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2022年3月

筋トレのやり過ぎ

筋トレで死亡リスク低下、やり過ぎ効果なし

東北大学大学院運動学分野講師の門間陽樹氏らは、レジスタンストレーニングやウエートトレーニングなどの筋力トレーニング(以下、筋トレ)と全死亡や心血管疾患(CVD)、がん、糖尿病といった健康アウトカムとの関連について検討するため、システマチックレビューおよびメタ解析を実施。日常的に筋トレを実施している群では非実施群と比べてこれらのリスクが10~17%低かったが、筋トレの実施時間が週130~140分を超えると全死亡、CVD、がんについてはリスクが上昇に転じるJ字型の関連が認められたとする結果をBr J Sports Med(2022年2月28日オンライン版)に報告した。同氏らは「筋トレには長期的な健康増進効果があるが、やり過ぎると効果が得られなくなってしまう可能性がある」としている。” (Medical Tribune 2022年03月23日配信)

週に約30~60分の筋トレを実施した場合に全死亡、心血管疾患、全がん、糖尿病、肺がんなどのリスクが最もリスクが低く(約10~20%のリスク低下)なるのだとか。有酸素運動は多いほど有効だけれど筋トレはやりすぎるとかえって良くないということは以前からいわれてきていましたが、それを具体的に実証した解析結果です。

そういえば、慢性肺疾患や慢性心不全の患者さんで「”心肺を鍛えるため”に毎日筋トレを続けている」という高齢の男性に何人か人間ドックで遭遇したことがありますが、これはテレビの健康番組かなにかの影響でしょうか。機能の落ちた肺や心臓は筋トレをがんばっても決して鍛えられることはなく、むしろ機能低下を助長しかねません。予防のための運動と混同しているのではないかと思います。
 

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タタタタタタタタタタ

舌の動きが衰えると2年後にフレイルに

口腔機能の衰えとフレイルとの関連が指摘される中、岡山大学大学院予防歯科学分野講師の竹内倫子氏らは、60歳以上の歯科受診患者を対象に解析を実施。その結果、舌の動きが衰えていた患者では2年後にフレイルになるリスクが高かったと、Int J Environ Res Public Health(2022; 19: 1145)に報告した。”(Medical Tribune 20220323日配信)

対象は岡山大学病院予防歯科部門を2017年11月〜21年1月に受診した60歳以上の自立歩行可能な患者97例(平均年齢71.9歳、男性34例、平均残存歯数20.8本、平均機能歯数26.4本)でこれを2年間追跡研究したものです。舌の機能をみるためにオーラルディアドコキネシス(ODK)という検査をするらしいのですが、これは「パ(唇の運動機能)」「タ(舌の前方の運動機能)」「カ(舌の後方の運動機能)」をそれぞれ5秒間発音してもらって1秒当たりの平均回数を評価するものだそうです。この中で「タ」の平均回数が減少するとフレイルになり易いというのです。

たしかに最近頓に滑舌が悪くなったわたしはパやカより明らかにタが云い辛い。タの発音に切れがなくなってきたからしゃべるコトバが流れてしまうのだということを今再認識しました。演劇部員だった学生時代の練習に使った発声練習をやり始めてみようかと思いつつちょっと面倒で恥ずかしかったから実行できずにいたのですが、この発声練習をして滑舌が良くなってタがたくさん云えるようになったら、全身の筋力が若返っていくと考えていいのでしょうかしら。
 

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うら寂しい季節

毎年、年度末のこの時期はいけません。

気候が暖かくなって一気に花が咲き始めているというのに、心は沈む一方で”うつ”状態に近いレベルに落ち込みます。年度末は別れの季節だからでしょうか。長年一緒に働いてきた先輩が職場を去り、数年前に仲間になった若い世代の職員が諸般の事情で退職し、そんな季節だからなのでしょうが、ここ数年はこの対象者にあと数年で自分も該当する、これからの人生全くどうなるのかわからないのに・・・という不安までもが上乗せされて、心のうねりが一層強くなっている気がします。この季節はさらに自動車保険やらJAF会員料金やら生命保険やら火災保険やら、学会年会費やら、さらにもうすぐ自動車税やらなんやらかやら、何でもかんでも年度の区切りに集めないでほしいと叫びたくなるくらいわが家から金をむしり取っていかれます。これも「収入なくなったらもっと整理しないと大変だ」とか今まで考えたこともなかったようなことに気づいてまたまた心を重くしてしまうのであります。

だから、今の季節が大嫌い。早くさっさと季節が過ぎて、梅雨の季節にでもならないかしら。

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ソメイヨシノ

今年はちょっと開花が遅れ気味かと心配しましたが、突然の春の空気で一気に咲き始め、今を盛りに日本中で咲き誇ってきます。

思えば2年前、窓の外に咲き誇っているソメイヨシノの淡いピンクの花を眺めながら、殺人ウイルスCOVID-19の猛威のために花見どころか木の下を歩いて花を愛でることすら危険と思われていました。「せっかく見てもらうために咲いた花なのに、かわいそうに」などと勝手に思っていたものでした。

「来年こそは」と思いながら早2年。今年もまだCOVID-19は居座り続けています。でも、ソメイヨシノの花を見る目は変わりました。今はマスクは装着してはいますがワンの散歩途中の公園で普通に桜の木の下で佇む楽しみができるようになりました。「軽くなった」というより「慣れた」というのが正解でしょう。この数年の間に、桜=ソメイヨシノではないことも学びましたし、桜の花を愛でながら春の訪れを感じるために必ずしも花見の宴会も桜祭りも要らないことにも気づかされました。逆に、宴会の盛り上がりは桜の花が散るのと同じように宴の後の寂しさがひとしおですし。

