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「健康である」とは

『人を救うには、まず自分が健康でなければならない。』

職場の医局の前の掲示板に長いこと貼ってあるこのポスターは日本救急医学会からの叫び。最後に『これは義務だ』とまで書いています。

これを毎日眺めながら、ずっと「そうだな」と納得して通り過ぎていたのですが、最近つい立ち止まって、「健康て何なんだろう?」と考えるようになりました。

ここのところ体力が落ちた気がする、カラダがちょっと鈍ってきたのかな?お腹も出てきた感じがするし、階段を4階まで一気に上ったら息切れするようになったけれどこれはヤバいのではないのか? そんなことを考えながら毎日がんばって運動をしているわけですが、これ以上は返ってムリすることになるな、とも思う歳になってきました。「健康である」という日本救急医学会の論点は、「現場で判断を誤るとスタッフが迷う、家族が心配する、自分を責める、救急医になるのならまず自分のことを最優先に考えるべきである、高齢化は進む、医師は足りない、だからこそ救急医は健康であることが義務である」ということから来ています。と云うことは、20年近く前に救急医をやめたわたしには関係しない理論なのかもしれません。

でも、この機会に『健康』を考えてみました。「若さを保つ」とか「健康である」とかいう用語を発する場合、それは常に”若い人たち”が基準になっています。でも、わたしたちのような”高齢者”ほど健康への意識が強いものです。だから、テレビの健康番組を見ることを日課にしてテレビで云うことを実践しようとするのは概ねわたしたちの世代です。なのにテレビで云っている内容は概ね若い人たち用。「それをきちんとしないと効果がない」とか云われてがんばりすぎる。それがちょっと気になってきています。たとえばスクワット。健康を維持して若さを保つために効果が高い”スクワット”は最近ブームです。でも、わたしたちの歳になってこれをきちんとやると高い確率で膝を傷めます。人間ドックをやっていると受診者の中にテレビのスクワット指導を実践して関節に水を溜た人もいれば痛くて歩けなくなった人もいました。健康を保つためにがんばっているのに結局歩けなくなる。やり方が間違っているわけでもないのに・・・。若者がやる”健康運動”とわたしたちの世代でやる”健康運動”は自ずと強度も内容も違うはず。「いえいえ、わたしはまだそんな歳じゃないから」といつまでも意地を張らない方がいい。そんなことを最近自分は思うようになりました。これ、ものすごく大事。やりすぎてカラダを壊したら、それは”健康”とはいえませんから。

 

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