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2022年6月

ツインデミック

なんか中途半端なコロナ禍の昨今、新規感染者数は一気にリバウンド気味です。特にわたしの住む熊本なんか、突然の倍増でほとんどが子ども達とその家族らしいけれど、高齢者も徐々に増加してきているのだとか。「エアコンが原因だ」なんて云われているけど、「猛暑の中でどうしろというのよ!」というグチが聞こえてきそうです。それでも世間が一時期ほど騒がないのは、別に慣れてきたからではなくおそらく意図的。経済活動を優先するように舵取りしたし、もうすぐ参議院議員選挙だし、やっと海外からの観光客を受け入れ始めた矢先だし、猛暑で「マスクは外せ」と云い始めたところだし、重症者が増えたわけでもないし、みたいな理論で。だから、感染者倍増でも世間の人の感覚は緩いままという印象です。

それよりも、もうひとつの感染症=インフルエンザ感染がどうも現実のものになろうとしている様子で、関東では小学校の学級閉鎖があったと聞いています。COVID-19が流行っていたからインフルが激減し、昨年はインフルが急増すると思いきやCOVID-19のさらなる波が押し寄せたせいで2年続けてインフル激減の冬だったわけですが、今年はすでに南半球のオーストラリアあたりでインフルの大流行が起きたそうです。南半球で起きた感染は半年後に北半球に波及するというのが常。今年の南半球の流行が例年より数ヶ月早かったことを考えると、日本では9月辺りに大流行が起きるのではないかと懸念されています。なのにまだCOVID-19は妙な燻りをみせたまま、海外旅行者受け入れによって世界中のシャッフルが始まっているから、どうも今年はインフルとコロナがダブルで流行りそうだと推測されているようです。これを『ツインデミック』というらしいことを先日夕方のTVニュースで知りました。

しかも面倒なことに、いつもより早めにインフルが流行っても頼みの綱のワクチンが間に合わない。いつもは冬に流行るから10月以降に普及するように作られているのです。煽るようにマイナス情報ばかりが舞い込んできています。困ったことです。でも、原点に戻りましょう。インフルだって平成の初めの頃は治療法がなかったのです。案ずるなかれ、結局はマスク・うがい・手洗いの励行と密を避ける行動と・・・標準予防策以上の良策がないのだから、それを励行しましょう。大丈夫です。日本人は子どもの頃からしっかり教育されてきた行為なのですから。

 

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躓きそうになったとき

靴下を穿こうとしていてバランスを壊して前に倒れそうになったこと、経験ありますか。わたしは最近しょっちゅうで怖いので、可能な限り椅子などに座って穿くようにしています。こんなとき、人間って、どうして靴下を掴んだ手を離そうとしないのでしょう。穿き切れていない靴下を掴んだまま「おっとっと」となるからつんのめるのであって、バランスを壊した時点で手を離せば事なきを得るはずなのです。若いころアメリカにホームステーに行ったとき水上スキーを体験させてもらう機会がありましたが、あのとき「危ない!と思ったらすぐに手を離しなさい」と教わったのに、つい離せずに前のめりに海水にツッコんでケガをした友人が居たのを思い出します。人は咄嗟のとき、掴んだ手を離すことが瞬時にはできないものなのだな、と。

靴下穿きながら、手を離さずに前のめりにつんのめって頭を打ったら大変なことになる・・・わかっているけれど手が離せないのは、歳を取って運動神経が緩慢になって咄嗟の判断ができないというだけではなく、自分のこれまでの経験から考えて「これくらいは持ち直せる(はず)」と判断ミスしてしまうことにも起因する気がします。自分はもうそう若くはないのだということを肝に命じなければなりますまい。靴下はまだいいのですけれど、ズボンを穿きかけてつんのめるともっと大変。脚が抜けないから間違いなく転ける。ヘタをするとズボンを破いたり足関節を痛めたりする。それでも、瞬時に手を離せば少なくとも受け身はできるから大けがは免れるはずなのでありますが。

ま、どっちも、要するに「年寄りは見栄を張らずに腰掛けてするのが一番安全で確実な方法なのだ」と合点すべきなのであります。

 