明らかに、当たり前だった日常は当たり前ではなく、別にコロナ前に戻らなくても困らないと感じることが世間には多くなりました。むしろ来年や再来年の春にコロナ前と同じようにもうマスクなしで花見のドンチャン騒ぎをしても大丈夫だと云われたとしても、果たしてそんなことできるだろうか、と思います。「マスク外して日常生活をする」ってかなりの勇気が要りますから、そんな思いまでして花見の宴をしなくても、桜の花は毎年変わりなくきれいに咲いてくれるのだから、それを愛でるだけでいいような気がしてきました。

 

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”適度な”睡眠

適切な睡眠時間が心房細動の予防に重要

 ”心房細動(AF)の予防には、日ごろから規則正しく適切な長さの睡眠を取ることが肝要である。国立循環器病研究センター健診部のAhmed Arafa氏、特任部長の小久保喜弘氏らは、都市部地域住民を対象とした吹田研究の解析およびこれまでの疫学研究とのメタ解析を行い睡眠時間とAFの関係を検討。その結果、睡眠時間が短時間、長時間、不規則であっても心房細動(AF)リスクが上昇することが分かったとEPMA Journal(2022; 13: 77-86)に発表した。”(Medical tribune2022年03月14日配信)

心血管イベントが入眠時刻でも睡眠時間でもU字カーブを示していて、早く寝ても遅く寝てもイベントが起きやすくなるし、睡眠時間が短すぎても長過ぎても良くないことは、これまでもよく云われてきたことです。ただ、睡眠時間と心房細動の関連性について国内で検討したことがなかったので吹田研究の解析および前向き研究とのメタ解析で検討したのだそうです。

「日ごろから、睡眠不足や睡眠過多、睡眠時間が不規則にならないように心がけ、規則正しく適切な長さの睡眠を取ることが、AF予防に重要である」という結論に特段の異議もなければ疑問もありません。ただただ、起こしたこともない(陰で起きているかもしれないけれど)発作性心房細動を予防するために現代社会で生きる人たちが煩悩と戦えるのだろうかとか、超ストレスフルな生活から抜け出すのは無理だと思っているのでないかと懸念はします。もう少し、心房細動がどれだけ恐ろしい病気かという啓蒙啓発を頑張らねば、とそっちの方が気になりました。

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諦めたらオワリ(3)

スマホの歩数計アプリを使って、毎日8000歩以上を歩くことを日課にしています。本当は、歩数だけではきちんとした運動になっているのかどうかは判定できません。なぜなら、本来の健康運動としてのウォーキングは胸を張って視線をやや前方を眺めながらできるだけ歩幅を広くするのが重要なのですが、歩数を稼ぎたければできるだけ小股で歩くに越したことはないということがまかり通るからです。でも、これでは意味がない。結果は自分にしか返ってこないのだから、目標を達成するために意味のない見た目の数値を獲得するようなことのないように、と心がけてきました。

ところが最近、そんな姑息な意識ではないのに、むかしと同じ距離を歩いても明らかに所要時間が長く、そして到達歩数が多くなっています。これはつまり、普通に歩いているつもりでむかしよりも一歩の歩幅が狭くなっている証拠。回転数もむかしよりさらに遅くなってきるのかもしれません(むかし、普通に歩いているのに後ろから歩いてきた若者に簡単に追い抜かれてショックを受けたことがありましたが、あの頃よりさらに遅くなっているみたいです)。「歳のせいだもんね」・・・一番云いたくないコトバ、云われたくないコトバなのだけれど、このコトバが一番今の自分の気持ちを慰めてくれる。 悔しいなあ。

かと云って、意図的に腕を後ろに大きく振って大股開きでロコモアのテレビCMみたいな歩き方をする勇気もない(見るからに「健康運動やってマス!」みたいな姿だから、はずかしい)のであります。

 

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諦めたらオワリ(2)

朝、出勤してロッカーに向かう廊下。朝は室内の電灯によって横の大きな窓ガラスが鏡のように反射してくれるので、自分の姿を鮮明に見ることができます。

自分の歩き姿を確認する絶好の機会なのだけれど、なかなか横を向いて自分の姿をみる勇気がありません。なぜなら、自分が自分の姿をチェックしている姿を後ろから来る他の職員さんに見られるかもしれないから。「あら、あの人、窓ガラスを鏡にしているわ」と悟られたくないから。一方で、うしろから来ている人から見える私の後ろ姿がどう見えているのかも気になるところ。「じいさんやなあ」とか思われてないだろうか、「かっこわるいなあ」とか笑われてないだろうか、と。朝のあの時間、異常に後ろの気配が気になる私なのであります。

別に良いんですけどね、どう思われようと。でも、「若作りの格好しているけれどそれなりに年寄りくさい。でも、年齢考えたらあんなものなんじゃないの」と思われるのが悔しいです。『年齢相応』という単語が今一番悔しくて癪に障る単語なのであります。

 

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諦めたらオワリ(1)

最近の密かな悩みは、Yシャツのボタンがなかなか外せないこと。

留めるときはとりあえず、できる。たぶんボタンの周辺の布も一緒に掴むからだと自己分析する。でも、脱ごうと思うとこれが思うほどスムーズに外せません。寒くて手がかじかんでいるわけでもありません。たしかにコロナ禍のために学会出張や講演会や歓送迎会が一切ないためにスーツを着る機会が皆無で、そのためにYシャツを着る機会が減ってしまったことは関係しているかもしれません。白衣のボタンは留められるのだから、要するにあの小さなボタンをきちんと摘まんで自由に弄べなくなっている自分にイライラするのであります。

くやしい。

 

