掃除好きの誤解
いつの頃からか、毎週末に家の掃除をするのがわたしの習慣になりました。掃除といっても、掃除機かけとモップ拭きをするだけですが、20キロ超の長毛犬と室内で同居しているもので掃除をするとスッキリします。
若い頃から医局の机や書棚をスッキリ片付けるのが常だったわたしのことを「几帳面でいつも整理整頓せずにはおれない性格」と評した同僚医師は少なくありません。でも、本来、そんな掃除好きでもありません。子どもの頃、わたしの部屋は足の踏み場もないほど散らかっていましたし何か必要なものを捜すときには棚の上に山のように雑然と積み上げられたモノを掘り返さないと見つからない状態でした。父も母もさほど掃除好きではなかったし、わたしはばあちゃん子でしたが、このばあちゃんが”もったいないお化け”の化身みたいな人でしたから家には物が溢れていました。そんなことをわたしが掃除好きではなかった言い訳に使ってはみましたが、そもそも面倒くさがりなのです。執着気質ではありますが血液型AOのわたしは意外に几帳面でもありません。
一体いつからわたしはこんな掃除習慣の人間になったのでしょう。妻も妻の母も掃除好きではありません。というか、モノが少ないのが落ちつかないのか、わたしが整理して空けたスペースを見つけるとすぐに何かを置いて埋めたがります。だから、別に妻の影響でもありませんし、もう少し前からの習慣のように思います。一人暮らしを始めた頃から? どうも定かではありませんが、おそらく、面倒くさがりながらも頑張って整理整頓したらとてもスッキリして、その快感が忘れられなくなったのでしょう。ある意味、麻薬と同じようなモノ。
ただ、こうなると今度は執着気質だから、定期的にやらないと気になってしょうがないわけです。忙しくて掃除ができないまま週が明けると、ものすごい罪悪感に苛まれてしまうのです。どうも、こっちの方が厄介です。もう少し、本来の血液型AOの中途半端なズボラ気質を復活させなければ、と思う今日この頃であります。
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