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2021年8月

専門医研修会(2)

この研修会に興味があったのは、別に人間ドックの結果説明時の知識を得るためではありません。どれをとっても私個人にとって切実な問題ばかりだったからです。

まずは食道疾患、とくに早期食道がんについて。

学生時代の抗生剤の飲み方が悪くてできた食道裂孔ヘルニアのせいで、逆流性食道炎はもはやわたしの盟友です。以前は胸やけや喉のつまり感が出てきたら飲み込むことに罪悪感を感じるほどにしっかり食べ物を噛んでいたら改善していましたが、最近はネキシウムのお世話になることもしばしば。「逆食は繰り返すと食道がんの素になるから気をつけて!」と受診者には云っているけれど、本音としては「まあ、逆食は慣れっこだから」と高を括っていました。掲げられた食道がんの危険因子の中には”逆流性食道炎”が書かれていないからバレット食道にならなければ大丈夫なのかな?とか思いながらも、炎症の繰り返しが問題ならないはずはない。幸い今は職場の職員健診で毎年胃内視鏡検査を受けるから、うちの優秀な内視鏡医は早期がんとかちゃんと見つけてくれるだろうけれど、退職後は要注意だよなと思います。

食道がんの危険因子のうち、わたしが問題になるのは
・男性55歳以上→×
・飲酒:大酒家、アルコール依存症→△~×
の2点、特に酒の問題は避けて通れますまい。喫煙+飲酒だと危険性が何十倍も激増するけれど今は喫煙はしないから一安心なのだけれど、さてさて、わたしの飲酒習慣のレベルは”大酒家”のうちには入りますのか? 

 

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専門医研修会(1)

定期コラムの原稿〆切が近づくと、どうしてもそれでいっぱいいっぱいになってしまって、なかなかブログに手が回らなくなりますが、やっと無事に原稿を提出できたのでちょっと落ち着きました。

先週末は、その合間をぬって人間ドック健診専門医研修会を受講しました。今回もWeb配信でしたのでフレキシブルに受講することができ、先週の土曜日の午前中を利用してしっかり勉強することができました。すでに資格更新のための必要単位数は確保しているわたしですが、今回は講演内容に興味があって受講申し込みをした次第です。

東海大学大磯病院の島田英雄先生の『食道疾患の内視鏡診断と治療~早期食道がんを中心に~』・・・早期食道がんの所見を眺めながら、普通の撮影ではほとんどどこだか分からないレベルでヨード染色や画像強調法画面にすると途端に広範囲に広がるがんが出現するものを見てしまうとちと怖くなります。気軽に「きれいですよ」「大丈夫です」とか云えないじゃないですか。

大阪大学の神出計先生の『高血圧治療ガイドラインに準拠した高血圧治療』・・・日本人の高血圧の特徴=「コントロール目標未到達者が多い」というのが耳が痛い。100歳以上の健康長寿の皆さんは皆血圧もコレステロールも血糖も良好である。「降圧なくして臓器保護なし、降圧しただけで臓器保護が得られる!」。超高齢者の問題はフレイルと認知障害である。若い時は血圧高値ほど認知機能が低下するけれど超高齢になると血圧が低いほど認知機能が低下する、という問題。そして、臨床イナーシャの問題。

東海大学の山本賢司先生の『人間ドックで注意すべきメンタルの問題』・・・不眠と不眠症の問題もさることながら、アルコール依存症(アル中)の内容はとても気になるところ。アルコール依存のチェックリストとか、「健康のための12の飲酒ルール」とか・・・思いの外しっかりと聴いてしまいました。

 

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舌打ち

「ちぇ!」「くそー!」「あーあ」

わたしはよく舌打ちをしたりため息をついたりします。そのたびに、傍らにいる妻が注意します。「ため息とか舌打ちや汚いコトバを使っちゃダメよ。『ことだま』って云うでしょ。そんなこと繰り返すと自分が不健康になるよ」と。都度都度注意されるので、かなりの信念を持ってだれかに教育されてきたのだろうなと思います。

でも、わたしは使います。あくまでも独り言ですから。こういうグチ系のコトバを外にはき出すことによって、わたしの体内に巣くったわだかまりやストレスがすべてはき出されているのがわかるからです。これこそ、まさしくわたしにとっての『ことだま』なのだと思っています。