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ワクワクすること

先日、朝からルーティンの洗濯物干しをしている最中に、ふと思いました。

「なんか、何も楽しみにしていることがない(なくなった)なぁ」と。ワクワクしない(しなくなった)のはどうしてだろう? コロナで旅行ができないとか学会に行けないとか宴会ができなとかそういうことは関係はあるのだろうけれど、とりたてて旅好きなわけでもないしいろいろ準備したり諸般の心配事があったり気苦労が絶えないだろうから、動かないことは考え様によっては楽ちんです。外で友だちとわいわい飲むのは嫌いではないけど別に好きでもないわけで、学会出張も含めて、今コロナがなくてもあまりココロは踊らない気がします。サッカーの応援、ゴルフ、旧知の友人を訪問する・・・なんか、むかしほどワクワクしないんだなぁ。

これって、このまま進むと落ち込んで行くばかりだから、自ら自分を鼓舞してワクワクすることを作り出すべきなのでしょうね。先日、中学時代の友人が「今、これにハマってるのよ」とあるモノつくりをしている作品の写真を送ってくれました。キャンドル作家になって商品を毎日作っている妻もそうですが、モノを作り出すことを楽しんでいる姿を見るとなんかとても羨ましくなります。「あんたも作れば良いじゃない」と云われそうですが、今、終活に向けて”モノ減らし”にココロが向かおうとしているわたしです。モノを作っていっても、それを残す家族(子どもや孫や)がいないことを考えてしまうのです。残す人が居ないのだから、モノはない方がいいのではないか、と。

「いやいや、配偶者以外に迷惑をかける家族が居ないのだから、むしろ自由に好きなように生きれるじゃないか!」という境地で生きていける人が羨ましい。と書きながら、おそらくこれから自分の気持ちを高めていくためにはそんな境地に自分を無理矢理もっていくべきなのでありましょうよ。後のことなんか考えずに、ムダに作ってムダにため込んでみましょう・・・て、できるかなあ、できないだろうなぁ、自分。

 

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ブログは儚いもの

わたしはこうやっていまだにブログを書き続けています。2007年の暮れから始めたブログが2個。FacebookやInstagramやTwitterなどのSNSに書き始めるタイミングでブログをやめる人もたくさんいますが、わたしはSNSにもアップするようになってからもブログはやめていません。

自分の生活の歴史であり、備忘録であり、思い出だからです。もう14年以上続けていると、その自分の記録の積み重ねがなくなることで自分の生きてきた月日が消えていく気がするのです。日記と同じですから。まあ、かといってこのブログがいつまでも残るとは限りません。無料ブログサービスの楽天ブログとニフティのココログを使っていますが、ここが閉鎖するとき、わたしの記録は瞬時にして消えてしまいます。自分のメーアドにコピーして保存してはいますが、検索するわけではないからこれを開けて探すことはたぶんしないでしょう。何よりも、自分の日記帳を残していたところで何にもなりますまい。もちろん今ならだれかが検索で時々ヒットして読んでもらえることがありますが、その程度です。

そんな儚いものだと承知の上で、今日も明日も明後日も日記を書くでしょう。その行為に意味なんて別になくてもいいのさ。と、最近は若干開き直り気味です。

 

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見つかることは悩ましい

次々「見つかる」心房細動、本当に治療すべき?

 ”ウエアラブルデバイスや人工知能(AI)の進歩により、心房細動診療が大きく変わりつつある。従来は「見つける」ことそのものが難しかった発作性心房細動は、患者が常に身に着けるスマートウオッチによって検出が容易となり、さらには心電図波形から将来の心房細動発症を予測するAIの実現へと到達しつつある。不整脈が「見つかる」時代の到来は、心房細動診療をどう変えるのだろうか。

日経メディカル2022/03/15配信号に掲載された特集記事が興味深かった。原因不明の脳梗塞の原因に症状のない発作性心房細動による血栓塞栓が少なからず隠れているということが2週間の長時間心電計の装着により明らかになってきているものの、現実にはなかなか発作キャッチできないのが現状でした。「無症候性の心房細動の検出は、心房細動診療における積年の課題だった」というところ。ところが、今はアップルウォッチに代表されるウエアラブルデバイスやAIを用いたホルター心電図解析などの発達により、無症候性発作性心房細動をキャッチする(見つける)ことはかなり容易になってきています。まだまだノイズなどの問題がありますが、おそらくどんどん高性能に変容していくことでしょう。

で、ここで問題になるのは、”見つけてしまった”心房細動をどうするか?ということです。数秒間の発作でも脳梗塞予防のための薬剤治療をするべきなのか、どの条件が揃ったら治療対象になるのか、その基準がまったくないのです。過剰に抗凝固療法をしてかえって出血の合併症が増えても本末転倒ですが、見つけたのに放ったらかして脳梗塞が起きたらその責任はどうなるのか、ということもあります。容易に見つけることができるようになったからこそのジレンマ。早々にデータを蓄積させてウエアラブルデバイスやAIで発見された発作性心房細動に対するストラテジーを確立させなければなりません。

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『ウォーカブル』

暮らしているだけで認知症になりにくい街

 ”歩道が多い都市部に住む高齢者は、認知症の発生が少ないことがわかった。76,053名の高齢者を対象に2010年から約3年間追跡し、歩道面積が少ない地域に住む人と、多い地域に住む人を比べたところ認知症発症リスクは45%低かった。この結果は都市部に住む人、または車を使わない人でのみ見られた。歩道が多く、ウォーカブル(歩きやすい)な地域に暮らしているだけで、認知症になりにくい可能性が示された(Tani Y, et al., 2021)。

日経BPに特集連載記事としてアップされていた文章を眺めながら、知らず知らずのうちにわたしのアンテナが無意識のうちに『0次予防』を選んでいることがわかります。まあ、勝手に向こうからわたしの目に入る場所まで寄ってくるというのが正解か。とにかく、健康は自分の意識で予防する(1次予防)概念から社会環境が健康に誘う(住んでいるだけで健康になる)という0次予防の概念にシフトしようとしています。この記事は、その最たるものです。詳細はなかなか見れないかもしれないので、エキスだけ抜粋してみます。

