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2022年12月

ネタ帳アーカイブ(4)

さりげないエスコート

先日、学会のために上京しました。電車に乗っていたらJR新橋駅のホームに白い杖を持った目の不自由な女性が佇んでいました。先頭に並んで乗り込もうとしたひとりのお嬢さんが、それに気付いて声を掛けました。彼女はさりげなくその女性の手を引いて一緒に電車に乗り込みました。格好いいなと思いました。さらに有楽町駅に着く少し前に、今度はまったく別の若い男性が声を掛けました。「席が空きましたけど、座りませんか?」・・・声を掛けながら、そっとエスコートします。ことばに恩着せがましさがないのがいいなと思いました。都会では個人主義で他人に干渉しない人が多いと聞きますが、一方でこういう心遣いが日常生活の中でさりげなくできる人もたくさんいるのだということを実感しました。彼らは本当に輝いて見えました。

ある研修会で「ペーシング」という会話の方法を教わりました。これはつまり「相手のペースに合わせる」ということです。同じ視線で、同じ声のトーンと大きさと速さで、あるいは同じ雰囲気で・・・できるだけ相手のそれに合わせて調和させると、相手の心も開きやすくなって会話がスムーズになるというのです。「いつでもゆっくり落ち着いて対応すればよい」というのでは、例えばもし相手が急いで慌てているときならば苛立たせてしまうでしょう。そんな雰囲気を感じ取るためのスキルが「ペーシング」です。私も仕事柄、そういうスキルをいろいろ学んで実践しようと努力しているわけですが、あの電車の若者たちの自然な立ち振る舞いをみてしまうと、何かまったく次元の違うものを感じてしまいます。彼らのそれは仕事でもスキルでもありませんし、だれかに自分を評価してもらうための行動でもありません。スキルとしての対応術を体得することも大事ですが、人と付き合う上で一番の理想はやはり彼らのようなさりげない優しさが自然に出せる人間になれることでしょう。彼らの優しさはどうやって身に付いたのだろう?幼少時のしつけや環境だろうか?それとも職場や仲間の影響だろうか?・・・そんなことを想いながら、私は目的の駅で電車を降りました。

私たちの職場にも多くの若いスタッフがいます。みんながあの若者たちのようになれたら素晴らしいなと思います。初めは仕事のための「スキル」でも、それを繰り返すうちに真のエスコートの心が生まれてくるかもしれません。彼らのような人に出会う。「格好いいな」と思う。「次は自分もやってみたいな」と思う。そうやって優しい空気が溢れるといいな・・・とても柔らかい心になれた旅でした。

 

 

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ネタ帳アーカイブ(3)

これはコラムではありませんが、わたしが人生で唯一ココロが壊れそうで危なくなっていた頃のカミングアウトです。

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症円形脱毛

数年前、旋毛(つむじ)を中心にちょっと大きめの100円ハゲ(円形脱毛症)ができたことがあります。皮膚科に行ったら、半年くらい前に何か大きなストレスがありませんでしたかと聞かれました。私には確かに心当たりがありました。上司からある宣告を受けたあと、1日に1~2時間しか眠れないような睡眠障害に数ヶ月悩まされました。組織の中での自分の存在意義を自問自答し、このまま今の仕事をしていていいのか?と悩み抜いた時期でした。

ちょうどその頃、ある企業で一人の若い女性の相談を聞くことになりました。産業医としてメンタルケアの助言を求められたのです。自分がこの世に存在する意味はないんじゃないかという悩みを切々と語る彼女の話を聞きながら、「今のわたしはこの子と同じだ!」と感じました。これが「うつ」なのかと思いました。彼女の姿を見ながら客観的に自分をみつめることができました。だからあまり大きな深みに入る前にうつの螺旋階段から脱出できたのかもしれません。自分の力で達観したからこそ見え始めたことはあります。自分はどんな医者になりたいと思って医学部に入ったのか、忘れていた初心を思い出すことができました。やりたいようにやらせてもらえる機会は有効に使いたいし、もっと他にしなければならないことがきっとあると、今は信じています。

新年度に人事異動がありました。うちの部署にも見ててちょっと危なっかしいかなと感じる人たちがでてきました。今、まっただ中の彼ら、彼女ら。どうか自らの力で踏み越えてほしい。決して存在意義の否定などありえないのだから。今回も、鎌田實著『あきらめない』から好きな文章を抜粋しておきました。

