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父のあこがれ

「なーん、いいんじゃ、いいんじゃ。食べられんなら残しゃいいんじゃ。そげんこと全然気にせんでいいけん、食いたいモノだけ食やいいんじゃ!」

わたしが子どものころ、デパートのレストランで大量の料理を注文する父に「そんなに食べられない」と非難したときの父の答。いまだに時々思い出します。「もったいないから出たモノは全部食べろ!」と祖母から指導されてきた婆ちゃん子のわたしには到底許容できないことで、しかも祖母からも母からも「お百姓さんが一生懸命作ったお米だから一粒たりとも粗末にしたらいかん」と、お弁当はまずフタに付いたごはん粒から食べるように教育されてきたのに、父だけがいつもこんな云い方をしていたのです。

田舎の庄屋の末裔の父(次男坊)と地方都市の地主の家の娘(次女)の母がお見合いで結婚してわたしと姉が産まれました。両親共働きな上に当時の教師の給料はまあまあ良かったので、わが家は決して貧乏ではなかったけれど、そこはやはり庶民の農家の出。決して不要な贅沢はさせてくれませんでした。「もったいない」が口癖の祖母の息子が父なのだから、父もまたそういう幼少期を過ごしてきたはず。だからこそ、父は洋食や脂っこいモノはほとんど食べませんでしたし毎晩の酒の肴は”いりこ茄子”が定番でした。鮨の出前などお客さん用にしか取ったことがない家庭。

きっと、あの言葉は父のあこがれだったのだろうな、と今は思えます。今でこそ、SDGsが叫ばれて、「食べ物を残すなんて言語道断!」と白い目で見られますが、平成の初めのバブル期には注文した料理を食べ残せるのがステイタスだ!成功の証だ!と思っていた輩もたくさんいました。そのルーツには、おそらく父が若いころ、サラリーマンの中流家庭にあこがれてモダンがっていた時期の男の成功の証こそが『飽食』、というものだったのではないかと思います。でも、わたしの美学というか正義から対極にあるあの父のコトバを受け入れることは最後までできませんでした。おそらく根が真面目な父の精一杯の虚勢であったろうに、若いころのわたしにはどうしてもそんな父が許せませんでした。

お弁当の蓋のごはん粒を食べようとしたら、「そんな貧乏くさいことしちゃダメよ、みっともない!」と母親からしこたま叱られたという妻。一方で、注文したモノを食べられなかったら「あなたが食べると云ったんだから、絶対に自分で食べてしまいなさい」と叱られたこともある、とか。それぞれの家庭にはそれぞれの哲学があり、歴史がある。いずれにせよ、子どもころの親からの教育、特に食育は一生影響を受けるモノではあります。

 

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