・居住地の歩道面積割合が最も低い地域の高齢者に比べ、最も高い地域の高齢者の認知症の発症リスクは45%低かった。
~この関連は都市部と車を利用しない高齢者でのみ認められ、単純に歩道を歩くことが認知症予防に優れているというだけではなく、歩道を歩くと日常ですれ違う人との会話が生まれ交流の場となることや、歩道が広ければ街路樹があり、緑のメンタルヘルス効果や木陰の快適性ももたらす可能性を指摘していました。

・歩きやすい地域の高齢者は外出頻度や歩行量が多い。
・生鮮食料品店が多くアクセスしやすい環境ほど野菜や果物の摂取頻度が多い→要介護を受けにくい。
・近くにサロンができると参加率が高くなる→要介護認定率が低い。
・気軽に立ち寄ることができる家や施設が多いほど睡眠の質が良い。
・近隣環境が良いと、BMIが改善される。
・坂や段差などが多い近隣に居住する高齢者には中等度以上の糖尿病が少ない。
・緑が多く小学校の近くに居住している高齢者でうつが少ない。
・車を利用しない人で死亡率が低かった。

最近の都市計画が、このような『0次予防』の視点から見直されていることはとても素晴らしいことだと思います。

 

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女性は米飯を!

麺・パン主食の女性はLDL-C高値

 ”米飯を主食とする和食は、主菜、副菜、汁物をそろえることにつながり、栄養バランスが整うと考えられている。せんだい総合健診クリニック(仙台市)の安藤亜莉沙氏は、主食として摂取している食品の傾向が採血データに及ぼす影響について検討し、結果を第50回日本総合健診医学会(1月28〜29日、ウェブ開催)で発表。「パンや麺を主食としている女性では総コレステロール(TC)とLDLコレステロール(LDL-C)が有意に高かった。LDL-Cが高めの女性には、米飯を主食とするよう指導することで数値の改善につながる可能性が示唆された」と報告した。
(Medical Tribune 2022年03月14日配信号)

なぜだか男性では米飯主食群と麺・パン主食群に有意差は認められなかったけれど女性では麺・パン主食群では総コレステロールとLDL(悪玉)コレステロールが有意に高かったそうで、その理由を「パンや麺類が中心の食事は洋食に偏りやすく、脂質摂取量が多かった可能性がある」とコメントされていますが、さてさてそれでは男女の違いを説明することはできますまい。ちなみに糖代謝や肝機能には主食の違いで有意差はなかったそうです。

少なくとも、「米を食うと食後高血糖を起こすし太りやすいのだから、食べるならパンやパスタがベター」と云う都市伝説の理論を覆すにはいい研究結果だったと思いますが、さて悪玉コレステロールが増えるからという理由だけで洋食メイン(と推測される)の嗜好を和食メインに変更するものだろうか。むしろこの結果を踏まえた栄養指導や行動変容指導の成果(食生活変化できたかどうか)を是非あらためて報告していただきたいと思いました・・・成果が出るなら、その指導方法の方が現場では参考になると思いますから。

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ため息

「そんな大きなため息なんかついちゃダメよ。ため息つくと幸せが逃げていくんだってよ」

わたしが大きな息を吐き出す度に、妻はわたしに向かってそう云います。ため息とは、「気苦労や失望などから、また、感動したときや緊張がとけたときに、思わず出る大きな吐息」なのだそうです。でも「自律神経のバランスを整える働きがあり、ストレスの多い現代社会においてはとても大切な役割を担っている」とも云われています。そうなのです。マインドフルネスや瞑想の世界では、ゆっくりと深い呼吸をすることが基本中の基本なのです。

最近、血圧が思うようにコントロールできていないわたしは、朝から何度も深呼吸して血圧を測り直す毎日(一応、家庭血圧測定の原則は「3回測ってその平均値を記録する」なのですが、「3回測って一番良い値を記録」している姑息なわたし・笑)ですし、仕事の合間や家でスマホを弄っている最中などに大きなため息(正式には『深呼吸』ではない気はします)をつきますが、これは同じ体勢や思考が続きすぎた感じがするからです。決して、先行き短くてさほどの夢もない人生を悲観しているのではありません。

 わたしは、よく「クソー!」と叫ぶこともあります。「あー上手くいかない、クソー!」とか、「あ痛ぁ!クソー、指挟んだぁ!」とか。その都度、妻から「クソだなんて、そんな汚いコトバ使わないでよ」とだめ出しされます。「そんなコトバ使っていると運気が落ちるから」という理由らしい。でもわたしとしてはむしろこんなコトバで邪気やアンラッキーな運気を体外に追い出しているつもりなのだから、放っといてほしいものだわ。

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表現の共有

1月に日帰りで隣県の墓参りに帰ってきた翌日から右腰痛と併せて発生してきた下腹部痛・・・今まであまり経験したことのない痛み方で、あえて云うと「小便をガマンして膀胱がパンパンになったときに経験したことがあるような痛み」かな、という感じ。

これを、客観的に表現するコトバが見当たらない。一応『染みるような下腹部痛』と表現して職員健診に臨みましたが、案の定、保健師さんにはスルーされましたし若い検査技師さんにもあまり理解してもらえませんでした。たとえば、ギックリ腰の痛みや尿管結石の仙痛発作は経験したことのある人には表現が共有できます。狭心症の発作や胃潰瘍の痛みも、経験がなくても一応何となく想像できます。でも、自分でも初めて経験するような痛みで今までの経験の歴史の引き出しの中から引っ張り出せる痛みの表現にピッタリ来るようなモノが見つけられないと、この何とも云えないイヤな痛み方を誰にも理解してもらえないというもどかしさ。そして、だからこそ何か得体の知れない病気が隠れているのではないかと不安にもなるります。