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「がんばろう」と言っている間は一本の道しか見えない。その道から逸れてはいけない、落ちこぼれてはいけないという意識が働きつづける。たくさんのストレスを背負う。心が疲れる。ところが、「がんばらない」と、「ない」という積極的な強い口調の二文字をつけて言った瞬間、道は一本ではなく、三つも四つもあることがわかる。

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ネタ帳アーカイブ(2)

立て板に水

 数年前の職員旅行で、ある観光ホテルに泊まりました。各部屋に分かれる前に全員がロビーに集められて、ホテルの特長や施設利用の注意項目などの説明を受けました。そのときに説明してくれた、そのホテルの担当の方の話し方は実に感動的でした。まさしく立て板に水を流すごとく、よどみも無駄もまったくないしゃべりで、それでいて早すぎもせず遅すぎもせず、小さすぎず大きすぎず、聞き取りやすい切れ味のよいトーン・・・それは耳にとても心地よく入ってきました。さすがはプロだと感心しました。ところが、話の終盤になって、ふと妙なことに気づきました。どうも周りの同僚たちも同じことを感じたようです。「結局、大浴場は何階にあるって言った?」「夕食は何時からって言った?」・・・彼が話した話の内容が頭にほとんど残っていないのです。あれだけきちんと聞き取れていたはずなのに、見事に右から左へ流れ出していました。

 私たちは「伝える」という仕事をしています。毎日多くの人に接しながら限られた時間で受診者の皆さんに多くのことを伝えます。私たちもまた、あのホテルの方と同じようになっているのではないか、と不安になりました。「話した」ということと「伝えた」ということとは違います。「伝えた」ということと「伝わった」ということもまったく違います。言った、聞いてない、の争いは世に絶えません。たとえ「話した」としてもそれがちゃんと「伝わった」のでなければまったく意味がないのです。

 先日、20数年ぶりにある患者さんにお会いしました。ある病気で言葉が不自由な方ですが、昔のままの満面の笑顔の彼は、古希を越えたとは思えない弾んだ歓声で迎えてくれました。彼の言葉はお世辞にも聞き取りやすいとはいえません。でも、彼の言っていることは聞き返す必要もなくニュアンスの隅々まで理解できました。彼は、「こころ」で伝えることを常に意識しているんです、と言います。遠い昔、入院した彼の主治医になった研修医の私に、患者-医者のスキルとしての会話ではない、こころの繋がりの大切さを教えてくれました。私たちは、たとえ頭で違うことを考えていてもきちんと必要なことを話すことができます。しかし、正確に聞き取りやすく話すスキルをどれだけ向上させても、おそらくそこにこころが入っていないと真意は伝わらないのだと思います。昼下がりの結果説明などで、口は正確に動いていたけれど今話した内容は伝わっていないかもしれない、と感じる瞬間が時々あります。私は、もし自分が相手だったら、今の言葉でちゃんと理解できるだろうか、そう自分に問いかけながら話すように心がけていますが、それでも時々受診者の方からお叱りを受けることがあります。そのときには決まって事務的になっている自分がいます。仕事としての「伝える」は本当に難しいものだと痛感します。久しぶりにこころの師に会えて、私の医師としての仕事の原点に立ち返った気がしました。

 

 

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ネタ帳アーカイブ(1)

昔のブログを訳あって眺めていたら、今の職場で機関誌を発行していた頃のコラムが出てきました。むかしは惜しげもなくキレッキレの文章書いていたなあと自分に感心します。今でも色あせない文章だと思うので、今投稿中の機関誌に再掲載してもらおうかなともくろみ中。ちょっと、備忘録的にいくつか再掲載しておきます。