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電力需給ひっ迫注意報

短い梅雨が明けて灼熱地獄の毎日。雨がこのままないと水不足の懸念だけではなくて農作物にも大きな影響が出るのだろうなと心配になります。かといって雨が降れば超災害級の大雨になって大問題だし。もはや、コロナ感染がどうだのウクライナ情勢がどうだのなんて、どうでもよくなってしまった感。

とりあえず猛暑に伴う電力不足の警戒から『電力需給ひっ迫注意報』を東京電力が出して、各企業や各個人が地道な取り組みをしていることを連日テレビで報道していますが、これは別にこれから1、2ヶ月くらいがんばればいいという内容ではありますまい。もう20年以上前から叫ばれ続けていても放ったらかしてきた地球温暖化による異常気象が机上の空論ではなくて現実問題になってきた証拠なのだから、今年が特別なのではなくこれからずっと続く、いやむしろ年々酷くなるに違いないことなのだと覚悟しなければなりますまい。

でもまあ幸いなこと(不幸中の幸いというのが正しいのか)に、わたしたちは11年前に東日本大震災を経験しています。あのとき、日本中が世界の終わりを覚悟し、戦後の日本に戻らねばならないかもしれないと覚悟して、日本中が一致団結して節電に取り組みました。街中の電気が一気に消され、エレベーターをやめて皆が階段を歩くようになり、冷蔵庫内の灯りを消しても冷蔵効果に変わりがないということを知りました。あのときできたこと(しかもそれがずっと続くと覚悟したこと)なのだから、できるはずなのです。今の状況を考えると、国民全員が「がんばるべき」と理解しているはずなのですから。

でも、人間って本当に弱い生きものだから、一生モノだと覚悟したのにすぐに回復できた経験値のせいで、今回も「今がんばればすぐに前の生活が戻ってくるはず」と期待してしまうもの。残念ながら今回はたぶんそうはいかないと思う。だって、去年も一昨年もいや5年前でもすでに「観測史上初めての」という単語を使ってきていたのだから。

 

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もしもチビが来なかったら

ちょうど1年前にわが家に仔犬が来ました。というかあのコロナ禍の中、ワクチンを打っていたわたしが飛行機に乗って東京まで迎えに行って連れてきました。あの時にはチビチビでしたが、1年経ってもはや先輩犬と区別がつかないくらいに大きくなりました。

この子が来た日から13歳の先輩犬は青天の霹靂で、それまでののんびり優雅な生活は突然一転しました。自慢の白い口ひげがよだれ焼けして黄土色に変色したのはこの後だったし、少し衰えかけていた耳や目が急に悪化したのを見ていると、先輩犬を一気に老化させたのはこの歳になって幼犬を迎え入れたせいではないかと自責の念。むかし、この老犬が幼犬だったころもやはりそれまで小娘のように飛び跳ねていた当時11歳になったばかりの先輩犬が急激に衰えていったのを思い出します。「メンタルストレスなんかじゃなくて、ちょうどそのタイミングだったんだよ」と妻は云いますが、あの時は自分がまだ若いと思っていたのにそれよりはるかに若い小娘が縦横無尽に走り回る姿を眺めて自分の実年齢を実感してしまったにちがいないと思っています。今回のは違う意味でストレス(10年近く一人っ子で暮らしていた生活に我が物顔の新参者が入ってきたから)だったと考えられます。

そう思って自分を責めていましたが、最近いつも寝ているか夜中に徘徊するかの老犬を眺めていたら、もしかしたらこのチビがうちに来たからこそ今まだ元気なのかも知れないと思うようになりました。もうすぐ14歳になる老犬。急激に衰えて何の刺激もなければ完全に一日中寝ていたかもしれない。優雅に寝ていたら突然ちょっかいを出しに来るチビは超煩わしいけれどその都度起き上がるし吠える。朝や夕方、わたしたちが何かのモーションを起こそうとするとそれを察したチビが突然けたたましく啼いて、ほとんど耳が聞こえない老犬もそのけたたましい啼き声に気付いて吠えながらやってくる。散歩の準備をするとチビが教えて老犬も一緒に尻尾を振っておねだりする。世の中のトボトボ歩きで散歩する老犬たちを見るにつけ、この老犬がこんなに元気に動き回っているのはチビが来てくれたおかげなのかもしれない、と思う今日この頃です。

