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2022年5月

昼休みに働くのは当たり前

現在は労務管理と働き方改革の監視が厳しい時代ですから、昼間の間にこなせなかった仕事を業務終了後にやっていたら「時間外手当が発生するから業務時間中にこなせるように工夫しろ」と注意を受けたという人は少なくないかもしれません。でも、そもそも要領が悪くてそうなっているのではなくて業務量が異常に多いからそうなっているのだから、結局こなせない仕事は昼休みを削ってする羽目になったりします。「それはおかしな話で、いうならば”隠れたサービス残業”ということになりませんか」と云うと、「そんなことをするのは当たり前だろう」と古参の先輩に一喝されるわけです。

かつてそういう時代はありました(というか、わたしの若い頃はそれが当たり前でした。それをした上で夜も遅くまで働くのが医者の常識、という時代でしたから)。でも本来、昼休みは休まなければならない時間として、むしろ現在の方が厳しく指導されているはずです。でも、この時間は記録に残らない。業務時間外に残って仕事したら「時間外労働」という記録が残るけれど同じ仕事を昼休みにしても働いたのか休んだのか記録が残らないからわからないのです。最近は、植木屋さんとか水道工事屋さんとか、仕事がどんな中途半端な途中でも、所定の時間が来たら一斉に休憩に入ります。定刻になるまで一切仕事はしません。それが労務管理であり働き方改革なのだということで徹底されています。定刻になって仕事を再開して定刻までに終わらなければ翌日の仕事・・・そんなことはわたしの仕事では通用しません。翌日には今日とほぼ同じような量の業務が朝からどっと襲いかかってくるからです。どんなことをしても今日の分は今日のうちにこなしてしまわない限り業務の借金地獄に陥ってしまうばかりなのです。

「時間内に業務がこなせないのは要領が悪いから」と云われ、結局サービス残業したり朝早く来て残った仕事をこなしたりするうちに体調を壊してメンタル不調になっていく人をたくさん見てきました。時間内にこなせないのは何が悪いのか。どうやったらもっと仕事のシェアができて職場全体でこなすようにできるのか、それは個人の努力ではなくて職場の努力、そういう風潮だけは確保させておきたいものです。

 

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マスクの中に隠れた顔

最近、厚労省の発表を受けて外歩きのときにマスクをはめていない人の数が増えてきました。とくに朝や夕方の散歩のときには半数以上は外しています。かく云うわたしも、なにしろ暑いので周りに人が居なければワン散歩のときくらいはマスクを外してみたりしました。

日曜の朝のほとんどだれともすれ違わない道を老犬と一緒に歩きながら、ふと気づいたら何ともだらしなく開けた口元。「あ、そうか、マスクをしてないんだ」・・・いつも無意識のうちにこんなに口元ゆるゆるで歩いていたんだな、と気づきました。こりゃ、マスクマストの生活の2年間は、かなり長かったんだなと痛感しております。若い女の子達が「マスクはずすなんて、ムリ。恥ずかしすぎる」と云うのが何かわかる気がします。かなり、顔(特に口元や顔全体の表情)を見られることを意識しないと・・・ちょっとこれからはマスクしていても口元に油断しないように意識しよう!と思った日曜の朝でした(まあ、完全にマスクしてたら口呼吸しないと苦しいから口開けてしまうのはやむを得ないのだけれど)。

日曜のお昼どき、気温はすでに30℃近かったため、家からマスク外して歩いたけれど、近くの商店街を歩くときだけマスクをはめました。多くの大人はきちんとマスクしていたけれど、パチンコ屋の前のベンチに屯すじいちゃんばあちゃんはみんな顎マスクで楽しそうに会話しておりました。もう、そうするんだったらマスクはずしちゃった方が清潔なんじゃ?(本当はダメだけど)とツッコみたくなるのをグッとガマンしながら通り過ぎたのでした。基本的にこの昼間の商店街も、独りでただただ道を歩く限りマスクは要らないな。もうマスク生活の終焉は近いぞ。

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オンライン会議

先日、友人がスタジアムでのサッカー観戦中にスマホを使ってZoom会議をしていました。今はオンライン会議は当たり前になりました。リアル会議に戻りそうで完全には戻れず、学会や研究会もハイブリッド形式を取らざるを得ないのが現状ですが、会議については別に全員が仕事の都合を無理矢理つけて同じ会場に集まらなければならない理由は実は何もないのだということが、このコロナ禍の中ではっきりしてきたわけです。「いや、やっぱり直接顔をつきあわせて空気を共有するかしないかは大きいよ」と言い張るのは基本的に年寄りの方々の考え方。学会とかならともかく、少なくとも職場の会議ならオンラインでしてほしいと思っている人はかなり増えているのではないでしょうか。

たしかに、画面はZoomを見ながらまことしやかな自分の顔出ししているけれど、イヤホンは実はYoutubeだったり、NetflixやDAZNだったりに繋がっているなんて輩はいないわけではありますまいが、まあそれも現代社会の処世術なのかも知れません。コロナ前の時代でも、参加登録のために受付はしたものの中抜けしたり部屋にいるだけでずっと違うことをしていたりするけしからんヤツはたくさんいたことを知っています。かく云うわたしも今日は今(午後)からオンライン(ハイブリッド)研究会です。研究会の前には世話人会もあり、どちらも自宅のパソコンからオンラインで参加します。わたしの応援するサッカーチームの試合がもしも会議中にあったなら、間違いなくiPad のDAZN動画観戦を横に置きながら研究会に臨んでいるふりをするだろうなと思いながら、今週末は日曜の試合なのでそんな不謹慎な行動は取らずに済みますけれど。

オンラインであれリアルなフェイスtoフェイスであれ、参加する人間の人間性の現れ方は同じなんだぞ、と思うところではあります。ただ、自宅参加だとちょっと気持ちが緩むのはやむを得ませんかね。

 

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尿管がん

「親しい知人が尿管がんになってしまったのでお見舞いに行ってきた」

先日友人がそんな話をしてくれました。『尿管がん』・・・膀胱がんとか腎臓がんとかは聞いたことがあるかもしれませんが尿管がんは滅多にお目にかからないと思います。

 『尿管がん』は文字通り尿管(腎臓から膀胱までのおしっこの通り道)にできるがんのことで組織的には膀胱がんと同じなのだそうです。人口10万人あたり0.5人程度と発生頻度も少ないがんではありますが、見つけにくいがんでもあります。「健診の尿検査で血尿だったから調べたら見つかった」というのもそう多くはないかもしれませんし、腹部エコー検査で一応尿管は確認しますがよほど腫瘍が大きくならないと見つけられない(腸のガスや脂肪が邪魔をして)し、尿路が詰まって水腎症になるのもかなり進行してからになるからです。

