”感情失禁”に負けない
ブログ再開の最初の文章がこれなのはきわめて不本意ですし、いちいち他人様にお知らせする内容でもないと分かっているのですが、今の感情をどこかにしたためておかねばと思うとき、ほとんど読者がいないであろうここくらいしか吐露する場所がないのであります。
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昨日から、仕事中や運転中やあるいは散歩中や、何の誘因もなく突然涙が出てきそうになる現象が起き始めました。ものすごく寂しくて虚しい感情のつむじ風が突然吹いてくるのです。それは以前、熊本地震に襲われた一年後くらいの通勤途中に経験したのと同じようなものですが、あの時よりもちょっと厄介だろうことを自分なりに感じています。いわゆるうつ状態の一つだと思います。
わが家の愛犬が、もうすぐ満15歳になるというのに突然悪性度の比較的高いリンパ腫であると診断されました。余命を宣言された中、ステロイドの効果で今はものすごく元気に飛び跳ねています。その一過性の元気な姿を見るのがかえって心を重くさせていることはちゃんと認識しています。さらに突然降って湧いてきたわが家の経済的不安の嵐。まあまあの高給取りなのに毎月目減りしている預金額を見るたびに心は折れそうになります。それに気づくまでは、旅行に行きたい、服を買いたい、美味しいものを食べたい、という欲望の妄想に耽ることが日常だったのに、今はそんなこと考える気にもなれません。如何に金を使わないかしか考えられないのです。夫婦も周りも日に日に歳老い、終活も進めなければと思うのだけれど、何をするのも面倒で「どうでもいいや」と思うようになってしまっている自分。そんな姿を客観視する自分。そして連日の異常気象と水面下で蔓延しているウイルス疾患野社会。今の“感情失禁”の嵐の原因は、こんないくつもの心の内外のつむじ風が入り乱れて襲ってきているせいであるに違いありません。さっきは他県に住む叔父が昏睡状態だという連絡も届きました。
うつだから専門家に相談すべきなのかもしれないけれど、どれをとっても他人に相談しても何も解決しないだろうものばかりだから「話しても無駄」と考える。「これは病気だから、無駄だと思わずに専門家に委ねるのが得策」と他人には進言するけれど、それがわかっていても自分では受け入れられない。矛盾した話です。
さて、そんな自分に今日から課した方策は、とりあえず目の前の一つ一つを端折らずにきちんと丁寧にこなすという事です。朝、スヌーズ機能を使わずに目覚まし時計の合図で起き、朝のルーチンワークで時間がなくなろうともきちんと自分で決めたスクワット運動は決めた数だけこなし、昼間に歩くことにしていた歩数はきちんと到達させ、仕事の一つ一つを丁寧に行なってミスをなくすように心掛け、帰宅したら早めに風呂の準備をしてワンズの散歩に行く。毎日やってきた当たり前の日常を、とにかく粛々とこなすことに専念することにしました。「めんどうくさい」と思わず、「考えてもしょうがないことは考えない」ようにする、そんなシンプルなことが今の状態を乗り越える手段として有効なのか無効なのか、そんなことはまだわかるはずもありません。
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