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2023年1月

内旋の右半身

「たぶん原因は首じゃないと思います。胸筋、前鋸筋、広背筋、これらの慢性緊張状態がずっと蓄積する事で右肩全体が内旋して下方に落ちてしまっているから首や肩がついていけなくなったんだと思います。寝ていて右手指がしびれるのも、落ち込んだ筋肉群で圧排された結果だと思います」表現はかなり違っているけれど、彼が云っていることはたぶんそんなニュアンスなのだと理解しました。

ここ数ヶ月、右の肩凝りというか首の痛みというか、それが頑固で夜寝るのも辛い感じになって改善しないから、妻がお世話になっているリハビリジムに行ってみたのです。元々、20年前に交通事故で罹患した頚椎ヘルニア、その後の頑固な頚椎症、そして腱板断裂、どれも集中して右肩界隈だったから、今回もそのどれかの古傷の再発ではないかと見当をつけていた(だから今までの経験からしてそのうち嵐が過ぎ去るように勝手に治るさと思っていた)のだけれど、どうもそれが見当違いだったようだということをトレーナーの先生が教えてくれたというわけです。

しっかりと1時間筋肉マッサージを施してくれて帰るときにストレッチ運動メニューを宿題に出されました。地道に毎日がんばったら、症状の回復はゆっくりではあるけれど2週間後に受診したときにはかなり筋肉緊張が取れてきていると云ってもらえました。多分この緊満状態を取り除くのは簡単なことではないことを自覚しています。肩首の筋肉群も腕も手も全てが内旋していることで背中が丸まって猫背になっていくわけですが、単純に反対向きに外旋させればいいというわけではありません。そもそも現代社会、手の甲を下にしていては何もできません。パソコンのキーボードを叩くときもマウスを操作するときも掌を下にしないとできません。自動車運転するときのハンドル操作もやはり基本的に被せて握ることが多い。試しに掌を上にして生活してみようとがんばってみたけど、何もできないではありませんか。歩くときですら、手の甲を外側にしなければ腕を大きく振ることもできますまい。

なので、とりあえず、毎日地道にストレッチ運動メニューをこなすことにいたしましょう。

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第何世代?

「ぼくのiPadのカバーがかなりボロボロになってきたから、そろそろ買い替えたいけど、良いかな?」と妻に聞いた。
「え、別にわたしに聞かなくて勝手に買ったら良いんじゃないの?」とそっけないけれど、すぐにスマホで検索してくれた。
「それ第何世代なの?」
「そんなのどこ見たら分かるの」
「設定のところで見たら書いてあるでしょ」
「ないよ、そんなの」
「機種名とかモデル番号とかで検索したら出てくるんじゃないの?」
「iPad Pro10.5インチMPF22J/Aだってさ…あれ、世代とかないよ」
「え、“世代”ができる前のやつ? 2017年型って、そんなに古いの使ってんの?」
「だってこれ、還暦祝いか勤続30年記念かで職場がプレゼントしてくれたものだもの。まだやっと5年だよ」
「新しいの買ったら?」
「別に何も困ってないんだから要らないよ。それよりカバーを」

なんかちょっとショックでした。これ、当時一番新しいモデルで、その後の学会やら旅行やらでいつも携行して重宝しましたし、つい最近までDAZNのサッカー観戦をこれでしていたから、イメージ的には日頃使うノートパソコンより新しいハイスペックな感覚でしたのに、そんな古いものだったなんて。

世の中、年月の進行が日々加速度を増している気がするのはわたしだけでしょうか。最近、家の中のあちこちで床や階段がミシミシ音を立て家の前を車が通るたびに揺れる程度が増した気がするけど、ふと気づいたらもう築28年のセミ古民家。贅沢普請しているからしっかりしているけれど、いつまでも新築当時のままと勘違いしてはなりません。愛車もついこないだ買ったばかりだと思ったら今年の秋には5年目車検、残価に対してローンの借り直しを考えなければならない。いやいや、そんなことよりももっと加速度を増して老化しているわたしのカラダを冷静に評価しなければなりますまい。

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最強寒波の波紋

水曜日に襲ってきた”最強寒波”と暴風雪は熊本市内でもピンポイントで襲われた区域があり(どうも線状降水帯みたいな線状の雪雲がかかった西区と南区がすごかったけれど中央区や私の住む東区は大したことはなかった感じ)、わたしの職場のある南区などは国道の大渋滞の影響で国道につながる幹線道路も渋滞して通勤に大きな影響が出たらしいです(わたしは有給休暇だったから当日のことはテレビニュースで知った感じ)。

そんな感じで、めちゃくちゃ寒かった事以外には特に影響はなかったと思っていました。ところが後で聞くと、職場のローソンでは昨日(26日)の昼まで物流が途絶えて弁当やおにぎりなどが陳列棚に並ばない一大事でした。もちろん熊本地震の時ほどではなかったのでしょうが、お弁当難民の職員が多数いた事でしょう。そんな他人事を憂いていたら、妻のアトリエが断水して難儀したそうな。不動産屋に連絡したら「凍っているのが溶けないと何もできない」と水道業者から云われたとの返事だったそうですけど、昨日の夕方部屋を出る時もまだ断水だったそうで、いつ出るようになるのか不安そうでした。彼女のアトリエの入ったビルは一階が調剤薬局ですがそれ以外は彼女の部屋しか使われていないから、後回しにされているんではないかと疑っているところです。災害時はトリアージが基本・・・影響の多いところを優先的に対処するものですから。

