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2022年10月

フレイルと腎虚

「フレイル」をわずか5つの質問で簡便に判定

大阪大学は、わずか5つの質問でフレイルを簡便に判定できるスケールを開発したと発表した。年齢と、簡単な4つの質問に答えてもらうだけで、フレイルとフレイル予備群を判定できるという。フレイル判定ではこれまで、握力や歩行スピードなどを測定し、25項目の質問を使って、医療者が判定する必要があった。保健指導の対象になる人を容易に拾いあげることができるようになれば、フレイル予防対策に大きく貢献できるとしている

最近は国立大でも私立大でも競って健康に関するアプリをITAIをフル活用して開発し、実用化させようとする動きが目立ってきました。大阪大学もかなり盛んな様子です。

フレイル(介護前段階)判定を年齢と4つの質問項目だけできるスケール「Japan Frailty Scale(JFS)」を開発し、これを利用すると、年齢と4つの自覚症状[夜間頻尿・腰痛・下肢の冷え・体のだるさ]で、フレイルとプレフレイル(フレイル予備群)を判定できるのだそうです。判定が簡単なことはありがたいことで、そこの偽陽性が多く含まれなければ云うことないわけですが、4つの自覚症状=夜間頻尿・腰痛・下肢の冷え・体のだるさというのが、漢方でいうところの『腎虚』に当たるのだそうで、これで判定すると感度86.9%、特異度53.3%、陽性適中率62.8%、陰性適中率81.7%で診断できたそうだから、それは凄いことですね。

ちなみにわたしは、夜間頻尿が響いて合計スコア=4・・・「フレイルかプレフレイル」という判定になりました(泣)

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年賀状

今年も近くの郵便局から年賀状の予約の案内状が届きました。

「今年は、年賀状、どうする?」

最近、毎年この時期になると夫婦でそんな会話になります。うだうだしているうちに時間がなくなって一年前と同じ枚数を予約してしまうのですが、年々余る数が多くなって、使いもしない切手や官製はがきが溜まっていきます(正月が明けてから郵便局で交換してもらうやつです)。同級生や恩師の中に「今年で年賀のあいさつを最後にします。今後は年賀状をお断りします」という文面の人が増えてきて、そうかそういう歳になってきたのかと思い、自分もそういうことを考えなければならない時期にきているのかな、と思ったりします。

でも、わたしの年賀状は、職業上のあいさつ状(形だけのもの)ではなく、あくまでも滅多に会えなくなった友人知人、あるいは親戚に「わたしは元気ですよ」という生存確認・生存証明の意味合いが強く、受け取るときには、「そうか彼はいまこんな感じなのか」と改めて認識する機会として楽しみにしています。だから相手から送られてこなくても、自分のことを覚えておいてほしいと思う人には可能な限り出し続けたいと思っている次第です。ただ、自分の生存証明はFacebookやInstagramといったSNSやブログなので適宜発信しているので、その形で繋がっている人にはあえて年賀状を出さなくても大丈夫なわけです。そういうことで徐々に枚数は減らしてきているのです。2023年度までで常勤を卒業するから、そのあいさつ状として出すのは、来年ではなくて再来年になるのでしょうか。となると、今年の暮れに出す年賀状は思いっきり少なくしてもいいかな。SNS以外でわたしが「どうしても繋がっていたい」と思う人間だけを選び抜いてみようかな・・・半分以下になったりして(普通にありえる)。

 

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温水便座

温水便座、1日2回以上使用で肛門失禁が重症化

 ”近年、温水洗浄便座の使用がさまざまな肛門疾患と関連することが指摘されており、肛門失禁を誘引することも報告されている(J Anus Rectum Colon 2021; 5: 268-273)。しかし、どのような洗浄方法が肛門疾患の重症化に関連するかについては明らかでない。亀田総合病院(千葉県)消化器外科部長の角田明良氏は、肛門失禁患者の温水洗浄便座の使用中止前後における重症度の変化と温水洗浄便座の使用実態との関連性について検討。1日2回以上の使用が肛門失禁の重症化原因となる可能性があることを、第77回日本大腸肛門病学会(10月14~15日)で発表した”(Medical Tribune2022年10月27日配信)