健診や人間ドックでの尿潜血陽性はがん(膀胱・尿路)や尿路結石の有無を調べるためにあるのだから症状がなくても紹介状が出たら必ず専門医受診をしてほしいと思いますが、そこで見つからないとその後ずっと血尿が続いても自覚症状がない限り受診しなくなるような懸念もあります。

かく云うわたし、45年来の尿管結石持ちで昨年末には尿管に石が詰まって粉砕術まで受けました。わたしの石があったところがちょうど尿管がんの好発部位。水腎症にもなったけれど粉砕された石が排石されたことで水腎症も消失し、「めでたしめでたし」ということになっていますが、エコーはわたしの職場で技師さんにこっそりしてもらっただけで医療機関では単純X線写真を撮っただけです。今年になって断続的に右下腹部に染みるような鈍い痛みが走ることがあって心配しているので、正直なところなんかちょっと気味が悪い。でも、結局血尿でもないと尿検査で細胞診など検査しないし、腹部エコーで水腎症でも出現しない限り下部尿管なんて追いかけないでしょう。その存在すら気にしていなかった『尿管がん』の幻覚に、なんかちょっと悩まされそうな気がしないでもない。

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さるとう

聞き慣れない病気が広がってきていて、あるとき突然に『サル痘』という単語がニュースに出てきたかと思ったら一気に当たり前に報道されるようになりましたが、そもそも『サル痘』と書いてなんて読むの? という疑問から始まりました。『天然痘』は”てんねんとう”だから、そして天然痘によく似た症状だから”さるとう”でいいのかしら。わたしはまだ、報道上の文字でしか認識していない(アナウンサーが直接口にしたのを聞いたことがない)から自信がないのだけれど、”さるまめ”ではないだろうから”さるとう”で良いのでしょうね。

数日前に、うちの職場の感染症担当医からも注意を促すメールが職場内に一斉配信されました。確かに天然痘撲滅宣言以降、わたしたちの年令では当たり前だった種痘が行われなくなったから今の若者は感染しやすいかも知れない。でも、そもそもアフリカ棲息の動物たちが持っているウイルスなわけで遠く離れた日本で流行るはずがなかった(それでなくても2年以上鎖国状態だったのだから)のに、どうしたのでしょうか。まあ、これから入国制限が一気に緩和されるしコロナ禍のせいでいろんなウイルスに対する免疫が低下しているであろう日本人の間でこれから一気に流行しても不思議ではないかもしれませんね。注意しておくのに超したことはないです。

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社会がフレイルを予防する

日経BPメールの2022.5.16配信号からはもうひとつの話題。
電力使用データを活用してフレイル検知

水道と生活データの組み合わせでフレイルの兆候を検知する

前者は長野県松本市、中部電力、合同会社ネコリコ(東京都千代田区)、JDSCの共同実証研究(これから開始する研究)、後者は愛知時計電機という会社が大府市や東浦町などと連携して実証実験を開始した試み

つまり、高齢者家庭の電力メータの動きや水道スマートメーターの動きをモニタリングすることで、日常の活動量が急に落ちたり食べなくなったりしてないかとか、あるいはまったくメーターが動かなくなれば何らかの身体的異常があって動けなくなったのではないかとか、そういう”見守り”活動ができ、速やかに専門家からの生活指導に結び付けられるという構想です。

個人情報がどうのこうのと云われ始めて以降、他人に個人情報を知られなくなった反面、”個人情報になるから隣人の行動は見ないことにする"的な社会になってしまっています。どんどん社会のコミュニティとの関りが希薄になる人が特に高齢になるほど目立つようになってしまったから、独居家庭やうちのような高齢者夫婦だけになろうとする家庭では「社会が”見守り”活動をして社会全体で健康をサポートしてくれることがありがたい」という時代になっていることを痛感します。

 

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社会をよくする試み(ウォーカビリティ)

最近、医療情報の中ですぐに目が行く方向が明らかに変わりつつあります。『0次予防』と『社会的処方』・・・社会全体が住人を健康に導くという概念に興味の軸が動いている今日この頃。だから、メディカル系のメルマガよりも日経BPなどのメルマガの情報の方が面白かったりします。

今回の日経BPの情報からも諸般の情報。

たとえば、『新・公民連携最前線~データから見る「健康になれるまち」~第1回 暮らしているだけで認知症になりにくいまち』(2022.3.3)

ひとことで云えば「ウォーカブルな環境が健康にポジティブな影響をもたらす」ということ。

歩道が多い都市部に住む高齢者は、認知症の発生が少ないことがわかった。7万6053人の高齢者を対象に2010年から約3年間追跡し、歩道面積が少ない地域に住む人と、多い地域に住む人を比べたところ認知症発症リスクは45%低かった。この結果は都市部に住む人、または車を使わない人でのみ見られた。歩道が多く、ウォーカブル(歩きやすい)な地域に暮らしているだけで、認知症になりにくい可能性が示された(Tani Y, et al., 2021)

そして、”高齢者の歩行など身体活動量に良い影響を与えている要因には、「歩きやすさ」「緑や美しい町並み」「目的地やサービスへのアクセス」「歩行者に優しいインフラ」「犯罪や安全性」「公園やオープンスペース」「レクリエーション施設」「店舗や商業施設」「公共交通機関」がある”そうです。今回のこの記事で『日本老年学的評価研究(JAGES)』というサイトも知りました。

「歩くことが健康に良いからもっと外に出て歩きましょう」と医師や保健師がどんなに声を大にして勧めたところで、日常生活で自分が歩く気になれる環境でなければ、人は「健康にいい」というだけでは決して動きません。歩きたくなる環境と歩かざるを得ない環境とが存在することが大事。そのための重要な要因として「歩きやすさ」「緑や美しい町並み」「目的地やサービスへのアクセス」「歩行者に優しいインフラ」「犯罪や安全性」「公園やオープンスペース」「レクリエーション施設」「店舗や商業施設」「公共交通機関」などが挙げられるのだそうです。

きっと、老後に住むなら郊外の自然豊かな広大な土地の中の一軒家ではなく、ごちゃごちゃしたコミュニティの中で周りとかかわらざるを得ない環境の方が認知症予防にはいいのかもしれません。熊本地震の後、我が家の隣に引っ越してきた義母が犬の散歩をきっかけにわたしたち夫婦よりもはるかに深く地域住民と仲良くなっていく姿を見ていると、認知症なんてこの人には無縁だろうなと思います。