これは、前回”最強寒波”が襲ってきた2016年に起きた熊本地震のときに痛感しました。大多数の被害者が溢れている中で、やはりトリアージは大切。それを見失うとかえって大混乱を起こすことになりましょう。幸い、先ほど聞いたら、今日は断水は解消されていたそうです。もっとも今日も外は雪。明日はどうなっていることか分りませんが。

 

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辞める理由

最近、わたしは夕方の諸会議を休ませてもらうことが増えました。もちろん、「理不尽に管理職から退くように云われているからそんな会議に出る義務はない」という腹いせ的な意味もないわけではありませんが、本当の理由はワンズを散歩に連れて行かないといけないからです。「プライベートの用事でどうしても早く帰らないといけないので、どうもすみません」とお茶を濁していますが、会議をサボりたいのではなく(少しはそんな気持ちもないわけではありませんが)2匹のワンズの散歩をするのが理由です。ビアデッドコリーという犬種は体重が20キロ前後はあるまあまあ大きな牧羊犬で、メスでもそれなりの力があります。昨年秋に足を骨折した妻に委ねるのはちょっと無理があります。突然何かが起きたら制御が効かなくなる危険性があるからです。でも、正直、会議を欠席する理由が「イヌの散歩」とはなかなか公には云えません。仕事してまがりなりにもたくさんの給料をもらっているのだから、仕事優先すべきでしょう!と多くの人が思っているでしょうから。

わたしがまだ若かったころ、とても優秀な外科部長がおられました。救急部門を担当しながら神業のような早くて丁寧な素晴らしい手術をするということで病院中でも有名な先生でした。そのうち、この病院を背負っていく医師のひとりだろうと云われていたほどでした。その先生が突然辞表を出して、地元の小さな病院に移ることになったと聞いたときにはとても驚きました。「どうして?」と聞いたら、「ここは忙しすぎてイヌの散歩をする時間が取れないから」と答えたのを今でも鮮明に覚えています。先生の飼っていたイヌはアフガン犬というとても大きくて優雅な風貌の犬です。奥様が難病になり、「独りで散歩させるのがちょっと難しくなったんだ」という退職理由に、「そんな程度の理由で辞めるなんてあまりにも勿体ない! 社会のためにもっとその腕を発揮すべきじゃないのか」と、素直にそう思ったものです。ちょっと寂しそうに、ちょっとはにかんで「じゃ」と太い手を小さく上げて去っていきましたが、あれからすでに30年以上、今のわたしは当時の先生ほど組織に必要不可欠な立場の人材ではないかもしれませんが、それでも今なら彼の大英断の理由がとてもよく理解できます。愛犬を可愛がっていればこその選択。プライベートに後悔ない生き方をしてこその社会貢献だという選択を、仕事至上主義真っ只中だった時代にされた先生は、今思うととてつもなくかっこ良かったと思います。

 

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マスク顔

先日、テレビのバラエティー番組で、学校でマスクを外せない中学生の女の子の話が出ていました。中学に上がったときにはすでに新型コロナ感染社会の真っ只中で、他の小学校出身の初めて顔合わせする同級生もたくさんある中、お互いにマスク越しでしか会ったことがないから相手の本当の顔を知らない。マスク越しで新しい彼氏もできたのに、付き合い始めてもう長いにも関わらずお互いにマスクを外した顔を知らないと云うのです。「マスクを外した顔を見せたら幻滅されるかもしれないから、絶対に外せない」と。新しい友人とも本当の顔を見せるなんてとんでもないと云う。自分の裸の姿を見せるのと同じくらい恥ずかしい、という感覚なのでしょうか。

世の中、みんなそんな感じなのだと聞いています。わたしの職場でも、新人さんや配置転換のたくさんのスタッフと働いていますが、本当の顔を知らないひとがほとんどです。世間ではマスク外しをそろそろ推奨される風潮になってきたのに「そんなの、ムリムリ!」と一笑に付すお嬢さん方がたくさん居ます。彼女たちの中にはこれからを憂慮して鬱状態に陥る人も少なくないのではないかと懸念しています。わたしのような年寄りでも、マスクをしているというだけでかなり自信を持って受診者さんなどと対峙して話ができるようになっていることを自覚しています。自分のだらしない口元を見られることがない(「この人、しゃべると意外にイヤらしい口元なのね」とか思ってるんじゃないかと考えると、面と向かってまともに話せなくなるじゃないですか)からです。相手の口元が見えないことの弊害も大きいですが、相手に口元を見られないメリットも少なくないことを今回の新型コロナ騒動でしっかり認識できた気がします。

先日、妻が車を購入することになり、わたしたち夫婦の担当者(長い付き合いだったHさんが急遽退社されてその後任となったのはちょうど3年くらい前)が手続きのために我が家に来ました。茶菓子を出したので、マスクを外した姿を初めて見ました。いや、おそらく初めてではありません。一番最初に会ったときはマスク越しではなかったはずだから。でも全然覚えていませんでしたから、彼が帰った直後、「Sさんって、あんな顔だったのね。わたしが勝手に想像してた顔と全く印象が違ってたよ」と妻が云いましたが、わたしも同じ感想でした。マスク顔は、目元だけ見て話ぶりだけで勝手にマスクの中の表情を想像するわけですから、「マスクを外したら幻滅されるかもしれないから外したくない」というくだんの中学生の気持ちは理解できます。そのバラエティ番組では最後に彼氏自らマスクを外し、「ぼくも外すから君も外してほしい」と云ってお互いの本当の顔を見せ合って、「マスク外しても最高にかわいいよ」と男前な台詞を残した彼が素敵でした。

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病んでいます?