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わかってもらう、ということ

「それは辛かったでしょう。もう大丈夫です。一緒に治しましょう。」

私の妻が、ある漢方医院を受診しました。これまでの様々な症状と辛い治療の歴史を話し終えたとき、じっと聞いていた先生がやさしい眼差しでそう言いました。そのことばを聞いた瞬間に、感動で涙が出そうになったそうです。「今までそんなことばをかけてもらったことがなかったので、とても救われた気がした。」と語る顔は晴れやかでした。先日、学会の講演会で、ある心療内科の先生のお話を聞きました。身体が一日中痛くてどうしようもないと訴える患者さん、旦那さんのツテを使って可能性のありそうなありとあらゆる教授や名医にかかってみたけれど全く治らなかった患者さんが受診されました。約45分間の初診面接が行われました。「ありがとうございました。何かとても楽になりました。これまでどんな有名な先生にかかっても私の苦しみをわかってもらえなかった。私の『痛み』をきちんと聞いてくれたのは先生が初めてです。」・・・診察を終えたとき、患者さんはそう言って帰っていきました。その1ヶ月後に受診したとき、痛みの訴えは半日間に減っていたそうです。

ここまで劇的でなくても、相手に「わかってもらえた」と実感できる瞬間があります。問題が何も解決していないのにそれだけでハッピーになったりします。症状が改善した患者さんに行ったある心療内科のアンケート調査の結果では、「なぜ治ったか?」の問いに、その25%は「安心感、信頼感」、20%は「具体的な説明」と答えたそうです。一方で、「わかってもらえていない」と感じることは、その何十倍も経験します。「そんなことじゃない。どうしてわかってくれないの?」と、イライラしたことは誰にもあるでしょう。夫婦や恋人同士なら間違いなくけんかに発展します。医療の場では、医療不信のきっかけとなりドクターショッピングにつながるかもしれません。「わかってもらう」ということがどんなに幸せでかつ難しいことかがわかります。

前述の学会では、元ミスタータイガース掛布雅之氏のフリートークもありました。彼は最後に患者さん方にメッセージを残しました。「主治医との心のキャッチボールをきちんとしましょう。キャッチボールは野球の基本です。投げる方は一番受け易い球を投げ、受ける方は投げる人の気持ちになって確実に心をキャッチする。その基本がなかなか出来ていない気がします。」・・・ここにとても重要な「わかってもらう」の極意があるように感じました。患者さんの主治医への想いはつい片思いになりがちです。「私の思いに気づかないのは相手が聞く耳を持たないからだ!」と不満を持ち続けていませんか?キャッチボールは投げる側の投げ方も重要だということです。患者さんも主治医も同じ球をキャッチボールするためには、どっちの心もお留守になってはいけないのだということを再確認させられました。

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だって寒いんだもの

「あれ、めずらしい。先生が長白衣着てる!」
職場のスタッフの何人かに声をかけられました。わたしは、どんな真冬でもベンケーシー型の半袖白衣だけ着て仕事をするのが常だったのです。だから違和感が半端ないようです。

「先生、それ寒くないですか?」
「寒いよ、だって、冬だもん」
などといけ好かないことを言い返して半袖を貫いていました。だって、ロッカー室から事務室あるいは診察室まで行くときは寒いけど、診察室に入ったら空調が効きすぎて返って暑いくらいなんだもの。

でも今年はそれ止めました。もういい歳なんだから、寒さで血圧上がったら何が起きるかわからない歳なんだから、自分をいじめないことにしました。暑ければそのときに脱げばいいだけだから。
「先生が着てるなんてめずらしいですね。どうしたんですか?」
「うん? だって、寒いんだもの」
そういって走りぬけると、「え?」て決まって皆さん驚いた顔をしています。

気にしない気にしない。

 

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おちばかき

『おちばかき』というワードをスマホに入力しても『落ち葉掻き』と変換してくれずに難儀しました。今は、『落ち葉掻き』とは云わないのだろうか、と悩みました。なぜだか今入力したら『落ち葉かき(搔)』と変換してくれます。いや、『搔』が<環境依存文字>だからひらがなになっていることは想定の範囲内なのですが、『おちばかき』という単語自体を認めてくれず『落ち葉下記』『落ち葉書き』などと変換しやがるので、凹んでいたのです。

だってほら、『たき火』の歌詞にあるじゃない!「かきねのかきねのまがりかど、たきびだたきびだおちばかき~♪」って!と思って確認したら、「おちばかき」じゃなくて「おちばたき」だったりして(笑)