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マスク狂奏曲

今日は月曜の朝、各テレビ局のワイドショーがどこもかしこも日曜日のマスク状況の報道ばかり。先週末に、厚労省がマスク装着について、「屋外では、周囲との距離が十分とれなくても会話が少なければ必ずしもマスク着用の必要はない」との見解を発表したのを受けてのことのように見受けられます。「屋外では、周囲と2メートル以上の距離が確保できなくても会話をほとんど行わない場合はマスクの着用は必要ない(例:徒歩での通勤や屋外で他人とすれ違うような場合)」というものです。

「それなのに日曜の原宿やイベント会場ではまだ多くの人がマスクを付けている」・・・まあまず結論ありきの取材のように見受けられますが、わざわざ人混みの多い場所を選んでのこんな取材にどんな意味がありましょうか? マスク習慣のない欧米人と違って、マスクすることに抵抗のない日本人にとって政府のお偉いさんが発表したからと云ってすぐに外すとは到底思えません。それでなくても韓国や北朝鮮はまだまだ感染者増加の一途なのです。そして国は一気に外国との行き来を緩和させる方針を打ち出している矢先なのです。そもそも「ほとんど会話がない」とか「会話が少ない」とかいうアバウトな云い方がマジメな日本国民を苦しめるのです。たとえばわが家の夕方の散歩・・・夫婦以外の会話はほとんどないし暑いので妻は極力外して散歩していますが、途中でお散歩友だちの犬とすれ違えば自ずと会話します。ワンが離れない限りずっと同じ場所にいます。慌てて外していたマスクを付けなければならないくらいなら最初から着用して歩きますよ。リードやウンチ持ちながらのマスク着脱は思いの外大変なのですから。まあ、国が「マスクは外すべき」とか「極力外すようにしてください」とか強く云わない限り(そんな勇気はないかな)、日本国民のマスク離れにはもうちょっと時間がかかるのではないかと感じています。まさか、もしやこれ(テレビの一斉報道)は政府の指示だったりして・・・マスク外しの啓発啓蒙のために・・・それだとしたらめちゃ怖いですね。

さらに「屋内でも、人との距離が約2メートル以上確保でき、ほとんど会話しない場合はマスク着用は必要ない」(例:図書館など)というのも混乱するでしょうね。美術館・博物館など大きなイベントでもない限りこの条件には合致するでしょうけれど、施設側としてはやはり「マスク着用と手消毒は必須」という方針を貫きたいでしょうし、利用者側は「国がああ云っているのだからマスクは要らないだろ!」と入り口で一悶着ありそうな懸念・・・どれも杞憂に終わるといいのですが。

ちなみに、わたしは仕事柄、職場の方針に従わざるを得ません。まだまだ当分フルタイムマスク着用指示が続くと思います。

 

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虫の知らせなのに

「最近周りの人が大きな病気になったから、自分も心配になって申し込みました」という人間ドック受診者の方は少なくありません。いわゆる”虫の知らせ”。

検査結果として精査や治療を要する項目はなかったけど、改善すべき生活習慣の項目がいくつかあったから「この機会にぜひ何らかの改善行動を始めてみてください」と進言はするのだけれど、ほとんど聞いていないように見えます。目的だった病気の有無を見る検査に大きな問題がなく、そのほかにもすぐに病院を受診しなければならないような重篤な病気が見つからなかったことに安堵し、「良かったです」と云いながら診察室を出ていく受診者さん。きっと、「まだ大丈夫だな」と安心してしまって、明日から何かをするでもなく今夜は祝杯なのかもしれません。

せっかくの”虫の知らせ”・・・神様が受診行動に踏み切らせたのは、本当はこの機会に日頃検査したこともない項目をチェックして、今すぐ改善させないと将来病気が起きるぞ!という項目の指摘を受けてそれを回避するために生活習慣を今すぐ見直すべきだということに気付けよ、という示唆だったのだろうと思われ、今回の人間ドック結果を眺めながら残念ながら「この人は完全に改善のタイミングを逸してしまったなぁ」と感じてしまうわたしです。まあ、「転ばぬ先の杖」というのは傍から見ているとよく見えるけれど、当事者からは全然見えないもの・・・やはり人間は何か大病しないと生活習慣は変えられないものなのかもしれません。

 

 

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マスクの行く末

いよいよ”ウイズコロナ”の時代に入り、毎日発表される新規感染者数が高止まりであってもあまり一喜一憂しなくなった昨今、日本でもマスク継続の賛否が話題になるようになりました。「欧米に比べて日本は遅れている」と主張する人もいますが、もともとマスク習慣のない欧米人がさっさとマスクを外していることはさほどわたしたちの行動の参考にはなりますまい。

さて、「もうマスクしなくていいです」と云われて、すぐに外すだろうかと考えたら意外に大変そうです。先日街頭インタビューで大学生達が「入学したときからマスクだからマスク外したら『あなた誰?』てなるかも」とか「マスク外した顔見て幻滅されるのはイヤだから今でも友人と会食をしていない」という意見が出ていました。マスクによる感染予防効果云々とは全然違うメンタル的な要素は、特に若い人には大きいかもしれません。顔の大部分を覆っていたマスクを外すなんて、”下着姿で歩いているようなもの”という感覚の人は少なくない様です。

わたし的にはマスク外しても恥ずかしくはない(いやちょっと口元見られるの意外に恥ずかしいか)。ただ、インフルの時には「マスクなんて意味がない」と云われていたものがコロナだと「明らかに効果有り」に評価が変わってしまった以上、マスクなしで人混みの中に飛び出る勇気がいつになったら生まれてくるか、まだ自信がありません。冬はどっちにしてもマスクしていて違和感ないけれど、これからの季節に周りがマスク外しているのに自分だけ付けているのも勇気がいる。でも、さっさと外してしまう連中は信用できないので尚のことその中に入るのは勇気がいる・・・悩ましい話です。

ドアの手摺りに貼ってある抗菌シールやスーパーの店員さんが手袋してレジ打ちしているのは返って不衛生だとか、食堂などで使った度にあちこちをアルコール消毒するのは無駄かもしれないとかいう専門家の意見もテレビで見ました。その通りだと思いますが、はたしてそれをしなかったときにお客さんは今まで通りに来てくれるのか、不審がって敬遠するのではないかとか考えると店としても早々にやめる決心はつき難いところ。うちの職場の昼食時の黙食はもう慣れてしまったので違和感がありませんが、さてレストランや居酒屋の座席が昔のようにギシギシ状態に戻るまでにはどんなプロセスを経ることになるのでしょうか。丸2年以上続いた国民全体の習慣を欧米並みにある日突然リセットすることは日本の国民性ではたぶん不可能でしょう。第3波が収まった時にそのままだったらあるいは復旧は簡単だったかもしれないけれど、その後の予期せぬ波が押し寄せて以降、人は何も信用できなくなってしまっています。

来年の今頃はそんなことに悩んだことが笑い話になっているといいのですが。

 

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ジョブ・クラフティング?