今週はオンコール当番。寝るときに枕元にオンコール用の携帯を置いて床に就きました。

そんな昨日(今朝)夢を見ました。

ブーブーブーと携帯のバイブが鳴っているのに気付いて、慌てて出ました。「おまえ、何している!」と電話口の向こう側で先輩医師が怒っています。「私は18時と22時に2回電話しましたけど、出ませんでした」と横にいる看護師さんらしき女性が告げ口しているのも聞こえます。どうも、わたしはどこかの病院の当直のアルバイトに来ていたのに、コールに気付かなかったようです。バイブになってたからだと思われます。「すいません、気付かなかったんです。すいません、すいません」とにかく平謝りしているところで目が覚めました。

イヤな気持ちで小便に立ちましたが、用を足している最中に急に不安になりました。もしかしてあれは、夢ではなかったのではないか? あのバイブ音は枕元のオンコール用携帯のリアルな音だったのではないか? 以前、前の週の担当医から引き継いだら本当に夜間自動無音(バイブ)設定になっていたことがありましたから。だから、用を足し終わるのももどかしく枕元の携帯電話を確認。暗闇の中だけれど、コールがあった痕跡はないようだということが分って本当に安堵しました。

わたし、病んでいるのでしょうか。

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言い訳

昨日はほとんど家に居て動かなかった。雨が降る前にと思って昼前にちょっとだけワンの散歩に出ただけ。右肩〜右首の痛みが胸筋と広背筋のこわばりが原因だからということで毎日のストレッチのノルマが課せられていたけど、昨日はそれもしなかった。

朝は晴天だったけど徐々に曇天となり昼過ぎから冷たい雨が降り始めた昨日。風邪なんか引いたら職場に迷惑をかけるし、電気工事の知人が来てくれているからウロウロすることもできないし。さらに週明けから強烈な寒波が来るというのでベッドを暖かい寝具に入れ替えようとしていた時に突然左膝が痛くなって立っていられなくなったから。そして、ストレッチを頑張ると反対側(左側)の首が痛くなって寝れなくなったりしてたから。

「人間は言い訳の動物です。何かできない理由を見つけると、それを言い訳にして動かなくなります。動けなくなった理由の分析ができた時点で終わろうとします。原因が解明されたのなら、じゃあどうやったらできるかを考えて実行すれば良いだけのことなのに、しないんですよね」

わたしは人間ドックを受診した生活習慣病の皆さんにいつもこんな偉そうなことを説いているわけですが、自分はこんな柔な理由付けして逃げているのです。「あなたは他人には厳しいけど自分には甘いよね」と妻に辛辣なことを云われるけど、その通りだなと思います。台風でも大嵐でもないのだから歩く気があればいくらでも歩けるし、膝関節を痛めたのはもう20年も前のことで時々動けないほどの激痛が走るけどすぐに治ることは知っているし、ストレッチをしなかったツケが翌日に来ることは経験で知っているはずなのに。あー情けない情けない。

1週間後に今年度の職員健診があるから、その日までには体重2キロ、腹囲2センチ縮めるという年末に誓った宣言も達成できそうにありません。「やっぱりこの歳になってそんな急激なダイエットは危険だし、そんなに乱れた生活しているわけじゃないのだから、年相応に過ごすのが良いんじゃないのかな、と思うわけよ」などという陳腐な言い訳をしながら、早く時が過ぎ去る(健診が終わる)のを待っているような日々なのであります。

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洗濯物

先日、雨の降る週末の午後、コインランドリーに大量のバスタオルを洗いに行きました。今は巷のあちこちにコインランドリーができています。家で洗って乾かすよりはるかにキレイにふっくらと仕上がりますからとても重宝します。

洗濯機にタオルを投げんでしばらく建物の前に停めた車の中で待っていたのですが、そのとき、中で洗濯物を畳んでいる老紳士の姿を何となく眺めていました。わたしたちが到着したときに隣の駐車スペースに停めた年季の入ったベンツから出てきた老紳士でしたが、洗い終わるのをしばらく待った後、大量の洗濯物を一つ一つテーブルの上に広げて、几帳面にきちんきちんと畳んでいました。黙々とその作業を進めて、最後に畳み終わった服を紙袋に入れて徐にベンツのトランクに入れてから、粛々と発進させていきました。

「あの人は、奥さんに先立たれて独り身なのかそれとも奥さんを介護しながらの生活なのか、そんな感じよね。1週間分くらいの洗濯物をまとめて洗いにきたのだろう。なんか、10年か15年後くらいの自分を見ているようやな」と呟いたら、助手席にいた妻が「わたしを先に殺すつもりなんやね」と笑いました。「あなたは多分、家の洗濯機で毎日こまめに洗濯すると思うよ。それよりも、毎日コンビニに通って惣菜を買っている老人の姿が思い浮かぶわ」とも。

