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実際は想像以上に面倒くさい

「もう少し様子を見ましょう。また3ヶ月後に受診してください。」

こういう事を云ってくれる先生は良心的な人だと思っていたけれど、いざ自分が患者になりその当事者になってみると、”様子を見るために通院する”というのは意外に面倒なことだとわかりました。時間や仕事の調整もいるし金の工面もいるし、それで無罪放免になるわけでもない。例えばわたしは小さな脳動脈瘤が見つかり、未破裂動脈瘤として治療するに値しないけれど大きくならないかまた一年後に受診すべく予約を取りましたが、大きさが変化しない限りその作業の繰り返しになるのでしょう。医者は良かれと思って指示してくれますが、絶対に小さくなるはずのないこの病変。いつまで続けるのかといえば、瘤が大きくなった時か寿命が尽きる時かあるいは面倒だから勝手に行かなくなる時か、そのどれかだと思います。当たり前のことではあるのだけれど、それは意外に憂鬱で鬱陶しくて面倒くさい。

面倒くさがりの医者は「また何かあったら来てください」と云って体良く追い返し、良心的な医者は「様子見ましょう」と云って次の受診を促すけれど患者の方が面倒くさくて行かなくなる。ま、世の中、そんな事が日常茶飯事なんだろうなということを今更ながらに認識した今日この頃です。

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