上から見ても見えないモノ
このゴールデンウィーク、草刈り日和でわたしには超パラダイスでした。そして、いつものように独り哲学の時間。
草が伸びてきた庭の中にちょっと気になる細くて丈の高い草が散在しています。細い茎の先っちょには小さなピンク色の花が咲いています。この草は実家の墓にもよく咲いています。この草、実は近づいて横から眺めないと実態がよく掴めません。上から眺めると周りの草に同化して見えなくなるのです。地面に這いつくばって1本1本抜くしかありません。それでもすぐに見失います。反対側に座ってみると抜き残していることに気付いたりします。こんなにたくさん生えているのに1本も見えないことは、驚異でありショックなことです。
これは、わたしの草取りの間中横で佇んでいた愛犬の目からはいつも見えているのだろうなと思います。そんなことを考えながら学んだことは、物事には上から俯瞰で眺めていても見えないモノがたくさんあるのだろうということ。見ているつもりでまったく見えていないことがたくさんあるのだろう。そして、いつもそんな心づもりで物事を眺めておかないととても大切なモノを見落とすことが意外に多いだろうということ。
愛犬と散歩しているといつも思うのですが、彼女の目に映る風景はわたしのそれとは全く違うだろうと思います。彼女の知らない世界があるのと同じ数だけわたしの知らない世界がある・・・ときどき地面に近づいて(しゃがむだけでいいから)眺めてみると、他人の知らないであろうことをこっそり知ることができるだろうことをわたしは知っています。
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