産業医をしている企業の管理者会議DVDを拝聴していたら、今年は『ジョブ・クラフティング』という単語を発見。またまた年寄りのアタマを悩ませるような横文字ビジネス用語である。まだ『ワークエンゲージメント』だって、概念だけしか理解できてないから今ひとつピンときてないというのに。『リテラシー』に至っては、さっき調べたら2012年にここにアップしていたから世間ではもはや当たり前の用語なのでしょうけど、いまだにわたしの周りで使っている人を見たことがない。こういう言葉は、おそらくわざわざ選んで使わなくても、普通の日本語で十分意思疎通できるはずだと思うんですが・・・。

ジョブ・クラフティング』・・・”「ジョブ・クラフティング(Job Crafting)」は、従業員一人ひとりが仕事に対する認知や行動を自ら主体的に修正していくことで、退屈な作業や“やらされ感”のある仕事を“やりがいのあるもの”へと変容させる手法のこと。会社や上司の指示・命令ではなく、働く人々が自分自身の意思で仕事を再定義し、自分らしさや新しい視点を取り込んでいくことで、モチベーションが高まり、パフォーマンスの向上につながるという考え方です。”・・・「ふーん」です。『「やらされ感」が「やりがい」に変わる』・・・この講演レポートがまあまあわかりやすいなと思って読んでみました。やりがいのある仕事を自分で工夫してやっていくことで個人も企業も発展していく、すばらしい概念ですが、これを実現できるかどうかは受け皿である企業の体制や風土に左右されそうですね。今のわたしの勤務する職場は、きっとこの『ジョブ・クラフティング』の適用にとても向いている企業であり、もしかしたらもうすでに行われているのかもしれません。ただ、概念はすばらしいけどきっと現実はコトバで云うほど簡単なことではありますまい。働く人皆が同じ方向に向いて目的を共有しながらの各自の”やりがい”を見つけ出す能力って、それなりです。そして、先日ここに書いた『やりたいことだけをしたい』で育ってきている若者たちにとって、“やらされ感”のある仕事を“やりがいのあるもの”へどうして自分が変換させなきゃいけないの?と考えたらそこでおしまいになります。入社時点でのセレクトではなく、入社した後で変わらせなければならないのは理不尽だと思う人は不適合。

で、今さらですけど、『ワークエンゲージメント』とどう棲み分けるものなのかしら?

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見たくないものは見ない

「テレビは観ません。ラジオもほとんど聴かないかな。いつもYouTubeで自分の好きなものを観たり音楽配信を聴いたりしているだけで特に何も困らないし」

先日、テレビの街頭インタビューで若いお嬢さんが答えていましたが、今の若い子たちの多くはそんな感じのようです。「ニュース番組とか観ておかなくて大丈夫ですか?」という問いには「必要なことはSNSとかLINEとかを見れば確認できるから不自由は感じません」と。まあ、リアルタイムの情報が入ってこない事への不安などほとんどないのが現代人なのでしょう。

それが現代人なのでしょうし、今の若者たちの常識なのでしょう。それが”時代”なのでしょうがないのでしょうが、心配なのは「見たくないものは見ない」が当たり前で「したくないことをどうしてしなければならないの?」という理屈がまかり通ることに疑問を感じない若者世代は、プライベートでは通用するけれど社会生活ではほとんど通用しないということを分っているのだろうかということ。会社に入社したあとでトラブルが起きたり上司先輩から注意されたら乗り越えられず(というより、乗り越えず)に「やりがいがない」と云い残してドロップアウトしてしまう人が少なくない理由なのではないかと感じます。

やりたいこと、見たいこと、興味あることをした方が充実した日々が送れるじゃないか、一度しかない人生なのだから・・・それの何が悪いの? という若者の声が聞こえてきそうです。そんなことに文句を云っているのではありませんけどね。ちなみに、こんな若者たちばかりなのだから、国や地方自治体がどんなにテレビや広報で情報を流したところで何も伝わらないということをもっときちんと理解して本腰を入れて打開策を講じないと日本は沈没していきますよ。ニュースや広報誌なんて興味ないのだから、親しい友だちが拡散でもしてくれない限り、絶対に伝わらない。アイドルにしゃべらせるとしてもテレビじゃダメなのよ、って分っているのだろうかしら。

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年老いた筋肉?(後)

(つづき)

毎日1万歩も歩いているしスクワットも欠かさないし職場でも階段ばかり使っているし、”若さ”には自信があった。「そんな年には全然見えませんね」と云われるのが密かな楽しみでした。とってもお気に入りの黒いジーンズがあってそれを穿くとシャキッとスマートな体型になってより一層若さが引き立つ魔法のアイテムだったの。ところが最近は、それを穿いている姿が本当に年寄りに見えるようになってしまって、ショックもショック、大ショックなのです。「こんなジイさん、公園にいっぱいおるなー」と。

いわゆる”よぼよぼジイさん”のシルエットではなくて、あちこち動き回ってなんやかやと作業しているジイさん。メタボの体型ではなくてむしろ細身のジイさんのそれ。たぶんこれ、筋肉が歳取ってしまっているんだと思う。年老いたニワトリの肉みたいな、まさしく”萎んだ”筋肉。服を着ていても、首や腕やにそれが見えてくるのでしょうね。これから半袖短パンになってきたらそれがより一層目立ってくるのだわ。

時々、公園を黙々と走っている人のふくらはぎの肉がスジだらけで「ちっとも美味そうではない」と思うことがあります。あれだな~。若い子達のふくらはぎは鍛えられていてもいなくてももっとみずみずしいものな~。あー若い肉体が、めっちゃほしい!