 

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聞き慣れない音

先日、職場の非常階段を上っていたら階下で断続的に音がしていました。聴いたことのない音でしたが、とても聞き触りの良い心地よい音でした。

「何だろう? だれかのスマホの呼び出し音かしら?」などと思いながら無視して上っていきましたが、あれが何かのアラームだったら・・・と思うとちょっとゾッとしました。本当はちゃんと音源がどこなのか確認しなければいけなかったのではないかしらと反省したところです。

ですから、世の中のアラーム音、ガス漏れ感知器であれ、心電図モニターのアラームであれ、救急車の音であれ、スマホの緊急警報であれ、どれもがけたたましい大きな音であるのは大事なことなのかもしれません。そして何よりも、聞いたことのある音であるということが重要です。「この音が鳴ったら何か緊急事態なのだ」と条件反射できるのは、常に変わりなく昔から同じ音だからです。うるさい云って云って、耳に優しい(むしろちと心地よいタイプの)電子音なんかに変更しようものなら、世の中の大部分の人はたぶん反応しないでしょう。無骨でも煩わしくても、アラーム音は常に”アラーム音”でなければならないのです。

ところで、朝のあの音は結局何だったのだろう?

 

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立ち姿

毎日、帰るときにロッカールームで自分の全身像を眺めるのだけれど、いつのころからか、立ち姿(歩き姿)が”じいさん”なのである。それを妻に話すと、「もういい歳なんだから、”じいさん”で当たり前なんじゃないの」と笑われる。

でも、納得がいかないのである。毎日運動や食事に注意して健康を保つように留意し、「見た目のアンチエイジングが大切だ」と皆に云っているからこそ、自分の立ち居振る舞い、特に姿勢は意識して正しているはず。腰が曲がらないように背筋を伸ばし、脚もガニ股にならないように真っ直ぐ意識し、どこぞのエリート男性をイメージして歩いているはずなのに・・・どうみても"じいさん"なのである。

ちなみに、白衣を着ていると年相応より若く見える、と思う。歩き姿も立ち姿も颯爽としている(自画自賛するのもおかしいが、意外に自信がある)。なのに、私服に着替えた途端に”じいさん”になるのだ。”じいさん”的服装はしていないと思う。服もジーンズも5年前のと同じ(ヨレヨレになったでもなく)、マスクをしているのだから顔の皺やシミは見えないはず。何が違うのかしら。というか、どうやったら”じいさん”風体から脱却できるか。

ゴルフの時にユニクロの感動パンツを穿いてみた。実際の太ももは意外に太いのだがとってもスマートに見えた。でも、玄関の鏡に映る私のズボン姿は、萎んだ”じいさん”のそれである。そういえば、仕事帰りのジーンズ姿も萎んだ”じいさん”の下半身だ。そうか、太ももの後ろ側~ヒップ界隈に張りがないのか。ここは毎日のウォーキングやスクワットでは鍛えられないのかもしれない。どれ、ユーチューブでここを選択的に鍛える運動の仕方でも探してみるか。

負けんぞ!

 

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ヤバいよ!

自分の老化のグチばかりが続きますが、まじヤバいよ。

3日続きでしこたま舌を噛んだ。力一杯噛んだので、舌先から血がにじみ出てきて、いまだにジンジンしびれている。舌の脇を噛むことはあっても舌先をそんなに頻回に噛むのは珍しい、と妻に云われた。脳梗塞になったんじゃないの?とも。

さらに、ここ1、2週間、廊下を歩いていてつまずく頻度が異常に多くなった。何も障害物のない平坦な職場の廊下、意図的に散歩のためにウォーキングをしている最中だから、歩くことに意識が向いているにもかかわらずつまずく。まだ転ぶことはないけれど、明らかに自分の思っているほど足が上がっていないことになる。以前も書いたけど、だから意識して歩いているのに、意識して歩いていてつまずくって末期的ではないか?

ヤバいよヤバいよ~っ!

