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2022年8月

○○の日

わたしが使っている健康管理アプリ『げんき!アップくまもと』では適宜健康情報が送られてきます。それによると、いろいろな健康に関わる○○の日がたくさん制定されていることを知ることができます。

ちなみに今日(8月31日)は『やさい(831)の日』・・・1983年に制定された日だそうです。

そしてその他には、
毎月19日は『食育の日』
毎月17日は『減塩の日』

あれ、もっとたくさん告知されていた気がするけど、見たら削除されていた(わたしが削除してしまったか)。また告知されたらご紹介します。こんな記念日を迎えた時くらい健康を意識したいものです。この機会に”毎月記念日”を調べてみたら、まああるわあるわ。主立ったものだけでも、
毎月1日は『省エネルギーの日』
毎月8日は『果物の日』『歯の日』
毎月9日は『クジラの日』
毎月11日は『麺の日』
毎月12日は『豆腐の日』『パンの日』
毎月15日は『お菓子の日』『中華の日』『イチゴの日』
毎月18日は『米食の日』
毎月20日は『ワインの日』
毎月21日は『漬物の日』
毎月22日は『禁煙の日』
毎月24日は『削り節の日』
毎月25日は『プリンの日』
毎月29日は『肉の日』
毎月30日は『ミソの日』

毎週日曜日は『インスタントラーメンの日』『パスタの日』
毎週土曜日は『手巻きの日』

各飲食業界は普及活動に余念がありません。営業努力は大切なことです。わたしはその思惑にすっかり乗ってあげようと思っています。

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随時採血

中性脂肪の判定値「空腹時150mg/dL、随時175mg/dL」修正案を提示

 ”厚生労働省は、「第4期特定健康診査等実施計画」(2024~29年度)策定に向けて、「第4期特定健診・特定保健指導の見直しに関する検討会」(座長:中山健夫・京都大学大学院医学研究科教授)を設置し、特定健診・特定保健指導のあり方について検討を進めている。

その中で、”「空腹時150mg/dL、随時175mg/dL」と修正する案が提示された。これに伴い階層化に用いる標準的な数値基準とあわせて修正される見込みとなった。”という報告がありました(保健指導リソースガイド2022年08月23日配信)。

そもそも血糖値と同様に食事の影響を受けやすい中性脂肪の値を厳密に評価するために「前夜からの厳格な絶食」とか「9時間以上の絶食」とかを条件にして採血検査すること自体が日常を反映していないし、そのために「健診は午前中でなければ正確ではないからそれ以外は参考値とする」みたいな、まるで健診を受けるために過ごし方を制御するとかいう本末転倒な事態が検診の常識としてずっと続いていたわけです。血糖については「やむを得ない場合は随時血糖で」という文言を加えられた経緯から、今回中性脂肪の随時採血の基準値を設けることとなったようです。血糖は随時でも基準値は同じでいいとわたしも思いますし、中性脂肪も別に多めに引っかけるだけのことだから同じ基準値でもいいんじゃないかと考えていましたが、さすがにそれではダメだということになったのでしょう。

実情に合った変更で歓迎すべきことと思いますが、さてさてこの基準値変更に伴うシステム変更にはどれほどのお金がかかるのでしょうか。アナログじゃない分だけこの程度の変更でも大がかりになることが想像されますが、うまいことクリアできるのでしょうか。お国はそういうことを全部現場の自治体に容赦なく丸投げしますからねぇ。

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歯磨き中の会話

「最近、歯磨き中に会話をしている姿をみかけます。歯磨き中は、マスクを外していますので、厳重に慎んでください」

先日、そんな一斉メールが職場のトップから廻ってきました。まあかなり前から昼休みの某部署のバックヤードや階段下では見かけていた光景ではありますので、気にはなっていましたが直接注意するのができないお年頃のわたしでありました。

いわゆる”井戸端会議”の類いなのでしょうけれど、マスク外して近距離で唾を飛ばしやすいということ以上に、歯磨き中なのだからそもそも何云っているか聞き取りづらいし歯磨きに集中しないとちゃんと磨けないと思わないのかしら。終わってからマスクして普通に雑談したらいいんじゃないの? どうして今なの?と不思議に思っておりました。黙食はもはや当たり前の風景となってストレスにも感じなくなっているのかなと若いスタッフを見ながらそう思っていましたが、やはりどこかで「話したい」という欲求は溜まっていくのでしょうか。食事中は皆が同じ方向向いているけれど、歯磨きは水場の近くにわらわらと集まってくるから何となく会話が始まってしまうものでしょうか。朝、歯磨きしながら妻に伝えたいことを話そうとしていると、「何云ってるかわからん」「ほら、白い汁こぼしてるよ」と妻に叱られているわたしだから、ちょっと彼らの行動は理解できないけれど、ただただ楽しそうに大声で笑い合っている姿を眺めると、せっかくマスクしている生活しているのに、それじゃあ”耳なし芳一状態”じゃないか!と思ってしまう。これはやはり年寄りの取り越し苦労でしょうか。

それにしても、うちの職場、歯磨きする場所正式には作られていないですね。皆がトイレやら廊下やらで屯して歯磨きしています。こういうことは福利厚生としてもっとしっかり作ってあげた方がいいのじゃなかろうか。

 

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会議

わたしは昔から会議が苦手です。建設的な激論が行われるのならともかく、いつも本題以外のところで意味なく揉めてすぐに内容が脱線して(わたしには雑談にしか聞こえない)冗長な進行になる割に実がなく、ただただ疲れるだけという会議が多いからです。

新型コロナ感染の第7波がもろに医療現場に押し寄せて、毎日危機的状態にあるわたしの職場では先月から集合的会合は可能な限り中止か延期、あるいはメール、リモートのzoom会議やTeams会議などに変更するようお達しが有り、わたしの部署でも定例の会議が軒並み開催中止になっています。メール通知や書類持ち回り決済で決着を付けています。

この期間だけの暫定措置だと云うのですが、職場の最重要決定会議だというのに2ヶ月続けて議題に対して大きな異議や質問もなく、皆がスムーズに「承認」の決済と押印をできるのだから、実はそれで本当は概ね事が済むということなのじゃないかしら。いちいち人が集まってムダに時間を費やすほどの意味は実はほとんどなかったことを証明しているのじゃないかしら。今後も、せいぜい書類持ち回り決済で十分なんじゃないか、今までの慣習にとらわれるほどの意味はないのではないか・・・そんなことを想いながら、せっかく空いた時間を有意義に費やしたいものだと思っている次第です。