 

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年老いた筋肉?(前)

「若いですね」と、ワンの散歩なんぞしていると時々云われます。それはわたしの着ている服が若者仕様だからなのかもしれません。どこぞのキャラクターとのコラボTシャツだったり、かわいらしい模様のセーターだったりを着ているから。でも、これは単にわたしが着る物に頓着せず、さらに物持ちが良いからに過ぎません。あまり服を買わないので、10年~15年くらい前のユニクロのシャツなど普通に着ているせい。購入のセレクトは妻だし。

それはそれで、若い頃の服を着こなせているのだから体格も変化なくすばらしいことだと思うし、「若い」と云われるのはこの歳になると嬉しい。ただ、そんなウキウキ気分で散歩から帰ってきて玄関にある姿見を眺める、あるいは途中の団子屋さんの店のガラスに映る自分を見ると「ジイちゃんジャン!」と凹んでしまう。世間のジイちゃんがお孫さんかなんかからプレゼントされた様な真新しい若者シャツを着ているのを見かけることがあるけれど、あの時の印象に近い物が鏡の向こう側に映っていて、ちょっとイタい年寄りに見えたりする。

ほんの5年前くらいまでは同じ服を着て鏡に映ってもそんな感覚を持たなかったことを考えると、何かが変わっている。姿勢も正してお腹も引っ込めて”颯爽”と歩いているけれど、どこぞの”元気の良いジイちゃん”にしか見えないのよ。「年相応なのだからしょうがない」と思う反面、やはり悔しい。子どもができたり孫が生まれたりの区切りを経験していないわたしたち夫婦は気持ちが新婚の頃のままなものだから、自分の現実の姿が自分の目で見てきた世間の年寄りと同じに見えること自体がどこか納得いかないのであります。

格好もココロも若いのに、昔のオシャレなシャツを着ているのに、どうしてどこぞの棟梁や老舗焼き鳥屋のオヤジに見えてしまうのだろうか。くやしいくやしいくやしいくやしい。(つづく)

 

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きちんと覚えられているのか?

ここに周期的に何日も続けてMedical TribuneやCare Netなどの医療記事の紹介をアップすることがままあります。もちろん、ブログを毎日アップするにはネタ切れになりがちな昨今、文章を考える余裕もないときに手っ取り早く1回分を確保できるというメリットはあります。でも本当は、毎日のように配信されてくる医療情報の中で自分の興味のあるものだけをピックアップして読んでも限りなく多いわけで、流し読みしながらもせっかく読むのだから内容を理解してきちんと覚えて仕事などで使いたいという思いがあるわけです。単純に読み流すのよりは、内容を要約して自分の思いと一緒に文章にすると印象に残りやすいのではないかと思ってやっています。

でも、要点を引用コピペして、ちょろちょろとそのときに感じた感想を書き足したとして、意外に記憶には残りにくいものですね。よっぽど、内容を読んだ直後の結果説明で受診者さんに「さっき読んだ論文にこんなのがあったですよ」と要点を説明してあげて生活指導に役立てたときの方が強く印象には残ります。書くことよりも話すことの方が、より深いところまで記憶に刻み込まれるからでしょうか。

それでも知れています。「へえ」と思いながら引用アップしたら、実は数年前に同じことを同じように「へえ」と感心しながら書いてあったりすること、少なくありません。むかしは、その時点でアップを断念しましたが、最近はそれでもそのままアップします。忘れていたことなんだから、何度でも書かねば。どうせ、そう多くもないであろう読者の方も、きちんとは覚えてはいないのでしょうから。

 

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独りでがんばっても大丈夫なの?

"サルコペニア肥満"は認知症の高リスク

順天堂大学大学院スポートロジーセンターの染谷由希氏(現スポーツ健康科学部)、代謝内分泌内科学准教授/スポートロジーセンター運営委員長の田村好史氏らの研究グループは、握力低下と肥満が共存する"サルコペニア肥満"の高齢者は、握力、BMIがいずれも正常値の高齢者に比べ、軽度認知障害(MCI)および認知症のリスクが有意に高いことを突き止めたと発表。詳細を、Clinical Nutrition(2022年3月16日オンライン版)に掲載した。”(Medical Tribune2022年04月28日配信)

この結果は十分理解できます。”認知機能が低下する危険因子として、加齢に伴う骨格筋量と筋力の減少を示すサルコペニア、肥満が知られている。サルコペニアと肥満が合併したサルコペニア肥満は、欧州ではサルコペニア単独よりも日常生活活動の低下を引き起こす要因となることが報告されている”というわけですから。筋肉が落ちる(サルコペニア)→動かない→食べない(あるは食べるけど動かない)→筋肉が落ちるのサイクルで引き籠もりになってうつや認知症のリスクが高くなるというのは、容易に想像できます。それに対して、『都市部在住高齢者におけるサルコペニア肥満例ではMCIや認知症のリスクが高まる可能性が明らかになった。MCIの高齢者では、運動や食事などの生活習慣を改善することで、認知症の進行予防効果が期待される』と考察されているのもわかる。だからもっと運動をするように介入しましょう、というのがわたしたちの仕事。

そこは理解できるとして、サルコペニアやサルコペニア肥満の改善のために、ある日一念発起した人が、毎日毎晩黙々とウォーキングを始めスクワットを始めオートミールを主食とし始めたとしたら、コミュニティの中で皆と一緒にがんばっている人と同等に認知症リスクが改善すると考えて良いのでしょうか。大自然の中で独りで原始人生活している人が呆けていないのはテレビでよく見るからわかる(もっとも、呆けた人は勝手に自然淘汰されているだけの可能性もあるか)けれど、大都会の中で誰とも話さずに独りで生きている老若男女はたくさん居ます。わたしもそうですが、社会のコミュティに改めて参加するのは面倒くさいからやるべきことがあるなら自分自身を律して自分だけでやりたい、と思う人は少なくないはず。それはそれでも問題ないのでしょうか。「そんなの楽しくないでしょ」と思うかもしれないけれど、最近は”独り”なんとかが流行です。独りでがんばる方が楽しいと思う人はこれから多くなると思います。SNSや仮想空間で繋がることとはちょっと違いますし・・・そういう観点からの研究をぜひお願いしたいと思うところです。
 

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わたしの平温は36.2℃

37℃は間違い?平均体温に新常識

 ”19世紀に米国で確立された「平均体温は37℃」という常識が揺らいでいる。米・ Stanford UniversityのMyroslava Protsiv氏らが、現代の米国人における平均体温は37℃よりも低く、1800年代以降低下し続けていることが明らかになったとElife(2020; 9: e49555)に報告した。ヒトの体温は多くの人が思っているほど高くなく、平均体温はおよそ37℃という説は誤りとしている。