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生活指導の問題点

予防医療の世界で、わたしたちの最大の仕事は受診者の行動変容をもたらすための生活指導なわけですが、15年間この仕事に従事しながら、どうしても越えられない壁があります。

「結局は、食事制限ですね」「お酒を制限しろということですか?」・・・受診者自身の口からこういうコトバが出てきますが、これは世間の健康番組の普及の影響でしょうか。でも、わたしはこの『○○制限』というコトバがキライです。『○○制限』の発想は、病気治療の発想だからです。糖尿病や肝臓病など、病気になった人が”やりたいことをがまんする”という発想だから、病気になる前の人が使うコトバではないと思います。私たち”医療者”が医療の延長としての”予防医療”に従事するものだから、こういう発想をし始めた・・・これはわたしたちの責任かもしれません。なんとか、この間違った概念から脱却させたいと思うことしきりです。

また、「改善させるためにはこういうことをするとよい」などという『ハウツー』の提案が、どこか『マナー指導』のような感覚になってしまっていないか、という懸念もあります。「~すべきです」「~するのが正解です」みたいな云い方は、ココロが伴っていない感じがしませんか。改善させるために悩んでいる受診者目線で寄り添う云い方ではない気がしてならないのです。

考えすぎでしょうか。

 

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面倒くさい

やばいよ、やばいよ!

昨日、午後のドック結果説明中に、ふっと「説明が面倒くさい」と思いました。別に、特殊な説明を必要とする結果ではなかったし、受診者のキャラクターがしつこそうだったわけでもありません。でも、いつもしている生活習慣病の説明をしているときに、「別に話さなくても大勢に影響はないか。面倒くさいから端折ってもだれも困らないものな」という思いがわき上がってきました。

意外かもしれませんが、この仕事(人間ドック)を始めてこのかた、よほど体調が悪かったときでない限り、結果説明を「面倒くさい」と思ったことなど一度もなかったのです。わたしの天職ではないかと思うくらいに。

だから、なんかショックでした。もちろん、ちゃんと普通通りに説明をこなしましたが、この感情って、老化現象の兆しとしては意外に重篤なんじゃないのかしら。

くわばらくわばら。

 

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運動再開のハードル

「ずっと毎日歩いていたんですけどね、あまりにも暑いから危険だと思ってやめちゃった」
「毎日ジョギングするようにしてたんですけど、足首を傷めてから走れていないんです」

「膝が痛くて」「孫と一緒に生活するようになって」「愛犬が亡くなって」・・・運動習慣をやめた理由は千差万別です。人間ドックの結果説明のときに「運動不足か食べすぎかが原因ですね」というと、「待ってました」とばかりに返ってくる運動量低下の理由づけ。

きっちり運動していた分だけまだ何もせずにゴロゴロしているよりマシですが、さて、その運動習慣を再開させるのが意外に大変だということは経験した人なら皆よくわかるでしょう。もともと運動好きな人たちではありません(運動好きなら、なんとかして他の運動手段を工夫します)。やせるために、あるいは老化防止のために、やらなければならないからやっている運動なのだから、できない大義名分が生じたらこれ幸いとばかりにやめてしまうのが必定であります。

「暑いからやめた」運動の再開日は、いつか? 「涼しくなったとき」なのですが、そのXデーをどうやって決めるか。「気温が3日続けて○℃以下になったら」などというきっちりした日を決めたりはしない。「そろそろかな」と思った日からでしょう。でもそれを決めるのがむずかしい。1回やめたものを再開するのはめちゃくちゃ面倒くさいのです。「そろそろだな」と思うためには、早く再開させないとヤバいことになる!という何かが無いと始められないのです、普通の場合。うかうかしていると今度は寒くなってしまったりするし。

運動好きではない人が諸般の理由で運動を中断した場合、理由が解決したとして、運動を再開するタイミングは・・・禁煙を開始するXデー同様に自分で何かのタイミングを使って第一歩を踏み出さなければなりません。本当は、禁煙開始でも運動再開でも、別に「今日から」のXデーを決める必要なんてないんだとわたしは思っています。「ちょっと今から歩いてこようかな」で始めれば良いこと。翌日には何のかんのあって面倒くさくてやらなかったとして、翌々日にまた歩いてみて・・・よほどイヤでなかったら少しずつ習慣が戻ると信じます(禁煙だってそんな感じで十分・・・何度失敗しても翌日から再チャレンジする、それを続けていればほぼ禁煙)。