いずれにせよ、そんな事を我が身に重ねてしまう年ごろになってきたのだなという思いを噛み締めた出来事でした。

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父親の育休

<父親の育休取得で母親の産後うつリスク上昇>

フランス・Sorbonne UniversitéのKatharine M. Barry氏らは、フランスの子供を出生から成人期まで追跡した全国コホート研究Etude Longitudinale Française depuis l'Enfance (ELFE)のデータを使用し、父親の2週間の育児休暇取得と出生2カ月後の母親および父親の産後うつ病との関連を検討。父親の2週間の育児休暇取得や取得予定により父親の産後うつ病リスクは低減、その一方で母親の産後うつ病リスクは上昇したとLancet Public Health(2023; 8: e15~e27)で報告した。

産後うつはとても深刻な問題で、自殺や家庭内不和、子育て放棄や離婚などの問題だけでなく、仕事や社会活動に対する影響も大きいにも関わらず、どこか医療対象ではないという認識(皆経験することだから乗り越えるしかないという風潮)が主流のように思われます。

今回の記事のタイトルを眺めながら、「これは日本の事かな」と思っていたら、なんとフランスのデータだったのですね。ちょっと驚きました。父親の産後うつは軽減されるのに母親の産後うつは改善されないどころか悪化するとなると、何のための父親の産休制度なのか。日本でも堂々と男性も産休を申請できる制度になり、”当然”の風潮になろうとしていて、社会だけでなく当事者である母親になる奥さんも期待していることでしょうに。

現実に、日本のお父さんはどうなのでしょう。昔みたいな『亭主関白』あるいは『亭主元気で留守がいい』ではなくて、最近は家事も子育ても夫婦の共同作業という考え方が浸透してきているから心配しなくても大丈夫なのでしょうか。「ほとんどまともにできないくせに『俺は家事を手伝ってやったぞ』的な態度を取るのが頭にくる」「夫がしてくれた家事はほとんどあとでやり直さなきゃいけないから、かえってしてくれない方がまし」なんて厳しいグチをよく聞くので、今回の記事の真相も、「子育てのことだけでも憂鬱なのに、邪魔なデッカい子ども(夫)がもう一人家にいるのが鬱陶しくてしょうがない!」というデータだとちょっと悲しいですが。

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『自然体』・・・ウィズ生活習慣病(完)

定期発行の機関誌が発行されましたので、定期コラムを転載します。題名をみて、「まさか突然今回でコラムが終わるの?」と心配したのは機関誌の編集者だったとか(笑)。いえいえ、まだまだ可能な限り長く小遣い稼ぎさせていただきたいと思います。

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『自然体』・・・ウィズ生活習慣病(完)

『予防医療』ということばが市民権を得たのはつい最近のことです。「健康のために」という大義名分の内容を実践したら本当に健康になるのだろうか?という疑問が私の頭の中にずっとうごめいています。「健康になった」と感じてもそれは単に努力した自分の満足感だけではないのかと自問自答する毎日です。健康になるためには何を食べると良い、何をしてはいけない、努力しなくても痩せられる方法、太れる方法・・・巷にあふれる健康情報が、本当は万人に通用するわけではないことを誰もが知っていますし、やりたくないことを強いられるのは「健康」とはいえないと思う人もいるはず。目の前のものを貪り食うのは本当に罪なのか、逆に食べられるのに食べない方が不健康ではないか? おそらく百人百通りの健康観があって現実とのギャップに大なり小なり悩んでいるはず・・・わたしは徐々に禅問答をする偏屈爺になってきています。

生活習慣病を指導する側もされる側も、あるいは世間のマスコミなどもこぞって『○○制限』ということばを使いたがります。「結局、食事制限が必要なのですね」・・・一般の人がこの単語を使ってしまう理由は、おそらく予防医療が“病気の治療”から派生した考え方だからだと思います。「自然にしておけば健康でいられる時代は終わった」と言われて久しいですが、本当にそうなのか? 理屈で日々の生活をこねくり回した挙げ句に何が本当か分からなくなっているだけではないか。健診結果から悪いところを見つけ出してそれを是正して“健康を維持するため”の助言をするのが私や保健師さんの仕事ですが、こんな重箱の隅を突くようなやり方が本当に健康への誘いになるだろうか?というジレンマ。私には、「食べたい時に本当に食べたい物だけを食べるのが一番健康な食べ方だ」という持論があり、自分の中から発する欲望に正直に従えば健康になるはずなのに、栄養学やら運動学やら治療学やらの学問から生じた邪念に振り回されておかしくなったに違いないと思っています。節制して努力したら本当に健康が得られるのかという疑問を抱きながらも、健康を得たかどうか判定する方法がない。具合の悪い人が治療で良くなったら「健康を取り戻した」とわかるけれど、不健康にならないように努力することの成果はどうやったらわかるのか? たぶん一生わからないでしょう。

なんだか、『ウィズ生活習慣病』の最後がこんなグダグダな文章になってすみません。でもこれがわたしの生活習慣病に対する今の思いの根底です。

 

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つまづく

『つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの』(相田みつを)

テレビで『つまづく』という字を何度も眺めながら、なんか違和感。これは『つまずく』じゃないのか? 単に相田みつをの独特な表現だから許されているだけなのかもしれないけれど、それにしても堂々と『つまづく』の説明があるわけでもないのはおかしくないか?