 

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最近またまた気になり始めたこと:熱中症

年々地球温暖化(もはやそんな生やさしい言葉ではいけない気がしますが)が激しくなって、春でも真夏日になるところがあったりしています。体育の授業中や春の運動会の練習中、あるいは部活の最中に熱中症で倒れる子ども達が続出して連日ニュースになっています。国は運動中のマスクを率先して外させるように指導させてそれを先生も生徒も実践しているのに、それでも倒れる子ども達が後を絶ちません。

これって、そもそも今時の子ども達の体温調節能力がないからに他ならないわけです。わたしたちの時代と違って今は親の代から常にエアコン管理された環境でしか生活していないのですから、子ども達は暑いところで体温調節するための発汗機能も発達しないまま大きくなっています。さらに寒いところでカラダを発熱させるために震えたり鳥肌を立たせたりすることすらなくなっています。学校でエアコン管理しないと非難されてしまいいます。

まあ、それが「なさけない。人類は滅亡するぞ!」と嘆き、もっと自然の中に投げ出しなさい!と云いたいわけではありません。そんな野生児のような逞しい子ども達が山の中にはたくさん居ることもよくテレビに出るので知っていますが、わたしが気になっているのはそんなことではなく、そんな昔とは違った体質の子ども達しかいないのに、どうして昔ながらの教育を旧態依然と続けようとしているのだろうか、ということ。国は、状況を甘く見ていないだろうか。自分たちのカラダと基本は変わっていないと思っていないだろうか。子ども達に昔ながらの教育をしたいのならば、幼少期から親御さん達に教育しなければムリです。今の体温調節のできない子を激しい温暖化の地球上に投げ出すのは、殺人行為です。「なさけない」と思うけれど、エアコンの効いた体育館の中で運動させるしかありません。プールだって室内プールじゃないと熱中症起こす危険性があるのですから。

猿の惑星のような地球は、別に核戦争の末路じゃなくてもすぐ近くににじり寄ってきている気がします。

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最近またまた気になり始めたこと:脚組み

むかしから気になっているのだけれどあまり社会問題になっていなくて不思議に思っていることがいくつかあります。

たとえば脚組み。女性の方が椅子に座るとみんなやっている脚組み。おしゃれなお嬢さんやスタイルのいいOLさんとか、みんな座ると直ぐに決まって脚を組む。食事中や仕事など、机に前のめりになっても脚を崩さない。そりゃ、内股に力を入れないと脚が開いてしまうから、それを防ぐためにそうするのだろうことは想像つくのだけれど、あの格好は、どう考えても骨盤も背骨も曲げるでしょ。いつも同じ方向に組んでいるのだし。今時は、骨盤矯正が大事だと云われ、腰痛や頭痛の原因だけでなく肥満や生理不順も全てが骨盤で語られる時代なのに、どうしてそもそもの日常生活での脚組み生活を注意しないのでしょうか。世の整形外科医やそのクリニック、あるいは骨盤矯正を謳い文句にしている整骨院などに行ってもそういう内容の注意を口にしたり掲示したりしているのを見たことがないのです。なんで? そんなに問題ではないから? んなことないと思うのですけど・・・。

 

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枕元のスマホ

若い頃から救急医療に従事してきたため、夜寝るときに枕元に携帯(昔ならポケベル)を置いておかないと落ち着かない体質になってしまいました。

ところが、先日、夜寝ようと思ったらスマホの電池残量が60%になっており、翌日のことを考えたら夜のうちに充電しておいた方がいいなと思い、食卓にあるケーブルにつないで寝ました。枕元に携帯やスマホのない夜なんて本当に何十年ぶりでしょうか。さぞや緊急連絡のシガラミから解放されてすっきりするだろうと思ったのですが、そうではありませんでした。熟睡できない上に悪夢を見ました。緊急招集で皆が集まっていたのにわたしだけ気付かずに出遅れた夢でした。それなりの立場の医者なので誰も面と向かって文句は云いませんが、明らかに非難する目・・・情けないなあと思ったところで目覚めました。何とも後味の悪い夢。