そのきっかけがなんであれ、せっかく始めた運動習慣ですから、こっそり(まさしく誰にも云わずにこっそり)再開してほしいと思います。

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危機回避反応

今日も今日とてよく降ります。こんな梅雨末期のような大雨続きの中で毎日家の中に閉じ込められているせいか、なんともいえない閉塞感に襲われています。なんか、2年前にこれからの人生を悲観してうつ状態になったときの絶望感でもなく、新型コロナが初めて急激に広がって著名人がどんどん亡くなっていっていたときの恐怖感でもない感情です。

おそらく、危機回避反応としてわたしのカラダがストレスに対して”慣れ”を示している様な気がします。わたしの今の落ち込む原因がひとつではないのです。出口のない新型コロナは感染の不安や周囲への疑心暗鬼だけでなく、これだけの経済支援や経済打撃の社会の中で自分は今後ちゃんと給料をもらえるのだろうか。もうすぐ定年だけれど、ちゃんと退職金をもらえるのだろうか。などという、ちょっと他人には云えない不安もある。突然襲ってきた線状降水帯の大雨は幸いわが家を逸れているけれど、日本中に広がって、国の支援にも限界はあるだろう。わが家は平地の高台だから雨の犠牲の可能性は高くないだろうが、築30年の家はあちこちで軋みだらけで・・・ちょっとした歪みで突然何が起きるか分からない状態なのが不安。何かが飛んできて窓ガラスが割れるだけで今まで経験したことのないことが起きるかもしれないのです。さらに、わたしが20年近く応援しているJ1チームが下のカテゴリーに降格しそうな状況で、毎試合期待するけれど勝ち切れないでいます。十数年前に初めてJ2に降格したときには最愛の恋人に振られたみたいな絶望感に打ちひしがれましたが、その後いろいろなことがあったおかげで打たれ強くなりました。「チームが存在さえすればそれだけでありがたい」・・・そうは思うのだけれど・・・。

ちっとも明るいニュースがない。どんどん朽ち果てていく方向しか見えない初老夫婦のこれからに、何かひとつでも明るく心躍る話題が降って湧かないかと思っている今日この頃なのであります。

 

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本当に非常事態?

線状降水帯に伴う豪雨は全国に広がり、今日のNHKは全部が災害報道のニュースに充てられていました。連日の新型コロナの報道を凌駕するほどの状態で、見るからに異常。それほどの大事なのでありましょう。

「これまでに経験したことのないような災害がすでに起きていてもおかしないような状況です」と何度も気象庁の担当者が繰り返し、「今すぐにでも命に関わるような災害に巻き込まれるかもしれないという危機感を持ってください」「安全を確保し、命を守る行動を取ってください」とアナウンサーが淡々と繰り返す。

これ、どこかで聞いたことのあるコトバの流れではないか? 「これまでに経験したことのない桁違いの感染増殖が継続」し「医療現場はもはや崩壊状態になってもおかしくない状態」だから 「最も危機的な状況だという認識を持って行動してほしい」「自分の命を守る行動を選択してください」・・・新型コロナの対策で毎日毎日淡々と語る首長たちのコトバと似ている気がする。

一昨日にバケツをひっくり返したような大雨に見舞われて、こんなのが1週間も続いたらノアの箱舟状態になるぞ!と恐怖感に包まれたわたしでしたが、正直なところ、今日一日中同じ単語をそれも興奮することなく淡々と聞かされ続けたら、どこか危機感が遠のいていく感覚に襲われてきました。これって、新型コロナ感染に対する自粛呼びかけと同じかもしれません。人間が恐怖に対する緊張状態を継続させることの限界を感じます。熊本地震以降、こんな未曾有の大災害に何度も見舞われてきました。当時は報道する側もされる側ももっと切羽詰まって興奮を抑えられない状態で局面に対峙していた気がします。それが、いつの間にか、同等かそれ以上の未曾有の大災害が起きているのにその都度今まで使われてきた定型文をただただ淡々と読み上げるだけになってしまいました。もはや、その定型文にはココロが含まれず、空洞の文章には人を動かすチカラは期待できません。

もっと、慌てましょうよ。新型コロナに関しても、専門家や首長達はどうしてそんなにコトバを慎重に選んでいるのですか。コトバを選びすぎているから、ちっとも切羽詰まった感が伝わらない。陳腐な定型文を毎日毎日淡々と語ったところで、何も伝わらないではないですか。いつもはもっと失言ばかりするじゃないですか。あの調子で、もっと慌てて血相を変えて訴えて下さいよ。