Medical Tribuneに2年以上前に配信されていた記事なのですが、「何を今更?」という気がしないでもありません。新型コロナが流行して以降、日頃体温なんて測ったこともないであろう老若男女が体温計を脇に挟んだり、お店の入り口で非接触型体温計に顔を近づけたりするのが常になりましたが、皆、自分の思っていたより体温が低いと感じているのではないでしょうか。わたしはずっと「平温は36.8℃くらいです」と答えてきていましたが、これは小学校の頃の記憶。実際、職場の規定で毎朝体温を測定していますが、ほぼ36.2℃くらいが平均のようです。ちなみに、職場で予防接種をする時に問診担当などをしますと、職場の若い子には体温が36℃に満たない人がたくさんいます。「これ、平熱なの?」と聞くと「まあ、だいたいこんなもんですね」と平然と答える。今時は、そんなものなんだな。と認識しているわたしです。たぶん、『過去200年で達成された医学の進歩や衛生状態の改善、食糧供給および生活水準の向上などによりヒトが体内で炎症を起こす機会が減ったことが、体温の低下につながっている』というよりは、『代謝率または消費エネルギー量の低下によるもの』というのが主体なのではないかと感じています。子どものころからエアコンの環境の中で生活しているのも原因の一つでしょうか。

炎症が減っていることはいいことなのかもしれませんが、女性の女性ホルモン周期に伴う体温周期とかには直接影響を与えるでしょうし、低体温が妊娠・着床・胎育などに良い影響を与えるとは到底思えません。本当はとても由々しき問題なのかもしれません。

ところで、そんな状況なのに、『微熱』や『発熱』の定義は今まで通りでいいのでしょうか。

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変わり際

今朝も芸能人の訃報がテレビ速報で入ってきたけれど、その後はスマホを繰ってもSNSのほとんどで出てこなくて、あれはガセネタなのか?と思ってグーグル検索したらニュース記事として出ていたので、それは事実であったことが確認できました。著名人が自ら命を絶ったというニュースは影響を受ける人が少なからずあるために最近は意図的に話題にしないように自粛する傾向。ここのところまたちょっと著名人の自殺が続いてしまっていますから。そして、報道の最後に必ず「今、悩みを抱えているという方はご覧の相談窓口「いのちの電話」があります」という言葉とともに連絡先が表示されるようにもなりました。

「自殺を考えたらまず相談を」「どうしてそんなことを」と傍では云いますが、多くの場合は衝動的なので、たまたま近くにいて押し止める人が居ない限りは防ぐのはむずかしいのかもしれません。最近、コロナ感染者が高止まりの中で徐々に社会活動が再開されるようになっています。明るい話題だからココロも前向きに動くように見えて、必ずしもそうではありません。こういう、『何かが動き始めたとき』は、なぜだかココロはものすごく不安定になるのです。2年前のわたしの強烈な”うつ状態”は、今すぐ命に直接かかわる新型コロナ感染の猛威の出現の中で「それどころではない」とばかりに消え失せていましたが、ここのところ社会が落ち着き始めるとともに、ときどきまたわたしのココロを弄(いじ)くり始めました。社会不安の峠は何とか越えそうではあるけれどまだ全く先が見えず、老いゆく自分がこれから生きていく上での不安材料はいまだにたくさん立ちはだかっていることに改めて気づく時期。今までは深い霧のために見えなくなっていただけ・・・突然押し寄せる姿なき不安の嵐は、正直なところ、わたしですら持って行かれそうになることがないわけではありません。何しろこれは何をしていても突然襲ってくる嵐なのです。

重くても軽くても良いから(できたら軽いに越したことはないけれど)、嵐が早く落ち着かないかなと思っているのはわたしだけではありますまい。

 

 

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高齢者の飲酒は奨励すべし??

75歳以上では飲酒が認知機能低下を防ぐ?

 相変わらず、飲酒に関する報告はつい細かく目を通してしまう今日この頃。こんな肯定的な見出しなら尚のことです。

75歳以上の日本人高齢者を対象とする研究から、適度な頻度でアルコールを摂取している人の方が、認知機能が高いことを示すデータが報告された。大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻総合ヘルスプロモーション科学講座の赤木優也氏、樺山舞氏らの研究によるもので、詳細は「BMC Geriatrics」に2月28日掲載された。アルコールの種類別ではワインを飲んでいること、飲酒状況では機会飲酒(宴会等)があることが認知機能の高さと関連しているという。

そうか、ワインか。『毎日ではない中程度の頻度での飲酒』とは『週に1~6日飲む』『純アルコール40g/日未満』となるのか。とはいえ、このアバウトさは酒飲みには好都合すぎる。休肝日1日だけ設けておけばほどほどに飲めるということになります。

たぶん、最後の考察・・・”飲酒関連の行動の一部には社会参加が含まれるため、社会活動による認知機能の保護効果が影響を及ぼしている可能性がある。ただし本研究では、外出頻度や居住形態の影響を調整後にも有意な関連が示された。よって、飲酒に関連する行動パターンそのものが、認知機能に対して保護的に働くのではないか”と云うことの方が大切なのだろうと読み解きました。「外飲みすることもなく独りで、誰と話すでもなく黙々と、自宅で晩酌をする」パターン(これ、わたしの日常に近い)では認知機能改善に効果があるとはあまり思えません。もっとも、退職後自然豊かな田舎に住んで野山を眺めながらデッキに出て独りワインを楽しむ”悠々自適”生活がカラダに良いだろうことは推測できますが、それが認知機能改善に繋がるとしたら、それはワイン自体の効果のような気はします。

ま、とにかく、「適度な酒は良し」ということで(最近は、適量でも酒を飲むこと自体がカラダに悪影響だという報告が多くなっていますから、こういう報告はとても貴重)。

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背が高いと脳卒中になりにくいという常識

「身長が高い人ほど虚血性脳卒中リスクが低いこと」はすでに常識なのだそうです。それも欧米だけでなく、日本のコホート研究(JPHC study)でも報告されていました。

 <高身長の脳卒中リスク、サブタイプ別に検討>というのは2022年05月02日にMedical Tribuneに配信されたオックスフォード大学の研究結果です。

 ”高身長の人ではアテローム動脈硬化症、虚血性脳卒中、心疾患のリスクが低い一方、心房細動(AF)や静脈血栓塞栓症のリスクが高いことが報告されている”ため、脳卒中のサブタイプ別リスクとの関連についての検討したものだそうです。結論は、初めから想像していたとおり、”高身長と心原性脳塞栓症リスクの上昇およびその他の脳卒中サブタイプにおけるリスクの低下との関連が示唆された”というもの。つまり、「高身長の人は動脈硬化による脳卒中リスクは低いが心房細動などの血栓塞栓による脳卒中リスクは高い傾向にある」ということの様です。