早速調べてみた。やはり『つまずく』が正しいと書いてあります。”「歩いている時に、誤って足先を物に突き当ててよろける」という意味の言葉で、「爪突く」から来ている表現”とあります。あれ、待てよ。「つめ」+「つく」なら、「つまづく」じゃないのか?

どうも、現代仮名遣いの決まりでは『つまずく(躓く)』だけど、昔は『つまづく(爪突く)』だったから、どっちの表記も正解(『つまづく』も許容される)となったとのことのようです。語源が『爪突く』だったとしても、ひとつの単語として『躓く』というものが出来上がった時点で日本語表記の決まりに従って(「つ」が二音連続するときは「つづ」と表記できるがそうでないときは「つず」となる)『つまずく』に変更されたということでしょう。

ヤバいぞ。何も疑うことなく『つまずく』だと信じていた自称”国語博士”だけど、語源を理解してしまったらどっちがどっちかかえって悩むようになってしまいそうだ。「『つまずく』でも『つまづく』でもどっちでもいいって云ってるんだから、どっちでもいいんじゃないの?」と云われそうだけど、それは自称”国語博士”のわたしのプライドが許さないのですよ。

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iPad復活

わたしの還暦か勤続30年表彰かのどちらかの祝いで職場からいただいた(もっとはるか前だったかな)iPad。もはや最新型でもなんでもなくなりましたが、これをいつも食卓のサイドテーブルに置いたまま、ほとんど開けることもなく時々充電するだけになっていたのをずっと気にしていました。WiFi仕様のこのiPadは、学会出張したときやサッカー観戦でホテルに一泊したときなどに学会場やホテルのWiFiを使ってネット利用するのに便利だったのですが、突然のコロナ禍で学会出張もホテル泊も一切無くなってしまったために出番が減ってしまいました。最初の殺人的新型コロナ感染流行のときには産業医の仕事もリモートを余儀なくされ、そのときにはこのiPadが活躍しましたが、それもすっかり過去のこと。DAZNで2週間に一回くらいひいきのJリーグチームのアウエー試合を観ていましたが、これも大画面テレビを新たに購入した時点でお役御免になりました。

そんなiPadなので、このままでは宝の持ち腐れになってしまいそう。ということで、今週から職場に持っていくことにしました。仕事の隙間時間を使って文章書きをこのiPadでしようかなと考えた次第です。iPhoneは年寄りであるわたしの指を生体のものと判断してくれないことがよくあります(特に冬場)が、iPadはちゃんとわたしの指を認識してくれます。嬉しい限りです。ちなみにこの文章はiPadを使って書きました。WiFi下でしかネットが使えないのは残念ですが、職場では十分にWiFiを使えます。文章書きへの情熱が失せ始めてきた今だからこそ、今一度原点に戻るチャンスではないかとも思っています。

iPadと寄り添いながらの自分に期待することにしましょう。

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神の教

今年引いた中吉みくじの神の教を心に刻むために、ココに書き写しておきます。

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  声は消えても心の底に、聞いた言葉が生き残る

強く打ては大きく響き、弱く打てば小さく響く。した事、言った事、思った事、良きにつけ悪しきにつけ悉(ことごと)く何かに影響して跡を残す。その思い、その言葉、その行い、毒や棘を持ってはいないか。神様の御心に叶うているか。日々反省して明き清き誠の心を磨いてゆけば、その思い、その言葉、その行いはきっと、人を労(いたわ)り明るい社会を育む力となる。(健軍神社第50番御神籤から)

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酒に弱いのは進化?

酒に弱い日本人が増えるよう「進化」 遺伝情報から判明

日本人の遺伝情報を調べたところ、お酒に弱い体質の人が増えるよう数千年かけて「進化」してきたことが、理化学研究所などの分析でわかった。詳しい原因は不明だが、アルコールに弱い体質が何らかの理由で環境への適応に有利に働いたとみられるという。24日付の英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表した。

2018年4月に朝日新聞DIGITALで掲載されていた記事です。この話題に何か進展か退行があるかもしれないと思ってずっと静観していました。この直後に、FNNプライムオンラインでもインタビュー記事(「日本人は酒に弱くなるように“進化”…「下戸遺伝子」の研究者が語る“弱い方がいい理由”」)が掲載されていましたが、結局そのまま進展はなかった感じ(たぶん)。

日本人というより東アジア人の進化の特徴なのだそうです。この『自然選択』という遺伝的な”進化”は、結局何に対して有利な進化なのか・・・この記事によると、アルコール分解酵素によってアセトアルデヒドが無毒の酢酸に分解されるのだけれど、その分解酵素が少ない日本人(東アジア人)には猛毒のアセトアルデヒドが多く残ることになり、このアセトアルデヒドは人間にも毒だが病原体に対しても猛毒で・・・つまり東アジア特有の病原体(感染症)対策に酒が弱いことが有意に働くのではないか、というのです。

でも・・・何か釈然としないのです。そもそも酒の弱い下戸遺伝子の日本人(東アジア人)は酒が弱いのだからあまりアルコールを飲まない。最近の若い人には一切飲めない人も多くなってきていて、むかしはそれでも無理矢理上司や友人に飲まされ続けて飲めるようになったりしていましたが、今はそんなパワハラは許されないので飲めない人に無理して飲ませることはしない風潮です。アルコールを飲まなければ、アセトアルデヒドはそもそも体内に増えないのではあるまいか。それだと、この理論は通用しないのじゃないのかしら?

