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長い会議

最近は働き方改革の一環として、「会議は1時間以内で終わらせるように鋭意努力するように」というお達しがあり、むかしならダラダラとエンドレスだった憂鬱な会議も出席するのが少し楽になってきました。

会議でもあるいは学会でも、「時間通りでないのが美徳」という風潮があり、「せっかく議論が白熱しているときに時間のことを云うのはナンセンスだ!」と信じている学者さんや管理者は今でもたくさんいることでしょう。でも、時間が冗長すぎるとき、内容は決して建設的な方向には進んでいません。ほとんど水掛け論になっていたり気づけば無意味な世間話の域に入っていたり・・・物事を考えるときはそういう時間も必要だ!と云う人がいますが、たぶん無用。というか、そうなった時点で一旦話し合いをやめないと終わるものも終わらない、進む話も進まないというのは火を見るより明らかだ!と若い頃から思っていたわたしは、むかしはとてもイライラしていました。

そもそも会議が冗長になるのは、すべて会議の議長の問題です。会議は議長に全ての権限があるのだから、この辺りでまとめに入らないと埒があかないと判断したときに大英断ができるようでないといけません。以前は会議の参加メンバーと議長の顔ぶれを見ると、その日の会議の憂鬱度がわかりました。基本的にわたしの職場のように議長が事務方だと結局参加メンバーのお偉いさん方のペースに逆らうことができません。むかしから日本の会社の会議はどこもそんなものだった気がします。

おそらく、「会議は効率よく、1時間以上話しても良い結論は出ない」という理論は欧米からやってきたものと思われます。何でもかんでも欧米の考え方ベストという考え方はナンセンスだと思う(日本人には日本人の風土と性格があるから)けれど、このことに関してだけはわたしも大賛成です。

むかし、東京の病院で働いていた頃、「東大よりも京大の方が深くて良い内容の研究が多いのは、東京は遠くから通勤していて終電に乗るのがタイムリミットだけど、京都は近くに住んで歩いたり自転車だったりで通勤できるから夜中まで研究を続けられる、その差だ」という話をまことしやかにされたものです。でも、よく考えたら、ダラダラと夜中までやる研究より決められた時間内で無駄なくやれる研究の方がメリハリがあって優れているとも云えるのかもしれません。

 

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