急に寒くなってきて、便座が暖かいとホッとします。用を足した後の洗浄液が冷たいと血圧が上がりそうで、やはり暖かいお湯が肛門粘膜に当たる方が優しくてうれしい。しかも冷水よりもしっかり洗浄してくれるイメージがあります。だから、この記事はそれなりにショックです。温水洗浄便座が肛門粘膜に悪影響を与えるようだというはなしは聞いたことはありますし、実際洗顔や手洗いも温水の方がきれいになるように見えて返って乾燥を促すので傷みやすいというのと同様の理論だと云うことも想像はできます。

「温水洗浄便座の使用は、温水の浣腸効果によって直腸内に貯溜した便の排出が期待できるものの、一部は残留することがある。肛門内圧が低い高齢者などでは、排便後に残留便と肛門内に入り込んだ温水が混ざって意図せず排出されるというのが、温水洗浄便座に伴う肛門失禁悪化の機序ではないかと考えられる」”とのことですから、これからまさしくそれに該当する世代になってきたわたしには重要なことではありますが・・・ちょっとくらい便失禁しても、暖かい方がいいなぁ。

 

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ワクワクすること

「ワクワクする」ってどんな感覚でしたっけ。思い出せない。そもそもわたしはワクワクした経験はあるのか。いや、それはある。好きな人に初めてつきあってもらったときとか、試験に受かったときとか、バスケットの試合がある直前の授業のときとか、演劇部の公演が始まろうとしているときとか、なんか確かにウキウキして自分で気持ちを制御できなかったことって確かにあった。でも今、そんな感覚は長いこと経験していない気がするので、ワクワクする感覚が思い出せません。

先日、テレビで20年来の友人たちと山奥の隠れ家のような家でワイワイと楽しんでいるおじさん達の風景を見ました。「まるで遠足に行く前の日のように昨日はワクワクして寝られんだった」とかいう同世代のおじさん達の嬉しそうな顔を見ると羨ましくてたまらなかったのだけれど・・・今のわたしは、どうやったらワクワクできるのだろうか。ずっと巣ごもり状態だった人たちが非日常を求めて「ワクワクする」ために旅行に行ったり宴会をしたりスポーツ観戦したりしているのを報道で見ますが、たぶんわたしはそんなことじゃ「ワクワク」しないでしょう。若い頃からそんなことで「ワクワク」したことなんかないから。単なる非日常の刺激だけでは「ワクワク」は湧いてこない。歳を取ると一層ワクワクできないのか。若いときの習性が大事だったと云われてもしょうがないし、何かないかしら。

あ~ワクワクしたい! 

 

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現状維持

自分の体重の記録を眺めてみると、9月のシルバーウイークの最初の3連休後に体重が約2キロ急上昇してからそのまま1.5キロアップ前後を推移して一向に元に戻る気配がありません。その1ヶ月前くらいから腹がユルユルになった(腰回りが大きくなった)な、という実感はありましたが体重に変動がなく、いわゆる『じいさん体型』(上半身や足の筋肉が痩せて腹だけ出ている)になってきたのかなと達観していたのですが、今回の急激な上昇とそのままの維持状態が何故なのか理解できずにちょっとうろたえています。減るわけじゃないけど増えるわけでもない。運動量も酒の量もほぼ変わってない(減らすわけでもない)ので当たり前と云えば当たり前ですが、浮腫感のあった手首周りがシュッとなった気がして期待した今日の体重はむしろ若干増えていました。

「それ、夕飯にコメ飯出すようになったからじゃない?」と妻。「そんなの関係ないやろ」と最初は思っていましたが、確かにそれはあるかも。ダイエットのために夜は米飯を食べない!と妻が宣言して夕飯の食卓にごはんが出なくなってもう10年近いのですが、最近、「体温調節が上手くいかない」という理由で必ずご飯を炊くようになったみたいなのです(と云っても茶碗1杯程度ですが)。もう1ヶ月以上体重が横ばいな所を見ると、これが影響している可能性は多分にあるかもです。

でも、そうだとしたら「今のままで良いということかな」と思っています。確かに若干服はきついし走るとお腹がタプンタプンと揺れますけど、これを絞るためにまた夕飯のコメ飯をNGにする意味もありますまい。現状維持できるなら、前期高齢者になる一歩手前のじいさんとしては今のままでも十分なのではありますまいか。ちょっと癪に障りはしますし、「『まあこんなものかな』と諦めたときから一気に歳を取り始めます。アンチエイジングは自分の気持ち次第ですよ!」といつも人間ドック受診者の皆さんに偉そうに云っている身なのではありますが・・・。