 

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することがないということ

正月休みは少なかったけれど、すぐに週末が来て3連休。今週も今日の有休休暇を含めて3日しか働きません。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と昔からよく云いますが、コロナ禍では1年間も異常な速さで通り過ぎていきます。

わたしの積年の命題・・・何もすることがなくなったとき何をするか。3連休なんてあった日には初日に家の掃除をして、2日目にちょっと買い物に出て、もう3日目にはすることがありません。ゴルフやサッカー観戦などのもともとの予定があればいいけれど、朝起きるときに「今日は何もすることがないぞ」と思うと本当に憂うつになります。定年になったあとに何をする?という命題を先延ばしにしたまま時だけが加速度を増しながら過ぎています。キャンドル作家になるために5年近く頑張っている妻は明らかに生きがいを持って毎日生き生きとした足取りでアトリに通っています。結局そういう生きがいのある趣味も仕事もいまだに見い出せていない中で、朝夕の散歩と家の掃除以外は一日中何もすることがないなんて生活にわたしは耐えられるのだろうか。

よく、「60の手習いです」とか云って定年退職後から見よう見まねで農作業を本格的に始めたり、「65歳から始めました」と云ってピアノや絵画やあるいは運動競技やで数年のうちに頭角を現している老若男女がよく紹介されます。そういうのを引き合いに、「何云ってるんですか、人生はこれからですよ」と他人は叱咤激励してくれるけど・・・そもそも「何かしたい」という好奇心を生み出す訓練からしなきゃいけないしなぁ。わたしはクリエイティブなものには向かないのだろうと思うけれど、何か社会に役立つことはしてみたい。この漠然とした想いだけで、全然行動に移せていないのですよね。

『ポジティブサイコロジー』を職場のLINEで紹介しようと原稿書きしているときに、「ポジティブサイコロジー的な生き方を実践する5つのコツは、『前向きな感情』『時間を忘れて熱中・没入できるものがある』『ホッとできる人間関係がある』『やりがいを感じるものがある』『達成感を感じる』です」と紹介しておきながら、「オレは何一つ該当するものがないじゃない?」と独りツッコミしながらネガティブ感情バリバリに落ち込んでいます。前野隆司先生の提唱する『幸せの4つの因子』:「やってみよう」因子、「ありがとう」因子、「なんとかなる」因子、「ありのままに」因子・・・まずはこっちから始めていかねばなぁ、なんて思っている次第です。

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コーヒーは敵か味方か?

コーヒー1日2杯以上で高血圧CVD死2倍

 ”コーヒーを1日に2杯以上飲む重症高血圧(160/100mmHg以上)患者では、心血管疾患(CVD)死リスクが2倍になることが分かった。大阪大学の磯博康氏らは、日本の大規模前向きコホート研究のデータを用いて重症高血圧患者におけるコーヒーと緑茶の影響を検討。結果をJ Am Heart Assoc(2022; 11: e026477)に報告した。

コーヒーを取り巻く研究論文は巷にたくさん存在します。含まれるクロロゲン酸に抗酸化作用があるので美肌効果があるとかがん予防の効果はコーヒーを飲むと増加するとか、一方でコーヒーのカフェインが臓器障害を起こしやすいとか睡眠障害を起こすとか・・・まあまあ賛否両論です。かつてのわたしの上司はコーヒーを飲むと不整脈が増えるといっていつも超アメリカン(薄めのコーヒー)で飲んでいました。 

今回のこの内容にしても、たしかそもそもは「コーヒーは心血管病(CVD)リスクを減らす」というはなしになっていなかったか?しかも「123杯飲む人の方がリスクが低下する」と聞いた気がします。おいおいおい!と云う感じですが、”カフェインを含有するコーヒーにはポリフェノールの1種であるクロロゲン酸やその他のフェノール化合物が含まれており、糖尿病女性のコレステロール値を低下、血管内皮機能を改善、炎症を軽減させる。コーヒー常飲者は、カフェインによるCVDへの悪影響を低減させる可能性があるカフェイン耐性を形成する。一般集団では、カフェインによる一過性の血圧上昇はその他の化合物やカフェイン耐性により相殺される。しかし、高血圧患者はカフェインの効果に対する感受性が強いため、重度の高血圧患者ではカフェインの悪影響が保護作用を上回り死亡リスクを上昇させると考えられる。”と論じられています。だから、あくまでも高血圧症予防効果はあるし軽度高血圧の人のCVDリスクは軽減させるけれど、『高度高血圧症』の人は飲みすぎないでね、ということのようです。わたしにはコーヒーを常飲する習慣がないので何とも云えません(で、わたしの高血圧症は重度なのかしら?まあ軽度ではないと思うけれど)。

ちなみに同じカフェイン含有の緑茶にはこんな傾向は見られないそうで、その理由は「緑茶にはカテキンが含まれているから」なのだそうです。となると、わたしの場合は緑茶飲んでおいた方が無難でしょうかね。

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生きがいの創造

高い目的意識は長生きにつながる?