なぜだか、職員健診が終わって、検査で何もなかったことが分かった翌日から症状が消えてしまったものだから、妻は”精神的なモノ”と決め込んで相手にしてくれなくなりましたが、当人としてはこれが”本当は怖い家庭の医学”の症例みたいに、「あのときなんとかしていればこんな重症にはならなかったのに」的な病気が隠れているかもしれない、と不安を残している状態です。でも今は、そもそも決め手に欠く症状だった上に症状もなくなったので、いかんともしがたい状況です。

 

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ヘイト

なんか、根本から違うと思うんですよね。

人権がどうだ、ヘイトは許さない!とか云っている割に、人間の正義感はどこかで簡単に屈曲してしまう。ロシア大使館に抗議デモが押しかけるというのはまだ理解できますけど、各国で、各国に住むロシア人がバッシングされたりロシア料理店に嫌がらせやボイコット運動が起きたり、ヨーロッパでは芸術面で活躍するロシア人が拒絶される事態になっているというのは、どうしたものか。何も関係ない、単純に生まれた国(の独裁者)が今隣国に理不尽なイチャモンをつけている国だというだけの話だから・・・。何の解決にもならないうっぷん晴らしは、自己嫌悪に陥らないモノなんだろうか?

そもそも、ロシアが責めている隣国ウクライナは元々同じ国、同じ民族で、国外で活躍する人たちはたまたまロシア国籍だけど親戚はウクライナ人だという人は少なくない様だし、日本でロシア料理店を営んでいて嫌がらせを受けた店主はウクライナ人だったとかいうニュースもあっていたし、抗議の矛先があまりにもお門違いすぎます。まあ、一般市民としては、その程度でしかアンチを表現できないのかもしれないけれど、それだったらじっと黙って戦況を見届けている方がまだマシだと思います。

こんな批判文を感情にまかせて長々と書くこと自体が同類なのかもしれないから、この辺でやめておきます。自分で自分がイヤになってきそうです。

 

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『365日の紙飛行機』

朝の空を見上げて
今日という一日が
笑顔でいられるように
そっとお願いした

時には雨も降って
涙も溢れるけど
思い通りにならない日は
明日 頑張ろう
・・・・・
星はいくつ見えるか
何も見えない夜か
元気が出ない そんな時は
誰かと話そう

人は思うよりも
一人ぼっちじゃないんだ
すぐそばのやさしさに
気づかずにいるだけ

 

朝、通勤中の愛車のカーナビから流れてきた曲。「こういうの、いいなー」とココロに響くタイミングがあります。原曲を5年半前にNHKテレビのドラマ主題歌として耳にし、AKBのお嬢さんたちが歌っている形で見たこともあったけれど、あのときはきれいなメロディーだなというくらいしか感じていなかった。今こうして歌詞を聴き取るとしみじみをココロに染み入ります。

戦火に襲われている人たちにはちょっと現実味がない内容なのかもしれないけれどそれでも希望を持って歌える日が早く来てほしいと思います。そして、丸2年を超えた新型コロナの世界の中で落ち込んでしまったココロとカラダに苛まれている人たちこそは、そっとこの歌を聴くか歌うかしてみたらどうかなと思うところです。思えば、熊本地震のあと、きっと何度かこの曲を耳にした気がします。だからどこか懐かしさを感じるのかもしれません。あのとき、先のことなどほとんど考えられず、意味もなく突然涙が出てきたりしていた、あんな感情のときにこそ、こういう歌詞は本領を発揮するのだろうなと、今になって思います。

 

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ウイルスの共存

新型コロナ(COVID-19)との付き合いも長くなりました。想定内とも想定外とも云えないけれど、やはり望んでいたより長い付き合いになっているというのが正解かしら。第6波は立ち上がりはあんなに急峻だったのにピークを越えても高止まりというか下げ止まりというか、第5波までのような切れがあまりありません。

ちょっと暗澹たる気持ちになりそうですが、でももしかしたらこの辺が落ち着きどころなのかもしれません。ウイルスとしてもできたらこのレベルで人間たちとの共存を狙っているというか、今レベルがウイルスたちの求めている共存のレベルなのではないか、と最近思うようになりました。だから、そろそろ新型コロナとしても、「もう放ったらかしにしておいてほしい。そんなに迷惑かけないからさぁ」と云いたいのじゃないかしら。

まだ新しい治療薬が確立するまでは人間としても撲滅を目指すのかもしれないけれど、それはロシアvsウクライナ戦争と同じような不毛な戦いになるのでは?という気がしないでもありません。

 

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『床屋さん』

以前、『床屋』というコトバは放送禁止用語・自粛用語だと指摘されてブログの書き直しをしたことがありますし、その後かなり気を遣ってきました。

『床』という文字が性的印象を与えるからとか『○○屋』というのが日銭を稼ぐ職業への軽蔑語だから、という理由だったと思います。でも、実際のところ『○○屋』が全部ダメとなると困ったものです。『床屋に行く』がダメだからわたしのスケジュール帳には『散髪屋に行く』と書いてますしブログでも『散髪屋』を使ってますが、実は『散髪屋』はダメなんですよね。8年近くそうしてきていたのに、全く無駄なことでした。『パン屋』もダメ。

そういえば、調べれば調べるほどNG単語は出てきます。『ブラインドタッチ』は『ブラインド』がNG、『バカチョン・カメラ』『片手落ち』・・・たしかに最近使われるのを見なくなりました。よくもまあ、イチャモンつけるものを見つけ出すモノだとむしろ感心します。でも、『四つ葉のクローバー』が『四つ這い』を連想するからNGというのはあんまりです。

ところが先日、Eテレの『コレナンデ商会』を見ていたら、楽しげな歌の中に「床屋さん」という歌詞がありました。「おいおい、天下のNHKが放送禁止用語をそんなあからさまに使ってもいいのかい?」と驚いて独りツッコミしてしまいましたが、『床屋』はダメだけど『床屋さん』は良いらしいのです。『○○屋さん』の『さん』が付けばOKなのだと・・・たしかにむかしのわたしのブログにも書いてありました。

本当に「なんのこっちゃ」です。じゃあ、さらに丁寧に『床屋さま』と云ったらどうなのだろうか。今度は返って「バカにしている!」ということになるのだろうか。馬鹿馬鹿しいはなしである。こういうことを問題にしている輩に限って、決して『床屋さん』をリスペクトしてないのだ! わたしはそう声を大にして云いたい!
 

