『自然体』・・・ウィズ生活習慣病(完)
定期発行の機関誌が発行されましたので、定期コラムを転載します。題名をみて、「まさか突然今回でコラムが終わるの?」と心配したのは機関誌の編集者だったとか(笑)。いえいえ、まだまだ可能な限り長く小遣い稼ぎさせていただきたいと思います。
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『自然体』・・・ウィズ生活習慣病(完)
『予防医療』ということばが市民権を得たのはつい最近のことです。「健康のために」という大義名分の内容を実践したら本当に健康になるのだろうか?という疑問が私の頭の中にずっとうごめいています。「健康になった」と感じてもそれは単に努力した自分の満足感だけではないのかと自問自答する毎日です。健康になるためには何を食べると良い、何をしてはいけない、努力しなくても痩せられる方法、太れる方法・・・巷にあふれる健康情報が、本当は万人に通用するわけではないことを誰もが知っていますし、やりたくないことを強いられるのは「健康」とはいえないと思う人もいるはず。目の前のものを貪り食うのは本当に罪なのか、逆に食べられるのに食べない方が不健康ではないか? おそらく百人百通りの健康観があって現実とのギャップに大なり小なり悩んでいるはず・・・わたしは徐々に禅問答をする偏屈爺になってきています。
生活習慣病を指導する側もされる側も、あるいは世間のマスコミなどもこぞって『○○制限』ということばを使いたがります。「結局、食事制限が必要なのですね」・・・一般の人がこの単語を使ってしまう理由は、おそらく予防医療が“病気の治療”から派生した考え方だからだと思います。「自然にしておけば健康でいられる時代は終わった」と言われて久しいですが、本当にそうなのか? 理屈で日々の生活をこねくり回した挙げ句に何が本当か分からなくなっているだけではないか。健診結果から悪いところを見つけ出してそれを是正して“健康を維持するため”の助言をするのが私や保健師さんの仕事ですが、こんな重箱の隅を突くようなやり方が本当に健康への誘いになるだろうか?というジレンマ。私には、「食べたい時に本当に食べたい物だけを食べるのが一番健康な食べ方だ」という持論があり、自分の中から発する欲望に正直に従えば健康になるはずなのに、栄養学やら運動学やら治療学やらの学問から生じた邪念に振り回されておかしくなったに違いないと思っています。節制して努力したら本当に健康が得られるのかという疑問を抱きながらも、健康を得たかどうか判定する方法がない。具合の悪い人が治療で良くなったら「健康を取り戻した」とわかるけれど、不健康にならないように努力することの成果はどうやったらわかるのか? たぶん一生わからないでしょう。
なんだか、『ウィズ生活習慣病』の最後がこんなグダグダな文章になってすみません。でもこれがわたしの生活習慣病に対する今の思いの根底です。
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