結局、夜中にオシッコに起きたついでに充電コードを外して枕元に持って行きました。皮肉にも、その後の方が断然熟睡できました。これもある意味『スマホ中毒』と云うのでしょうか。

 

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ハイブリッド学会

先週末は第22回日本抗加齢医学会総会が大阪で開催されました。まだわたしの勤務する病院ではオンライン参加を指示されていますので、昨年に続いてwebで参加しました。会員登録している学会の中では一番楽しみにしている学会で、一つの専門領域に凝り固まっていない、全人的に健康を追求する学会なので、新しい思いがけない知見を得ることができるからです。おそらく、最先端医療を追求しているうちの病院の医師達ですら知らないであろう(知る気がないかもしれない)話を聞くのが楽しみでした。だから前もって配信されてきたプログラムにあちこち印をつけて待ち構えていました。

ところが、今年は指定された3会場のみのオンライン配信・・・現地開催を始めた以上、昨年までのような「全てをオンラインでもする」という立ち位置ではなくなってしまいました。オンラインは現地開催以上に費用がかかると聞いています。それがハイブリッドとなると、ある程度限定しないと学会開催費用が嵩む一方になるからなのでしょうか。残念ではあるけれどやむを得ないなと思い、当初は予定していなかった講演を視聴することになりました。が、たぶん、限定されていなかったら知らなかったであろう単語・・・『りんご教室』『美脳』『フェムテック』などなど・・・またまた今年もわたしの知識が運命的に動かされている感覚にとらわれました。そんな限定されたweb参加ではありましたが、後日オンデマンド配信を受けることができます。オンデマンド配信は本当にありがたい。来年にはおそらく現地開催だけになるのでしょうが、オンデマンド配信だけでも残してくれないかなと密かに思う、地方に住む田舎医者なのであります。

”学会参加”だとはいえ、短パン・Tシャツの普段着で、しかも無線イヤホンしながらの視聴。不謹慎ながら同時に家の掃除をしたり、DAZN配信のゴルフを盗み見たり、テレビを観たり、ワンを庭に出したり・・・そんな聖徳太子みたいなことをいたしました。そんなのムリだと思っていたのに意外とできるものです。でも、どっちかの内容への興味が強くなるとそれ以外の情報は全て勝手に遮断してしまいます。これが人間の機能が機械と違う所以なのだと聞いたことがあります。イヤホンを右だけ外したときと左だけ外したときとで同時情報の理解度に差が出るのは・・・もしや以前罹患した突発性難聴の影響なのでしょうか。

 

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下を向く

昨日飲み過ぎたというわけでもないし、夜更かししたというわけでもないのだけれど、すっかり寝入ってしまって朝8時まで起きなかった今朝。例によって明け方に騒いだワン達はエアコンの効いた寝室で爆睡していたので、朝散歩をどうしようかなぁと悩みました。休みの日には朝6時に起きて朝7時頃から老犬を連れて散歩するのが日課だからです。「雨なら独り散歩するけど今朝は晴れているしなぁ」・・・と。でも、ここで言い訳して止めるのは妙に自分に負けた気がしてきたので、午前9時前から独り散歩してきました。

めっちゃ暑かった。だから、人の多かった場所を除いて散歩のほとんどをノーマスクでやってきました。慎重な日本人でも、ここ数週間でかなりノーマスクが増えました。特に公園の散歩ではマスク不要を国が推奨しています。でも、ノーマスクになると結局下を向いて歩くことになりますね。別に後ろめたいからではありません。ノーマスクは「話をしない」が原則だからです。家の近くの散歩なので周りには顔見知りが少なくありません。マスク人から声かけられても困るからすれ違う人と目線を合わせることもできませんし、知人がいても話ができないのだから擦れ違って気付かないようにしておかなければ、なんていらん気遣いをすることになるんですよね。わたしは日本人に標準的な生真面目人間ですから(笑) かといってこの猛暑でマスクするのは明らかに危険・・・今日も途中で「熱中症になるんじゃないのか」と出てきたことを後悔したくらいです。黙々と下を向いて歩く方がマスクして上向いて汗だくで歩くよりも返って健康的、なんて妙ちくりんな時代は早く終わってほしいものです。