 

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スマホ脳過労

何か考えるときに「えーと」と云いながらすぐに思い浮かばないのはスマホの使いすぎによる脳過労・・・スマホからの情報量が多すぎてアタマの中で整理できなくて混乱(混線)している状態なのだ、と今朝のテレビの情報番組で云ってました。今週最初からわたしを悩ませたこともこれのせいか?と一瞬思ったけど、たぶん違う。脳を疲労させるほどわたしはスマホを利用していないから。「そんなことないよ。ことあるごとにスマホを覗いているやないか!」と傍からツッコまれそうですが、コンタクトレンズの上から老眼鏡をかけないと細かい字が読めないわたしなので、SNSで誰かからメッセージが来ていないかとか今の歩数がどれくらいだとか雨雲予想がどうなるかとか、その程度のアバウトな情報収集しかしていません。夜はたしかに床についてもスマホ開けるけど最近はすぐ眠くなるから5分も弄ってないかな。

その情報番組の中で、スマホによる脳疲労から脱却するための方策として「家族や友人との食事中にスマホを弄らないようにすると良い」というのがありました。まあそれ自体は当然・・・というか「人が話をしているのにスマホ弄りながら聞き流すのは人としてどうよ」と思うのですが、外食のシチュエーションを考えたときにちょっと気になってきたことがあります。わたしは、食事の最中はスマホを弄りません。食事に専念したいのと物をクチに近づけるのにスマホを弄るのが不潔だと感じているから。でも、注文してから食事が出るまでの間はわたしも妻も黙ってスマホを弄ります。特段その時間に話す内容がない(わざわざここで話さなくても家で十分話せるし)からではあるのですが、このコロナ禍で「マスク会食しろ」と云われている中で、食事中に会話なんかできますか? わたしは前もって予約して、きちんと各自がパーテーションされたテーブル席で食べますが、あのアクリル板越しの会話って想像以上に聞き取りづらく、それにさらにマスクなんかしてたらよほど大声で話さないと聞こえません。そんな労力使うくらいなら食事が終わって店を出るまでは黙って暇つぶしにスマホ弄っている方が建設的だという気がしてなりません。

それでなくても、わたしの職場ではプライベートでの会食は「家族またはごく親しい友人で4人以下に限る」と厳しく規定されています。食事中に顔を合わせる人はもう完全に限られていて、いつも同じ顔ぶれでいつも同じ店で・・・なのですもの。飽きますよね。だからあまり外食しなくなっているのですが。

 

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犬の気持ち

わが家の家族になって1年ちょっとの幼犬が、わたしの座っている椅子の横に寄ってきてじっとわたしを見つめます。

「どうしたの?」と聞きながら覗き込むとさらにわたしの目をみつめて小さく尻尾を振ります。そっとアタマを撫でてあげるとそっと身を私の脚にくっつけて寄り添ってきます。「どうしたのかな」と思うけれど、ふっと立ち上がったかと思うと徐ろに階下に降りていきました。「あの子は何かを訴えているようなのだけれど、何を考えているのかわからないね」と云うと、「そう? わたしは分るわよ。甘えたいんだよね」と妻。そうかな、あの憂いの目はそんな単純なことだけでないもっと違うことを考えているのじゃないのかな。

もうすぐ14歳になる先住犬の老犬との棲み分けもほぼ確立してきているように見えます。耳と目がほとんど使えなくなっている老犬が突然夜鳴きをするのは怖い様子。彼らの力関係は私たち夫婦からみても微妙でよく分りません。老犬を怖がっているようでいながら階段を上るときには通せんぼをしたり背中に乗ったりして邪魔をしますし、フードは先住犬が食べ終わるまではじっと後ろに座って待機しています。何かの行動を始めるときには甲高い声で啼いて耳の聞こえにくくなった老犬に知らせているようにも見えます。わたしたち人間と老犬の中を取り持つ形で生活しているように見える彼女。いつも周りを気にして、先住犬の動向をオロオロしながらチェックしているようなのだけれど、お隣さんに甘えに行ったり家の前を通るワンに挨拶に行ったりするときの無邪気な姿を見るとさほどストレスは感じていないのかな、とも。

今までの歴代のワン達と違って、あまり自分の欲求を主張する感じではない彼女は、彼女なりに悩み、この家で生活する上での自分なりの秩序をもうけているのだろうなと思うのだけれど・・・だから、考えていることを伝えてくれない子どもと同じように、彼女の頭の中のモヤモヤした悩みがわからないので「申し訳ないな」と思っているおとうちゃんなのであります。

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ヤバくないですか?

今週になって、昨日も今日も、明らかに変。

わたし、結果説明をしていて、明らかに言葉が出てこない。

「えーと」という言葉がめちゃくちゃ増えて、次の単語が出てこない。

ほとんど毎日同じ事を云っているのに、いつも何も考えなくても口から出てきていた単語が出てこない。

頭の中で小さな梗塞がポツポツって起きている様な気がする。

猛暑・脱水の影響かしら、と思って水をたくさん飲んでみた。

異常に頻尿になっただけだった。

おそろしい。

 

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ごまかしてるけど

「あなた、ホントに大丈夫? 時々心配になるよ。なんやかんや云ってごまかしているけど、本当に呆けていってるんじゃないよね?」

先日、妻にそう云われました。友人と一緒に昼食をする約束をしたのにそれを全く忘れていた(というか、「そんなこと聞いてない」と私が云う)というのです。待て待て、わたしは本当に知らんぞ。「何云ってるの? LINE見ながら『●●さんも来るらしいよ』って云ったじゃない! お店を予約する時ももう一度云ったよね!」と妻は苛つきながら云うのだけれど、全然記憶にない。友人が来るかも知れないという話題まででその後の確定は聞いていない。「何云ってるの!わたし、ちゃんと云ったよ!」ということで冒頭の発言になったわけです。正直なところ、「絶対に聞いてない」と思う。おそらく彼女は云ったのだろうけれど、わたしは認識していない。「へえそうなの。わかった」とか答えていないのだから(彼女は、わたしの云うことをほぼほぼ無視するけれど、わたしはいつもそれなりにきちんと返答することにしているからね)。

