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妙な違和感

「感謝しても、しきれません」

先日テレビニュースで行方不明の女児のお母さんがボランティアや自治体職員に対してコメントした謝辞の一部です。なんか、同じような言葉を最近何度か耳にして、その都度、「なんか変」と感じてしまっていました。
「感謝しても、しきれません」
「後悔しても、しきれません」

たぶん、「○○しても」の前に、「どんなに」とか「いくら」とかいう単語が要るのではないかしら。

「どんなに感謝しても、しきれません」「いくら後悔しても、しきれません」・・・並大抵ではない感謝や後悔をしてもそれでも全く足りない、ということを云いたいわけだから、アタマにこの単語のあるかないかでは全くニュアンスが違う気がします。でも、最近は付け足さないのが当たり前になってきている感じ。まあ、社会全体がそれで理解できるのだからそれでいいじゃないかと思いますし、コトバというのはそういう変遷の中で本来の使い方ではない使い方が主流になるものなのだろうと思いはするのですが・・・やっぱりわたしは、聞いててとても気持ちが悪いです。

 

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