9時半には帰ってくるつもりだったのに小一時間歩いてしまって、抗加齢医学会総会第3日目はとっくに始まってしまっていました。

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ヤクルト1000騒動

「なんかさ、毎週宅配してもらってたヤクルト1000が品切れになって入荷予定が立たないから、配れないって云われたよ。代わりにヤクルト400持って来た」

仕事から帰ったら、妻が悲しそうにそう云いました。彼女は、疲労と睡眠障害の悩みがあって、義母のところに来ていたヤクルトレディからヤクルト1000を薦められたのが購入のきっかけでした。試しに飲んでみたら、思いの外効果があったのでちょっと割高ではあったけれど毎日宅配をお願いしたのです。それがもう半年近く前ではなかったかと思います。なのに急にこんな仕打ちです。

今、ヤクルト1000が異常なブームになっていて、世間の市場から製品がないことは知っています。でも、でもですよ。別に製造量が減っているわけじゃないのでしょ。製造量に変化がないのなら、市場に出回っていなくても今まで定期購入していた人には普通に配達されるはずでしょ。どうして定期購買が突然停止になるのですか。どこぞのお偉いさんか大口購買者が、「もうちょと欲しいんだけど、なんとかしてくれない」と横やり入れたから、一般庶民の個人購買者が犠牲になったんじゃないですよね? 異常な高値でメルカリで売られたりして社会問題になったから、というのなら完全に販売停止にしたということを公に発表しなさいよね。普通のヤクルトレディにアタマを下げさせて平然としている輩が会社の上層部に居るってことなんじゃないのですか?

先日、ジェフ千葉の『ヤクルト1000マッチディ』でいつもなら来場者にヤクルト1000を配るのに今年はヤクルト400だったために騒動になってたそうだけど、そんなの当たり前じゃ! そこで配ってたら、世間の定期購買者が黙ってはおらんぞ! ヤクルト1000は本来のヤクルトの概念とは違う(妻のように睡眠障害やストレス緩和目的で飲んでいる人が多い)のだから、ヤクルト1000をとりあえずヤクルト400にされても、意味はないんだぞ! わたしは当事者ではないけれど、なんかどんどんイライラしてくるわ。

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お腹が空かない

最近の悩みは、夜中に1回しかオシッコに起きなくなってしまったこと。

「むしろ良いことじゃない?」と云われそうだけれど、何か体調がよろしくない。「あなたのは過活動膀胱よ!」と妻に云われているように、いつもは床について1~2時間後には必ず切迫した尿意で起こされ、その後ほぼ2時間ごとにコンスタントに起きるのが常。その都度、充分量のオシッコが出るので、「それは先生、飲み過ぎのせいですよ」と泌尿器科のドクターには云われました。それが、明け方5時頃に一度起きるだけでそのまま朝を迎えるようになっているのです。晩酌の酒の量は減ってはいません。むしろ若干増えているかもしれません。そのためについ転た寝してしまって、結果として床に就くのが遅くなる(1時とか2時とか)から起きる回数が1回に減っているだけじゃないかと最初は思っていたのですが、早く寝ても同様のことが多いことがわかりました。睡眠が十分取れるのだから願ったり叶ったり、と思いたいのだけれど、どうも体内に水分が残っているのではないかという懸念が払拭できません。最近、両腕がむくんでいる感じなのです。太っただけかなと思っていたのだけれど、もしかしたら水分が出て行けてないだけなんじゃないのかな、と。そして何よりも、お腹が空かない。食生活は今までと同様だと思うのに夕方になっても全然お腹が空かない。休みの日にはお昼を食べなくても全く気にならない。何かが違うのです。今まで何度も繰り返されてきた体重増加の時期の風物詩だという気はしているのだけれど、何があってもいい年令になってきたから、ここまで夜間の小便回数がいつもと違てくると心配にはなってきてしまいます。