ということで、この会話はそこで終わったのだけれど、たしかにわたしの記憶力は極端に落ちてきています。「そのジュース、あのお店に売ってたっけ?」「忘れたの?こないだ一緒に買い物したとき買ったじゃない」とかいう会話は気にしていません。それはわたしが興味を持っていないだけのことだから(これからは軽はずみな発言はしないようにしよう)。ただ、今朝、出勤中のカーナビのニュースで韓国の軍事演習の話になった時に、韓国の新政権の話が出てきてちょっと戸惑いました。ん?韓国の大統領、いつ替わったの? 選挙があるって云ってたけどあれはもう終わってムン政権が終わったって? なんか、聞いたことがあるようなないような・・・興味がないからと云って終わらせられないショック感。

やっぱりわたしの脳は明らかに冒されてきている気がします。今しようとしていたことが何だったのか忘れたとか、今ここに書こうとした話題を思い出せないとか、そんな次元の話ではございません(そんなことはもう10年以上前から日常茶飯事です)が、極力メモするけどメモをどこに置いたか忘れ、メモしたことも忘れ、「まあいいか」となる・・・そんなことを野放しにしてきたせいだろうか。由々しきかな。

 

 

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コメの飯

妻が「夜にごはんを食べると覿面(てきめん)に太るから、夕食はごはんなしでもいい?」と云ってコメ飯が夜の食卓から消えて10年近くなる(もしかしたらそれ以上)かしら。別にわたし的には食へのこだわりもないし、そもそもわたしは15年近く朝食自体を食べない習慣で、お昼の愛妻弁当にご飯が入っているのみでした(妻は朝食でご飯)。でも、それで何の支障も感じてはいませんでした。

ただ、日本人に取ってコメ飯は主食。というかご飯が区切りなので、「ご飯が終わったときが食事のおわり」という習慣が子どもの頃からついていました。だから、ご飯がないとどうも”夕食を食べる”という行為の区切りがなくて、なんとなく始めて何となく終わるだらだら感というか締まりのない習慣にちょっと馴染めないでいました。それが、最近になって妻が急に夕飯(コメ飯)を炊くようになりました。わが家はヨシケイの宅食が基本型でメニューが丼物のときはやむを得ずご飯を炊いていたのですが、どうも彼女も夕食にご飯があった方がメリハリができるということに気づき始めたようです。そして、コメ飯を食わなくても口寂しくて代わりに何かを食べ過ぎてしまう生活では同じことだということにも気づいたようです。

おかげさまで、「今から食事」「これで食事終了」という区切りがはっきりして、毎晩がちょっと引き締まりました。カラダもむしろこっちの方が引き締まってきている感じがしています。日本人にとって、コメ飯って心身ともに重要だということを再認識し、軽く茶碗一杯しかないコメ飯をありがたく丁寧に噛み倒している毎晩でございます。

 

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百日紅(さるすべり)

先日、隣県にある実家の前を通りました。両親ともに他界し、たったひとりの姉は他県に住んでいるので、現在は貸家になっています。盆前の休みに墓参りをしに帰ったついでにそっと通ってみた次第です。

立派な広い庭の庭木から道路に乗り出すようにたわわに咲いたたくさんの大きなピンクの花が見えました。「あんな立派な花が咲く木なんか植えてあったっけ?」とひとりで首をかしげながら通り過ぎましたが、後で考えるとあれはたぶん百日紅(さるすべり)。百日紅の木が植えてあったのはかすかに覚えているのですが、でもあんなに目立つピンクの花が咲いていたかしら。昔を思い出そうとするけれど、どうしてもそんな情景が想い出せません。

父の生前に実家に一緒に数回帰ったことのある妻に聞いてみましたが余り記憶がないという。でも、百日紅はたくさんの日光を浴びて育つ植物です。父が植えて大事に育てていたたくさんの庭木がしばらく手入れしなかったために鬱蒼と伸びて収拾がつかなくなって、昨年の秋に一気に伐採してものすごくスッキリしたために日の光をふんだんに浴びれるようになって大きく育ったのかもしれません。あるいは、毎年ちゃんと咲いていたけれど他の周りの木々で上から覆われて目立たなかっただけ、とか。

とにかく、久々に訪れた実家の想定外の光景に目を見張りました。草葉の陰の亡き父が盆に帰ってきてみたら大事な思い出の詰まった庭木がほとんど切り落とされてしまっていて愕然としたかもしれませんが、なんとかあの百日紅のたくさんのピンクの花を見て心落ち着けてもらえたらいいな、と思ったりなんかしています。

 

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hungryでangry?

“お腹が減るとイライラする”は本当か

"空腹時にイライラ感や怒りなどのネガティブな感情を抱いている状態を、英語ではhungry(空腹)とangry(怒り)を合わせてhangryという"らしく、この『空腹のときにイライラしたり怒りっぽくなる』ことの真偽を研究した結果が英アングリア・ラスキン大学のViren Swami氏らによって『PLOS ONE』という雑誌に7月6日に発表されたそうで、それによると、「空腹は、怒りやイライラ感といったネガティブな感情と結び付いていることが明らかにされた」とか。その理由として、「血糖値が下がり始めると、脳が正常に機能しなくなって混乱し、イライラしやすくなる」あるいは「空腹時には、周囲から得る手掛かりを否定的な目で見て解釈する可能性が高い(今私が空腹だとすると、私は自分の目の前にいる人や、暑さ、その他の環境中のあらゆる刺激を否定的に捉えがちになる。それが怒りの感情の原因になる)」と書かれていました。

