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2021年6月

仕事上の身体活動は健康運動にならない

第21回日本抗加齢医学会総会が先週末に開催されました。例によってWeb参加を申し込みましたが、仕事や所用が多くてリアルタイムでの視聴はごく一部しかできませんでしたから7月後半のオンデマンド配信で細かく視聴させていただこうと考えています。

そんな中、シンポジウムのひとつで同志社大学の石井好二郎先生の『オベシティパラドックスとサルコイド肥満』の講演が頭に残りました。今、シニア層で問題になっているのはメタボよりもむしろフレイルやサルコペニアです。筋肉が落ちてやせていくほど死亡率が高くなる傾向にある中で、若い頃にたたき込まれたメタボ対策にいつまでも固執するとかえって危険なことがあります。それをふまえて運動の担う役割について解説していただきましたが、その中にショッキングなデータが提示されました。『余暇と仕事上の身体活動では健康に与える影響が異なる』というものです。余暇で楽しむ運動は運動強度が強いほど心血管イベント発生や全死亡が減るのに対して、仕事で動くときの身体活動はその強度が強いほど心血管イベント発生や死亡が増していくのだそうです。

わたしは運動指導をするときに、「遅くまで身体を使って仕事してきて、帰ってからまた歩いたりする気力が湧かない」と訴える受診者さんに、「仕事の運動も立派に身体活動ですから、それ以上する必要はないです」と話してきました。それは正しいようで正しくなかったということになります。もっとも、どれだけ仕事で動いて帰っても、好きな運動ならその後にいくらでもできます。好きでもない運動を強いられるから気力が湧かないのです。だから、”健康運動”と定義する以上は、”やりたくもないのに健康のためにやむを得ずやる運動”は余暇の運動ではなくむしろ仕事の運動に近いと考えた方がいいのかもしれません。『運動は楽しむもの』・・・その意識は失ってはいけない。特にシニア層の運動の意識は、楽しんでやっている人と好きじゃないけど”健康のために”やむを得ずやっている人とでは、効果に違いが出るだけでなくおそらく健康障害の程度にも影響を与えるに違いない・・・石井先生の講演を聴きながら、そんなことを思った次第です。

 

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運命的な巡り合わせ

先日、関東のブリーダーさんから仔犬をいただきました。なんと12年ぶりのパピーです。老夫婦に活力を与えてくれるのかエネルギーを抜き取られるのか、ちょっと賭けみたいなところもあります。

そんな今回の仔犬はかなりのご縁と幸運が重なりました。ご高齢のブリーダーさんは2年前に大病を患い命も危ないという状況でしたからもうブリーディングは止めたのだと思っていました。わたしたちももういい歳なので今から仔犬を育てるのは無理かなと諦めてもいました。でも、最近この犬種のパピーの画像があちこちでインスタに上がるようになり、最後にもう一度だけ育てたいなと思うようになりまして、久しぶりに犬舎にお電話したのが今年の初め。すると、「ずっと止めていたけれど体力が戻ってきたからもう一度だけ子作りしてみようかなと云っている」と奥さん。そんなことで今回誕生したうちの1匹がこの子。あのタイミングで電話したから生じた縁。今は対面販売しか許されないのと飛行機輸送がネット予約だけになったこととで、わたしが迎えに行く羽目になり、たまたま選んだ6月27日は台風5号が関東に向かって最接近する予報の日・・・ところが直前でスッと東の海に逃れ、台風によって押し上げられた梅雨前線で東京は大雨になるかも?と云っていたのに結局雨などほとんど降らず・・・この子の運の良さを感じずにはおられませんでした。ところが、手荷物カウンターで一騒動。「生後8週以降のペットは可」としていた航空会社が最近「生後4ヶ月」に変更されたのです。それは知っていましたが共同運航便の会社がOKだからここを選んだわけですが、この会社も7月からは4ヶ月に変更するらしい。つまり、この子、6月中じゃなかったら飛行機に乗れなかったかもしれない。これもまた、運命的な縁なのだろうと親バカぶりを発揮するわたしたち老夫婦。

一方、現在12歳半の先輩犬がわが家に来る予定の日に妻がインフルにかかったために1週間延期したら、当日だけ九州地方はピンポイントの嵐で、着陸できるのできないのの騒ぎになりました。着陸できなければ他に行くか戻ると云う。何とか何回目かのトライで降りてくれたけれど、吐物まみれになって出てきた彼女は暗闇恐怖症になりました。7歳のときに2回の熊本地震を経験し、立っていられないほどの揺れやあちこちでモノが壊れる中を逃げ惑った、普通なら人間でも経験することのない体験をしているがために、遠くで雷鳴が聞こえるだけで家中がガタガタ揺れるほどの激しく震えてしまうカラダになってしまいました。わたしたちの元に来たがためにアンラッキーな人生を選ばされた子なのです。自分で制御できないほどに震える姿をみると不憫になります。

何かのご縁で遠く熊本の地まで、わたしたち夫婦の元で人生を全うすることになったこの2匹のワン(本当は27年前にもう1匹同じ犬舎から来て14年弱の人生を共にした子もいます)は、運命的なものが全く正反対ではありますが、各々にわたしたちの大事な子。とにかく優しい良い子たちです。そしてわたしたちを守ってくれる子たちです。だから、最後までしっかりご縁を大切にしようと心に誓っているのであります。

 

