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表現の共有

1月に日帰りで隣県の墓参りに帰ってきた翌日から右腰痛と併せて発生してきた下腹部痛・・・今まであまり経験したことのない痛み方で、あえて云うと「小便をガマンして膀胱がパンパンになったときに経験したことがあるような痛み」かな、という感じ。

これを、客観的に表現するコトバが見当たらない。一応『染みるような下腹部痛』と表現して職員健診に臨みましたが、案の定、保健師さんにはスルーされましたし若い検査技師さんにもあまり理解してもらえませんでした。たとえば、ギックリ腰の痛みや尿管結石の仙痛発作は経験したことのある人には表現が共有できます。狭心症の発作や胃潰瘍の痛みも、経験がなくても一応何となく想像できます。でも、自分でも初めて経験するような痛みで今までの経験の歴史の引き出しの中から引っ張り出せる痛みの表現にピッタリ来るようなモノが見つけられないと、この何とも云えないイヤな痛み方を誰にも理解してもらえないというもどかしさ。そして、だからこそ何か得体の知れない病気が隠れているのではないかと不安にもなるります。

なぜだか、職員健診が終わって、検査で何もなかったことが分かった翌日から症状が消えてしまったものだから、妻は”精神的なモノ”と決め込んで相手にしてくれなくなりましたが、当人としてはこれが”本当は怖い家庭の医学”の症例みたいに、「あのときなんとかしていればこんな重症にはならなかったのに」的な病気が隠れているかもしれない、と不安を残している状態です。でも今は、そもそも決め手に欠く症状だった上に症状もなくなったので、いかんともしがたい状況です。

 

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