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日本健康文化振興会

日本健康文化振興会という団体があります。「健康づくりのための基礎調査・研究、福祉関連事業の支援、余暇産業施設の調査・研究、有識者による健康関係の懇談会や各種セミナー・講演会および広報活動を幅広く行っている」団体だそうです。

あまり知られていないかもしれませんが、わたしたち予防医療を生業とする仕事に従事する者には関わりは深く、わたしは10年以上前からこの団体のセミナーには積極的に参加させてもらっています。今年はコロナ禍のためにオンラインセミナーを受け、その内容は以前ここにも紹介しました(『つながること』2020.12.22)。

いつもとても勉強になる内容なのですが、このセミナーは必ずその後に冊子『けんこうぶんか』として発行されています。先日、その冊子が送られてくるとともにメールで紹介されてきました(会報誌『けんこうぶんか』)。そこには各会報誌がpdfでダウンロードできるようになっています。是非とも、ご覧下さい。

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宴会

先日テレビ局関係者のオリンピック打ち上げ宴会”事件”が起きましたが、あれは、参加したお嬢さんが明け方に2階から転落したから世間にバレたけれど、それさえなかったら秘密裏に終わっていたかもしれない(もっとも、窓から降りようとして落ちた彼女のことを誰も知らなかったというオチが付いていたようですが)。2次会のカラオケ店では「酒は提供していない」と云っているそうなので、2次会になってどんどん加わって来た連中は明け方近くまで酔っ払うほどの量の酒を持ち込んだということでしょうか。正直云っていまだにわたしは信じられないのですが、世の中の常識はこんなものなのでしょうか。”建前”とか”理想論”とかそういう感じ? どんな社内規則を設定していても、社会の中では率先して模範行動を行うべき立場と分っているはずの報道関係者や自治体の役場職員などが堂々と大人数の宴会をやっているわけですから、一般社会でももっと普通に行われていると考えるべきでしょう。楽しく仲間と飲んで騒ぎたいという欲求が満たされずに不満が溜っている世間の皆さんのストレスに対して、『打ち上げ』とか『送別会』とか、こういう行動を「しないわけにはいかない」「それは特別」という概念がいまだにまかり通っているのが現状というのが理解できない。マジメな皆さんがこれだけ我慢しているのに・・・と憤慨することばかり。

少なくとも、”コロナ差別”の誹謗中傷は絶対にやるべきではないけれど、こんな無責任な行動をした連中は皆でしっかりバッシングすべきだ!とちと過激になっているわたしなのであります。くだんのテレビ関係者は、ちゃんとクビになったのだろうか? 謹慎とか注意とかで終わらせているのじゃないのだろうか。骨折して入院しているお嬢ちゃんには入院中も退院後もとことん嫌がらせすべきだ! 以前の役場職員の歓送迎会をやった連中はちゃんと懲戒免職レベルの社会的制裁を受けたのだろうか。「むかしはヤンチャばかりやってました」と偉そうに語っている大御所俳優などと同じように、将来「そんなことして叱られたことがあるよ」とか笑って話せる日なんか、絶対に来させるなよ!と思う・・・ここにこんな過激なこと書いちゃいけないのでしょうが、これが一般庶民の一般的な正直な気持ちなのではないかと思います。

でも、わたしたちのすべきことは、彼らを負の見本として自らを戒めるべきでしょう。「今、地方に感染者が増えているのは、無責任な都会の連中が勝手に移動するから起きているんだ!」と怒っているわたしたちが、勝手に県境を越えて墓参りに帰ったり、プライベートのゴルフに行ったりしているわけです。「いや、これは全然違う次元だから」「ちゃんと感染対策しているから」とか言い訳しながら正当化しているわたしも、くだんの宴会民と同類なのかもしれません。 