わたしの興味はそんな”今更”の結果(大人になって身長を高めるなんてできない)ではなく、「どうして身長が高いと動脈硬化リスクが低下するのか?」ということです。前出の国立がん研究センターがん対策研究所のJPHC studyの報告によると、『低身長に関連する幼少期の低栄養状態が血管内皮機能の低下により、循環器疾患のリスクを上げることや、高身長者の肺活量が多いことが呼吸器疾患に予防的に作用することなどが考えられます』とのことなのですが、太る痩せるは子どもの頃の栄養状態が関与するでしょうけど、身長の高低はどちらかというと遺伝子的な話なんじゃないのか?と思っていたので、ちょっと意外な考察でした。ちなみに、国立がん研究センターの報告なのですからそもそもはがんの疫学的検討の方がメイン。「高身長の人ほどがんによる死亡リスクが高い」という傾向が日本人にも当てはまるのだそうです。これはホルモンに関係することらしい。

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手書き

先日、わたしの学生時代のクラブの同期が主催する劇団のメルマガの同期のKが書いたコラム「手書き」に、大いに反応してしまいました。

「あなたは手で書いてるの? あ、そう。僕はパソコン、ダメだから。僕は字は下手なんだけれども、手で書くのが楽しいんですよ。自分が書きたいと思ってるものを手が書いちゃうっていうか。何書いていいかわからないようなときでも、とにかく原稿用紙を広げて先に手を動かすと、なんとなくそのまま書き始められる。手が書くっていうのはあるんですよ」”という別役実さんの発言の箇所。

わたしも、そうです。ブログやコラムを書くのに今は直接キーを叩いてしまっていますが、手書きの方が明らかに思考がばく進するのです。書こうと思っていることを書いている最中、アタマははるか前を走っています、何だか知らないけれどどんどん次が生まれてきているのが分ります。これがパソコンやスマホだと、キータッチして現在の文字を打っているうちに、たった今アタマに浮かんできていた文章が急激に薄れていって消えてしまうのです。「あれ、今、めちゃ良いフレーズが浮かんでたやん」と思って思い出そうとするのだけれど、みるみる霧の中に消えていってしまうのです。「なんで?」と思う。まあ、最近は逃げていった名分など後追いせずに諦めることにしています。そのうちまた降臨してくるだろう、と(多くの場合、二度と降りてきませんから、やむを得ずちょっとしっくりしない文章になってしまっていますが)。

だから、外勤先や出張先(最近はほとんどその機会がありませんが)では、極力、iPadではなくて何かの印刷物の裏紙に手書きで文章を書くようにしています。いつも名分です。ただ、この場合、帰ってからこのメモを見ながら改めてパソコンに打ち込み直さなければならない面倒くささが付いて回ります。この場合、メモ通りに書き写せば良いのに、つい頭の中で推敲してしまって書き直す。これが吉と出る時と凶と出る時と・・・うーん。

 

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浮き輪に克てるか?(2)

<足す食事>
食については、ほぼ想像通りの理屈でした。
・食事に「嗜好」「栄養」「機能」があり、浮き輪人間は「嗜好」に偏っているから「栄養」と「機能」の要素を意識して食べましょう。
・ダイエットは”減らす”概念ではなく”足す”概念だ。

どっちも、百も承知です。そんな中、「わたしは大好きな炭水化物を食いたいんじゃ!」という浮き輪人間に、炭水化物を食いながらキツい運動せずに克服できる何かが書かれているといいな、と思って読んだんですが・・・。

<足す食事の極意>
1.タンパク質(優先的にプラスしたい)
2.食物線維(痩せ効果バツグン)~便を増やす効果よりも腸内細菌コントロール効果
3.イソフラボン(肥満サイクルを絶ち切る)~大豆食品
4.EPA・DHA(有酸素効果を上げる)~褐色脂肪細胞に換える
5.抗酸化物質(エネルギー代謝改善)~鮭イクラカカオ
6.ビタミンB(食べたものを効率利用)
7.ビタミンD(筋肉を守る)
8.亜鉛(テストステロンを作る)
9.マグネシウム(酵素を助けて代謝をキープ)~玄米、ホウレンソウ

興味のある方は本を読んで勉強してください。わたしは<ゆる運動>を実践するためにこれを買ったのだから、これからが本題。でも、それは実践だからここに備忘録する意味はない。この若いお兄ちゃんとおねえちゃんがやっている写真を見ながらやるしかないのだけれど、これが思いの外ハードなのをわたしは知っています。この中からどれを選んでやるかではなく、いつからやるか。今でしょ! そりゃそうだ。

 

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浮き輪に克てるか(1)

じいさん体型まっしぐら・・・見た目は痩せたように見えて腹回りの”浮き輪ゾーン”だけ膨らむ一方・・・に抗うため、Tarzan『下腹脇腹背中痩せ』を買って早2ヶ月。”「浮き輪ゾーン」を解消する9つの栄養成分”と”簡単な「ゆる運動」で腹を凹ませる”という見出しに催眠術をかけられてAmazonで買ったのに・・・いまだ実践まで至らず(というかページを開けること自体をせず)、日に日に浮き輪の中味が充実する一方。さすがにイカンと思って、やっと読み始めました。

<足す食事×ゆる運動、これだけで解決!>こういうキャッチコピーに滅法弱い今日この頃であります。

ここに書き写しながら備忘録。

<浮き輪ゾーンに脂肪が付きやすい理由>

1.ストレス:抗ストレスホルモンであるコルチゾールは血圧を上げて脂質や糖質を分解してエネルギーとして利用しやすくするから短期的には体脂肪の分解を進める。でも慢性化してコルチゾールがだらだら出続けるとカラダの中心に体脂肪が蓄積(中心性肥満)してくる(例:クッシング症候群など)。ストレスによる浮き輪ゾーンを予防するためにはストレス発散させる趣味を持つべし。
2.脂肪は動かしているところには付きにくい:IL-6というホルモン様物質が筋肉から分泌されて運動時の炎症を抑える作用と体脂肪の分解を促す作用を持つ。これが”部分痩せ”をもたらす。浮き輪ゾーンの筋肉を動かしてIL-6を分泌させるべし。
3.皮下脂肪は減りにくい:運動で分泌されるアドレナリンによってメタボの敵である内臓脂肪は分解されていく。でも浮き輪ゾーンの主流は皮下脂肪。皮下脂肪は溜まりにくいが減りにくいから一度付いたら減りにくい。
4.筋肉が薄い部分は浮き輪化する:下腹と脇腹は筋肉が薄いし鍛えにくい。そして衰えやすい。タガが緩むと戻しにくい。克服するためには、常に鍛え続けるしかない。
5.背中に脂肪が溜まりやすい理由:そもそも溜まりやすい部位、衰えやすい部位、鍛えにくい部位、現代の生活は猫背になり易い。
6.浮き輪ゾーンは骨格の空白地帯。
7.男性ホルモン(テストステロン)が筋肉を維持させるから、年令とともに分泌が減ると筋肉が落ちて浮き輪を悪目立ちさせる。

イントロの部分だけで、すでに書き写すのに疲れてしまったわたし。そして、内容読むだけで挫折しつつある。前途多難である。(つづく)

 

 

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太る、って何なん?

