ワンズのおかげ?
「やはり、一日一回でも外の空気に触れること大事だよね。こんなに毎日きちんと散歩するのもすべてこの犬たちのおかげだよ」
雨が上がった合間の時間を縫ってワンズの夕散歩をしながら、妻がつぶやきました。
「この子たちが居なかったら、たぶんわたしは家の中にこもって外になんか出ないと思う」「そんなこと云わないで、犬がいなくても散歩したらいいだけのことやん」「イヤよ。絶対にイヤ。ただ歩くだけの何が楽しいのか全然理解できない。あなたが、雨の日に傘さしてまで小一時間も独りで散歩している意味がわからない」と吐き捨てられました。
わたしの場合の歩く楽しみは、思索の時間を満喫できるからということと、運動のノルマをきちんとこなした自己満足とでしょうか。歩きながら語らい合う時間が楽しいという人もいます。「なんなら、わたしが一緒に歩いてあげてもいいよ」と云いかけてやめました。少なくともチビはまだ2歳半だから当分散歩はするでしょうから(もう一方の老犬の方はもうすぐ15歳だからいつまで歩けるか分かりませんが)、説得にはまだまだ猶予があります。
隣の貸家に住む義母(満89歳)も毎日朝晩トイプードルの散歩に出かけています。「おかあさんは面倒くさがりだから、散歩しなければならない理由がなくなったら絶対家から一歩も出ないと思うよ」ということで先住犬のチワワが老衰で亡くなった後に今のトイプードルを預けているのですが、「私はお母さんの性格がちゃんとわかるから」という妻の方がよほど出不精なのだと最近になってやっとわかった次第です。
「人間に『運動欲』という欲望が存在しないので、しなければならないことがなければ絶対しない!」ということを運動指導士のMさんに教わってからもうかれこれ20年くらい経ちます。運動欲がないくせに運動しないと必ず心身ともに衰えて滅びていってしまうのが動物の宿命なのだと。だからせざるを得ないことを作り出してでもし続けることが大切なのだと、そう教わりました。わたしがまあまあこの歳まで健康体でいられたのは、少なからずこの多動児的な性格が奏功しているともいえると思っております。
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