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あいさつをしよう

あいさつについてはこれまでもこのブログで何度も話題にしてきましたが、最近、特に「あいさつって大切だな」と感じるようになってきたので、あらためて話題にしてみます。

わたしの勤務する病院に最初に赴任したのはもう35年も前の研修医のころでした。赴任して最初に教わったのは「職員とすれ違ったら必ずあいさつをしなさい」ということでした。まだ小さな病院でしたから、職員はみな顔見知り。だから医療スタッフだけでなく、事務職員も売店のおばちゃんもみんなファミリー!という風潮でした。今でも田舎の病院に行けば行くほどそんな風潮のはずです。そんなところに大学病院などからやってくる若い医者たちは、自分の顔見知りの医者やナースにしかあいさつする習慣がないものだから、みんなぶっきらぼうで、こっちから声をかけると戸惑いを隠せないうろたえ方をするか全く不機嫌そうに無視するかのどちらかのパターンでした(今もそうかも)。わたしもそんな環境から赴任してきた若造でしたから、だれかれかまわず声をかけることに慣れず(というか、まずはだれかれかまわず声をかけられることにたじろぎました)、引っ込み思案な性格が本当に恨めしく思えたものです。

あれから35年、歳もとりましたし経験値も増えましたから、今では誰にでもあいさつをします。相手がわたしのことを知っていようがいまいが、おそらくこの病院で一番の古参のはずだから、声をかけて失礼に当たる相手は居ないはず。すれ違う患者さんやその家族にまで普通に「こんにちは」とあいさつできるまでになりました。性格は相変わらず引っ込み思案ですが、このあいさつ習慣のおかげで、社会人としては助かっています。最近では、ワンの散歩中にもすれ違う散歩中のワンちゃんに(というかその飼い主さんに)だれかれかまわず「こんにちは」とあいさつできるようになりました。

あいさつって、とてもおもしろいと思います。全く関係のない赤の他人が突然知り合いになります。特にどこの誰かも知らないままなのにどこか心がつながった気になります。何の脈絡もなく顔を合わせたらお互いに笑顔になります。しかもそれが、特別な技術やコツがあるわけでもなく、何でもかんでも全員に声をかければ良いだけなので気が楽です。完全無視されたところでただそれだけのことで、少なくとも、声をかけて逆上してくる輩は居ません。なんでもかんでもやっていくうちに、いつの間にか自信と勇気が身につく代物です。すばらしいことではありませんか。気が向かなくてもあいさつしておけば、相手の気分を損ねることはまずありませんし、自分もどこか良い気分になれるモノです。

わたしは「とりあえず、あいさつをしよう!」を推奨する人間のひとりです。

 

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熱中症の嘔吐

感動の東京オリンピック2020が終わりました。本来行われるはずだった昨年よりさらに高温になった灼熱地獄の狂気の真夏の祭典が終わりました。世間は新型コロナ感染のことばかりに目を向けていますが、毎日40℃近い気温の中で競技を行うこと自体が正気の沙汰とは思えません。

50キロ競歩で6位入賞した選手は、コース半ばで突然地面に倒れて嘔吐しました。それでもまた起き上がり、根性で盛り返したことが美談になっています。「途中から内臓が苦しくなって嘔吐した。暑さにやられてしまった」と・・・。「過酷なレースだからそれは想定内」と本人も周囲も考えているようですが、熱中症で嘔吐が出現したら熱中症II度(中等症)で、『ただちに病院に搬送すべき状態』です。もちろん医療関係者が確認はしていたと思いますが、これは普通ならドクターストップをかけなければならない状態。わたしは、再度復帰して入賞できたことへの賞賛よりも、それを許した周囲の関係者に怒りすら感じました。

「夏は暑いのが当たり前」と云ってエアコンを拒否した高齢者が室内で熱中症で死亡した事故が頻発した時期がありましたが、今までの自分の経験や常識はもはや通用しません。コマーシャリズム優先のオリンピックがスポンサー事情で秋から真夏に変更になって久しいけれどここ数年の地球温暖化は想定をはるかに超えています。北海道で行われたマラソンでも途中棄権者が続出しましたが、わたしは棄権した選手こそが人間として賞賛すべき勇気ある行動だとすら感じています。

これからパラリンピック・・・新型コロナの感染拡大は今の比ではない勢いでしょうが、先日立秋を迎えましたから、せめて気候だけは少しでも秋の日差しに変わっていてほしいと願っています。

 

