い」を意図的につぶやく人は少ないのが現実(わたしは前向きつぶやきぽい人を選んでフォローしてますが)。世のワイドショーの中味と同様です(褒め殺しの内容では視聴率が低迷するらしい)。

今、『スマホ脳』読んでいます。全く趣旨の違う話だけれど、”見たくなくても見てしまう”コミュニケーション媒体は、コミュニケーション障害の原因を作り出そうとしているのは間違いなさそうです。早く、明るい話題だけのつぶやきにあふれるSNSの世界が来るといいなあ。

 

 

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かかりつけ医の苦悩

新型コロナワクチン接種の予約段階で、日本中が混乱しています。わが家でも、87歳になる義母の予約を取るのに大騒動でした。Web予約を強く押し進めていたくせに、開けてみたら「かかりつけ医に直接電話連絡して予約してくれ」というメッセージ。そんなパターンがあるとは事前説明もなく、とにかくWebでという報道にマジメに従っていたために出遅れて、結局第一陣の予約は取れませんでした。

次の予約は次週月曜の朝だから、しばらく妻は有名アーチストのコンサートチケット予約をするかのように電話をかけ続けることになるのでしょう。それにしても、高齢者の予約でこれだけ右往左往しているのだからこれが若い人たちの番になったらほとんどパンク状態になるのは必至。先が思いやられます。

そんな中、できるだけ自分が受け持っているかかりつけの患者さんに便宜を図ってあげようと、開業医の皆さんは本当に苦慮しておられます。義母の通うクリニックでは「電話予約以外は一切受け付けません」ときっぱり意思表示していますが、早朝から並んで予約の順番取りしようと並ぶ皆さんのために、『予約のための予約』名簿を書かせるクリニックもあります。そうやって便宜を図ってあげたらあげたで、今度は前夜から並ぶとか、「電話だけ」と云っているのに無視して駆けつけて何とかゴリ押しさせようとするとか、「後れを取ってなるものか」とばかりにデマに振り回されております。そして、そんな騒動をテレビで流すものだから、全然関係ない地域の高齢者の皆さんまでもがさらに不安に駆られてかかりつけ医に問い合わせ電話をして日常診療を妨げることになる。

患者さんのために良かれと思って骨を折っている先生方に丸投げな行政には呆れるしか有りませんが、そもそもこんな国を挙げての施策なんて選挙以外では経験したこともないのですから、まともにできるはずもありません。最初の実験台になった医療関係者はまだ良いとして、次の実験台である高齢者はそれでなくても情報網がテレビか小さなコミュニティしかないので大変でしょう。しかも、後れを取れば取るほど仲間はずれにされそうで不安でたまらないはずです。そんなコミュニティにも参加してない独居の高齢者なんて一層遁世的になっていきそうな懸念もあります。「もう全部ネット予約しかさせません」と大都市圏の集団接種会場予約システムが開き直ってましたが、もうこの報道だけで、ネットなんて触ったこともない自分たちは捨てられるのか!と怒り心頭になる皆さんの姿が想像できます。

昨年のマスク不足の時に薬局に早朝から並んだ人たちは多くが高齢者の方々です。今回は、かかりつけの先生方が何とかしてあげようと(自分もまだ接種を受けていないのに)奮闘されておられますので、少なくともマスコミがこれ以上煽ることは自粛いただけないものでしょうか。

 

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自分で決めてください

巷を賑わせ、地球に住む全人類の中でも特に日本国民を悩ませているのが新型コロナワクチンの問題。まあ、新型コロナ感染自体でも有象無象、喧々囂々、専門家からそうでない人まで、又聞きの又聞きの人たちまで併せて、大騒ぎの様相ですのに・・・。

これまでのワクチン(不活化ワクチンや生ワクチンなど)と違い、新型コロナワクチンは”遺伝子をいじくる”という人類がいまだかつて踏み入れたことのないことを人類全体で人体実験しているようなものだから、今の騒動もある程度分かる気はします。でも、多くの一般国民にとっての問題は、ワクチンは打つべきか打たざるべきかの選択を今迫られているということにあります。じっくり様子をみる余裕がないのです。

「単なる感染症で大部分が無症状なのにどうして国を挙げて右往左往するのか、そもそもそんなものを指定伝染病にするからこんなことになるのだ、なのにテレビに出る医者は何も云わない。それは厚労省が保険医資格権限を牛耳っているから逆らえないのだ」とか、あるいは「遺伝子に向かって操作するワクチンは自己免疫をずっと刺激する物質を体内に打ち込むので、直後の副反応や血栓の問題よりもむしろ5年後10年後に免疫系の難病が誘起されたり生まれてくる子どもに奇形が生じたりする危険性があるのが問題なのだ」とか、地上波では封印されている諸説がSNSやYoutubeを通してかなり飛び交っています。一方で、今をどう凌ぐかが急務な現状で、ワクチン接種を受けることが正義・・・接種を受けていない人は公共施設に入れないとかお店やホテルを利用できないとか、あるいは海外渡航を許さないとか、そんな差別も生まれそうな勢いです。生活や金が絡んでいますから、この両極端の意見はあちこちで大喧嘩を引き起こしそうな雰囲気になっています。