 

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友だちいないおじさん

深刻化する“友達のいないおじさん”問題。なぜ中高年男性は遊びに誘えないのか

いまさら人間関係を作るのはやはりハードルが高いよなぁと思う今日この頃。でも、定年退職後、親戚関係がどんどん少なくなって、もちろん子どもが居ないから頼る身内はいないし・・・「誘えない」のは、プライドでも気遣いでもないのです。今さらに新しくて深い人間関係をこれから作り始めるのに何をしたらいいのか?が分らないのです。近くに趣味の友だちなんていない(そもそも”趣味”がない)。職場も”仲間”というには皆わたしよりはるかに若いので相手が気を遣ってくれている関係でおそらく退職したら深く付き合えることはなかろう。仕事辞めたらボランティアを!と思っても、そんなことで深い人間関係なんて生じるのかどうか、それが生じた事が良いことばかりではありますまい。何かと煩わしい人間関係が生まれたとき(その方が多い気がする)、長い付き合いでないだけにお互い気を遣って疲れるのも、面倒くさいなと思ってしまうことは確かです。

 

 

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インフル対策

インフルエンザと新型コロナの同時流行の話題が出ています。前にも話題はありましたが、結局新型コロナの第7波が異常に大きかったからまたまたインフルはどっかに追いやられたんじゃないの?と思っていたら、なんかもうインフル患者が出始めているのだとか。そして、「今年の冬こそは間違いなくインフルは流行する」と専門家は皆断言しているので、たぶん流行するのでしょう。

世間の皆さん、インフルをもう忘れていませんか? 新型コロナが殺人ウイルスとして世に出たものだから、いまだにインフルは新型コロナに比べれば大したことないと思っていませんか。たしかに新型コロナと違って確実な治療薬が普及してはいますが、インフルはやはり冬の流行性ウイルスの王様(悪魔の王)です。罹ったときの高熱や倦怠感など尋常ではありません。おそらく、今の新型コロナオミクロン株なんかよりはるかに強いと思われます。要注意です。

要注意と云ったところで、結局は標準予防策なわけで、新型コロナに対する予防法と何ら変わりはしません。ただ、「やっとマスクが外せる」「マスクなしで生活できる」となってきた矢先なので、皆の気が明らかに緩んでいますよね。しかもむかし、「インフルにマスクは効果なし!」と云われていました。うちの施設の感染症専門医も皆そう云ってました。だから「マスクをしても無駄だ」と。ところが、新型コロナのような飛沫感染にマスクは最大の防御武器になることが証明されました。それも不織布マスクならほぼ万全だと。新型コロナに有効なのにインフルには無効、と云い切ったままでよろしいのでしょうかな。おそらく、マスク=布マスクであり、鼻マスク・顎マスクなどの中途半端なマスク装着が「マスクをしている」群に含まれていたのではなかろうかと考えています。今、少なくとも日本人のマスク装着姿勢は新型コロナのせいで完璧になりました。マスクとうがいと手洗い・・・新型コロナに対する標準予防策を完全に習得した人であれば、このまま続けるだけでインフル対策は万全だと云っていいのではありますまいか。

 

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『いやいやする健康運動って?』

定期発行機関誌が発行されたはずなので、今回もコラムを転載します。

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『いやいやする健康運動って?』

今、シニア層で問題になっているのはメタボよりもむしろフレイルやサルコペニアです。筋肉が落ちてやせていくほど健康度が落ちて死亡率が高くなる傾向があると言われています。だから、若い頃にたたき込まれた“メタボ対策”にいつまでも固執し過ぎるとかえって危険なこともあるのです。昨年webで参加させていただいた学会の内容の中で一際印象に残っているのが、『同じ身体活動量でも、余暇と仕事上のそれとでは健康に与える影響がまったく違う』というものでした。余暇で楽しむ運動は強度が増すほど心臓病の発生や全死亡が減るのに対して、仕事の時の身体活動は強度が強くなるほど心臓病の発生や死亡が増していくというのです。つまり、いやいやする運動と好きでする運動とでは同程度の運動量でもまったく逆の効果をもたらすということになります。私は運動指導をする時に、「一日中仕事で身体を使って疲れるので、さらに帰ってから歩いたりする気力が湧かない」と訴える受診者さんに、「仕事の運動も立派に身体活動ですから、それ以上する必要はないです」と話してきました。それは正しいようで正しくなかったかもしれません。もっとも、どれだけ仕事で疲れて帰っても、好きな運動ならその後にいくらでもやります。好きでもない運動を強いられるから気力が湧かないわけで、”健康運動”と言っても、”やりたくもないのに健康のためにやむを得ずやる運動”はむしろ仕事の時の身体活動に近いと考えた方がいいのかもしれません。『運動は楽しんでやるもの』・・・その意識は失ってはいけない、そう痛感しました。

