「信じる」
ワールドベイスボールクラシック(WBC)の優勝おめでとうございます。まだ当分の間、その余韻は冷めないことでしょう。テレビでもSNSで多くの逸話が紹介され、多くの秘蔵動画が公開され、わたしなんかそれを見るたびに感動で涙している日々です。経済効果が、昨年のサッカーW杯の5倍だと聞いて、確かに全試合を地上波で流すはずだと理解しました(もちろん、地上波で放映したから国民みんなが歓喜したという面もありましょうが)。なにしろ始まる前は大谷とダルビッシュくらいしか知らなかったであろう老若男女(うちの妻もその一人。わたしも似たようなもの)が決勝戦の頃には全スタメン選手の名前を語り、各々の選手についての蘊蓄を各々に語るようになったわけですから。
そんな感動の日本代表を率いた栗山監督が「自分は選手を信じているから」ということばを何度も使いました。「全てが超一流選手だからつべこべ云う必要はない。信じていることをわかってくれている」と。素晴らしいことだと思いますが、これだけ他人を信じることができるということは、自分を信じ、そんな自分に自信があるということだと思います。自分に自信がない人ほど他人を信じられないもの。物静かな彼の謙虚な佇まいの中には、自分そのものを信じているという強い自信に満ちあふれた表情がいつも見えていました。
『自分を信じている、という自信』・・・ことばで云うのは簡単ですが、そう簡単には生まれません。わたしなんか一生実感できない悟りの域のことばだという気がします。
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