「どっちが本当なんか?」と怒り心頭な皆さま、アカデミックな世界と無縁になった偽医者のわたしが云うのもおこがましいですが、たぶん、正解は誰も知りません。なぜなら、誰も経験したことがないからです。専門家と称する方々も、今までの自分の経験と知識に基づいて意見を主張しているに過ぎません。残念ながら、この地球規模の人体実験は10年、20年の長さで検証しない限り答は出ないのであります。だから、結局「今どうするか」はその判断材料になる知識があるかないかに関わらず、まったくの自己責任の領域だということになります。「正確な情報が少なすぎて、素人にそんな判定なんてできないよ」と叫んでも無駄です。自分で考えて、自分で決めてください。

 

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異常気象

わたしの住む熊本では、昨夜半から雨が降りました。もっと大雨になるのかと思ったら、前線が思ったほど南から上がってこなかったからシトシト雨程度で終わりました。明日も大雨予想から曇り予想(ヘタすると晴れるかも)に変わりました。多分その理由は、昨日早々に南九州が梅雨入りしたことに関係しているように思います。「梅雨入り?」・・・空耳かと思って何度も確認しました。まだ5月の半ば、やっとゴールデンウイークが明けたばかりです。先日の沖縄の梅雨入りもエラい早いなと思ったばかりなのに・・・ということは、5月のうちにわたしの住む九州北部も梅雨入りするのでしょうか。

梅雨入りすること自体にはさほど抵抗はないのですが、最近の梅雨前線は強力かつ居座るから、線状降水帯の猛威でまた昨年の人吉の豪雨のような一晩で街一つ押し流してしまうような災害が起きるのではないかと不安になります。この早い梅雨入りは、今年は梅雨が長くて激しいということなのでしょうか? それとも早々に梅雨明けして、長くて激しい猛暑になるということなのでしょうか? どっちも地獄だけど・・・。

「現代の最新技術で何とかならないものなのかしら」と昨日一緒に散歩していた妻がぽつりとつぶやきましたが、これはずっと警鐘を鳴らされ続けても無視し続けてきた人類の責任だから、やはりむずかしいでしょうねぇ。

 

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歯周病と高血圧症

高血圧予防には歯磨きを

配信されてきたCare Net 2021/05/10号によると、英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)イーストマン歯科研究所のFrancesco D'Aiuto氏らの研究で、重度の(歯の50%以上に歯肉感染が認められる)歯周病のある成人250人(歯周病群)と、歯周病のない250人(対照群)で検討したところ、「重度の歯周病がある人は、高血圧の発症リスクが大幅に高くなる可能性があることが分かった」そうです(Hypertension 2021.3.29掲載)。

結果としては理解できるし、「歯周病菌が歯肉にダメージを与え、高血圧を含む全身性疾患の発症に影響する炎症反応を引き起こす可能性を示すものだ」というのもよく分かります。歯周病が血管炎症を引き起こし、心筋梗塞などの重篤な病気を引き起こすことは以前から知られています。高血圧症治療中のわたしも、実は子どもの頃から歯磨き習慣があまり徹底されていない人間の一人なので、自らを律するためにも刺激的な報告でした。

ただ、この報告の片手落ちなところは、その重度の歯周病患者さんにきっちりと治療をしたら高血圧が改善したのかどうかという検討が書かれていないところでしょうか。2年前に長期間かけて歯周病(まあ軽度ではありましたが)治療を受けたわたしの実体験からすると、治療前と治療後で血圧の変化、あるいは降圧剤の効果に差があったという実感はありません(もっとも、歯周病と高血圧症の関連という意識で自己観察はしていませんが)。行動変容を促すためには、歯周病予防だけではなく、即治療することが重要だというエビデンスを示してもらえたらいいなと、思った次第です。
 

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「ちょっと高め」という云い方

血圧とか血糖とか、むかしからよく「ちょっと高め」という云い方をします。地域の保健師さんが最初に言い始めたのかもしれません。「血圧が150、ちょっと高めだから注意しましょうね」とか「血糖が120、ちょっと高いから食事の注意をしましょう」とか。予防医療の世界に入ってきたときに、「なんじゃ、その云い方は?」とイラッとしたものです。血圧150は”高め”じゃなくて『高血圧症』でしょ。血糖120なんてほとんど『糖尿病』でしょ。どうしてそんな生温い云い方するの?と。「まだクスリを飲むほどじゃなくて、食事や運動で対処すれば改善する可能性もある時期だから」と当時の保健師さんは苦笑いしながら答えていました。当時は、生活療法は”治療”ではないという風潮がありましたからね。でも、明らかに”病気”の定義に当てはまるのだから、「高め」の表現は間違いだと思いますけどね。