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ちょっと思ったこと

たまには、ツッコミ書いても良いかしら。

<キャリア組とノンキャリア組>
最近キャリア官僚の詐欺事件とノンキャリア職員の盗撮事件が相次いで報道されました。まあ、キャリア官僚が給付金不正受給で捕まったヤツは「キャリア組」と報道しても合点はいく(医者や弁護士などが報じられるのと同じレベルでしょうから)けど、女子トイレを盗撮した経産省職員をわざわざ『ノンキャリア』を付けて報道する必要があるのかしら? 普通に”経産省職員”で十分ではないのか? これは差別用語にならないのか? 甚だ疑問です。それにしても、キャリア/ノンキャリアってカースト制と同じレベルなのですね。 

 <デルタ株>
インド型新型コロナを『デルタ株』と呼ぶらしい。国名を付けると国の印象が悪くなるから、とかで。ところでこのデルタ株、症状が従来型と違って発熱や咳など普通の風邪みたいな症状が主体だそうです。味覚・嗅覚の異常はほとんど出てこないのだそうです。だから「普通の風邪じゃないかと思って放置する人が少なくないから、ちょっとでもおかしかったら必ず新型コロナを疑って病院に相談してください」とテレビで云ってました。でも・・・コロナウイルスってそもそも普通感冒のウイルスなのだから、変異を重ねて先祖がえりしているということではいけないのかしら? 確かに感染力は従来型の2倍だからバージョンは上がっているのでしょうけれど。

 <韓国の柔軟性>
先日、TVのクイズ番組で見たのですが、歩きスマホの影響で信号無視する危険な歩行者が多いことに対する対策として、「歩行者信号を足元の道路に埋め込んでいる」というのが紹介されていました。韓国での話です。これが国民性か、それとも国の柔軟性か? 日本なら「歩きスマホをしない/させない」の徹底指導に全力をつぎ込むけれど、韓国は「どうせ歩きスマホは直らないだろうから、歩きスマホしていても無視できない施策」を考える。考え方の根本が違うのだと理解できる話。

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忙しいときは

今週はやたら忙しい。もちろん、仕事でではなくプライベートで。本当は25日から日本抗加齢学会総会が行われていてわたしはオンライン参加を申し込んでいるのだけれど、どうもLIVE配信ではほとんど参加できそうにありませんから後日のオンデマンドに期待するしかなさそうです。というのも、強行軍の県またぎ移動や銀行関連の諸手続に続き、急遽週末に強行軍の羽田空港行きの用事が加わったため。そして、次週からは病院近くの企業のワクチン接種の手助けをしなければならなくなったことも影響しています。

で、忙しくなるとわたしは若干パニクります。段取り屋ですから、これからやることのお品書きを最初に書いてスケジューリングしないと動けないのですが、「いつまでにあれとあれを片付けなければならない」「あそこに行くためには何を揃えたらいい?」「今からアレをしなければならないけど間に合うかしら」・・・予期不安に襲われながら、かえって何もできなくなったりします。

でも、そんなとき重要なことは「とにかくひとつひとつを確実に片付けていく」ということだと心得ています。こういうときこそ深呼吸して「なんでもないこと」と常に自分で確認しながら、粛々と片付けていく。そうすれば勝手にTo Doリストは静かに片付いていくはず。「焦らず、先送りせず、逃げずにひとつひとつ」・・・そう口に出して進めるように心がけている今日この頃です(まあ、このブログに手を出していること自体は、若干”逃避”がかかってはいますが)。

むかし、心臓カテーテル検査・治療に携わっていました。なかなか目的の血管に当たらずに焦っていたときに指導医から云われたことば、「焦ることはない、血管は必ずそこにある。逃げはしないから自信を持って探しなさい」

むかし、演劇部員だったころ、公演で使う電気コードが大量にこんがらがって収拾がつかなくなって途方に暮れていたとき、先輩が云ったことば、「一本一本は全部別なのだから、一本ずつ辿っていけば必ず解ける。焦らず、一本一本を手繰っていこうよ」

どっちも、今のようなマストの仕事量が折り重なってしまっているときのココロの支えです。

『焦らず、先送りせず、逃げずにひとつひとつ』

 

というわけで、しばらくブログは後回しです。

 

 

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下町商店街

第27回日本心臓リハビリテーション学会学術集会の中からもうひとつ、とても共感できた話題を・・・教育講演『都市計画と心臓リハビリテーション』。

郊外の計画的にデザインされたモダンな住宅街に住むのとごちゃごちゃした昔ながらの下町商店街に住むのと、どっちが健康的か?という、演者の井上茂先生(東京医大)の問いかけ。一見、郊外のモダンな住宅街で広い歩道や大きな公園や充実したショッピングモールも完備された場所の方が健康的で、散歩コースも十分あるから日常の運動生活にも不自由しないじゃないか、とわたしは思いましたが・・・確かに、この郊外の生活は車で移動することを念頭に置いて作られたアメリカ型の発想ですから、こんなところに住んだら自宅周辺で遊ぶ以外は必ず車移動(せいぜい自転車移動)を選択する人が大多数です(わたしは歩いて30分以内の場所へは意地でも歩いて移動しようとしますが)。下町商店街界隈のごちゃごちゃした街の中では車移動は微妙に不便で、住人は自ずと歩くことを余儀なくされます。勝手に運動せざるを得ない。まあ、面倒くさい近所付き合いも心身の健康のためにはかえって重要と云えるかもしれません。

先日の熊本での心リハ研究会で『社会的処方』について視聴しましたが、今、健康的な生活を送るための生活環境作りの考え方は、単に”便利”で”楽ちん”というキーワードではなくなってきているということを再び学びました。そして、行政は遙か前からこのことを念頭に置いた都市計画を行っているのだと云うことも知りました。オフィス環境でのデザインにおいても、確かに最近のオフィスでは座らずにディスカッションする光景を見かけます(うちの病院でも変わってきました)。

たしかに、東京大阪などの大都市では公共交通機関か徒歩での移動が主体になるから勝手にかなりの身体活動を強いられますが、田舎の地方都市で生活すると車移動が大原則で田舎の方が不健康な生活になったりすることを、わたしも経験してきました。

 

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行動経済学って?

