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神々しい

パラリンピックも無事に終わりました。連日、日本チームの活躍が報じられる中、正直、初めて多くの試合を直接観ることができました。自国開催のメリットは、そういうことですね。多分、これが日本でなかったら、メダルをもらった選手以外ほとんど観ることはできなかったでしょう(メダル選手でも静止画か動画でもせいぜいハイライトの画像だけ)。

『身体障害』とは「先天的あるいは後天的な理由(主に、病気や事故の後遺症)で、身体機能の一部に障害を生じている状態」と定義され、『健常者』は「特定の慢性疾患を抱えておらず、日常生活行動にも支障のない人」となっています。『奇形』というのは、「生物が先天的に肉眼形態上の異常を持っていること」と定義され、すなわち「あるべきものがない、あるいはあるはずのないものがある状態」を指す言葉です。こんな単語にずっと何の疑問の持ちませんでしたが、今回パラリンピック選手たちの神々しいまでの戦いぶり(生き様)を目の当たりにして、「違うな」と思うようになりました。

『障害』とは、「今の社会構造の中で生活する上で不都合がある状態」なのだな。たしかに事故や病気で今まで持っていたものが突然失われた人たちにとっては、「あるべきものがなくなった」というハンディの中で『障害者』の範疇に入るし、その反対語が『健常者』なのかもしれないけれど、おそらく生まれもってに手足や指が左右対称でないとかあるけど機能しないとかいうモノは、『あるべきものが備わってない』のではなく『もともとないもの』です。『あるべきもの』とわたしたちが思い込んでいるから、彼らは不遇で不憫な存在と勝手に決めてしまっていたけれど、彼らが自分の身体をフルに使って泳いだり走ったりする姿に対して、「ハンディの大きい中でよく頑張っている」などというコトバは失礼です。”一般社会”が彼らのような身体ではない人たち用に作られているから、その中で生きるためには無理もしなければならないし多くの人との共存も必要不可欠ですが、おそらく彼らのために作られた社会であればわたしたちが逆に適応できずに不自由になるでしょう。そのときに理不尽だと感じるならそれは傲慢以外の何ものでもありますまい。

「あの身体で、どうしてあんなに泳げるのだろう?」・・・最初はそんな考えで、まるでむかしの見世物小屋の様な不憫さを感じていたのは偽らざる事実なのだけれど、毎日のように競技する姿を見ていると、そんな感情を持っていたことがとても恥ずかしくなりました。少なくとも、わたしはどの競技一つにしても彼らに勝てるモノはありません。彼らが必死で頑張り、喜び涙する姿と、必ず感謝を忘れない姿、もちろん今年のオリンピックで頑張った選手たちにも共通するものではありましたが、連日どんどんパラ選手の世界に引き込まれていきました。

心から感謝です。そんなパラリンピックのほとんどを放映してくれた放送局にも感謝です。今回のようにオリンピックもパラリンピックも同条件でほぼ無観客で行われて、スポンサーの付くつかない、人気のあるないの概念が大きく変わってきたように思います。パリ大会でそれがさらに変わってくれるといいなと思います。

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