ま、正直に客観視したら、酒の量は増えた。お腹は空いていないのに夕方お菓子は食べる。筋トレ習慣はなくなった。”むくんだ”のではなくて”太った”に違いないとは思うのだけれど、やはり夜間のオシッコ回数が減っているのだけが気がかりなのであります。

 

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離職率

先日、職場の衛生委員会で教えてもらった情報です。わたしの勤務する病院は全国にグループ病院を持つ施設ですが、昨年度のグループ病院全体としての新人ナースの離職率の平均が約10パーセントだったそうです。これは例年に比べて極めて高い値です。

おそらくその背景にはCOVID-19の影響が大きいであろうことは容易に想像できます。一般ナースとして現場で働く人たちが感染対策に疲弊して現場を去って行く姿を見たのは2020年のことですが、2021年度の新人ナースとなると、COVID-19感染症そのものに対するストレスもありますが、むしろそれ以前。何しろ彼らは感染症大流行のあおりを受けてほとんど現場実習を受けることができなかった世代です。実習どころか講義ですらリモート授業ばかりで学校に顔を出せなかった子もいるかもしれません。医療という特殊な現場で働こうとする若者にとって、学生時代の実習は初めて現場に接する貴重な時間ですから、それができずに直接臨床現場の荒波に投げ出されたらさすがに不安でしょう。実習生のときに先輩ナースから受ける指導(イジメではありません)の免疫がないままに正式な免許を持って現場に出るのでは自信などつけられようはずがありません。COVID-19に翻弄されたであろう若者の犠牲者の筆頭が彼らなのかも知れません。

これを乗り越えられた新人さんたちはこの上なく頼もしいと云えますが、わたしはドロップアウトしてしまった若いナースたちの今後を心配しています。これからどういう進路を選ぶにしろ、高い志を持って自分の進む道を医療の世界に求めたその気持ちを忘れることなく、後悔しない生き方をしてほしいと思います。

たかがコロナ、そんなものなんかに負けるな!

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アニサキス警報!

どうも、いつになくアニサキス食中毒が増加しているそうで、広島市のHPの呼びかけ大手新聞社で取り上げられておりました。

アニサキス食中毒自体はサバやアジなどに寄生しているアニサキスが胃袋に入って胃壁に食いつく病気で、最近は一般の皆さんにも周知されてきています。

厚労省によると、全国の食中毒全体の件数は2021年に717件と、過去20年では最も少なかった。新型コロナウイルス禍による飲食店の営業時間短縮などが影響した可能性がある。
外出自粛などによって自宅で調理する機会が増えれば、アニサキスの食中毒は増える恐れがあり、市保健所の担当者は「アニサキスは食酢などでは死なないため、飲食店関係者や自宅で調理する人は、正しい方法で予防してほしい」と話している。

とのことですから、やはりここにもコロナ禍の影響が大いにでてきているみたいです。今年に限って春先から増えている原因は『イワシの豊漁』かもしれない、とう記事もありました。アニサキスは胃カメラで見つけて胃壁にアタマをツッコんでいるアニサキス自体を鉗子で抜き取ると完治するわけですが、経験者にしかわからない強烈な痛みらしいです。わたしが大学時代から住んでいる熊本には”しめさば”好きな御仁が多いので、意外に経験者は多いのかもしれません。大分県民の亡き父も若いころにどこぞの料理屋で食ったサバに当たって以降絶対にサバを食わなくなりましたが、あれはもしかしたらアニサキスだったのではないかと今になって思います。わたしが医学生時代に受けた寄生虫学実習では市中の魚屋で買ってきた生サバの腹を各グループで開けて内臓や筋肉内に何匹のアニサキスが居るかピンセットで抜き取ったことをいまだに思い出します。何匹も何匹も蠢いていたことに大いにショックを受けてしばらく生サバを食えなくなった同級生はたくさんおりました。

 