要するに「腹が減るとイライラする」は人間の当たり前の行動だと証明されたということのようです。むかし、人間ドックの受診者さんが「おーい、まだか!おれは昨夜から何も食ってないんぞ!」と大声で怒鳴っている光景を何度か目にしたことがあります。「おれだって食ってねえよ」とココロの中でつぶやきながら業務をしたものです。でも、わたしはこの結果が真実とは思えません。なぜなら、自分は腹が減っても別にイライラしないから。というよりむしろ空腹感を強く感じる時に「健康だな」と満ち足りた気分になれるから(笑)。変人扱いしないでください。ここでも何度も書いてきましたが、朝起きたときに強い空腹感を感じない人は前の日の晩に食い過ぎて夜中に体内が処理しきれなかった状態の人であって、健康のバロメーターは朝の激しい空腹感で測れます。かくいうわたしはもう20年近く朝食を取らないでいるので朝からずっと空腹です。でも、ちっともイライラしません。むかし「朝を食べることが健康食の基本だ」と信じていたときは朝を食べないとものすごい不安感に襲われていましたし確かにイライラしていましたが、いつも食べなくなったらむしろ空腹感を感じているときの方が体調が良いのでアタマの中も快調であります。

むしろわたしは、睡眠不足のときの方が明らかにイライラします。人は、食べることよりも眠ることの方が最重要項目なのだろうなと実感している次第です。
 

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リバウンドのこと

多くの人がダイエットは経験しているし、その中の多くの人は少なくとも一度はダイエットに成功しています。

「あれ、やせましたよね? すごいですね」
「まあ、それなりにがんばったからね」
スッキリしたカラダと晴れ晴れとした表情でそう答えたのに、ちょっと見ないうちに元に戻る(あるいは前より大きくなる)なんてことも多くの人が経験していることでしょう。わたしなんか10キロ~15キロレベルでもう7、8回は上げ下げしてきています。「もうこれで最後やろう」と思うのにいつの間にかリバウンドしてしまう。だからそんな方々の気持ちがよくわかります。

このとき、リセットして再出発しなければならないとなったときの敵は大きく分けて2つあります。「またあんな苦しい思いをするのはちょっと無理。もういいかな」という『逃げ腰パターン』と「一度成功しているから、自分はまたいつでもやる気になればできる自信がある」と云うのにやる気にならない『言い訳パターン』。どっちも自分の弱みにつけ込んでくる自分の中の悪魔に耳元で囁かれるわけです。わたしの場合はどちらかといえば後者かしら(「時が来ればやります。でもそれは今ではありません」というパターン)・・・もちろん時が来たからちゃんとやって再びダイエットすることには成功はしていますけれど、体重が乱高下すると最終的にやせていても太っていても、ずっと肥満だった人の方が長生きするというテータを以前見たことがありますから、できたらそのままキープしたいのですが。

リバウンドは、あくまでも”生き延びる事”に対する強い生存反応ですから生きていく上では重要なことではあるのだろうと思います。「ご主人がご乱心して突然の飢餓を作り始めたからなんとかして飢餓から脱却させなければ」という忠実なる部下の決死の反応です。だから、再度ダイエットをする場合にはかなりのモチベーションが必要です。前回がキツかったのなら、過去の栄光にあまりしがみつかずもうちょっと緩めの目標設定してみるといいのでしょう。まあ、人間は弱い動物だから、緩めるとどこまでも緩めてしまって気づけば「何もしてないのと同じ」ってこともありますけれど・・・それでも「がんばろうとした事実」は大切。自分のカラダに自分の本当の想いを分かってもらうためには、自分が如何にマジなのかを行動で示さなければなりませんから、まあ何度も何度も自分と戦ってみてください。その時に、「何に対して何のために戦っているのか」ということだけは明確にさせておかなければなりません。そんな自分との戦いは決して空しく終わることはないはずです。

 

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新しい生活様式

妻の髪は今、金髪ショートです。先日、運転中に交差点で信号待ちしてたら隣に停まった車が妻の旧知の友人だったそうです。
「お久しぶり」
「ところで、そのアタマ、どうしたん?」
「あれ、そんなに長いこと会ってなかったっけ?」
そこで信号が青になったのでそのまま別れたそうですが、それを聞きながら、
「あれ、そのアタマになったのそんな最近だったっけ?」とわたし。
「そうよ。コロナの社会なってからだもの。この状態なら親類縁者にも当分会うこともないなと思って思い切って金髪に染めたんだから。白髪染めするのに金髪が一番目立たなくて楽だからそうしたでしょ。忘れたの?」と妻。

そうだったっけ。そういえばそんなこと聞いた気もするなぁ、と思いながらも、もっと遠い昔、少なくとも甲状腺の手術を受けた直後くらいからだったと勘違いしていました。そうなんです。なんか、コロナ禍の生活が2年半にもなると何が新しい生活様式で何が昔からのものかわからなくなってきています。そもそも、「あれは5年前やったかな」と思ったらすでに10年前だったなんてことは前からよく有ったことなのに、その勘違い感にさらに拍車がかかってきている感じです。マスク生活はもとより、宴会のない生活、声を出さないスポーツ観戦、街に買い物に出ない生活、ホテルに泊まらない、学会出張しない・・・どれをとっても最初は「とんでもない規制だ」と思っていたことがいつの間にかごく当たり前になって、今さら『制限のないお盆休みだ』と云われても、あまり「前の生活に戻りたい」という欲求がわかなくなってしまっている今日この頃です。人の多いところや大人数が集った宴会場などには入っていける勇気もわきませんし、あえてそんな生活に戻さなくても別に困らないな、と思ってしまいます。

これは由々しきことではあるのでしょう。社会との関わり方が希薄になっていくとわたしのようなもともと社交性のない人間はさらに厭世的になってしまうに決まっているのだから。

 

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ぷっくりお腹への抵抗

昨夜、お風呂に入ろうと前屈みになって下着を脱ごうとしたらお腹が妙に突っ張る。「あれ?」と思って、真横にある洗面所の大きな鏡を覗いてみた。そこには大きなお腹がつっかえている初老の男の何とも情けない姿があった。明らかに1週間前とは(いや、3日前とは)違う体型がそこにある。「どうしたことよ」と自問自答する。週末、特別動いていないわけでもないしかといって動きすぎて大量の水分補給をしたわけでもないし、特別たくさん食ったわけでもないし特別便秘なわけでもないのに。「とにかく、こりゃいかん」と呟いて、最近Instagramに勝手に送られてくるPR動画の『1週間でお腹を引き締める』シリーズを思い出して、寝る前にその運動を始めてみたが、さすがに今日は体重も先週より1キロ以上増加していた。