一方で『社会的処方』ということばも最近の学会で知りました。ある地域の高齢者の研究では、運動サークルに毎回参加しているけれどまともに運動せずに近所の方とおしゃべりばかりしている人と独りでマジメに運動に取り組んでいる人とを比較したら、4年後に要介護になる率はおしゃべりおばさんの方が低かったというのです。将来の寝たきりを予防するためには、単に運動するかしないかということよりも、周りとつながりを持っていられるかどうかの方が大切だということになります。仲間と楽しくわいわい騒ぐより独りで黙々とがんばりたいタイプの私にとって、これはとてもショッキングな研究結果でした。私のような性格の高齢男性は決して少なくないと思いますが、たとえいやいやでも、社会のコミュニティの中に自ら入っていく勇気を持たなければなりますまい。

 

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医学書

2016年の熊本地震で家の中の物が散々に散らされて、それを空しく拾い集めて整理したときに、わたしの学生時代から大事にしてきた医学関連の書物はすべて処分しました(捨てました)。学生時代や研修医時代に使った医学書は一生モノでそこに細かく書き加えたノート類は医者として最大の宝物だから大事にしなさい、と遠いむかしに上司や教授から云われたものですが、決してそんなことはないと分っています。それは現代社会の学問の進歩があまりに早くて”日進月歩”などという悠長な早さではないことを実感しているからです。わたしの持っている医学書に書かれている内容なんて、今は間違っていることも多いし、考え方がもっと多様になっているものも多いから、使い物になりません。専門外の知識を得ようと思えば、そんな古書を紐解くよりも最新版の医学情報をネットで検索する方が早いし確実、という時代。だからあのときに全て捨てました。

同様に、職場の自分の書棚に並ぶ書物。これを処分しようと思うわけですが、ここには小説ではなくて予防医療に関わる知識を得るためのハウツウ系の本だけが大量に並んでいます。これを古本屋に持って行けば売れることは売れるのでしょうが、その本を買う人がいるのでしょうか。『動脈硬化の発生機序』『腸内フローラ』『睡眠』『アンチエイジング』・・・わたしがこの本を買って勉強していた1015年前、これらの内容は最先端であり、一部は眉唾物と扱われていた時期で、それも含めて面白くて、読んで勉強してスライドを作って講演に使った・・・そんな本ですが、すでにどれも新しくはなく、今は誰もが知る常識になったもの、当時はまだ不明だったことが解明されたもの、それによって当時の常識は非常識になったもの、あるいは逆にこの本に書かれていることが間違いだったとわかったもの・・・医学書と同様、ここに並んでいる昔の本は今読んでも意味を成さないものが多いような気がするのです。だから、職場のスタッフに「読みたい人がいたらあげるよ!」と声を大にして云えないのであります。

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本の処分

終活に向けて、家にある単行本、文庫本をそろそろ処分したいと思いながら月日が経って行きます。職場の個人の書棚にもたくさん並んでいます。処分する前にもう一度読み返してからにしようか、などと考えたりなんかしたものだから遅々として進まなくなっているけれど、たぶん読まないと思う。自分が興味を持って買って読んだ本だからもう一度読み返すのは懐古主義でなくても有意義になことだとは思うけれど、老眼が進んでスマホやパソコンの活字ですら読むのが面倒だと思ってきている状況なので、今ひとつ読み始める気になれません。新しい本をアマゾンで見つけて買うということはこれからもあるかもしれないけれど・・・今度こそ思い切って古本屋に持って行こうかな。少なくともいつも捨てている段ボール箱を残して、引っ越しの時のように順次箱詰め作業していこうかなと思っている今日この頃です。このままわたしの書棚に無駄に鎮座しているくらいなら早々に古本屋の書棚に並んで、だれかに読んでいただけた方が、本にとってもわたしに取っても幸せだからなぁと。

