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「糖尿病」は差別用語?(2)

(つづき)

ただ、ここに書かれているように、「生活習慣は自分でコントロールできるもの、コントロールできないのはその人が悪い」「生活習慣をコントロールできないような、だらしない人がなるのが生活習慣病」と指導する側の医者やパラメディカルスタッフが思っているとしたら、そもそもが間違っています。『生活習慣病』は「環境因子」「生活習慣」「遺伝・体質」が相まって起きる病気、つまり”体質の病気”なのだから自分の生活態度が悪くなくても発症しやすいもの。それが一族郎党の姿を見れば若いうちからわかるのだから、早くから人一倍生活習慣の是正に留意することができるし、そうしておけば発症が遅れるかもしれない、という病気。そして、人一倍努力しても発症してくるならそれは努力が足りないのではなく体質なのだから早々に薬剤の手助けを受け入れる方が健康的な選択だ、ということ・・・わたしは今の仕事に従事し始めてからずっと一貫してそう指導してきました。だから、他の先生は「まだ大丈夫」と説明している軽度の糖代謝異常に対して、むしろ「とてもエクセレントな管理ができている状態の糖尿病」と考えた方が建設的で前向きだ、と説明してきました。用語はどう替えるにしても、そのポリシーを変えることはわたしにはできません。

一方、「生活習慣は個人に対する教育だけでは変わらない。社会的要因が大きく、個人の裁量で行える範囲は限られている」「生活習慣を変える行動は個人の理性的な判断だけでは決まらない。個人が行動しやすくする社会づくりが必要だ」という内容・・・これこそが最近わたしの心を揺さぶって離さない『ゼロ次予防』や『社会的処方』の概念そのものです。この考え方が欧米諸国に比べて日本はかなり遅れている、それは医療者が旧態依然とした医療体系に則ったまま変革させようとしていないのが大きな理由だということを、もっと声を大にして主張しなければならないのだろうと痛感した次第です。

 

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