人生に明確な目的意識を持つことで、全死亡リスクを低下させられる可能性のあることが、1万3,000人以上の米国人を8年にわたって追跡した研究から明らかになった。この傾向は、男性よりも女性でやや強かったものの、性別や人種/民族による有意差は認められなかったという。米ボストン大学公衆衛生大学院の芝孝一郎氏らが実施したこの研究の詳細は、「Preventive Medicine」11月号に掲載された。” 

性への関心が薄れると死亡率は高くなる/国内前向き研究

 ”性的関心が薄れることは、健康や寿命に関係するのであろうか。山形大学の櫻田 香氏らの研究グループは、性的関心の欠如と全死因死亡率との関連性について、山形県における前向き観察研究を行った。この研究は、山形県内の40歳以上の被験者2万969人を対象に行ったもので、性的関心を持たなかった男性では、全死亡率およびがん死亡率が有意に上昇した。PLoS One誌2022年12月14日号の報告。

新年早々から配信されてきた記事は、人生の積極性への提言でありましょう。どちらも、男性ホルモン(あるいは女性ホルモン)を活発に賦活させることが健康長寿の必須条件であることを伝えています。「面倒くさい」とか「まあ年令考えたらこんなもんやろ」と思い始めたときから老化が始まる、というのは真理なのです。でも、今から無理矢理人生の目標を作り出すのには無理があり、若いおねえちゃんの水着姿に興味はあっても”老いらくの恋”は簡単にはできますまい。

結局、「自然に任せるしかなかろう」と悟りながら枯れていくのでありましょうか。

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塩をふりかける習慣

料理に塩をふりかける習慣は心疾患リスクを上昇させる

心疾患の発症リスクを下げたいならテーブルソルトを食卓に置かないようにする方が良いかもしれない。日頃から減塩を実践している人でも、料理に塩をふりかける習慣があると、心血管疾患(CVD)の発症リスクの上昇をまねく恐れのあることが、米テュレーン大学公衆衛生・熱帯医学部教授のLu Qi氏らの研究で示された。研究結果は、「Journal of the American College of Cardiology」12月6日号に掲載された。

「料理に醤油をかけると塩分が多くなるから、醤油は皿に垂らしてそれに料理をちょっと付けながら食べるのがよい」という提言を栄養士の先生方からうるさく云われてきたので、つい「塩はかけるより付け塩にした方がいいんじゃないの?」と云っているのと勘違いしました(理屈は一緒なのかもしれませんが)。もっとも、食材や料理に塩分を存分に使う歴史のある日本人にとっては、料理の味が薄いからといって食卓で醤油をかけることはあっても塩をかける人はあまり多くないのではないかという印象を持っていますが、いかがでしょうか。そもそも塩分をあまり取らない欧米人だからこそ、塩をかける人とかけない人との有意差が出たのであって、日本ではよほど意図的に料理自体から徹底して塩分を除かないと有意差は出ないのではないかと思います。むしろ、”料理に塩をふりかける習慣があまりない人の特徴としては、女性、白人、適正体重の人、飲酒量が適度で喫煙習慣がなく、身体活動量の多い人、つまり健康的な生活習慣の人であることが明らかになった。一方、料理に塩をふりかける習慣がある人には、社会経済的地位が低く、喫煙者の割合が高い傾向が認められた”という部分の方が効いているのではないでしょうか。ちょっと日本人の参考にはなるようでならない気がしています。

高血圧症で動脈硬化の血筋のわたしは甘い物より圧倒的に塩辛い物の方が好きですが、大人になってから料理に醤油をかける習慣がほとんどなくなった(ましてやわざわざ塩をかけるなんて想像すらできない)のであまりピンときていません。
 

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ウイズコロナ

”制限のない社会活動が始まり、春節を含めて中国から少なからずの人が間違いなく日本を訪れるでしょうし、アメリカでは新しい変異株が報告されている状況なので、新型コロナ感染の脅威は今年もさらに続くでしょう。”

新年早々から何とも暗い専門医のご意見を報ずるニュース。正直といえば正直、冷静といえば冷静な専門家の分析です。まあたぶんそうなのでしょう。今の第8波は一旦括れを作って減少するでもなくそのまま次の山が上乗せすることでしょう。でもまあ、ウイズコロナを宣言してその方向に舵を切った以上はやむを得ない想定内の推測でしょうし、まだインフルのような治療薬が普及している訳でもないのだからウイズコロナ施策は時期尚早だった!と批判してみても始まりません。とりあえず、今まで通りの予防意識を講じた者勝ちでありますから、「そんなの無意味らしいぞ」と面倒くさがって批判して放棄する輩はそのまま云わせておけばよい。標準予防策は昔から標準的な予防効果があるのだから、自分のカラダを自分で守る意識を持てる人たちは、うがいも手洗いもマスクも、がんばって続けましょう。TPOをわきまえながら無理のない範囲で(まあするならするで徹底した方が後悔はしないでしょうけれど)。

 

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年賀状2023

賀正

いよいよ常勤医としてのラストイヤーを迎えました。
来年3月の定年までに何か爪痕を残したいものだとも思いますが、
むしろ自分のペースで粛々と平穏な日常を過ごすのも
私らしいかなと思ったりなんかしています。