 

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西鉄ライオンズ

先日夫婦でお伺いした知人宅。先日第2子を出産したばかりの若い奥さんはソフトバンクホークスの熱烈なファンだと云う。「なんせわたしはダイエーホークス時代からのファンですから。王監督のころを知ってますから」「九州に応援できるプロ野球球団があるって、すばらしいですよね」・・・さすがは熱烈ファン、とても熱く語り始めました。

「西鉄ライオンズ時代からじゃないんだ」・・・冗談半分につい小さく呟いたらすぐに反応されました。「それ何ですか?全然知りません。西鉄のチームがあったんですか?」と笑われました。あはは、さすがに古すぎたか。「だって、平成生まれだからね」と妻がフォロー。

「昔ね、福岡には西鉄ライオンズという強いチームがあったんですよ。ボクは予備校時代に平和台球場に行ったことありますよ」「平和台?」・・・知らんか。「西鉄が球団経営権を売ってから、太平洋クラブとかクラウンライターとかを経て今の西武ライオンズになって、福岡から所沢に本拠地が移ったんですよ。だから、東京で働くのにアパートを探したときは電車で西武球場に行けるように迷わず西武線沿線で探したんですよ」・・・ほとんど爺ちゃんから聞かされる戦争話の域か? 「ホークスは元々は南海ホークスだもん」「全然わかりません」「ほら、あのぼやきの野村さんが現役時代に活躍した球団よ。南海電鉄が持っていた球団経営権をダイエーが買って、この時に福岡にフランチャイズを移したのよ。最初は弱小球団だったけど、テコ入れに根本さんを西武から迎えてその時にかなりの主力級をライオンズから移籍させたりして徐々に強くなったんだよね。王監督の頃はもうかなり優勝争いできるチームになってたでしょ。だから、ライオンズとホークスは福岡の縁で繋がっている兄弟関係みたいなもんなのよね」

ふと気付いたら、わたしだけが話に熱中している。周りはほとんどちんぷんかんぷんだから苦笑い。「こりゃいかん」・・・空気を読めるわたしは、話をそそくさと終わらせ、東京の生活がいかに大変だったかとか方言談義とかに話題を移していきました。そもそも今は野球にあまり興味はないし。でも、個人的には、はからずも若い頃のいろいろを思い出させてくれた楽しい時間でした。

 

 

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意識消失

日曜日、朝から120キロ離れた実家近くの墓参りを済ませ、Jリーグの地元チームの応援をしてから帰路に就いていた夕方、山中の国道で信号待ちをしていて完全に意識が消失しました。気付いたら前に停まっていた車が出て行ってしまっていて慌てて出発した次第(このご時世でなかったら、後ろからけたたましいクラクションを鳴らされたかもしれない)。ブレーキが”ホールド”状態だったから良かったようなものの、ヘタをすれば追突事故を起こしていたかもしれません。自動車道から降りるちょっと前辺りから急に襲ってきた睡魔のせいです。危ないので、近くの道の駅の駐車場に停めて仮眠をしました。気付いたら45分ほど経過しており、周りの車の様子も仮眠前と全く違っていました。「ん?ここで何しているの?もう帰り着いたの?」・・・しばらく寝ぼけて失見当識となったあとでやっと状況が把握できました。その後は睡魔に襲われることなく無事に家に帰り着けたものの、とてもショックな出来事でした。

プロサッカーの日帰り応援や日帰り墓参りの時には時々睡魔に襲われて途中仮眠を余儀なくされることはこれまでも何度かありましたが、信号停車中に意識消失したのは初めてです。「60代の男性医師が追突事故。運転中に意識消失。脳か心臓疾患の可能性?」などという新聞見出しが思い浮かびました。「あれは、よそ見か、突然の脳卒中か不整脈発作か、あるいはてんかんか、そんなところだろうね」・・・似たようなニュースを見ながらそんな無責任なことを吐き捨てていましたが、そんな大きな病気でなくても普通に起き得ることを痛感。もうそんなに若くはないのだから、体調を整えてしか運転してはいけないなと肝に銘じた次第です。もう一回こんなことが起きたら、免許返上しなければならなくなるかもしれません。

 

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実は、

先日の職員健診のときはとてもドキドキしました。

1ヶ月以上続く右下腹部の痛みの原因が悪性のもではないかと懸念したから、というのではありません。実は、ここ1週間くらい、体温は全く平熱(36.0℃前後)なのですが急に喉がモゾモゾして空咳したり、急に鼻水が出てきたりするようになっていたのです。ご時世だから、「もしやオミクロンの可能性はないのか?」と疑う一方で、朝起きたときは無症状なのに庭に出たりゴミ出ししたりしていると症状が出てきて出勤途中に酷くなるとか、仕事から帰ってくるまで問題ないのに夕方の散歩をすると帰ってきてから寝るまで症状が出るとか、どこかアレルギーぽい(花粉やPM2.5などの)のです。先日の霧が異常に激しかった朝などは、今日こそ抗原検査かPCR検査か受けるべきかもしれないと覚悟して運転していましたが、ある交差点を境に急に霧が晴れたかと思ったら症状まで突然消失してしまいました。