先週末は、時間の合間を縫って第27回日本心臓リハビリテーション学会にオンラインで参加してとりあえずいくつかのオンデマンド配信の講演を視聴しました。コロナ禍で唯一良かったことはこうやって自宅に居ながら学会参加ができることです。旅費がかからないだけでなく、オンデマンド配信は何度でもあるいは24時間いつでも内容確認ができるというメリットを自分でも活かせるようになってきました。オンデマンド配信はこれから順次始まりますが、とりあえず初日に視聴した教育講演の中から、ココロに残った2つについて触れたいと思います。

最初に視聴したのは、大阪大学の平井啓先生の教育講演『心臓リハビリテーションにおけるナッジ理論と健康行動』。先生のご専門の行動経済学の立場から、「患者と医療者のすれ違いがなぜ起きるのか」のお話をしていただきました。これは治療現場から離れたわたしにとっても、予防医療の行動変容を導くために日々苦慮している点なのでとても参考になりました。医療者は「正しい情報を伝えれば患者は理解して正しい意思決定ができるはずだ」と思っているけれど、患者はいつでも合理的に意志決定するわけではないしそれが自然なので(限定合理性というらしい)、ここにすれ違いが生じるとのこと。変えなきゃと思うけど先延ばししたい、身近の情報やテレビの情報に影響受ける、今の状況をできたら変えたくない、せっかく今まで治療受けたのだから今更病院を変えたくない、などの心理だと。

『リバタリアン』『パターナリズム』『ナッジ理論』・・・ナッジ理論のことを以前どこかの学会か研修会で耳にしてとても興味を持っていたのでこの講演視聴を選択したのですが、むしろ『行動経済学』という未知の世界の人間心理を突く学問にとても興味津々になった講演でした。

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アンチエイジングは老化予防ではない

オンラインの専門医研修会には可能な限り登録参加しています。先日は、人間ドック健診専門医研修会がありました。その中で、アンチエイジングの世界では有名な米井嘉一先生(同志社大学)のセッションがありました。遠い昔、まだ抗加齢医学会が産声を上げる頃の学会でお見受けしたころには部下達を多数引き連れて若若しい先生でしたが、さすがに年齢を重ねたなあとちょっと感動しました(アンチエイジングの世界の人だからこんな書き方すると良くないのかしら)。

米井先生の講義:『睡眠の質の改善による身体指標の変化』は主に糖化ストレスとメラトニン、および寝具や睡眠環境の問題を系統だって整理してくれていてとても勉強になりました。あまり細かいことをここで紹介はできませんが、2つだけココロに残る内容がありました。

『アンチエイジングとは、アンチ病的エイジングの意味であり、機能年齢の老化予防・若返りである。』の中で、「アンチエイジングは『病的な老化』の予防だけではなく、『病的な発育・成熟』の予防の意味も含まれる」ということ。つまり、年寄りの問題だけがアンチエイジングではなく、まず子どものころの発育が健全であることが重要であるというコトバにハッとさせられました。発育の段階で不健全な生き方をすると人生のスタート時点ですでに不利な位置づけになるのだということ、とても大事なことです。糖化ストレスがアンチエイジングの重要な要因であるとなれば、食育こそがアンチエイジングの最大のキーワードだと皆が意識しなければならないと感じました。

もう一つは、『パイレーツの法則』。「10匹の敵がいたら2匹の強い敵を先に退治しろ。これで8割の目標は達成される」というもの。老化の大変なところは、何か重要な項目が病気などで衰えると他の項目(機能)がそれを補おうとするのではなく全部の機能を同等に低下させてバランスを取るということを以前聞いたことがあります。それと繋がる項目かと思います。「老化指標10項目のうち重要な2項目を修正するのが大切である・・・それが最も老化した”機能年齢”と最も大きな”老化危険因子”を見つけ出して修正する」ということ、これからの予防医療の指導でいつも意識しておきたいと思います。というか、まずは自分の人生で活かさないといけませんね。

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生活習慣を変えるって簡単じゃない

「あなたは、他人には厳しいけど、自分には甘いよね」と妻に云われ続けてもう20年近い。妻の前で出てきたお腹をさすっていると、「簡単よ。あなたは、お酒とピーナッツやめたらすぐに引っ込むよ」と手厳しいご指摘を受けます。

そうなんです。こんな仕事をしているから、自分なりに風体には気を遣って頑張ってみてはいるのだけれど、なんせほら、わたしの豊富な脂肪細胞のキャパは高校時代に大事に作り上げたものですし、目の前にあるものをすべて口に入れるのは”勿体ないお化け”の権化の祖母から厳しく指導された”たしなみ”ですし、「この子は、熱が40度以上あっても、角缶のあられを全部食べてしまったんだよ」と幼い頃の武勇伝をヒトに自慢する父親に育てられ、あまり料理が得意ではない母が頑張って作ってくれたたくさんの夕飯を残したりできなかったのであります。「なーん遠慮しよんのかえ、若えもんはとにかく食べるのが仕事で!」と訪問する度に大量の料理責めをしてくれた父方の叔母。「あんた、良う食べるなぁ。さすがは健康優良児やな」とちょっとあきれ顔で眺める母方の伯母。

わたしが今のわたしであるのは、そんな恵まれた生活環境にいたからに他なりません。

それでも、まあ一時は90キロ以上の体重になったこともありますが、おかげさまでまあまあ普通の大柄体型で落ち着いたのは、おそらく父方にも母方にも、真のサバイバル遺伝子が存在しなかったからでありましょう。

 

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誰に言い訳する?