もしかしたら、

本当に今の若い人は『落ち葉搔き』とか云わないのかもしれません。「”落ち葉を搔く”って何することか想像できない」とか云いそうです。「それは”搔く”んじゃなくて”掃く”でしょ?」とか。たしかに、レレレのおじさんは竹ぼうきで掃いてましたね。落ち葉はほうきで掃くのが当たり前なのかもしれませんが、”搔く”のは熊手です。わたしも道路に落ちた落ち葉は竹ぼうきで、庭に落ちた落ち葉は熊手で集めます。きっとそのうち、「熊手って何?」とか云われ始めて、熊手も”掃く”に統合されることでしょう。そう遠くない将来、『落ち葉搔き』は死語になるのでしょうか。

いやいや、わたし的には気になることでしたが、もしかしたら世間ではどうでもいいことなのかもしれません。

 

 

 

 

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長い会議

最近は働き方改革の一環として、「会議は1時間以内で終わらせるように鋭意努力するように」というお達しがあり、むかしならダラダラとエンドレスだった憂鬱な会議も出席するのが少し楽になってきました。

会議でもあるいは学会でも、「時間通りでないのが美徳」という風潮があり、「せっかく議論が白熱しているときに時間のことを云うのはナンセンスだ!」と信じている学者さんや管理者は今でもたくさんいることでしょう。でも、時間が冗長すぎるとき、内容は決して建設的な方向には進んでいません。ほとんど水掛け論になっていたり気づけば無意味な世間話の域に入っていたり・・・物事を考えるときはそういう時間も必要だ!と云う人がいますが、たぶん無用。というか、そうなった時点で一旦話し合いをやめないと終わるものも終わらない、進む話も進まないというのは火を見るより明らかだ!と若い頃から思っていたわたしは、むかしはとてもイライラしていました。

そもそも会議が冗長になるのは、すべて会議の議長の問題です。会議は議長に全ての権限があるのだから、この辺りでまとめに入らないと埒があかないと判断したときに大英断ができるようでないといけません。以前は会議の参加メンバーと議長の顔ぶれを見ると、その日の会議の憂鬱度がわかりました。基本的にわたしの職場のように議長が事務方だと結局参加メンバーのお偉いさん方のペースに逆らうことができません。むかしから日本の会社の会議はどこもそんなものだった気がします。

おそらく、「会議は効率よく、1時間以上話しても良い結論は出ない」という理論は欧米からやってきたものと思われます。何でもかんでも欧米の考え方ベストという考え方はナンセンスだと思う(日本人には日本人の風土と性格があるから)けれど、このことに関してだけはわたしも大賛成です。

むかし、東京の病院で働いていた頃、「東大よりも京大の方が深くて良い内容の研究が多いのは、東京は遠くから通勤していて終電に乗るのがタイムリミットだけど、京都は近くに住んで歩いたり自転車だったりで通勤できるから夜中まで研究を続けられる、その差だ」という話をまことしやかにされたものです。でも、よく考えたら、ダラダラと夜中までやる研究より決められた時間内で無駄なくやれる研究の方がメリハリがあって優れているとも云えるのかもしれません。

 

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埒があかない?

やっとわが家のハナミズキの葉っぱもほぼ全部落ちました。今年はかなり遅くまで暖かくて急に真冬気候に転じたので、落ち葉のペースも例年とはちょっと違っていたように思います。でも、ただただ落ち葉搔きを粛々と繰り返すのが家主の責任ですので今年も時間の許す限りがんばりました。平日は朝夕、休みの日にはさらにお昼・・・家の周りの道路に落ちた落ち葉の2倍近くが庭にも落ちていますから、例年の行事だとは云えまあまあ大変でした。

独りで黙々と葉っぱを集めていると、むかし、同僚や上司から「掃いてる端から落ちてきよるぞ(笑)、埒があかんからもうちょっと溜まってから掃いた方が効率的なんじゃないの」と笑われたことを思い出します。でも、わたしはそんなことばには耳も貸しませんでした。「埒はあきますよ。そもそも全体量が決まっているのであって、掃いて集めれば集めた分だけ全体量は減っているのだから。集めたものが再び舞い上がって木に戻ってしまうのではないのだから。仕事量が同じならまとめてたくさんするより日頃からチマチマがんばるのがわたしの生き方なのだから」と。どんなことでもコツコツやっていけばいつか全てが終わる、世の中の森羅万象はそういうものだから・・・。

と独りごとを呟きながら落ち葉掻きを敢行していたら、ふと気づきました。いや、実は我が家の中の掃除は毎週チマチマやっているけど数日後には元の木阿弥になっています・・・ワンズが庭に出てひとしきり遊んだ後わらわらを身にくっつけて入ってくるから。そして抜け毛が激しいから・・・うーん、これはたしかに埒があかないってヤツだな・・・まあ私は、埒があかないからこそむしろ何度も何度も掃除するのですけどね。

 

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HDL神話を壊す

HDL-コレステロールは“善玉”?