彼女たちに云わせると、「病名はつくけどまだ低い方だからあまり強く云わない方がいい」と思うとのこと。イメージ的に、『病気の中で低い方の人』と『まだ病気じゃないけど高い方の人』という境目界隈の人たちを一緒に考えている印象がありますが、この二つは『似て非なるモノ』の典型です。どうしてわざわざその間に大きな線引きをしたのか・・・それはそこには大きな差があるからです。特定健診で、正常の中に『正常高値』の概念を作ったのは、そのレベルを超えたら”治療”の域に入り込んでしまうということを明確に知らしめすためです。ここの部分はとても大事な領域なのだから、現場の医療従事者は決して曖昧に考えていてはいけないと強く思います。

境界領域を、「まだ病気ではないけど今がんばらないと危ない」と考えるか「ほぼ病気だけど軽いから今を維持するのが大事」と考えるか、あるいは「管理が不十分なダメ状態」と考えるか「とても良い治療中の状態」と考えるか、同じようなものでも当事者のモチベーションはまったく違うものです。だからわたしは判定基準にかかわらず、境目界隈の人には常に後者の考え方を薦めることにしているのです。

 

 

 

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退屈な毎日

今年のゴールデンウィーク、わたしは8連休でした(3月までに未使用だった振替休日もフルにいただいて)。残念ながら、日本中の新コロ禍の影響、特にわたしの住む熊本県独自の緊急事態宣言下において、予定していた遠出もすべて取りやめとなり、基本的にすっかり巣ごもり生活の8日間でした。まあ、昨年は巣ごもり9連休でしたから、今年が特別なわけではありません。

そんな休みの最終日、所用を済ませてからずっと家に居ましたから、うちの愛犬の1日を眺めていました。朝5時45~55分になったら目覚まし時計代わりに「ワンワン(起きろ~)!」と吠え始めるところから1日が始まり、おしっこしたら朝飯。いつも変わらぬ安定のドッグフード。普通なら朝7時には出て行く父さん(=わたし)が朝から散歩がてら一緒に連れ出してくれる。でも、その後、夕方の散歩まで何もすることがない。お母さんは静かに仕事(家でキャンドル作り)しているし、他の家族は居ないし、郵便屋さんや運送屋さん以外にお客さんも来ない。ついついうたた寝もしてしまうし、刺激もないからつい居眠りしてしまう。もともと、牧羊犬として生まれてきたカラダなのだから、本来なら一日中でも走り回っていたいはずなのに。昼下がりに、玄関のタイルの上でつまらなそうにうつぶせになっている愛犬の脇によってカラダを撫でてみました。尻尾は振るので嬉しいのだろうけれど、半端に戸惑っている風でもある。一旦庭に出すとそのまま帰って来ずに外にずっと居ようとするのも分かる気がする。

そんな彼女を見ていたら、わたしも定年退職後にはこんな穏やかだけど超退屈な毎日になるのだろうなと思うとちょっと憂うつになりました。そりゃ、呆けるわ。働かせていただけている今の生活の幸せを噛みしめております。そして、けだるそうに上目遣いでわたしを眺めながら力なく尻尾を振る老犬が愛おしくてたまらなくなりました。

 

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上から見ても見えないモノ

このゴールデンウィーク、草刈り日和でわたしには超パラダイスでした。そして、いつものように独り哲学の時間。

草が伸びてきた庭の中にちょっと気になる細くて丈の高い草が散在しています。細い茎の先っちょには小さなピンク色の花が咲いています。この草は実家の墓にもよく咲いています。この草、実は近づいて横から眺めないと実態がよく掴めません。上から眺めると周りの草に同化して見えなくなるのです。地面に這いつくばって1本1本抜くしかありません。それでもすぐに見失います。反対側に座ってみると抜き残していることに気付いたりします。こんなにたくさん生えているのに1本も見えないことは、驚異でありショックなことです。

これは、わたしの草取りの間中横で佇んでいた愛犬の目からはいつも見えているのだろうなと思います。そんなことを考えながら学んだことは、物事には上から俯瞰で眺めていても見えないモノがたくさんあるのだろうということ。見ているつもりでまったく見えていないことがたくさんあるのだろう。そして、いつもそんな心づもりで物事を眺めておかないととても大切なモノを見落とすことが意外に多いだろうということ。