「わたし、ちゃんと毎朝ウォーキングしているんですよ」
「週1回はプールで泳いでいます」

人間ドックの問診や結果説明のときによくこういう言い訳(「言い訳」という云い方に悪意があるか?)を云う人がいますが、彼らは一体ナニに対して言い訳しているのだろう?とわたしは密かに首を傾げています。

したくもないことに対して「自分はこんなに頑張っているんだ」という主張なのでしょうけれど、その効果や成果を評価してもらう相手はわたしたちではなく、常に”自分自身”です。大義名分を振りかざして自分の頑張りを主張したところで、自分のカラダが認めない(成果が認められない)ならそれはやっていないのと同じ。云うならば、生活習慣病に対する行動変容は、”自分自身との戦い”というか”自分自身との対話”でしかないことを意識してもらいたい。

自分の決めたことに対して、自分は勝ったのか負けたのか、誰かに言い訳するのではなく、自分自身に正直に向かい合って正直に自己評価してみましょう。最近、地元の焼酎のCMで若い女性が焼酎飲みながら自分自身の分身と会話しているヤツがありますが、あれと同じですね。わたしも毎日毎晩会話しています(ときには口に出して独り言云ってみたり)。これ、意外におもしろい。自分に勝った負けたの判定は、誰にも公表しない戦いだから正直になれるし、負けそうになりながら何とか挽回して勝てたときにはちょっとほくそ笑んでしまいます。もちろん負けたらため息をついて凹みますけど、いつでもそこでリセットしてしまえるのが良いところです。

 

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誰に勝つ?

特定保健指導では、自分で頑張る具体的な行動目標をいくつか並べて毎日「勝った」「負けた」と自己評価することで目標達成を目指します。いうならば、”自分との戦い”。ところが、人間はどうしても自分には甘くなるので、大きな目的とモチベーションがないと行動変容はむずかしい。それを防ぐために傍から監視して叱咤激励してもらうことで頑張らせようという魂胆が特定保健指導です。これを受ける人はもともとマジメで、自分の健康を何とかしたいと思うから参加するわけだから成果はそれなりに出るのですが、やはり長続きしない・・・監視の目がなくなると結局自分に負けてしまうのが人間の性(さが)というものなのでしょう。

何かをやりとげようとするとき、ヒトは必ず何かと戦います。『競争する』という行動は強い行動変容のモチベーションになりますが、それを他人に求めるか自分に求めるか。「あいつには負けたくないから頑張る」・・・これはものすごいモチベーションです。スポーツなどで大成するヒトには必ずライバル(好敵手)が存在します。時々人間ドックを友人と受診して、「目標体重に近づけた方がお酒をおごる」などというレベルのゲームをしているヒトもいますが、まあそれもヨシでしょう。でも、わたしは子どものころからヒトと競うのが好きではありませんでした。負けるのがイヤだったからかもしれませんが、少なくとも何かをしようとするときに他人を基準にしたことはありません。両親もそういう叱咤激励の仕方をしませんでした。だから、わたしの場合は自分との戦いになります。そして、多くの場合(特に生活管理や体重管理においては)、負けます。「また負けちゃったよ」と自分で自嘲しながら苦笑いします。

そんなわたしが、今、ちょっと頑張っています。毎年恒例の生活改善3ヶ月で成果を出した後、その期間にしか絶対に載らないことにしている体重計に今でも毎日載っているのです。こっそり自分と戦うとき、数字の威力はバカになりません。もはや監視をして褒めてくれる保健師さんも付いていないけれど、毎日の歩数と毎日の体重は数値で出るので思いの外必死になれます。月曜日に先週末より増えている体重を何とか週末までに下げる努力。梅雨で夕散歩できない日にどうやって目標歩数に到達させるか職場で苦闘する日々。自分とだけの戦いを挑み始めると、それはそれで楽しいモチベーションの日々です。増えていると分かっていても昼前には体重計に載りにロッカールームに行かずにおれないわたしって、意外にかわいい(笑)

 わたしは自分との戦いにだけは負けたくない、と思っています。たとえ他人に褒めてもらえなくても、あるいは叱られなくても、自分を自分で監視する上で、自分の目には負けたくない。自分にだけはウソはつきたくない。人生の終末点に近くなってきて、そんなことを思うようになってきた今日この頃なのであります。

 

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小杉湯と『社会的処方』

先日、オンラインで熊本心臓リハビリテーション研究会に参加しました。特別講演のテーマは『Exercise Medicineと社会的処方』。演者は帝京大学の佐藤真治先生です。