そうは思うのだけれど、何か踏ん切るきっかけがないと第一歩が踏み出せないというのは、生活習慣病の行動変容と同じです。しなければしなくても別に急には困らないわけだし。ただただ、突然わたしが倒れたりして、家人が処分作業をしなければならなくなるのが申し訳ないということくらいしか大義名分になる理由はないのですよ、困ったことに。むかし、父が急死して、家にある大量の本や百科事典や芸術書などの処分に閉口したことを思い出します。あれに比べれば全然少ないけれど、今元気なうちに自らの手で処分するのが一番だなと思う次第。おそらく、父の本のように売ったら大きな価値がありそうなそんなお宝本は持っていないはずだから。

今年のうちに第一歩は踏み出すぞ!

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よっこらしょ

「よいしょよいしょ、よっこらしょ」
毎朝、職場の階段を2階まで上るときに最後はこうかけ声をかけて上ります。最後の「よっこらしょっ」で2階のフロアに立ち上がって、「ふー」とため息をつきます。診察室のある4階まで1階の医局から階段を上るときも、最後の最後にはこのかけ声。

「よっこいしょっと」
朝のロッカールームで白衣に着替えた後、屈んで靴を履き替えたあとに立ち上がるときもこのかけ声。

「じいさんになったなあ」と情けなく思った時期もありますが、最近はこのかけ声こそが元気魂を体内から吐き出して気合いを入れる大事な行為だという考え方に変わりました。最後の一踏ん張り・・・これ、大事。まあ、若い人たちは一踏ん張りしなくても簡単に駆け上がるのだろうから、やはりじいさんのなせる技か。いやいや、若い子たちはすぐにエレベーターに乗ろうとするのだから、わたしの方が体力はあるのかもしれないぞ。

ちなみに、このコロナ禍の3年の間で日本人の心肺機能は著しく改善したのではないかと密かに思っています。だって、ずっとマスクをして行動しているのですから。マスクしながら階段を上るのは、ほとんど高地トレーニングしているようなものでしょ。人間ドックの結果説明ですらマスクが苦しくてつい一気にしゃべってしまって、気づけばひとりでまくし立てていたのではないかと気になることしきりなのです。

 

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「子ども睡眠健診」プロジェクト

睡眠を見直し生活リズムを改善 健やかな発育・発達を 「子ども睡眠健診」プロジェクト

 ”理化学研究所と東京大学は、全国の子供を対象とした「子ども睡眠健診」プロジェクトを開始すると発表した。この「子ども睡眠健診」プロジェクトでは、児童・生徒(主に小中高生)を対象に、ウェアラブルデバイスを用いて睡眠を測定し、日本の子供の睡眠実態を把握し、子供・保護者に対して睡眠衛生に関する理解の促進をはかる。簡易な方法により自分の睡眠や生活のパターンを把握できれば、自身の生活スタイルを改善でき、健康に対する意識を高められるとしている。”(保健指導リソースガイド2022年10月03日配信)

睡眠が人間の人生の営みの中で如何に重要かということは最近になってやっとあちこちで語られるようになってきました。今まで明らかに軽んじられてきた項目。腸内細菌が生活習慣病やがんや認知症に大いに影響を与えるということが眉唾ではないことがわかってきましたが、それ以上に睡眠の健康に与える影響の大きさはもっと強調されるべきなのだと思います。でも、現代社会の誘惑だらけの夜の世界、あるいはまだまだワーキングプアの現代社会人にとっての睡眠の量と質は、つい後回しにされがちです。通勤時間や昼下がりにちょこっと仮眠をとればなんとかなると思っているし、ゆっくり睡眠をとっている余裕なんて普通はないものだとあきらめている輩も多い。

そんな中、成長過程にいる子どもたちの睡眠を見直す切り口は、禁煙の前にまず子どもの頃からタバコを吸わせないという切り口に似て、とてもいい考え方だと思います。子どもたちの睡眠を健全なものにするためには生活リズムを親や家族みんなで是正しないと成り立たないのです。わかっているけどできない若い親たちは自分が子どもの頃にその親たちによって作り上げられた常識に我が子を陥れているわけで、「家族みんなで早く寝る」なんてあり得ない!と思うのかもしれません。ちなみにわたしたちの世代は、親たちは夜更かしするけど「子どもは早く寝なければならない」という厳しい教育の中で育ちましたが、今の若い親たちの常識は、自分たちが遊びたいから子どもたちも一緒に起こしておくという考え方なのだと聞いています。