今年こそは3年間会えなかった皆様に是非
リアルでお会いしたいものですね。

2023年元旦

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今年の誕生日で65歳になります。わたしの勤務する職場の正式な定年は満65歳になる年の3月31日です。今のところは定年後は嘱託で1年更新の契約で勤務を継続する口約束にはなっていますが、とりあえず区切りの1年が始まります。だから、今年の年賀状はこんな文面を選びました。まあ、力まず出しゃばることなくいつものように愚直に日々の仕事をこなす1年にするのがいいのかな、と。

でも、昨日参拝した阿蘇神社で引いたお神籤によると、「あなたの真心がどんな相手にも通じるたいへんよい運勢」「知識や論理よりもまず誠意。何事も真正面からためらうことなくぶち当たっていけば、かならず道が開ける」「進んで難関を克服して事を成就する気力がほしい。この際は順風を背にうけて積極的に大洋に乗り出しなさい」などと叱咤激励をされてしまっています。これは本当に、「今年は何かに取り組み始める年です」と背中を押しているのかもしれません。そっとフェイドアウトしようなんて許さんぞ!とでも云いたげな・・・。

完全に考えすぎですかな。

 

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ロボット掃除機

わたしは掃除が好きです。掃除した分だけきれいになっていくのが好きです。

「掃除したってすぐにまた汚くなるのだから、掃除なんてしても虚しいだけだよ」と云われることもあるけれど、そんなことはありません。汚くなるから掃除をするのです。

最近、テレビでロボット掃除機のCMがよく流れます。若い夫婦と小さな子どもたちが楽しそうに会話している横で、黙々とロボット掃除機が働いている絵。ここのところわたしのSNSには窓拭きロボットのCMも頻回に出てきます。

「なげかわしい。この親たちは掃除する気がないし掃除が大切だといことを子どもたちに教える気もないんだよ。こんな親に育てられた子はきっと自分で掃除するなんて考えもしないんだろうな。『どうしてボクがしなけりゃならないの?それはロボットの仕事だよ』とか平気で云う子どもたちばかりになるんだよ」とテレビを見ながらぼやいたら、「そういうこと云うのが”昭和の人間”の証なのよ」と妻が一喝。「しなくて済むならそれが一番だし、ロボットの方がきれいにしてくれるのならそれに超したことはないじゃないの」と。

「本当は”掃除好き”とか存在しないんだよ」と云う人がいました。確かにね。だって「もししなくてきれいになるのなら、わざわざ掃除なんかしないでしょ」と云われると、「そうかもしれない」と簡単に納得してしまいそうになるわたしです。

「人間には”運動欲”という欲望はないんです。運動しなくて目的が達成できるなら人間はわざわざ運動なんかしない動物です。運動しなくて快感が得られるのなら人間は運動なんか絶対にしません」と云っていたMさんのはなしを、ふと思い出しました。

 

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150年

昨年の秋にわたしが卒業した小学校で開校150周年を記念した花火大会が盛大に開催された、という知らせが地元に残っている小学校時代の同級生から届きました。

残念ながら現地で華麗な花火を直接見ることはできませんでしたが、本当に喜ばしいことだと思います。わたしが卒業したのは今から52、3年前だから、卒業のすぐ後に100周年記念式典が行われたはず(悲しいかな、全く記憶の中からこぼれ落ちてしまっていますが)です。田舎の小学校ではありますが、そんな歴史ある学校を学び舎にできたことを誇りに感じています。

この話を聞いたときに思ったのは、150年も小学校が存続できるということは150年以上この地に人々が集い、絶えることなく子どもたちが生まれ、その子たちがまたこの地に残って子孫を紡いでいた証、つまりこの町が魅力的な町であり続け、時代に合わせて発展もしてきた証拠だと云えましょう。時々墓参りのついでに実家近くを散策します(実家は他人に貸してあるので行けません)が、見たこともないような大きなマンションが乱立するでもなく、わたしが住んでいた頃にあった家の表札が今でも残っていたりして、公園に子どもたちの声が聞こえる町・・・きっと代替わりしながらこの地にずっと住んでいてくれているのだろうなと思ったりします。そのこともまた、とても嬉しく思います。

 

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年賀状

あけましておめでとうございます。

ここ10年くらい元旦はゴルフだ初詣だとじっとしていなかったから、今年は久しぶりの動かない正月(いわゆる”寝正月"?)です。

例年と同様なのは年賀状です。昼過ぎに、元旦でも働いている日本郵便の方が運んできてくれました。年賀状じまいの風潮の中、わたしも悩みましたが定年の年でもありフェードアウトの感覚で徐々に減らしていこうと思っています。基本的には年賀状はわたしの生存証明、生存通知だと考えていますから、年賀状を出すことには何のためらいもありません。ただ相手がそれを望んでいるのか?という思いだけです。わたしが出すから返事を出す、という御仁も少なくなかろうと思うわけです。だから今年は年賀状を出す相手を勇気を持ってかなり減らしました。そして今日、思った以上に書いていない相手からの年賀状が届きました。まあいつものことではありますが、今回は返信すべきかどうかひとつひとつ吟味することにしました。2年以上返信していない相手、単なる印刷分だけで何の追加コメントも入ってない人、そういう人は返信を止めました。せっかく出していただいているのに形だけならもう必要ないだろう(お互いに)と割り切ることにしたからです。一言でもコメントを書き足している年賀状にだけは返信することにして。お返事を書かなかった皆様、大変申し訳ありません。

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