『非日常』の刺激
コロナ禍の間、ほとんど遠出をせず、粛々と日常生活を過ごしてまいりました。「どこにも行かずに巣ごもり生活していたらアタマがどうにかなりそう」「せっかくの休みなのに子どもたちを旅行に連れて行かせられずにかわいそう」などという世間の一般市民の嘆きを聞きながら、その意義が全く理解できなかったわたしでした。だって、コロナ禍でなくても無理して旅行しなければならないとは思えないし、子どもたちに休みだからといって旅行させなくても彼らはちゃんと自分たちなりの遊び方をするさ(少なくとも自分はそうだったし)とか思っていました。
そんなわたしですが、先日、中学時代の恩師の個展に出向いたとき、会場に来ていた同級生と数年ぶりに会って、そのまま一緒にランチを摂りました。もっともっとたくさん話をしたかったのですが、残念ながら次の予定もあったし運転するのでアルコールも入れられずわずか15分程度しか時間がなくて他愛もない内容で終わってしまったのですが、それでも、なんか久しぶりに日常ではない話ができたことがものすごく新鮮でした。そうか、『非日常を求める』ってそういうことか、と合点がいきました。
先日は研修の若い先生がわたしの職場の見学にきました。職場でいつも仕事を共にしているスタッフとは違う人に、日常とは違う話をしました。それに対する相手の反応や意見を聞きながら、これまたとても新鮮な気持ちになりました。
おそらくコロナ禍以前にも普通にあったであろう『非日常』の新鮮さをすっかり忘れていたことに気づかされ、生活する上で『非日常』の刺激がどれだけ重要なのかということを再認識した出来事でした。まあ、だからといって2類が5類に変わったからもっと一泊旅行をしよう、旧友に会おう、宴会に行こうと急に云い始める勇気は、まだ湧いては来ませんが。
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