『社会的処方』も『EIM(Exercise is Medicine』も初めて耳にする単語で、ちょっと構えてしまいましたが、演者の佐藤先生が学者っぽくない軽妙な口調で話されたので、スッと頭に入ってきました。『社会的処方』とは「社会的孤立を減らすために”リンクワーカー”なるキーパーソンによって社会にある身近な活動に参加させること。その手段のひとつに”運動”がある・・・こんな理解のしかたで大丈夫かしら。ちょっと不安になってネット検索してみたら、『社会的処方: 孤立という病を地域のつながりで治す方法』なる本を見つけ出して、早速購入してしまいました(ヤバいヤバい。またまた読むかどうかわからない本を買ってしまった)。でも、Amazonのこの本の紹介イメージの6枚がとてもわかりやすい解説でした。これについては、検索したときに一緒に出てきた『宮木医院リオムメンタルクリニック』の解説も紹介しておきます。 

 さてそんな概念の取り組みの中で、佐藤先生が取り組んでいるのがEIMの戦略。そこに出て来るのが高円寺にある老舗銭湯『小杉湯』。熊本の田舎に住む身として高円寺の銭湯なんてここで知らなかったら一生縁のなかった存在。でも、どうもこの銭湯に集まる若者たちがすごいらしい。検索するとまあ出てくる出てくる。

なぜ高円寺の銭湯「小杉湯」はずっと人気店でいられるのか』(ダイアモンドオンライン)

まあ彼らの町づくり戦略はいいとして、この戦略と社会的処方がリンクした結果、『銭湯から始まる健康づくり2020』となるわけです。『そぞろ歩き』『Say Hallowプロジェクト』『感謝の循環』『コトノネ』・・・キーワードがぞろぞろ。

こういう町づくりの活動には、必ず若者たちがいる。金を出す企業や自治体とそこをつなぐ学者さんたちが要るとしても、結局若者たちの熱意が作り上げています。わたしもこういう活動には興味はあるけれど、どうしても自分はそういう活動の中心にはなれないし、かといって隅っこで関わる勇気すら微妙にない。そんな尻込み人生を悔やみながら、話を聞いておりました。最後に、佐藤先生がまとめた『医療者が地域に飛び出すために』をそっと書き写しました。
・人のみならず社会的関係を診る→環境の中で人と違う行動をするのはむずかしい。
・エリアを区切り、そこに住む→地域の声(需要・興味・関心)を聞く。
・互いに学ぶ。

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危険運転

「先週末は全国で多くの信じられないような危険運転が発見されました」

朝からワイドショーではこれ見よがしに街の監視カメラや車載カメラで記録された衝撃画像が紹介されました。猛スピードの逆走車、歩道を通行する車やバイク、自転車の迷惑運転、信号無視などなど・・・いろんな悪行・愚行の数々を流しているのは、何が目的なのでしょう? 「今は監視カメラで全部見られてるんだよ」という見せしめ? 「危険なヤツが多いから気をつけろ」という周囲への警告? それとも単に怖いもの見たさの視聴者心理をついた視聴率アップの戦略?

いろいろな輩(やから)の傍若無人ぶりを特別なことのように動画で紹介していますが、別にこんなこと世の中にはむかしからたくさんあって、危機一髪を経験した人も不幸にして事故に遭ってしまった人も今と同等の頻度で起きているのだ、ということを世間の人たちはみんな分っているでしょうに。単にみんなが車載カメラを付けるようになってそれを気軽に社会に公表するようになったから、まるで「現代人が常識がない」みたいな論調になっているだけのことではあるまいか。

せっかく、一億総監視官を気取っているのだし、きっちり証拠があるのだから、法律をさっさと変えて、モザイクなしで全国に晒してやればいいんじゃないの? まあ、一層有名になりたくて悪行を晒そうとするバカチンも居るでしょうけど、こんな危険行為を社会から減らしたいという正義感だけで放映していると言い切る自信がテレビ局にあるのだったら、是非そうしてもらいたいものです。毎朝、『今日の犯罪者』シリーズで一人をとことん晒しまくるとか。そんな過激な方向に持って行ってくれるなら、毎朝の報道も一応応援しますけど・・・今の状態は、単なるおもしろ動画よりはるかに下品なゲテモノ動画の類いでしかなくて、ちょっと嫌悪感すら感じる今日この頃のわたしであります。

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独り言

「かい(痒)いーなあー。たまらんなー!」と云ってマスクを外して鼻の辺りをごしごし。

「あち(暑)いなあー。エアコンちゃんと効いてんのかな-」とグチって空調スイッチを見に行く。

最近よく、自分の小さな診察室で黙々と心電図の判読などしているときのわたしの動向です。こういうとき、どうしてヒトは独り言を云うのだろう? だって、周りに誰も居ないのだから、口に出しても何の意味もないのに。

「あいた(痛)ー!」と膝を机の角にぶつけたときに思わず叫ぶのはわかる。他人に教えるためではなく、自分の痛みを少しでも和らげるための咄嗟の自己防衛本能だから。でも、痒いとか暑いとか、自分の行動の言い訳を、弁明する相手も居ないのに口に出してしまう心境って・・・。やっぱり、自分の直面した苦痛を和らげるための術の一つなのかしら。

自分で自分の行動が妙に滑稽に見えて、つい呟いてしまいました。

 

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お腹が空くと眠くなる?