愛犬と散歩しているといつも思うのですが、彼女の目に映る風景はわたしのそれとは全く違うだろうと思います。彼女の知らない世界があるのと同じ数だけわたしの知らない世界がある・・・ときどき地面に近づいて(しゃがむだけでいいから)眺めてみると、他人の知らないであろうことをこっそり知ることができるだろうことをわたしは知っています。

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マスクは苦しいモノ

「変異型の新型コロナはマスクしていても感染する」・・・テレビで毎日のように云っています。

1年前には「マスクはきちんとはめて毎回替えないと意味がない」と専門家が警鐘を鳴らしていて、「そこまでうるさいこと云ってもそもそも現品が品切れなんだからしょうがないんじゃない?」と引いていたこともあったけれど、マスクすること自体は日本人の常識になってきました。でも、いつの間にか『マスクをしている』が免罪符になってきていますまいか。

そもそも感染症に対して、「マスクしていたら感染しない」は間違いです。「きちんとマスクをしていたら・・・」が正解。この「きちんと」はかなり辛い。ウチの職場では仕事柄不織布マスクを適宜配布されて使っていますが、いろいろな会社のモノが混在して配給されます。ここ1ヶ月くらい使っているマスクは、正直辛い。なぜなら本当に密着して装着されるから。4階の診察室まで階段を上るだけで息切れします。普通にメガネかけても全く曇ることはありません。そう、「これが本当のマスク装着なんだよな」と実感して以降は、かえってその前に使っていたレベルのユルユルのマスクが怖くてたまらなくなりました。世間の皆さんが「マスクしているから」と云いながら(特に子どもたちや学生たちは)鼻マスク・あごマスクが多いのは論外だとして、「苦しいくてやってられない」とばかりにユルユルの不織布マスクやウレタンマスクをしている限り、「それはマスクではない」と云い切るしかありません。マスクは装着して苦しくなるモノ。呼吸をする度に膨らんだり凹んだりパコパコするモノ・・・それに慣れていくしかないのであります。

「マスクしているから大丈夫」とばかりに車座になって近くの公園で大笑いして大騒動している若い子たち見ていると、感染拡大は別に変異株の感染力が高いからではない気がします。アクリル板でパーテーションしているからといってついつい大声で話しているのは、もしやテレビのバラエティー番組やニュースコメンテーターの影響ではないかと思います。テレビ出演者はマスクすることなく大声でとなりにいる人と話をしていますから、「ここまではOKなんじゃないか」と勘違いする気がしますね。

ま、「マスクしていたのに感染した」は「きちんとマスクしていなかったから感染した可能性がある」と考えた方がいいのかもしれませんね。

 

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何が目的なのか

昨年の9連休ほどではないけれど、今年のゴールデンウイークのわたしは8連休(4/29~5/6)で1日出勤して5/8~5/9も休み。

例によって仕事を忘れる忘れないの前に、職場のパソコン立ち上げのパスワード何だったかちょっと自信がないというのがゴールデンウイーク明けのわたしの”あるある”です。

休み中はブログアップは完全休止する予定でしたが、何も考えないとアタマが溶けていきそうな気がして(まあ毎日酒飲みすぎていることの方が原因かもしれないけれど)何か書いてみようと思いました。

グチや批判は書かないようにしているブログではありますが、ちょっと気になるので独り言をば。

大都市の新型コロナ感染者急増に伴って、緊急事態宣言が出され、各首長が「ゴールデンウイークは移動しないでほしい。都府県外に行かないでほしい、都府県外から来ないでほしい」と毎日云っている、異常な日々。そんなゴールデンウイークがもうすぐ終わろうとしていますが、巣ごもりしてテレビを点けるとどのテレビ局のニュースもワイドショーも例によって各行楽地や繁華街の人出の様子を報じ、高速道路の渋滞状況を外からのLIVE映像で見せています。「あれだけお願いしていたのにこんな有様です」と云いた気な構成です。自治体が自粛をうながす海岸や河川敷でBBQする若者にインタビューで煽って半ギレされる画像を流したり・・・。

これは何が目的なのでしょう? これを見ている視聴者は家の中に巣ごもりしている人たち。これに出ている人たちはテレビなんか見ないで外に出ている人たち。となると、これを流して自粛せずに外に出ている人たちに反省をうながしているわけではなさそうです。「なんだ、オレは我慢しているのに」と巣ごもり組に怒らせるのが目的なのでしょうか。それとも、これを流しながらコメンテーターやMCと一緒に批判し合うことを楽しむことが目的なのかしら。「事実を事実として伝えているだけだ」と云いながら、これを流して愚行を見世物にする方が視聴率が上げられそうだからという下世話な理由じゃないんでしょうね、まさか。

報道陣が来ようが来まいが彼らの行動に差はないのだから、抑制効果はたぶんない。だったら全部無視するわけにはいかないのでしょうか。我慢を続けているわたしたちの精神的苦痛を和らげるにはそれが一番だと思うのですが。

 

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