“善玉”として知られているHDL-コレステロール(HDL-C)は、心臓の健康にそれほど大きな違いをもたらさないことを示すデータが報告された。白人と黒人の比較では、後者において特にその可能性が大きいという。米オレゴン健康科学大学のNathalie Pamir氏らの研究によるもので、詳細は「Journal of the American College of Cardiology(JACC)」に11月21日掲載された。』(HealthDay 2022.12.9配信)

HDLコレステロールは血管内をパトロールして血管壁にくっついて余っているLDLコレステロールなどを回収する作用があることから”善玉”と呼ばれているのですが、そもそもこれはそんな理屈付けの前に1970年代にアメリカで行われたフラミンガム研究で「HDLコレステロールが高いほど虚血性心疾患リスクが低いことが示された」ことに起因しているわけです。でも、”当時のフラミンガム研究の参加者は大半が白人だった”という事実があり、黒人を調べたら黒人はさほどHDLコレステロールの恩恵を受けていないことが分かった、というものです。

それなら黄色人種である日本人は?などという研究はもうすでに行われているはずなので結論はその報告に委ねるとして、「家族性高HDLコレステロール血症は動脈硬化リスクが返って高い」とか、あるいは「運動で上昇するHDL1に対してエチルアルコール濃度が上がるほど上昇するHDL2には善玉の作用はほとんどない」とかいうことはすでに周知の事実です。ちなみに、人間ドックの結果説明をしていると、「超善玉(長生き)ホルモンと呼ばれる”アディポネクチン”が飛びぬけて高値な人の多くはHDLコレステロールが有意に高い」という印象があります。だから、「HDLコレステロールは高くなるように生活を注意するのがいい」ということにはまったく異論はないように思います。
 

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うつ病

「あーきつい」
帰宅後の家事のルーチンを終えてカウチに座り込みながらわたし。
「あなた、最近よく『きついー』って口にするよね。大丈夫?」と妻。
「うん。なんか心身ともにきついのよね」
「それ、うつ病?」
「あーうつ病ねえ・・・違うんじゃないかな」
「寝付けないとか? でもあなたすやすや寝息立てて寝てるよね」
「うつ病になったことないからうつ病がどんな感じかわかんないけどね」
「えー、毛が抜けて禿げができたなんて、うつ以外ないんじゃないの?」
「あーあの円形脱毛が突然起きたときね。たしかにあれはうつ病だった」
「あのときに比べたら全然うつ病じゃないと思うよ」
「じゃあ、ビタミン不足とか?」
「わかんないけど、最近頚椎からくる手の痺れが続いてるから、そっちの影響はあるかもね」

特別に翌朝に疲れが溜まるわけでもなく、ワン散歩したり洗濯物畳んだりお風呂洗いしたりしたあとに「きついー」と口にするだけで落ち着くのだから、その程度のこと。単なる老化現象のひとつだと思うけど・・・。それにしても、ちゃんとあの円形脱毛起こしたときのこと覚えてくれていたんだね。「ストレスよ」とは云ったけど、どうして脱毛するほどストレスがかかったかを質問するでもなく、わたしも聞かれないから何も答えなかった、あのとき・・・やはり傍から見たら尋常じゃなかったのでしょう。

 

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すっかり忘れた

  因果関係

  おなじもの

  災害の歴史

  週休2日

  落ち葉搔き
  埒があかない?