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頃、の曖昧さ

もうすぐ父の命日。2002年の日韓ワールドカップ開催の年だからちょうど20年前になります。ここにも何度か書きました。位牌には「平成14年6月16日没」と書かれていますが、わたしが受け取った死亡診断書には「死亡年月日:平成14年6月16日頃」と書かれていました。父は死後1週間くらい経ってから発見されたからです。食卓にあったスーパーの総菜の製造日が6月16日だったから、推定日として選ばれた日。「その日は夕方に散歩していた」と近所の人が云っていたからたぶんこの日は命日ではありません。でも、いつの間にか「頃」が外され、いつの間にかあたかも6月16日に看取った錯覚にとらわれてしまっています。母は病院で看取られましたから確実に5月18日なのですが、父の命日はそんないわく付きの曖昧な日なのです。でももはや真実とは何の関係もなく父の命日は6月16日に確定されています。これがデジタル社会の宿命です。曖昧は許さないのです。

毎年、職員健診の度に書かされる既往歴も、病気や手術をした事実は覚えていてもそれが何年(あるいは満何歳の時)かなんかいちいち覚えていません。禁煙を開始した年(年令)とかも。「よく覚えていない」と云うと「そんな大事なことをどうして忘れられるのですか!」とか叱られる。若い看護師さんにはわからないかもしれないけれど、記憶なんてそんなものなのです。それを覚えていなくても何も困らないのです。「かれこれ5、6年前かな」とか思っていたことがもう10年以上前のことだったりして驚くことは日常茶飯事であります。2011年の東日本大震災とか2016年の熊本地震とか、あるいは2008年にわたしの贔屓のサッカーチームが優勝したとかそんなことは覚えているけれど、両親の命日が何年だったかなんて実はよく覚えていません。妻が甲状腺がんの手術を受けた年・・・わたしたちの結婚30周年目の年だったからなんとか覚えているけれど、妻の記憶はそれより1年後でした(笑)だから、わたしのスマホに残っている入院した日のベッド上のパジャマ姿の写真を見せてやりました。

若い人にはこの「頃」の曖昧さが許せないかもしれないけれど、せめて日々進化しているAI様はこの「頃」を受け入れられるようになることを切に願っております。

 

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ぷよぷよ

「なんか急にお腹が引っ込まなくなってぷよんぷよんしてきた」と夕方の散歩中に妻にグチったら、
「そんな風には見えないよ。よほど結婚して東京に行った頃の方がぷよぷよのお腹だったと思うよ」と妻。
「あのころのぷよぷよは若さだからね。ぴちぴちした身体だから」
「今のお腹とは違うの?」
「今は筋肉が落ちているのにお腹だけ膨らんだ老人体型の典型になってきた感じ」
「でも、お酒飲む人特有のビールっ腹にはなってないよね」
「ボクのお腹の脂肪は内臓脂肪型じゃなくて皮下脂肪型だからね」

そんな会話していた翌日の体重は一週間前より1キロアップ。なんと春の頃に比べて3キロ以上アップ。筋肉は落ちているか横這いのはずだから・・・やっぱりこのぷよぷよお腹の脂肪のせいだ!

こんな会話、今までの人生の中で何十回しただろうか(笑)

 

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ワン達の最期のこと

先日、女優の杏さんが亡くなった愛犬のことを綴ったエッセイ「ヤマト記」が雑誌に掲載されるというニュースがありました。

それを読みながら、やはり思い出されるのは我が家の愛犬たちの最期のこと。初代インディ(♂)が亡くなったのは2008年9月9日。そしてその娘ベルが亡くなったのは2014年2月20日。奇しくも2007年の暮れから2つのブログを開設して日記のように毎日綴っていたから、それを読み返すと当時の記憶が舞い戻ります。インディはある日突然倒れて病院に連れて行ったら肝臓腫瘍を発見しました。その後、半年以上元気でしたが徐々に腫瘍が拡大して肺や胃を圧迫していきました。8月末に食べられなくなってから一気に意識が遠のき、ウンチまみれな彼を毎日介抱しながら9月3日からの一週間、飼い主である私達の覚悟ができていないことを悟ってずっと逝くのを待っていてくれた日々。辛かったけれど、毎晩一緒に玄関の床の上で寄り添いながら過ごしたあの日々はある意味幸せでした。そして徳島出張の前日、彼は最期まで気を遣いながらそっとさよならを告げました。