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コンタクトレンズ

コンタクトレンズを装着するようになってもう40年近くになります。

右目の白内障が進んでいて、矯正がうまくいかなくなって数年になります。それが、先日の4連休後あたりから急に目が見えにくくなったことを自覚し始めました。炎天下のゴルフや通勤の運転中に意識してサングラスを掛けるようにしてはいましたが、それでも夏の日差しは強烈で、ますます白内障が進んでしまったのかと心配になりました。「これ以上進んだら、手術も考えなければならないと思いますよ」と1年前にコンタクトレンズを新調したときに眼科医に云われていたのを思い出しました。

先日も実家の墓参りをするために片道120㎞の運転をしましたが道中とても見えにくくて、「白内障のせいだ」と思っているから「そろそろ手術?」と覚悟したのですが、夜になってレンズを外すときに「あれ?もしかしたら・・・」とあることに気付きました。外しかけたレンズをもう一度洗浄してちょっと試してみた。わたし、左右のレンズを間違えていたみたい・・・確信はないけど入れ替えてみたらよく見えたのです。今までにも何回か間違えそうになったけれど、もともと左右差が大きい視力なので左右を間違えたらものすごい違和感があってすぐに気付いていたのです。でも今回はそうではありません。それは、右目の視力低下が進んでいて白内障な上に矯正がうまくいかないのはしょうがない、という先入観がジャマをしたのかもしれません。結局、見えない目に見える方の目用のレンズを入れて、かえってぼやけてしまっていたということなのかも、と。

これが事実なら、わたしはオリンピック期間中、ずっと見えない目で生活していたことになります。もっとも、レンズを外して遠近両用メガネに替えても最近遠くがよく見えなくなってきているから・・・やはり、手術の日はそう遠くない気はします。

 

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敗れた理由

東京オリンピックも半ばを過ぎて、団体競技も決勝トーナメントに入ってきました。

そんな中、最近、ネットや報道記事で目につくのは、「日本が敗れた理由は?」「あの采配は正解だったのか?」などの文字。こんな話題を振られる解説者やOBたちもイヤだろうなと思うのですが・・・それ、わたしたちに語って何か意味がある??

「○○選手が勝った理由は」「勝つためにやってきたことは」などの話題はドシドシ出してあげてほしいと思いますし、できるだけ素人国民のわたしたちも知っておいてあげたい、知っておきたい。でも、敗因や戦犯についてわたしたちが知っても(まあ、個人の意見だから正解かどうかも分かりませんが)しょうがない。勝負をする以上、反省や敗因の分析は必要です。「なぜ負けたのか」「どうやったら勝てたのか」・・・それがないと選手は成長しませんしずっと勝てない人生になりましょう。でも、それは彼ら本人がやることであり、テレビやネットで語っていることはそのまま直接本人にアドバイスすれば良いことであって、わたしたちにとってはどうだっていいこと。むしろ、不愉快になることなので、マスコミもいちいちそういう話題を振らないようにしてほしいのです。オリンピックは選手たちには戦場であってもわたしたちにとってはお祭りなのだから、最後まで楽しくありたいじゃないですか。

選挙戦の後で、「なぜ負けたのか?」とかいう特集が必ずあります。あれと同じかなと思いますが、まあ、あっちの方がまだ理解できる気がします。

 

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玄米食、続けられるか?

「玄米」で脂肪肝や肥満を予防・改善 脂質代謝を改善するメカニズムを解明 東京農業大学

 ”東京農業大学は、アルファー食品との共同研究で、肥満が原因となる非アルコール性脂肪肝(NAFLD)が、玄米を食べることで、予防・抑制できることを明らかにした。玄米がビタミンA代謝を亢進することで、脂質代謝を改善するという。”(保健指導リソースガイド2021年07月20日配信号)

「脂質代謝改善の原因がビタミンA代謝改善による」という理屈はピンとこないですけど、云っていることは分かる気がするし、玄米食さえ食えば非アルコール性脂肪肝が改善するというのなら患者さんには福音の様な気がする(「脂肪肝はできるだけ動いた上に食わないようにしないと改善しない。腹を空かせてほったらかす作業を続けないといけないのだ」とわたしは人間ドックの結果説明でいつも話していますから、それに比べたらはるかに簡単なことかな、と)。でも、どうでしょう。アルコール性脂肪肝と違って、非アルコール性脂肪肝は基本的においしいモノを食べることが大好きな人かインスリン分泌障害の糖尿病の人かがほとんどです。そんな彼らに、玄米食を一生食べ続けることができるのだろうか。ちょっと効果が出ることが確認できたら、またむかしの食生活に戻ったりしないのだろうか。「また、悪くなればそのときだけ玄米にすればいい」とか云いながら・・・。