「夜は少なめに食べて、お腹が空くならさっさと寝るのが一番いい方法です」と指導すると、「腹が減ると眠れなくなるから、夜に腹八分なんて到底ムリだ」と拒否する人が少なくないのですが、本当にそうなのでしょうか? 腹一杯になれば眠くなるのはわかる(食ってすぐ寝ると牛になるぞ)。でも、わたしはお腹が空いても眠くなります。むしろ、お腹が空いて寝た方が起きた時の気分がとても良いことを実感できます。

低血糖だとアタマが「まだもらうべきものをもらってないぞ」と主張するのでしょうが、よほどの飢餓状態でやない限り、体内には貯蓄しているエネルギーが山ほどあるのだから、そんな悪魔の囁きなんて、数日無視してたらすぐに黙るようになるはずなんですけどねー。

時間栄養学が主流になってきた昨今、睡眠中の細胞修復を促す成長ホルモンをきちんと分泌させるには、眠る前の血糖を上げないことは必須です。そもそも生物は「腹が減ればムダに動かずに早く寝る」が一番体内を理想に近づけられるように作られているはずだと思うのです。

誰か、本当のところを教えてくれるヒト居ませんか。

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AIによる健康改善プラン

実行しやすい健康改善プランを提案するAI(人工知能)を開発 健診データから1人ひとりに最適なプランを選択

 ”京都大学などが、AI(人工知能)の技術のひとつである機械学習などを組合わせることで、個人の健診データをもとに、1人ひとりに最適で効果的な健康改善プランを提案できるAIの開発に成功したと発表した。”(保健指導リソースガイド2021.6.1配信号)

「健康改善プランは、予測される結果の改善効果が大きく、かつ人にとって『実行しやすい』ものである必要がある」

「健康改善のために、運動、飲酒制限、食習慣などに関して、すべての項目に対して介入を行うのではなく、効率的な改善が可能であれば、項目を絞ったほうが、保健指導を受ける人にとっての受容性は高くなる」

「個別化医療では、多様な個人の健康特性や嗜好にもとづき、患者が受け入れられる健康改善プランを立てることが重要な要素となっているが、そうした健康改善プランの提案は、主に臨床医の経験に依存しており、データ主導の方法で臨床医をサポートすることは課題となっている」

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すべてごもっともです。そして、長年それが生活指導のネックになっています。「理屈は分かるけど実行は面倒くさい」と思い、指導する側も「たぶんできないだろうけどこれしかないのよ」と思いながら話した節があります。だから、今回のこの研究はとても画期的で期待が持てると直感的に思いました。金を払ってでも手に入れてもらいたいと思う・・・これこそが、AIの本領発揮できる分野ではありますまいか! 結果にコミットする上に、実行可能なものを見つけ出してくれる・・・ロボットが人間と共存する世界の中で、こういう分野の共存こそが鉄腕アトムの存在よりもはるかに人間的な共存だと云えると思います。

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若い子ほど疲れるのはなぜ?

職員健診などで待合室で待っている若い職員の多くが居眠り(しかも爆睡)しています。昼休みの休憩室などでも時間があれば仮眠している若者がたくさんいます。そういえばわたしも若い頃にはいつも眠くて、昼休みの仮眠はとても重要だと感じていました。そして、寝ても寝てもまだ眠い毎日。

何か不思議です。最近のわたしは、昼に眠くなることはほとんどありません。夜に寝付けなくて睡眠不足のせいで午前の読影中に一瞬うたた寝することはありますがごく稀です。どうして若い子ほど疲れているのでしょう? もしかしたら若いときは代謝が激しい分だけ無意味にエネルギーを使っているのかもしれません。もちろん、老いるとあまり動かなくなるし立場が上がって仕事でもあまり動かしてもらえないことも影響するのかもしれませんが、むしろ動かない方が疲れは溜まるものでもあります。同じ仕事をしても「経験値で効率の良いやり方をしているから」と云う人もいるかもしれないけれど・・・手は抜いていないと思うのだけれど、どこか省エネになっているんでしょね。ひとつひとつのことに熱く燃え上がって活動していないのは確かですし。

そういえば、最近、ワクワクすることがあまりないです。もちろんコロナのせいでどこにも行けないし今までしていたことができなくなっている影響もありますが、その前から、何か”ものすごく楽しみにする”というものがなくなってきました。ひいきのプロサッカーチームの応援にホームスタジアムに行くときも、休みに親しい友人とゴルフをするときも、友人や職場で宴会に参加するときも、なんかそんなにワクワクしなくなりました。若い頃に好きな人と食事をするとか行きたかった場所にドライブするとか、そんな日の前の日のようなワクワク感が全然湧いてこなくなりました

心身ともに燃えるものがなくなったから、燃え尽きるような疲れ方ができなくなったということでしょうか。

 

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掃除好きの誤解

いつの頃からか、毎週末に家の掃除をするのがわたしの習慣になりました。掃除といっても、掃除機かけとモップ拭きをするだけですが、20キロ超の長毛犬と室内で同居しているもので掃除をするとスッキリします。

若い頃から医局の机や書棚をスッキリ片付けるのが常だったわたしのことを「几帳面でいつも整理整頓せずにはおれない性格」と評した同僚医師は少なくありません。でも、本来、そんな掃除好きでもありません。子どもの頃、わたしの部屋は足の踏み場もないほど散らかっていましたし何か必要なものを捜すときには棚の上に山のように雑然と積み上げられたモノを掘り返さないと見つからない状態でした。父も母もさほど掃除好きではなかったし、わたしはばあちゃん子でしたが、このばあちゃんが”もったいないお化け”の化身みたいな人でしたから家には物が溢れていました。そんなことをわたしが掃除好きではなかった言い訳に使ってはみましたが、そもそも面倒くさがりなのです。執着気質ではありますが血液型AOのわたしは意外に几帳面でもありません。