2008.9.3生命力
2008.9.4死に神
2008.9.5存在
2008.9.8魂の召され
2008.9.9インディさようなら
2008.9.10魂のエネルギー

インディの娘ベルはほぼ老衰でした。器量よしのきれい好きの彼女には屈辱的な失禁生活だったけれど、最期は夫婦の前でふっと蝋燭の火が消えるように逝きました。

2014.2.20生きる気力
2014.2.21ベルちゃんへ

そんな記憶を辿るかのようにブログを読み耽りながらの涙と嗚咽の中で、ふと現実に戻るのです。インディは14歳になる1ヶ月前、ベルは16歳になる2ヶ月前・・・今我が家にいる老犬セイラは13歳半。できるだけ考えないようにしていましたが必ず訪れる別れの日。単純に存在が消えてしまうのとは違う辛さをそう遠くない将来に必ず経験しなければなりません。ほんの1年前には小娘のように走り回っていたのに今の衰えようといったら・・・。その先には、家族との別れも覚悟する日がやってくる。そんなことを考えてしまったので、「これはヤバい」と思って、もう過去の感傷に浸るのを止めました。今を、楽しく一緒に生きてあげなければ。

老犬の後ろ姿

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病気再燃?

またまた、「文字を書くのが面倒くさい病」が起き出てこようとしています。というより、「文章考えるのが面倒くさい病」。ちょっと面倒なことになろうとしております。

またちょっと、しばらく形を潜めますかね。

せっかく明日は、34回目の結婚記念日だというのになあ。

 

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予防しても褒美がない

「わたしはかなり努力していると思うんですけど、どうしてよくならないんでしょう?」

人間ドックを毎年受けてくれている受診者の中にはこういう不満(不安)を訴える方が居ます。「そりゃ、やり方が拙いのよ」と云いたくなるような人も居ますが、多くはそうではありません。よくなるもならないも、そもそも、何も大して悪くないのだから、変化のしようがないんじゃないの?という感じ。でも、良い感じでやれているのに、その成果が形ででてきてくれないのはどうもやり甲斐がない。

病気予防のためにやっていることは、それが正しいから病気にならないのか、やってもやらなくても関係ないのかがわかりませんから、”成果”という褒美をモチベーションにしても「のれんに腕押し」「糠に釘」状態・・・何か楽しくないですよね。「良いことだと思うからそのまま続けてください」とは云うけれど、まあ悪くなりたくはないから続けるけれど、でも続けなくても同じなら別にやらないですよね、たぶん。

 

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他人の目は気にしよう

通勤途中で、ものすごいしかめっ面でスカートをはたけて自転車こいで通学している中学生らしい女の子を見かけました。どうしたんだろう?家を出る前に家族と何かトラブったのだろうか?とか、要らん詮索をしながら出勤してきました。

それにしても、あの風体は、どうだろう。中学生とはいえ女の子。要らん世話だけど、やっぱり周りの目は気にしてほしい。この年頃は女の子も男の子も割と周りを気にせず自分の世界を貫くパターンと周りを気にしすぎて思うことをできないパターンとに分かれるものです。SNSなどで仲間はずれにされてそのまま引き籠もったりメンタル不調になったりするパターンもあります。だから「周りのことなど気にするな」とアドバイスしたりするものではありますが、でも周りを気にすることはとても大切なんだと思います。

たぶん、朝早起きするのも顔を洗うのも化粧するのも風呂に入るのもオシャレするのもダイエットするのも、みんな周りの目を気にするから。それがなかったら、何もしないでしょ。外に出る必要もなければ人はたぶんみんなナマケモノみたいな生活になる。そしてそのままうつ病になるかもしれないし、生活習慣病で倒れるかもしれない。『見た目のアンチエイジング』って、世間で思っているよりはるかに重要な因子なのです。他人が見てくれるから、他人が評価してくれるから、毎日メリハリある生活をしてオシャレして仕事して運動して趣味を深めていくのだから。

「御年90歳になる●●さんは、病院受診する前日には必ず髪を染めるのよ」と訪問看護をしている友人が笑っていたけれど、それこそが若さの秘訣であり、病気で寝込まない理由なのだと断言してもいいのです。

 

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