是非とも、このプロジェクトが子どもたちを通して全人類のあるべき生活リズムに是正させるきっかけ作りになることを祈っています。

 

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世界情勢

朝からニュース・ワイドショー見ても、第3次世界大戦の様相(特に核の脅威)のことばかり。ロシアvsウクライナ、中国vs台湾、北朝鮮vs米韓のどれをとってもほとんど抑止力が働かなくなているのは火を見るより明らかで、この戦いはどちらも折れる気がないのだから行くところまで行くに違いないということはわかる。ただ、あまりテレビで不安ばかり煽らないでほしい。「ちゃんと情勢を知っておくべきだ」と云われても、私達が知っていたら何か対処できるのかといえばそんなこともないわけだから。昨日はワンズのブラッシングをしながら核戦争の話ばかりするワイドショーを聴いていました。「わし、退職金ちゃんともらえるのかな?」「そもそも、紙幣価値は残存するのかな?」「もうすぐ14歳になる老犬もさることながらまだ1歳半の幼犬の将来は大丈夫なのか?」などと、何とも先の見えない身近な自分の身の回りのことに対する不安ばかりが掻き立てられるから、心安らかではありませんでした。

急激に世界情勢が動き始める中、おそらく今まで抱いていた常識は通用しなくなるのでしょうが、それでもわたしたちは流されていくしかないのでしょう。核の被害の中で逃げ惑ったり世界恐慌の中で生き延びる術を探したり、わたしが想像できる第二次世界大戦後の社会とはまったく違う世界が生まれてくるのだろうと思うと、もはや考えるだけムダなのかもしれません。

 

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圧倒的魅了

コロナ禍のために2年中止になっていた立川志の輔独演会が3年ぶりに開催されました。ずっと観に行っていたわたしたち夫婦は、再び生の志の輔さんを見れること自体に感謝感動でした。

彼が舞台の袖から登場しただけで、一気に場内がキラキラ星に変わるのがわかりました。もともと彼に会いたくて彼の落語を聞きたくて金を払って来ているお客さんばかりなのだし、わたしたちのように以前からどんな魅了のされ方をするのかを知っているリピーターが多いのだから、この空気感を感じさせてもらいたくて、ほとんどアイドルに殺到する追っかけレベルの聴衆が場内全体を魅了の空気を作り出しているのは当たり前なのかもしれません。

でも、それは大した要因ではありません。やはり、志の輔さん自身の話術というか人を引きつける”人たらし”の素質がこの圧倒的な一体感を作り出したのだと思われます。座布団の上に座るだけで場内の聴衆を圧倒的に包み込んでしまう力、これがプロなのですね。聴衆に話をするプロという点ではわたしも同業者なのですが、わたしなんかまだまだ初っぱなに出てきた弟子さんの話力のレベルなんだなと打ちひしがれております。ここで比較するなんておこがましい限りではありますが、わたしも話すことをなりわいとするようになって20年のプロの端くれである以上、何とかあの域に達することができるように精進してみたい。なにか、いままで諦観していたわたしのこころを妙に奮い立たせる出来事でありました。
 

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ソフトランディングできるか(2)

(つづき)

その男性は、10年くらい前にも同じようなことがあって出勤中に動悸が起きたりしたのでこっそりメンタルクリニックを受診した経験があり、その時には内服薬を処方されて飲んだということも話してくれました。その経験があるのであれば、今回も早めに受診して必要なら内服薬をもらって予防的に服用した方が無難なのではないかという進言はしてみましたが、やんわりと断られました。薬に頼りたくないということと、あの時よりも軽いから経験上何とかやり過ごせるような気がするという理由でした。