一体いつからわたしはこんな掃除習慣の人間になったのでしょう。妻も妻の母も掃除好きではありません。というか、モノが少ないのが落ちつかないのか、わたしが整理して空けたスペースを見つけるとすぐに何かを置いて埋めたがります。だから、別に妻の影響でもありませんし、もう少し前からの習慣のように思います。一人暮らしを始めた頃から? どうも定かではありませんが、おそらく、面倒くさがりながらも頑張って整理整頓したらとてもスッキリして、その快感が忘れられなくなったのでしょう。ある意味、麻薬と同じようなモノ。

ただ、こうなると今度は執着気質だから、定期的にやらないと気になってしょうがないわけです。忙しくて掃除ができないまま週が明けると、ものすごい罪悪感に苛まれてしまうのです。どうも、こっちの方が厄介です。もう少し、本来の血液型AOの中途半端なズボラ気質を復活させなければ、と思う今日この頃であります。

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中和抗体と飲酒習慣

飲酒の頻度が高い人は新型コロナワクチンの効果が出にくい 千葉大病院が確認

 触れてもしょうがないので話題にしないつもりでしたが、もののみごとにマスコミが食いついてしまって6月4日の朝はあちこちのワイドショーで騒いでいた様子なので、やむをえず取り上げました。

”千葉大学医学部附属病院(千葉大学病院)で2021年2月1日に設置した「コロナワクチンセンター」においてファイザー製新型コロナワクチンを接種した病院職員1774名の抗体価を調べた結果、2回目のワクチン接種後に1773名(99.9%)が抗体陽性になった”

と発表したそうですが、その抗体価の高さを比較すると、高齢者や飲酒常習者の抗体価が平均より低かったこともわかったというもの。他にも、抗体価が上がりやすい因子、上がりにくい因子を分析している(結果参照)のですが、話題にしやすいから『酒の話』だけに食いついたということでしょうか。

はいはい。高齢者で飲酒常習者のわたしはきっと抗体価が高くないのでしょう。なにしろ2度目の接種では打ったときも翌日も何の反応もなかったからいまだに「あれは生食だけだった」と疑っているのですから。むしろわたしは、その1774名中”ただひとり陽性にならなかった人”のことをもっと知りたかったです。この人は何が違っていたのか、その方がはるかに参考になる気がします。

こういう手の研究は、統計解析して出てきた結果でしかなく、「だからどうしろ?」ということが明確にメッセージとして発せられなければただのマスターベーションだと思います。だって、もうわたしみたいに接種を終えた人には今更何を云われても同じことなのですから。飲酒常習者は抗体価を測って低ければ3回目の接種を検討すべきだとか、これから接種する飲酒常習者は今日から禁酒した方が良いとか、今年はもうしょうがないから次に予防接種しなければならない時が来たらその時こそまず禁酒から始めることを勧める、とか・・・そんな前向きで強いメッセージを発信していただきたいものです。

もっとも、ワクチンの中和抗体という点ではアルコールによる肝臓の予備能低下が関与しているのではないかと考察するドクターも居ましたが、結局どんなワクチンでも大なり小なり関与するわけですから、インフルエンザワクチンにしろ肝炎ワクチンにしろHPVワクチンにしろ、最大限の効果を期待するなら接種前数ヶ月は禁酒すべきとはっきり云ってほしいものですわ。

 

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多数派はどっち?

ニュースで外飲みをする若者たちの影像が流れました。「だって、飲めるところがどこもないんだからしょうがないじゃないか」「独りでも飲めるけど、友だちと一緒に話しながら飲んだ方が楽しいから」・・・相変わらず悪びれるでもなくインタビューに答える若者たちをモザイクでうつしている影像。見ていて、もちろんイラッとするわけですけれど、さてこんなことをしている輩は実際にはどれだけ居るのかしら? そんなけしからん輩があちこちの街で大量にいるなら由々しき問題ですが、テレビで紹介される程度の数であればそう大したことではない気がします。それを目くじら立てて報道したところで大勢に影響はないのではないか。”自粛”である以上は守らないヤツはどうせ守らないのだから、そんな奴らを「けしからん」といってバッシングしてもムダ。なのに、報道をみるとこんな連中が都会には山ほど居て街の秩序を著しく乱しているかのごとくに錯覚させられます。

先日、所用があって夜8時前に車で国道を通ったら、妙に暗くて違和感を覚えました。「ああそうか、お店が夜8時で閉まるから、軒並み電気を消しているんだね」と運転していた妻が云いました。コロナが怖くて夜に滅多に外に出ないわたしたち夫婦にとっては妙に新鮮な風景でした。わたしが住む熊本市はまん防が適用されて今月13日までは20時以降の酒の提供が禁じられています。自らの目で地方都市を見る限り、我が町は秩序がほぼほぼ守られているように思われます。

ニュースを見ているととにかく何かにつけて批判の話ばかりです。新型コロナへの政府の対応の是非、ワクチン接種の是非、東京オリンピック開催の是非など、いずれも批判のニュースが大半です。まるで世の中の多数派の意見であるかのような印象を受けますが、本当はどうなのでしょう? 何も知らないわたしたち視聴者は、毎日違う形で批判の意見を聞かされることで感化されてしまう気がしますから、本当のことを教えてほしい。「そんな意見もあります」程度なのなら、そのことをもっと強調してほしい。隣国の反日運動にしてもそう。激しい活動家はごく一部なのに、「国を挙げて騒動している」的な報道が成されてきました。

