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ソメイヨシノ

今年はちょっと開花が遅れ気味かと心配しましたが、突然の春の空気で一気に咲き始め、今を盛りに日本中で咲き誇ってきます。

思えば2年前、窓の外に咲き誇っているソメイヨシノの淡いピンクの花を眺めながら、殺人ウイルスCOVID-19の猛威のために花見どころか木の下を歩いて花を愛でることすら危険と思われていました。「せっかく見てもらうために咲いた花なのに、かわいそうに」などと勝手に思っていたものでした。

「来年こそは」と思いながら早2年。今年もまだCOVID-19は居座り続けています。でも、ソメイヨシノの花を見る目は変わりました。今はマスクは装着してはいますがワンの散歩途中の公園で普通に桜の木の下で佇む楽しみができるようになりました。「軽くなった」というより「慣れた」というのが正解でしょう。この数年の間に、桜=ソメイヨシノではないことも学びましたし、桜の花を愛でながら春の訪れを感じるために必ずしも花見の宴会も桜祭りも要らないことにも気づかされました。逆に、宴会の盛り上がりは桜の花が散るのと同じように宴の後の寂しさがひとしおですし。

明らかに、当たり前だった日常は当たり前ではなく、別にコロナ前に戻らなくても困らないと感じることが世間には多くなりました。むしろ来年や再来年の春にコロナ前と同じようにもうマスクなしで花見のドンチャン騒ぎをしても大丈夫だと云われたとしても、果たしてそんなことできるだろうか、と思います。「マスク外して日常生活をする」ってかなりの勇気が要りますから、そんな思いまでして花見の宴をしなくても、桜の花は毎年変わりなくきれいに咲いてくれるのだから、それを愛でるだけでいいような気がしてきました。

 

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