まあこれは想定の範囲内の出来事。こんな経験をもう何度してきたことか。その都度一念発起して自分を律して体型を整えていく。引き締まった身体に変貌させる。それができる人間である、わたしは。でも・・・そんなこと、いつまで続けるだろうか。今がんばっているのはあくまでも見栄。世間にいる出っ腹のじいさんみたいになりたくない、という見栄(決して「健康のため」とか「長生きするため」とかいうのが目的ではない)。でもそれは、今若い人たちと一緒に仕事をしている(社会と繋がっている)からであり、たまたま健康を語る仕事(予防医療)をしているからに過ぎない。定年になり、それがなくなったときどうするだろう。おそらく姿見を見ながらぷっくり出てきたお腹をさすって「出てきたなあ」と思い、「でもまあ、こんなもんなんじゃないの」と自分を納得させるだろう。いまさらモテたいわけじゃない(というかモテる場に出ていかない)し・・・あるいは動く量も減って単に萎んだ姿になってしまって、杞憂に終わるのかも。

なんか、そういうことを考えることを、ちょっと前までは情けなく寂しく思えたものだけれど最近は妙に受け入れているのである。

 

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米飯の逆襲

日本人男性では米飯が心血管死リスクを下げる?

日本人男性では、米飯を多く摂取した方が心血管疾患による死亡リスクが有意に低いという研究結果が岐阜大学大学院医学系研究科疫学・予防医学の和田恵子氏らによって発表された。詳細は「Nutrients」に5月30日掲載された。”(HealthDay News 2022.7.19)

「オレは夜は飯は食わんようにしています」と胸を張って云う男性受診者さんが最近は頓に増えました。「代わりに酒飲むから」とか「おかずだけで十分だから」とか付け足されて、「ああ単なる低炭水化物ダイエットか」と合点するわけですが。そんな中、岐阜大学が岐阜県高山市の『高山スタディ』のデータを用いて検討した結果が発表されていました。

他の主食であるパンや麺と比較してみると、米飯を主食にする男性は米摂取量が多いほど心血管死リスクが低いという有意な関係が認められたそうで、これをBMI、喫煙・飲酒・運動習慣、糖尿病・高血圧の既往、婚姻状況、教育歴、コーヒー・塩分摂取量などで調整してもその結果は変わらなかったそうなのです。

そもそも米は理想食だし、米だけ食って普通に動いていれば必ずやせるというのはわたしの持論ではありますし、実際熊本地震の時に自分のカラダで体験しているので間違いないのですが、白米が食後高血糖を助長してメタボになりやすいとか、あるいは夕飯に米を食わなかっただけですぐにやせられたなどの情報から米が悪者にされている現状を由々しきことと感じていたところです。もっとも、この研究成果は単純に米に含まれている食物繊維やビタミンB6が良い影響を与えているということでなく、「米摂取量が、健康的な食品とされる大豆や海藻の摂取量と正相関していることの影響が考えられる」(米をいっぱい食べる人は豆製品と海藻も一緒にたくさん食べ、逆に肉と卵の摂取量とは負の相関だった)ということがミソのようですが、いいんです、とにかく米飯の良さが再認識されるきっかけになればそれで。

ちなみに、この傾向は女性には見られていません。それについて”男性は米摂取量と菓子摂取量が逆相関するのに対して女性では正相関することや、米や炭水化物の高摂取と糖尿病や脂質代謝異常との関連が女性は男性より大きく表れることなどの影響ではないか”と説明されていました。こうなると、女性は一層米飯食わなくなるな、という懸念はあります。そして、男性が一層メシをたくさん食って、単にカロリー過多でメタボになるのではないかとも懸念しますが。
 

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コロナ陽性判定の悲劇?

新型コロナ感染症第7波の新規感染者数が高止まりしていますが、わたしの職場でもプライベートでも身近に感染者が見られるようになってきました。

そんな中、先日わたしの友人が感染しました。夜になって突然の高熱が出て、翌朝もさらに40度近い体温になったためにPCR検査を受けたら陽性であることが判明。そのまま自宅隔離を余儀なくされました。ところが、高熱以外の症状がちょっとコロナらしくなく、咳や咽頭痛などの上気道感染症状は全くない代わりに激しい腹痛と頻回の下痢、そして何日も続く下血(血便)だったそうです。未治療状態のコロナ感染で何日も続く下血とか、聞いたことあります? 

「それ、コロナじゃなくて何かタチの悪い感染性胃腸炎か何かじゃないの?」と、思わず呟いてしまいました。本人も「なんか違う気がする」と。ただ、それがPCR疑陽性だったにしろ腸炎との同時感染だったにしろそのどちらでもなかった(本当に新型コロナの症状だった)にしろ、診断自体はとりあえずどうでもいいとしても、この熱中症警戒アラート発令中に脱水状態を続けるのは危険にならなかったのかしら。本来なら外来を受診して点滴を受けるなり整腸剤・止血剤の処方を受けるなり便検査を出すなり、何かを必要としている状態なのじゃないのかしら。でも・・・こんな危険な状態でも、『新型コロナ陽性』というレッテルが貼られている以上、どこにも受診できません(というか、どこも受けてくれません)。緊急を要する状態(酸素濃度低下や昏睡状態)でもないので救急車を要請するのはおこがましいし、行った先で何と言われるか分かったモンじゃない。こんなときの往診専門医療機関もこの界隈にはおりませんし。

結局どの診断名であっても特別な治療薬があるわけでもなく嵐が通り過ぎるのを待つしかないのは分かっていますが、他人事ながら、大変だなあ、かわいそうになぁ、心細かっただろうなぁ、と思った次第です。

 

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熱中症警戒アラート

今日は有給休暇をもらって隣県大分にある我が家の墓掃除と墓参りに突貫日帰りで行ってきました。年老いた叔母に夏のあいさつもしたかったのですが、この新型コロナ感染拡大のご時世なので断念やむなしということで本当に墓参りだけ敢行してきました。その道中、ラジオでは熊本でも大分でも『熱中症警戒アラート』のことばかり云うとりました。

「熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されます。外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごしてください。また、特別の場合以外は、運動は行わないようにしてください。熱中症予防のための行動をとってください。」