我が家も時々玄米にしますが、とにかくよく噛まないと効果がなし、続けると胃腸の調子が悪くなったりもします。玄米は毒素も排出しますが必要栄養素も一緒に排出してしまうこともわかっています。意外に大変な食材です。「カラダにいい」「溜った脂肪エネルギーを排出できる」というだけの理由で、食生活への行動変容ができるモノなのか・・・実際の患者さんで10年以上の長期フォローで検証していただきたいと思うのです。

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夢の話

最近、新しく家族になったチビ犬のおかげで睡眠不足が続いていますが、そんな薄い睡眠のおかげで夢の質が落ちている気がします。

昨日は実家の古い家が出てきました。不思議ですが、夢に出てくる実家は必ずむかしの子どものころに住んでいた家です。我が家はわたしが高校生のころに立て替えをしましたが、夢に出る実家はわたしが3歳ころに建ったうす汚い平屋の家です。

夢の中ではまだ父も母もいました。たぶん自分は大学生くらいではないかと推測します。わたしは外で食事をすることになっていたのか、家にお寿司屋さんが鮨を配達してくれているようですが全然食べたいと思いません。きっとこれからガールフレンドとデートなのかな。なんとなく浮き足立ています。実はこの後、大事な財布の入ったバッグをなくしたり約束の時刻に近いのになかなか出発できなかったりするのですが、そんなことよりも、とても気になったのは、すぐ目の前にいる父も母もわたしに何も声をかけなかったこと。というか、こっちの存在を無視しているかの様。40年近く前に亡くなった母と20年前に亡くなった父だからあっちがあの世にいるはずなのに、まるで自分がこの世から存在をなくしてしまっているみたいな感覚なのです。このまま街でガールフレンドと会ってももしかしたらわたしに気付いてくれないかもしれない・・・朝、目覚めたあとにものすごくイヤな感覚だけが残りました。もうすぐお盆なのに、コロナ感染拡大の煽りで墓参りに帰れそうにないことが関係しているのかしら・・・。

もっとも、当時の彼女はまだ健在のはずですが。

 

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熱中症対策

とにかく暑い。朝からエアコン付けてなんとか室内は凌げても、一歩外に出ると体温以上の熱波に犯されてしまいそうな毎日です。そんな中で、保健指導リソースガイドから熱中症に関わる話題が二題配信されていましたので紹介します。

熱中症を予防するための10ヵ条 熱中症を対策しなからウォーキングなどの運動を続けるために

 暑い日に安全に運動を続けるためのポイントをまとめています。水分補給のことやら塩分補給のことやら詳しく書いてくれています。テレビでもよく云っているのでわたし的には常識だと思っていることでも、むかし云われていた常識が今は非常識、ということは多々あります。そもそも10年前とは気温の質も程度も段違いですから、むかしの夏に対する対策なんて全く通用しないはずです。まあ、基本的に炎天下の運動は避けられるモノなら極力避けるのが得策。わたしのワンの散歩も朝は8時までが限界、夜は18時半以降にします(それでもへろへろ)。マスク社会では運動しなくても脱水気味なのですから、可能な限りマスクなしでも運動できる環境を探すのがいいと思います。

高齢者はなぜ自宅で熱中症に? 体感以上に暑さを感じる機能が低下 数日間で少しずつ脱水症状に

高齢者が自室で熱中症になる問題は以前から指摘されています。そもそも、むかしの感覚のまま歳を取っているから室内でエアコンを使うことに抵抗ある高齢者は多いし、「睡眠中にエアコン付けっぱなしはNG」という以前の常識をずっと信じている人も高齢者に多いのが原因だろうと思っていたのですが、”(1)体感以上に暑さを感じる機能が低下している高齢者が多い、(2)のどが渇いていなくても数日間にわたって少しずつ脱水症状になっている”というデータは知りませんでした。わたしもほぼほぼ高齢者、他人事だと思わず注意をしなければと思う次第です。 

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