インパクトの強い意見の紹介は本当に扱いを慎重にしなければなりません。視聴率を上げるための報道では報道のあり方が間違っているように思います。本当は世の中の大部分は平和裏に粛々と準備が調えられているのではないのでしょうか。

 

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妻の云い分

熊本で流れている予備校のCMがあります。分速75mの嵐の中を歩く男のCM。1時間後に後ろからその男の兄が分速250mの自転車で追いかけた場合に何分で追いつくかという数学問題のCM。私は、「なかなか面白いけど予備校のCMとしてはどうかな」という目で眺めていたのですが、妻が嵌ってまして、「あの気持ち分るのよ」と言う。誰の気持ちかというと、黙々と歩く弟くんを止めようとする女の子。「学生の頃、数学のこの文章題の問題を読んだときからずっとおかしいと思ってたのよ。実の兄が後ろから追いかけてくるんだよ。普通、兄は声をかけるだろうし、その声に気付いたら弟は絶対に立ち止まるやろ。なんで無視して歩き続けるんだ?」って。

「あんた、まともに数学を考える気がなかったんやろ」と云うと、「そんなことないよ。だって普通の人間なら、おかしいと思う方が普通でしょ。そういえば、あの杭の問題も昔から気になってた」と続けます。植木算のことらしい。「同じ間隔で杭を立てる時に杭は何本準備する必要があるか」という類いの問題ですが、「普通、杭は打ち込み損ねる危険性があるんだから、2、3本は余分に準備しとくべきでしょ、予備で」って。

ネタで言ってるのかマジで思っているのか、ようわからんが、マジメに数学に向かい合って生きてきたわたしには全くの屁理屈にしか思えなかったわ。

「文章題って、現実的じゃない例文だと、それが気になって問題を答えられないよね」って・・・まだ云うか。やっぱり、解く気なかったようだ。

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メモをすること

わたしはそもそもメモ魔でした。そして情報整理するために定期的にいろいろなものの一覧表を作成し、定期的に修正改訂していました。

古くは住所録、葬式・法事の諸般の記録、パソコン関連のID&パスワード表、学会の会員番号や参加予定スケジュール表などなど。もちろん、子どものころは夏休みの予定表や引っ越し予定表、長期休暇時の掃除予定表などまで。

それの一切合切が面倒くさくなってしまっている昨今。パスワードは変更する度に古い表に手書きで書き足し書き足し、新しく加わったものも走り書きのような汚い手書き。本当にこれでいいのかしら?と思うこと頻り。パソコン管理であれ手書きであれどっちでも良いのだけれど、最近本当にメモが走り書きすぎる。きちんとした文字を書けていなくて、そのこと自体に凹む今日この頃であります。あとで見直しても何て書いてあるか自分で読めないことも少なくない。これが、ひっくるめて『老化』というものなのでしょうかなぁ。

でも、これから終活を始めなければならないお年頃。パソコン自体のパスワードやID記録以外にも、自分が急逝したり寝たきりになったりしたときに連絡して解約してもらわなければならないデジタル遺産の諸々を早く記録しておかなければならないと思ってはいるのです。最初に連絡しておいてほしい友人、知人の連絡先も妻は知らないでしょう。いやむしろ、ネット販売をしている妻こそ、突然倒れられてもわたしは何もできない。妻のパソコンすら開けられない。楽天市場のどこに連絡したら良いのか、「最低限のことはちゃんと書いておけよ」と云うと「わかってる」と答えるのだけれど、仕事の忙しさにかまけてちっとも書こうとしない。

どれもこれも面倒くさいからなのです。

 

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マスク顔

最近、道やスーパーで人とすれ違うとき、「あれ?」と違和感を覚えることが時々あります。どうしてなのか考えてみると、大体はすれ違った人がマスクをしていなかったとき。そんなにすれ違う人をまじまじと眺めるわけではないのに、それでも”鼻から下の表情”を何となく思い出したときに顔全体が見えたから違和感を覚えたのです。

不思議な世の中になりました。あれだけ異様に感じていた市中マスク姿の老若男女・・・不織布マスクであってもウレタンや布製であっても、それをしている方が自然で違和感がない。むしろしていない方が「何かおかしい」と感じてしまう。そんな時代になってしまったなんて。

先日スーパーの駐車場でチロルチョコレートを食べたら少し溶けていて手にチョコが付いて汚れてしまいました。トイレで手を洗おうと車を降りて歩き出したところでマスクをしていないことにハタと気付きました。歩きながら、「あれ、何か変だぞ。何かが足りないぞ」と感じたのです。慌てて車に戻りましたが、口の周りにもチョコが付いているのでマスクはめたらマスクが汚れてしまう・・・結局、持っていたハンカチで手を拭いてチョコの付いたハンカチを恨めしそうに眺めながらそのまま駐車場を離れました。夢の中で、家を出てきてしばらく普通に歩いていたら、皆が自分を見るので「知り合いだったかな」と考えた瞬間に自分がマスクをしていないことに気付いて大慌てしたことがあります。日常で自宅以外では無意識のうちに常にマスクをしているもので、逆に外したままでも気付かなくなってしまっているのです。もはやマスクは顔の一部、かな。

再び地獄の夏が近づきました。さすがにマスクして生活する夏は苦痛です。でも、とか云いながらおそらく昨年の今頃より明らかに慣れてしまうはずです。だってほぼ皮膚の一部に化生してしまおうとしているのだから。

 

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