これはどうも決まり文句のようで、どの県でもどの番組でも同じ文言を唱えます。でも、実は、環境省のホームページでは「屋外や空調のない屋内での運動は中止や延期をしましょう」て書いてあるんです。やはり聴いていても気になります。『特別な場合以外』の”特別な場合”って何?って。これ、もしや今がまっただ中の全国高校野球大会の事を云っているのじゃないの? あるいはその他の夏休みに行われる学生たちの大会運営を慮っての配慮なのじゃないの?と、だれもが思いますよね。外に出て立っているだけで滴り落ちる汗でカラダ中がドロドロになる殺人的猛暑です。わざわざ一日で一番気温の高くなる時間帯を選んで、それでなくても擂り鉢状の球場の一番熱が集まるところでの2時間。さすがに観ている人全員が、「本当にかわいそうに」って感じていると思います。『夏の甲子園』は長い歴史のある高校野球に携わる人全員の憧れの場所、コロナ禍でやっと観客を入れての開催がまともにできるようになった今年・・・わかるんですけど、高校生たちにそこまで命を削らせる行為を当然のことのように強いても良いモノなのでしょうか。すでに地方大会でも少なくない人数の選手や観客たちが熱中症で救急搬送されているのにあまりニュースで大々的に云わないのには忖度を感じていますが、それ以上に全国大会なのだから、何とか対処の仕方はあろうと思うのですよ。この激暑はここ数年だけの現象ではありません。地球温暖化の影響なのだから、今後さらにひどくなることはあっても改善することはないでしょう。内閣改造やら統一教会やらも大事でしょうが、そろそろこの夏の中学高校生たちのスポーツイベントの在り様について抜本的な対処が必要なのではありませんか。高校野球で云えば、夕方~夜のナイター開催に移すとか、近くのドーム球場(京セラドームなど)で行えるようにフランチャイズ球団と交渉して開催会場を遷すとか・・・きっと政治的にも経済的にも多くの大人の事情が介在するので簡単ではないのでしょうけれど、だからこそ可及的速やかにこの状態が尋常ではないことを問題視して検討に取りかかる行動を始めてほしいと切に願っております。

もう、ジリジリする真夏の炎天下で暑さをガマンしながら一球入魂して走り回る姿が美しい、といっている時代ではありませんよ。

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「お盆」はお水をこぼしてなんたらかたら?

昨日、テレビを見ていて驚きました。最近の若い子は『お盆』の意味を知らない者が少なくないらしい。

若い男の子への街頭インタビュー。

「お盆の意味を知っていますか?」
「なんか、水をこぼして・・・みたいなヤツですか」
「それは『覆水・・・』のことですか?」
「はい、それです。覆水です」

『覆水、盆に返らず』って、その『盆』はトレイのことじゃ! 先祖の御霊を祀る行事であるお盆(新盆、旧盆)を知らないとは!

お盆は、日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事である。 かつては太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われた。 明治期の太陽暦の採用後、新暦7月15日に合わせると農繁期と重なって支障が出る地域が多かったため、新暦8月15日をお盆とする地域が多くなった。”(Wikipedia)

たしかに親が里帰りしてそこで先祖の墓参りをしたり、あるいは親族の誰かが亡くなって初盆の行事をしたり、そういう行為を目の当たりにすることが少なくなってしまっているから、止むなしなのかもしれません。実家の墓も守る人が居なくなって『墓じまい』する家庭も増えているそうですし(たぶん、遠くない将来、我が家もそういう末路をたどることになるのでしょう)。じゃあ、そもそも『盆休み』とか『盆の帰省』とか、若い子には無用のものじゃありませんか。とても複雑な気持ちですが、そもそも仏教の考え方なのですから、それを支持しないのなら休む習慣をなくしましょう。

 

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界面活性剤信者

最近のわたしはことあるごとに手を洗います。それも必ず石けんで。

昔、『経皮毒』を重視して、「わざわざアルコール綿で消毒ばかりして自分の皮膚の防御を破壊するなんて自殺行為だ!」と思っていたわたし。そのことについては今でも変わりなくそう思っています。ただ、インフルが大流行していたときと同様、COVID-19感染症が大流行している中では、やはり感染予防としての標準予防策は避けて通れません。そのとき、アルコール消毒と石けん手洗いとどっちが有効か、ということになるわけです。

アルコール消毒信者の人は多いと思います。どんな施設でも中に入るときにはアルコールが置いてあって、皆がこまめに噴霧しています(最近は、容器が空の場合も少なくありませんが、あれは経費節約?それとも使用頻度が想定より多すぎるから?)。いいことだと思います。でも、アルコール消毒は掌全体にしっかり行き渡らなければ効果は不十分です。まともに手全体をアルコールで消毒できている人はあまり多くないように見えます。たぶん滴るくらいに噴霧しないと網羅できないはず。アルコールによっては手全体に行き渡る前に乾いている物も少なくないですし。その点、石けんによる手洗いは手全体を十分にまんべんなく洗えます。COVID-19ウイルスは界面活性剤に滅法弱く(その細胞表面を界面活性剤が破壊します)、ナメクジと塩の関係と同様に界面活性剤で細胞膜が決壊されて萎んでしまうのだそうです。

だからわたしは、病院を出る前にアルコール消毒していても家に帰り着いたらまず石けんで手洗いをしています。アルコールよりも石けん。手洗いするなら石けんで(小便の度に石けん手洗いしなくてもいいと思いますけれど)。ぜひ、お試し下さい。

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おいしくないわけじゃない

最近、夕食があまり楽しみではありません。「酒を飲みたい」という欲求が湧かないからです。暑いから缶ビールは仕事から帰るなりすぐに飲んだりしますけど、いつもなら「さしよりビール、次は・・・?」と考えるその「次」への欲求が湧かない。やむを得ずとりあえず2缶めのビールを開ける・・・「酒のつまみがないからかな」と思うのだけれど、「じゃあ何を食べたい?」と考えても、正直何も浮かびません。チーズなりおかきなりピーナッツなり、ないことはないけどさほど今欲しいものでもない。。スーパーに買い物に行って、「酒のつまみになるものを勝手に探してよ」と妻に言われるけれど、総菜売り場を見ても食指が動かない。夕飯のおかず(料理上手な妻の作るおかずはほぼ小料理屋のソレだけれど)で「ほしい」と思い浮かぶものすらない。かといって晩酌しないわけでもなく、惰性で飲んでいるのだけれど、そしてその流れで惰性で夕飯を済ませているのだけれど、なんか楽しくないのです。これは、一時的な”夏バテ”的なものなのかしら。それとも”年寄りの証”的なものなのかしら。そんなわけで、おいしくゆっくり飲もうと思って買ってある焼酎も日本酒の最近は一向に減りませぬ。先日はお中元に泡盛44度をいただきましたが、いつ口を開ける気になるのかしら(とかいって、すぐに飲み干してたりするのだけれど)。