その気持ちはわかるのですけれど、でも本当は早めに対処しておいた方が安全だということを、わたしは他のメンタル不調者の様子をたくさん見てきたので知っています。『良い頃合いに底面に着地してそれから底面を蹴り上げてゆっくり高く再上昇すれば良い』というイメージを皆が抱くのですが、そううまくいかないのです。軟着陸しようと足を伸ばしたらそこは想像していたような固い底面ではなく、実際にはずぶずぶずぶと足が沈み込む沼地で「こんなはずじゃなかった」と気づいたときはすっかり足を取られて、飛び上がるどころかその沼地から這い出ることすらままならなくなる・・・そんな人を何人も見てきました。だから、再上昇するためには軟着陸など試みず、足を底面に付ける前に羽ばたくのが絶対に一番安全なのであります。そのための医療機関であり薬剤なのだから、できるなら早めに対処して欲しい。特に一度経験しているなら受診の敷居はそんなに高くないはずなので、気軽に専門家に相談して欲しい。そう思う次第です。

 

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ソフトランディングできるか(1)

先日、自ら希望してメンタルの面談を受けに来られた男性。COVID-19感染者のしわ寄せと仕事内容自体の特性から一気に仕事量が増えたことがきっかけで、出社するのが億劫になり、なかなかやる気が起きてこなくなったという訴えでした。仕事量がこなせない不安感と焦燥感はまあ自分の仕事内容の避けては通れない事情なので心得ては居るけれど、この状況がいつまで続くのか(いつまでがんばれば良いのか)の目安がないのが辛いのだと。そう云いながら、自己分析もきちんとできている様子なのですが、気力が続くかどうかがちょっと心配ではあります。

むかし、わたしが救急医療に携わっていたころ、毎日のToDoListをいつも持ち歩いて終わった順に消していっていましたが、終わって消す項目より新たに増える項目の方が多くてちっともリスト内容が軽くならなかったことを思い出します。あるいは、外来でいくら診察を続けても、机に積まれるカルテの山が減るどころかどんどん増えていくのを見ながら、「いつ終わるのか」という絶望感にも似ためまいを感じていたことも思い出します。まあそれでも、あの頃のわたしの仕事は、「いつかは必ず終わる」ことが分かっていたからなんとか頑張れたのだろうなと思います。(つづく)

 

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身の振り方

雨が降りそうなので帰宅後にいつもより早めにワンズの散歩をしていたら、携帯電話が鳴りました。某病院の医師をしている大学時代の同級生からでした。

「どう、先生、今後の身の振り方は決めた?」

60歳になる前にも一度電話をくれました。退職後のリクルートの電話でした。わたしが働く病院の定年が60歳から65歳に延長になった後だったため、「もうしばらくは転職を考えていない」ということで、ていねいにお断りしたのでした。今回も内容は同じ。そろそろ定年かなという打診でした。「定年は再来年の春になるよ。一応その後は嘱託で延長させてもらえる予定なんだよね。いつまで働かせてもらえるかわからんけどね」と返事をして、「じゃあまたそのころに改めて電話するわ」と彼。

もうすぐ定年になる。その後のことは、いつも悩みのタネです。老後に悠々自適な生活を送れる余裕はないので、何とか働かせてもらえるうちは働きたいと思っています。可能なら今まで慣れたところで慣れた仕事をするのが一番楽ではありますが、いつまで働かせてもらえるかは不透明です。臨床現場から離れて予防医療の世界に移ってからもう20年近くなりましたから、今さら臨床の場に戻って診療をする自信はあまりありませんが、それでも今のわたしにこうやってリクルートの打診をしていただけるのは有り難いことではあります。

「わざわざ覚えてくれていて、ありがとう。ボクのことを気に留めてもらえているのは嬉しいことですよ」とお礼を云いました。

 

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SNSの恐怖

気味が悪いからほったらかしていたのですが、なんか今年の6月辺りから急に私のInstagramやFacebookに『睡眠』に関するサプリの広告が頻回に届くようになりました。一時期より若干頻度は減りましたが、いまだに定期的に送られてきます。

普通こういうものは、睡眠障害や眠れないという内容の投稿があったときにそれを察知して広告攻勢をかけてくるものだと思っていました。でも、少なくともインスタやFacebookにそんな投稿はしていないと思うのです。もちろん、日記代わりのブログには時々「眠れなかった」という文面は書きますし、このブログでも『睡眠』に関する記事は書いたことがあるかも知れませんけれど、それだけだと思います。それ以外は自宅での夫婦の会話くらいにしか不眠の話題を出した認識はありません。

絶対に、「スマホの機能にこっそり会話を盗み聞きして情報収集する機能が隠されているのに違いない」といつも妻と話しているところです。今日、思い切ってこの話題を書いたから、また広告攻勢数がアップするのだろうなぁ。

 

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