そんなことのあった翌日が職員健診。たまたまオプションに肺CTを付けていたのですが、検査した後なかなか技師さんがCT室に入ってこないので、「もしや変な影があって担当医師に緊急で連絡しているんじゃないか」とやきもきしましたし、「採血の結果が出てくる頃合いになったら急に呼び出されるのではないか」と不安になったり・・・。幸い滞りなく検査が済み、夕方になってこっそり自分の結果を覗きに行って気にしていた検査結果(炎症の有無や胸部検査の読影結果など)に異常がないのを確認したら、途端に「よかった」と気が抜けてしまいました。

まあ、職場ではすぐにでも検査してもらえるのだからさっさと検査を依頼すればよかったのかもしれませんが、普通に考えたら花粉症や大気汚染のアレルギーに間違いないと簡単に想像できるようなことでも、典型的ではない症状が基本のオミクロン株では「何でもあり」なんじゃないかという不安が無駄に襲ってきます。こんな感じだからそりゃ無症状のままに市中感染とか起こすのもしょうがないのかもしれませんが、やはり今回のような場合は感染症ではないはずという根拠を並べて否定するのではなく、ハズレでも良いからさっさと抗原検査すべきだったと反省しました。ちなみに、健診結果が良かったせいか、健診の日の夜から急に症状はなくなりました。そうなるとそれはそれで、「本当にアレルギーだったのか?」と疑心暗鬼になるのであります。

 

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父のあこがれ

「なーん、いいんじゃ、いいんじゃ。食べられんなら残しゃいいんじゃ。そげんこと全然気にせんでいいけん、食いたいモノだけ食やいいんじゃ!」

わたしが子どものころ、デパートのレストランで大量の料理を注文する父に「そんなに食べられない」と非難したときの父の答。いまだに時々思い出します。「もったいないから出たモノは全部食べろ!」と祖母から指導されてきた婆ちゃん子のわたしには到底許容できないことで、しかも祖母からも母からも「お百姓さんが一生懸命作ったお米だから一粒たりとも粗末にしたらいかん」と、お弁当はまずフタに付いたごはん粒から食べるように教育されてきたのに、父だけがいつもこんな云い方をしていたのです。

田舎の庄屋の末裔の父(次男坊)と地方都市の地主の家の娘(次女)の母がお見合いで結婚してわたしと姉が産まれました。両親共働きな上に当時の教師の給料はまあまあ良かったので、わが家は決して貧乏ではなかったけれど、そこはやはり庶民の農家の出。決して不要な贅沢はさせてくれませんでした。「もったいない」が口癖の祖母の息子が父なのだから、父もまたそういう幼少期を過ごしてきたはず。だからこそ、父は洋食や脂っこいモノはほとんど食べませんでしたし毎晩の酒の肴は”いりこ茄子”が定番でした。鮨の出前などお客さん用にしか取ったことがない家庭。

きっと、あの言葉は父のあこがれだったのだろうな、と今は思えます。今でこそ、SDGsが叫ばれて、「食べ物を残すなんて言語道断!」と白い目で見られますが、平成の初めのバブル期には注文した料理を食べ残せるのがステイタスだ!成功の証だ!と思っていた輩もたくさんいました。そのルーツには、おそらく父が若いころ、サラリーマンの中流家庭にあこがれてモダンがっていた時期の男の成功の証こそが『飽食』、というものだったのではないかと思います。でも、わたしの美学というか正義から対極にあるあの父のコトバを受け入れることは最後までできませんでした。おそらく根が真面目な父の精一杯の虚勢であったろうに、若いころのわたしにはどうしてもそんな父が許せませんでした。

お弁当の蓋のごはん粒を食べようとしたら、「そんな貧乏くさいことしちゃダメよ、みっともない!」と母親からしこたま叱られたという妻。一方で、注文したモノを食べられなかったら「あなたが食べると云ったんだから、絶対に自分で食べてしまいなさい」と叱られたこともある、とか。それぞれの家庭にはそれぞれの哲学があり、歴史がある。いずれにせよ、子どもころの親からの教育、特に食育は一生影響を受けるモノではあります。

 

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SCAD

特発性冠動脈解離という病気があります。閉経前の女性の急性心筋梗塞の原因として話題になり、時々医療記事に出てくることがあります。急性心筋梗塞の時に行う通常の冠動脈造影検査では見つけ難い病変で、それが超音波検査などの進化によって見つけられるようになったことで、一気に脚光を浴びるようになりました。

特発性冠動脈解離の病因は妊娠、結合組織異常、女性ホルモン、動脈炎、冠攣縮、動脈硬化、薬物中毒、過度の運動などが指摘され、50歳未満の女性の急性心筋梗塞は、その24.2%~35%が特発性冠動脈解離であったとする報告があります。”(Care Net 2022.2.22配信号から抜粋)

で、この『特発性冠動脈解離』=spontaneous coronary artery dissectionの略号がSCADらしいのですが、この略号、必ずしもこの病気のことだけを示す略号ではありません。『SCAD』で検索してみると、silent coronary artery disease(無症候性冠動脈疾患)と一緒にsymptomatic coronary artery disease(症候性冠動脈疾患)とまで出てきます。冠動脈疾患とは狭心症や心筋梗塞のことですが、症状があってもなくてもどっちもSCADって、もはやカオス。うちの病院の医療辞書が入っているパソコンの変換候補には『SCAD欠損症』というのがイの一番に出てきます。SCAD欠損症とは、『短鎖アシルCoA脱水素酵素欠損症』という先天性の代謝疾患で小児の慢性特定疾患に指定されている病気だそうです。

医療の略号はこういうモノが多く、自分たちの分野だけの共通通貨のような意味合いしかないものも少なくありませんが、さすがに『SCAD』は循環器内科の冠動脈の病気だけで3種類もあるとなると、さすがにこれはマズいんじゃないか、こういう略号は世に出してはいけないのではないかと強く思います。ちなみに、英単語の「scad」は「たくさんの」とか「鰺(アジ)」とかであり、さらに「CAD」はコンピュータによる設計支援ツール(Computer Aided Design)としてその分野では極めて有名です。そもそも「SCAD」って何て読むんかしら?