「あなたが『酒は要らない』と云い始めたら、それは病気よ!」と妻がいつも云うております。でも、だいじょうぶ。「酒がおいしくない」とは思っていないので。飲みたいけれど今は欲しくない。欲しくないけれど、飲んではみる。そんな毎日であります。

 

 

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通りすがり

廊下を歩いていると、前を歩くスタッフが話をしているのが耳に入ります。
「生理中なんじゃないの?とか云うのよ」
ちょっとショッキングな単語なので、ドキッとします。
「ああ、だから・・・なんですね」隣にいたスタッフの返事が途中で騒音でかき消されて良く聞こえません。
2人がわたしに気づいて会釈して道をゆずってくれたので、わたしはそのまま何事もなかったかのように通り過ぎていきました。「あれはどういう内容だったのかな?」とか一瞬アタマを巡らしましたが、そのまま忘れることにしました(今回はこれを書くために覚えていましたが、書いたのですぐに忘れるでしょう)。どうせ、真実はわからないことだろうから。

道を歩いていたり、公園を散歩していたり、いろいろな場面で他人の会話が耳に入ります。わたしは無意識にそんな会話を聞き取ってしまう体質のようです。「こないだ、あいつが突然倒れてさぁ」とか「だいたいが、あんなことしちゃダメだよね」とか、意外に穏やかでない話を耳にすることが少なくありません。でも、そんな通りすがりの盗み聞きの会話は極力記憶のフチから消し去ることにしています。盗み聞きだからその人を追いかけて「何の話?」と聞くわけにもいかないし、かといってどれだけ想像を掻き立てたところで真実はわからないのですから。というか、その前にわたしの固くなったアタマの中の記憶の引き出しのキャパはめちゃくちゃ少なくなっていますから、そんな真偽の不確かな内容のために重要なことが引き出しからこぼれ落ちないとも限りらなのです。

最近は、そんなに面白くもない最低限必要な内容ばかりで一杯になっているわたしの記憶の引き出しですから、名探偵コナンのような些細な会話の片隅のコトバから真実の推理を始めるなんてこと、絶対に不可能です。まあ今後とも、そんなことをする必要はないでしょうけれど。それでなくても終活・断捨離をしようとしているわたし。もう少し、ムダな会話の記憶も残しておかないとどんどん面白くない人間になっていきそうで、ちょっと怖いです。

 

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行動制限

新型コロナの第7波に歯止めが利かず、史上最悪の新規感染者数を更新し続けている。そのために医療現場は逼迫しクリニックレベルでも医療従事者の疲労はこれまで以上だと云う。実際、私の知人のドクターも毎日診察室と駐車場の往復を何十回も繰り返す日々で倒れるのは時間の問題だ、と嘆いていました。そして感染者と濃厚接触者が多くなりすぎて、働ける人がいない。病院だけでなく、バスや電車の運転手不足のために減便を余儀なくされ、お店の従業員が足りずに店を開けられなかったり。この現象をもたらしている原因が今回は「国が行動制限を全くしていないからだ!」と云う人がいますが、そうではないように思います。いつまでも2類相当の感染症として全数把握を続けようとしているところに無理があるわけで、いつまでも”過保護”のままではいけない時期が来ているのではあるまいか。

数年前まで社会を苦しめていた季節性インフルエンザの大流行があっても別に国は行動制限も非常事態宣言も発出しませんでした。各自が自主的に判断して自粛しただけでした。「インフルにはタミフルがあるから」という人がいますが、タミフルがまだなかったころ、インフルを”強めの風邪”と認識していたころですら人々の対応は変わりなく、効くか効かないかわからないかぜ薬を飲んでじっと1週間寝ているだけの治療をしてやり過ごしてきました。なぜインフルと扱いが違うかと云えば、インフルが5類でCOVID-19が2類だから・・・でも今、実際は『みなし感染』とか『濃厚接触者は追わない』とか『各自で抗原検査して陽性だったら自主的に連絡しろ』とか、ほとんどザル状態で(そうしないと社会はパンクするわけだし)『全数把握』なんて到底無理(今出ている数字自体の真偽すらわからないのにとりあえず数字を出さないといけないから出しているだけ)な状態。それは国も国民もみんな分かっているのだから、先週も書きましたが、もういいんじゃないんでしょうか

3年間、”殺人ウイルス”の登場のせいでいつの間にか国の過保護に慣れてきてしまいましたが、もうそろそろ各自の責任で自分の行動を自制する自立の時期に来ているだろうこと、それは皆が察知していること。確かに過保護を止めると医療費もワクチン代も自腹になるし生活保障のお金ももらえなくなるから検査や治療を受けない人も多くなるでしょうが、そんな人が家でじっと自粛しておけばいい。もうそんな時期に来ている気がします。それをしないと、「経済活動を回す」という思惑自体が頓挫してしまいますよ。経済活動を利用する人がその気でも利用される側の方が動けないのですから。ぜひ、そこのところをみんなで考えませんか。

 

 

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漢字変換

最近は、以前にも増して公の場や公文書でも誤字が多い。特に漢字変換。テレビニュースとかで、「え、ここでその漢字?」とか思っていると、おわび・訂正が入ってくる。「ということは、それがない場合はあれで正解だと云うことなのか?ほんとに?」と云うパターンも本当に多くなった気がします。

いや、わたしもこんな日記やブログを毎日書いていると、以前より遙かに誤字脱字が多くなってしまって、後日読み返してからこっそり書き直すことがあります。最近はだれも指摘してくれない(間違ったのだろうと慮ってのことか、そもそも読者が減っただけのことかは定かでないけれど)。まあ、こんなことになっている悪の根源は、手書きでなくなったせい。というか、パソコンやスマホでの書き込みになって前後関係から判断された漢字変換が勝手に成されるから、それをアタマの中で検証する作業をしなくなってきたからなのではないかと思います。昔と違って、コンピューターの辞書の学習機能はかなり優秀になりましたから。でも、最初に変換された漢字候補が正しいとは限りません。というか半分方は間違っている漢字変換が候補の最初に来ている気がしています。