「また太った。ヤバいヤツやん。なんでこんなに太るん?」

今日も今日とて、妻は体重計から降りながらグチを云っています。ダイエットブームの中で「太る」は悪、「やせる」はヒーローみたいな立ち位置になっている気がしますが、そもそも「太る」って何なん?本当に悪いことなん?

むかし、熊本県から転校してきた同級生がわたしを見て、「ふと(太)さ~!」と叫んだのを今でも覚えていますが、あのとき彼が表現したかったのは「デブ」ではなくて「熊の様に大きい」という意味だったそうです(後で本人から聞きました)。もっともその当時のわたしの体重は今より15キロほど重たかったのですが。確かに、『太』は『大』の真ん中に大きな点が加わっているのだから「もっと大きい」という意味。『太郎』とか『圭太』とか男性の名前にこの漢字を使うのは、そんな理由からでしょう。

ちょっと趣旨が逸れましたが、体重が重くなることを「太る」というのが現代の風潮のようで、ダイエットが健康のバロメーターなものだから体重が重くなるとダメ人間扱いされます。でも、『太る』は成長の証です。そもそもポジティブな言葉だったはずです。明らかに筋肉が付いて重くなっている人もいれば、わたしのようにお腹は出てきたのに筋肉が減ったから体重が増えていない輩もいます。この連休の間ずっと動かなかったから妙にお腹が出てきて、「ヤバいな、太ったかな」と思って恐る恐る体重計に載ったらほとんど変わっていなかった、ラッキー!」と安堵する・・・一概に体重で何のかんの云ってていいのかしら、と思います。簡単に評価できるからという理由だけで体重を予防医療の生活指導の指標にしていて本当に大丈夫なの?・・・そんなことを思う今日この頃であります。

「太りたくてたくさん食べるのにちっとも太れない」と嘆く人もおります。いっぱい炭水化物を食って脂肪をたくさん蓄えることになることを考えると、それはどうかと思います(こういう人は体質だから食べ過ぎても太りませんが)。お相撲取りさんがチャンコを食べて大きな身体になるのと、育ち盛りの子がジャンクフードばかり食べて肥満児になるのと、どっちも『太る』なのだろうけれど、全然意味が違います。

『太る』は、とても奥深くてむずかしい現象です。

 

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ビビビビ、何なん?

最近、左胸がビビビビって振動するのです。まるで胸ポケットに入れているバイブ機能の携帯電話が作動したみたいな。携帯電話を使い始めた遠い昔にも時々経験しましたが、それは数ヶ月に1度くらいの頻度でした。当時からなぜなるのかわからなかったけれど、偶(たま)にだったからスルーしてました。それがここ1、2ヶ月、頻度が近くなり、ここ数日は一日の中で何度も起きるようになってしまいました。

何なん、これ? むかしは不整脈でも出てるのかも?とか、携帯から変な電波でも出てたりしてとか考えたりもしましたが、まったく不整脈的振動ではないし、そもそも携帯(スマホ)とか持ってなくても胸ポケットのないTシャツ着てても起きるし、狭心症や肺の問題でもなさそうなことくらい自分でも分かります。じゃあ、何なん? 座っていても動いていても話していても黙っていても朝でも晩でも所構わず起きるけど、傍からはまったく気づかない様子なのです。腸のガスが動いたときかなとか思っていろいろ体位を試してみるけど、まったく再現性がない。痛くも痒くもないしいまだ大事に至らないのだから気にしなくてもいいのではないかしらと思いつつも、やはりめちゃ気味が悪い。

こういうのって、体内の意外などこかの部位からの不具合のアラームだったりしないのかしら。

 

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ビタミンの新常識?

わたしが所属している日本抗加齢医学会から送られてきた会員カードと一緒にいくつかのリーフレットが入っていました。その中にあったビタミンAとDの含まれたサプリ『AD1000』のリーフレットを読みました。

「なぜ、ビタミンDのサプリにビタミンAを配合したか?」・・・本来肝臓に蓄積されるビタミンAが枯渇することは現代社会ではありえないと云われながら、それでも夜盲症やドライアイや踵のガサガサで悩まされている現代人が少なくない。その原因の中に意外な盲点があるというのです。体内で活性化するレチノール(ビタミンA)は植物には含まれていないということ。日本人のビタミンAの供給源の半数以上は植物由来のβカロチンで摂取しておりこれを小腸上皮で吸収した後に転換酵素(BCMO1)でレチナールに転換するけれどその酵素をきちんと作れない人がいる、と。だから、食物やサプリからβカロチンを十分摂取してもビタミンA不足になる場合があるというのです。

さらにビタミンDが体内に取り込まれる過程でビタミンAの受容体(シグナルの受け皿)を使うので、大量のビタミンDを摂取するとビタミンAのシグナルが核内に入りにくくなって相対的なビタミンA欠乏ももたらされる可能性がある、と書いてありますね。つまり骨粗鬆症などで高単位のビタミンDを摂取する場合にビタミンAも併せて摂取すれば相対的ビタミンA欠乏は予防できるということのようです。

と、リーフレットを見ながらなるほどなるほどと感心しながら書き写しましたが、つまり高単位ビタミンDを摂取しなくてもいい一般の人にとってはこの合剤は不要なわけで、説明の前半にあったBCMO1をうまく作れない人はどうしたらいいのでしょうか? 多くの市販サプリはビタミンAを摂るためにβカロチンを摂るようになっているのだそうだからこれではダメなんでしょう。あ、そうか、植物由来ではなくて動物由来の食材で摂れば良いだけのことか。豚レバー、鶏レバー、ウナギ、バター、鶏卵とか・・・現代人は妙に過剰な健康志向の意識ために動物性食品を避けて植物性食品に偏ってしまっているのが病気発現の根本理由なのかもしれません。

 

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