 

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何のための体重管理?

今年の職員健診が無事に終わりました。まあ、今年はいつもの健康増進プログラムの”まめ太郎”配給を受けなかったために結局体重も腹囲もコントロールできないままの受診になってそれ相応の結果だったので、「無事」ではなく、ちょっと凹んではいます。

「先生は、ずっと続けて歩数計を付けて毎日体重量ったら絶対に管理できる人なのに、続けないのはもったいないですよ」と、毎年”まめ太郎”を返却するときに担当保健師さんから云われ、「こんなの3ヶ月間限定だから頑張れるのであって、いつまでも続けられはしないよ」と云い返してきたけれど、今年は歩数管理も毎日の体重測定もこっそりやったのですよ。でも結局は体重もお腹周りも元に戻ってしまったから、わたしの考えはまんざら間違いではなかったのだろうと思います。

でも、別に変に不摂生をしたわけではないし、目標としてきた生活習慣はほぼほぼできている(と思う)。その証拠にアディポネクチン(長生きホルモン)は年々上昇しています。そりゃ毎年するように、なかなか減らなければ腹筋運動を付け足すとか、腹が減ってきてもコーヒー飲んで乗り越えるとか、そんなストイックな付け足し行為はやらなかったけれど、それでも秋ぐらいまでは体型を保ててる。そうなると、ここへ来て増えてくる体重とお腹を今一度減らす目的意識が明らかに薄れてしっているのは確か。お腹周りを春のころの様に締まらせること(というより、そのためにストイックに生きてくこと)がこれからの自分の人生にどれほどの価値があるのだろうか。さてさて、これはかなり重大な上にとても厄介な命題です。「先生、今年は去年より太りましたね」・・・計測スタッフが気を遣いながら気の毒そうにそんなことを云う。去年まではそれがイヤでがんばってきた。でも、今年云われておけば、来年は今のレベルを維持するだけでOKになる。血圧以外の諸データが少しは悪くなったとしても治療を要するような特別な悪化ではないのだから、今年の結果がこれからの管理の基礎値になってしまえば来年からは心身ともに楽になる・・・それでいいんじゃないのかなーと思う今日この頃なのであります。

 

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情報操作

「今のロシアの情勢は本当はどうなんですか?」
先日わが家に来た友人がそんなことをわたしに聞きました。
「あぁ。『プーチンが狂い始めてる』とか云われているやつ?」
「そうそう、それは本当なの?」

知らんわ、そんなこと。わたしはロシアの政府関係者でもなければスパイでもないのだから。たしかに、ここ1週間のロシアのやることは常軌を逸しているし、その指示を出すプーチン大統領の目つきも異常だと思うけど、そもそも日頃から本当の情報を外に漏らさない国なのだから、国内で起きていることの真実などわかろうはずもない。テレビニュースやワイドショーで専門家らしき人がコメントしたり、どこぞの情報筋からの情報だと云いながらまことしやかに話していることですら、本当のことはわかりません。特にこうやって戦争状態に突入したらほとんど情報操作合戦なのだから、当事者のロシアから発せられる情報もそれを打ち消すように欧米諸国から発せられる否定情報も、あるいはウクライナ大統領から発せられる情報も、もはや本物はどれだかわかりません。もしかしたら、全部がウソかもしれない。

だから、「少なくともマスコミやネットから流れてくる情報はあまり鵜呑みにしない方がいい」と、くだんの友人には昔からいつも忠告していたのですが、「本当はこうらしいよ」とテレビの受け売りの情報を広めそうで心配です。とにかく真実はひとつ。その真実はおそらくあと5年や10年の後になってやっと明かされることでしょう。

今、わたしたちが欲しいものは「真実の情報」ではなく、大事にならないうちに戦争状態が終結することだけなのであります。

 

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アルコールは少量でも毒らしい

心臓にとって安全なアルコール摂取量は存在しない(No Amount of Alcohol Safe for the Heart: WHF)>

 ”世界心臓連合(WHF)は新たな政策提言において、少量〜中等量のアルコール摂取は心血管の健康に良いと広く考えられているが、これはデータによって裏付けられていない、と述べている
実際のところ、どのような量であっても飲酒は健康寿命の損失に寄与しうるという明確なエビデンスがある
心血管疾患の有病率は過去数十年間で2倍近くになっており、そのうちの多くにおいてアルコールが主要な役割を果たしている

大変手厳しい提言です。「適量の酒は『百薬の長』である」という確固たる証拠(エビデンス)は存在せず、むしろ少量でも冠動脈疾患、脳卒中、心不全、高血圧性心疾患、心筋症、心房細動、動脈瘤を含む心血管疾患のリスクを上昇させるというエビデンスはある。だから、”安全な量”など存在しないのだ。そんな誤報はすべて酒類製造会社の陰謀である、とまで書かれており、逃げ道は一切なく、「迅速で断固とした行動」が必要だそうです。

「タバコは1本でも毒だけど、酒は適量なら返ってカラダに良い」と云っていた時代は過去のモノになっているのでしょうか。まあ、口に入れなくても困らないものなのだから、少なくとも若い人たちはタバコも酒も最初から知らないに越したことはありますまい。と云ってお茶を濁すのが酒飲みオヤジのギリギリの対応策です。とほほ。

そんなら、製造・販売させないとか、不買運動すべきだとか、そういう方向にまで徹底して提言してやりなされ。

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