妻のけがも見通しがついてわたしにも余裕が出てきたから、ブログ再開しようと思って、書き溜めたネタをスマホのメモから出してみたのだけれど・・・タイトルだけ書いてたのでこれを見ても何も思い出せないし、もはや時機を逸した感のものもありそうな感じ・・・ダメだこりゃ。やはり、書きたいときに書きたいものをタイムリーに書かないと意味がなくなるんだな、ということを痛感しました。面倒くさがらずに、思い立ったときに書いておくべきだった。残念。

 

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そろそろ再開するかな。

妻がやっとギブスから外れました。サポーターになったけど「力を入れると痛い!」と騒いでいます。でも、運転してみたら意外に快適だったみたい。リハビリして完治となるまでにはまだ数ヶ月かかりそうですが、とりあえず送り迎えが不要になりました(めでたしめでたし)。

ということで、そろそろ少しずつブログ再開しようかな、と思っています。

ボチボチですけど、まあ、ボチボチとよろしくお願いします。

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楽しく生きる

第11回日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会をオンラインで視聴。

  • 教育講演「摂食嚥下障害の評価と訓練の実際」
  • 会長講演「ポジティブサイコロジーの脳科学」
  • 理事長講演「こころを元気にする3つのC
  • 特別講演「コロナ禍のメンタル・ヘルス」
  • 教育講演「ポジティブ政治心理学と正義・公正」
  • 教育講演「『ストリート・メディカル』が目指す新しい医療」
  • シンポジウム「我が国における依存症治療・研究の発展とポジティブな取り組み」

この学会はわたしの趣味で入っている学会ですが、毎年何らかの刺激を与えてくれる刺激的な学会です。

「楽しく生きる」ために医療者は何をすべきなのかという命題を突き詰められました。医療者がベストと思い込んでいる医療は決して当事者のベストではない。医療界の常識を常識と思わず新しいことを考えべき。日本はHealthyだけどHappyではない。Healthy-Happyにするために何をすべきか・・・予防医療に関わる医者としては、考えるべき事がたくさんあることがわかりました。

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フィットネスジム

第11回日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会にzoomのweb配信で参加しました。

この中で横浜市立大学の西井正造助教の『「ストリート・メディカル」が目指す新しい医療』を拝聴してどうしても書きたくなったことがあったので、イレギュラーで書いています。西井先生が提示したスライドに、わたしも持っている有名な写真がありました。

2階にあるフィットネスジムのエントランスに上がる大きな階段とその横に短いエスカレーター。横幅の8割くらいを占める真ん中の階段には誰もおらず、右横の小さなエスカレーターに並ぶ大きな身体のおにいさん数人、という写真。この写真を、わたしは何年も前に糖尿病予防の講話で使いました。「せっかく運動しに来ているのに、わざわざ階段を使わずに小さなエレベーターで上がって行く。したくもない運動を、しないといけないからやむを得ずフィットネスジムに通っている感が満載な写真です。きっとこのおにいさん方は、この階段に一番近いところに車を停めているに違いありません」と云った記憶があります。ところが、西井先生はこの写真を見ながらまったく違うことを云いました。「この写真を見ると一目瞭然ですね。この人たちは、健康のために運動しなければならないからここに来ているのではなく、運動が楽しいから早くジムに行きたい感満載でしょ。わたしたちは、こういう風景をたくさん作りたいんです」と。

同じ写真を見て、予防医療を語る医療者がまったく逆のイメージを持つって、面白いなと感動しました。

HealthyとHappyは違う。Healthyだけど決してHappyではないのが日本なのだそうです。

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近況報告その後

妻が骨折してからもうすぐ丸4週目を迎えます。固定されていたギブスが少し割れてしまい、先日受診したときに補修補強されてしまって、一層歩きにくくなった感の彼女。若干凹みながらも健気にアトリエに通っています。来週受診時にギブスが外れることを期待しながら。ということで、相変わらず定刻退社のアトリエ直行からの郵便局行きの毎日、帰って来てから2匹のワン散歩をこなす日々を粛々とこなしております。

来週くらいになったらまたぼちぼちブログ書き再開しようかなと思いつつ、1ヶ月以上病欠しているスタッフの分も働き続けているわたしの毎日は公私ともにギリギリであることに変わりなく、毎晩晩酌後に一旦意識を失ったまま夜中を迎えてしまう体たらくで、とうとう体重が2キロもアップしてしまいました。「ま、しょうがないかな」と逃げ腰なわたし。ただただ毎日穿いているジーンズがキツキツになってきておりますが、気付かなかった振りをしているところです。

PS)タレントの渡辺徹さんの敗血症による死去のニュースには驚きました。今どき、元気な男性が感染性胃腸炎ごときで敗血症起こすなんて・・・思いの外、現代社会では抗生剤が太刀打ちできない耐性菌が蔓延っている証なのでしょうか。

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