以前は、「あれ?このときはどの漢字を使うんだったっけ?」と悩んだら、辞書を取りに行くことはさすがにないけれど、せめてその単語をググって凡例などを確認していました。でも最近は面倒くさくなって、なんとなくニュアンス的にこれでいいんじゃないの?と思ったらそのまま採用してしまいます。それが本当に正しいのか間違っているのか結局わからないけれど、おそらく次からも同じシチュエーションならわたしもパソコンも同じ漢字を選ぶことになって(それが「学習機能」)既成事実としてインプットされるのでしょう。本当は違うんじゃないの?と思うことも少なくないわけです。「つける」とか「はく」とかちゃんと使い分けられている自信は実はあまりありません。「エアコンをつける」は「点ける」か「付ける」か、「ズボンをはく」は「穿く」か「履く」かとか。単語じゃなくてセンテンスで入れて変換されるのだからこれが正解なんじゃないの?とか思ってしまいます。それは、パソコンの辞書機能や学習機能を信用している、というよりも「面倒くさい」から。「ここで使い方を間違ってもたぶん意味は相手に通じるだろう」からという言い訳でもあります。

さすがに最近はわたしも、友人の文章の誤字を指摘することはしなくなりました。”野暮なこと”だから。でも、文頭で書いたように、それをきっかけにして相手が間違った使い方を正解だと思って使い続けるだろうことを看過してよろしいものなのだろうか、とそのことだけが気になっている昨今であります。

 

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週末の体調不良

ここ1ヶ月(もしかしたらそれ以上)、今ひとつ体調がすぐれません。夜寝ているときは快調なのに起きて動くと喉がモヤモヤするとか、逆に寝ているときは咳が止まらないのに起き上がると何事もなかったかのように改善するとか、あるいは仕事中はどこかゾクゾクしたりだるかったりするのに家に帰ると良くなるとか、逆に週末に一日中家にいると熱でもあるのではないかと思うほどに暑苦しくてだるかったり。

地球温暖化激化に伴う異常気象、とりわけ常軌を逸した猛暑の影響だとは分かっているのだけれど、ここに「これ、新型コロナの症状じゃないよね?」という不安要素が必ず覆いかぶさるから一層ココロを重く憂鬱にさせるのでありましょう。

とりわけ、週末の体調管理は至難の業です。こんな家の中に一日中いるうちのワン達は食欲なくしたりお腹壊したりして当たり前だと痛感します。もちろん、朝から1階のエアコンは冷房運転しますし、昼間になったら2階のエアコンも点けるのですが、とにかく暑いのです。実はわが家はリビングが吹き抜けで生活の場は中二階、家屋の2/3がひとつの空間になっているという、極めて空調管理に向かない非効率的な構造です。1階のエアコンなんて1日中点いているから最近冷えなくなってきていて何度も汗だくになりながら埃掃除しているという状態ですが、こんな空間に一日中いたらココロもカラダもどうにかなるぞ!と思って、ワン達と一緒に庭に出たら、外はもはや灼熱の天然サウナ。ちょっとしたそよ風なんて何の足しにもまりません。ワン達と一緒にそそくさと家の中に戻ります。外に比べたらこれでも家の中は天国・・・これは体調壊すわ。そりゃ、エアコン点けるのを躊躇する余地はないから1日中どこかのエアコンは点けているけれど、その分中と外の温度差が尋常ではなくなり、柔な老体の自律神経なんて簡単に破壊されます。若い子なんて子ども頃から完璧なる室温管理の中で生きているから、一歩玄関から外に出た瞬間にげんなり萎れてしまうでしょう。わたしたち世代はまだ「大汗をかく」というカラダの対応策が発動されますが、若い子たちにはそんな大量に働く汗腺なんて最初から有りませんから。

体調不良のもう一つの要因はやはり夜間の空調ですかね。エアコンを就寝数時間後に切るなんて不可能。切った瞬間に汗があふれ出てきますから。だから朝まで点けているけれど、そもそもエアコンで冷房にしようが除湿にしようが結局室内はめいっぱい乾燥し、明らかに喉や上気道を攻撃します。そりゃ、上気道感染症状起こしますよ。わたしはそれをきっかけに夏かぜをいつも誘発していました。そういえば、コロナ禍になってから風邪引きませんね。寝ているときはマスクなんてしていない上にこのエアコン責めなのに・・・これは考えてみれば不思議です。

長々とグチを並べてみましたが、でもこの環境に馴化するしかありません。自律神経をヘトヘトにさせながらじっと耐える2022年の夏はまだまだこれからです。

 

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A型肝炎ワクチン

A型肝炎ワクチン

 ウイルス肝炎としてB型やC型は知っていてもA型を知らない若い人は少なくないのかもしれません。わたしが医者になった当時はC型の概念はなく(nonAnonB型とかアルコール性だとか云われていました)、むしろA型とB型を教えてもらっていましたが、実際に臨床現場でA型肝炎を見る機会はほとんどなかった気がします。健診でもB型抗体とC型抗体しか調べませんから、劇症化した肝炎でB型でもC型でもなかったらA型だったのかなと推測する程度でした。

A型の主な感染経路は糞口感染で汚染された食品を摂取することで感染するので、衛生環境は食品環境が良くなった日本ではほとんど見ることがなくなているのでしょう。ただ、”環境やヒトからの接触感染も報告があり、近年は糞口感染の変形として肛門性交による感染例が増えている”とのことで、グローバル化、多様化した現代社会では、また増えてきても不思議ではないかもしれません。”A型肝炎は、ウイルス感染によって起こる急性肝炎である。感染しても多くは軽症で自然軽快し、劇症化は1%以下とまれである。急性肝炎のみで慢性化はしない”ということも、社会的に認識が普及しない要因でしょうか。だから、A型肝炎のワクチンがあること自体を実は知りませんでした。罹っても勝手に治るものだと思っていたから。そういえば、海外渡航や途上国勤務の人が受けるワクチンの中にA型肝炎ワクチンがあったのを見た気はします。ほんと、不勉強ですみません。

A型肝炎とは

海外渡航のためのワクチン

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