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2023年10月

ツクツクボウシ

まだまだ最高気温は夏日だといえ、もう真夏のぶり返しは来ないと思っていいのでしょうか。

一気に秋の気配。秋も、まだかまだかと手ぐすね引いて待っていたらいつまでも夏が終わらないままもう晩秋の季節になろうとして、慌てて『秋』を一気出ししようと焦っている感じ。

先週末の夕方にワンの散歩をしていたら、どこかの木からツクツクボウシの鳴き声が聞こえました。「え、今ごろ蝉の声?」と思わず笑ってしまいましたが、確かに今年はツクツクボウシの鳴き時がなかったから、ちょっと涼しくなった夕方に慌てて鳴いているのだろうと思いました。赤トンボもいつになく短期間で見なくなったし、彼岸花も出てきはしたけれどとても短期間で、我が家の周りはきちんとは生え揃わなかった。蚊も今年は猛暑すぎて活動できずにここに来て急に蠢き始めたと聞きます。この時期になって今年初めての日本脳炎患者が出たとニュースで云ってましたし。一方で、わが家の庭のハナミズキは突然枯葉色に色付いてしまって今から一気に落ちていきそう。山の方では木々の各々はちゃんと『紅葉』の時期を確保できているのでしょうか。

もはや、日本に四季はなくなろうとしている様相が一層明白になってきています。暦の上ではもうすぐ晩秋になろうとしていますが、日本人である以上は、少しでも多くの『秋』を満喫したいものだと思っている次第です。

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存在の証明

ペット霊園の都合で荼毘に付すのが一日遅れて昨日になりました。職場に午前中有休をお願いして夫婦で見送ってきました。

大きな存在のなくなった我が家。幼犬ローラは所在なさげにウロウロしています。いつも玄関に鎮座していた存在がいないことは理解していますし、箱に入れられたまま車でどこかに行ったことは分かっていますが、さてそれがもう二度と帰ってこない存在だということを理解していないかもしれません。今日は、どこか寂しそうにわたしたちに寄り添ってきます。何が起きているのか分からずに不安なのだと思います。何が原因であれ、少しずつ、もういなくなったのだということを自覚するのにそう時間はかからないと思っていますが。

昼前から週末の掃除をしました。ちょっと埃を被っていた先住犬たちのお骨をきれいにし直してから新しい骨壷を仲間入りさせました。もう使わなくなった食器などを整理し、玄関で寝やすいように敷いていた発泡スチロールの敷物を外し、匂いが溜まっていた空気を動かそうと窓やドアを開け放ちました。一番過ごしやすい玄関タイルのスペースは長いこと彼女の定位置でしたから、そのスペースが異様に広くなってそれを見るとわたしも「ああ、もう本当にいなくなったんだなー」としみじみ感じます。庭を駆け回りながら「えっへっへ」と笑って得意げにこっちを見る姿が脳裏には過ってくるので、ちょっと寂しいです。でもまあ、わたしたちもすぐに慣れることでしょうけど。

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さようなら

昨夜、静かに虹の橋を渡りました。14歳11ヶ月。

争いごとのきらいな、とても優しい子でした。散歩中の子犬に鼻を噛みつかれて血を流しながらも、それでも挨拶をしようと近づいていく子。小さなワンコと飼い主さん(人間)が大好きで、相手を疑わない子。静かにお散歩していてもすれ違うワンコが必ず挨拶しにくるような人気者だったのはそれが理由だったのかもしれません。仔犬のころから『犬らしくない』食べっぷりで気が向かないとフードをいつまでも食べなかったりするので躾のしにくい子でしたが、それでも歴代のワンの中で一番病気知らずだったから、「これはサーテュイン遺伝子が発動している証拠かもね」などと思っていたのに・・・あまりにも想定外の病気になってしまって、診断から1ヶ月ちょっと。あっけなく逝っちゃった。でも、おそらく診断がつく遥か前から調子はおかしかったのだと思います。急に声が嗄れて聞いたこともない声になったときに夜中にずっと吠えていたせいだと思わずに首のリンパ節が腫れたことに気づけばよかった。その前に夜中の徘徊や吠え声が、痴呆や目が見えなくなったための不安の表れだと勝手に決めていたけれど、あれも体調の不具合だったのかもしれません。あれだけ病気知らずだった子が急に難治性の下痢を続けた時点で何かがおかしいと気づくべきでした。もっと早くに気づいたら予防できていたかどうかはわからない病気だけれど、少なくとも彼女の不具合の訴えがわかってあげられなかった出来の悪い親だったことは確かです。ごめんよ、セイラ。

先代のインディくんが亡くなって2ヶ月後に生まれたこの子をインディくんの生まれ変わりだと思って育ててきました。町田から飛行機で飛んできた2009年のひな祭りの日はものすごい嵐で、飛行機が降りるかどうかわからないと大騒ぎした中でやっと熊本空港に着いて貨物室から出てきたあなたは吐きまくってグロッキーでした。2016年の熊本地震を経験して揺れ動く地面に這いつくばって右往左往したりあちこちで瓦や壁が倒壊するのを目の当たりにした経験を持つあなたはその後どこかで大きな音がするたびに血相変えて逃げまくりました。あなたが熊本の地に来る運命になければどっちも経験しなくて済んだのかもしれないと思うと、申し訳なさでいっぱいになります。でも、あなたがわが家に来てくれた運命を私たちは最高の贈り物だと思っています。わが家の子になってくれて本当にありがとう。

ゴールデンバットン特有のでっかい鼻とウルトラマンみたいな釣り上がった目で「ちっとも器量良しじゃない」とからかっていたけれど、いつの間にかお年頃のかわいらしい風貌になりました。あなたが居なくなると寂しくなるから、と突然思い立って町田から新しいチビを連れて帰った日、あなたは目をまん丸くして「この子はいつまでここにいるの?」という目で私たちに訴えました。その時まで自慢の真っ白な口周りの毛が急に茶色に変色したとき、ストレスで胃液が酸化してしまったのではないかと心配しました。ついこないだ口周りを短く切ってあげたらその後はあまり変色しなくなりましたね。お母さんの云うように、なんか食べるものが悪かったのかしら。

思い出ばかり書いていると辛くなるばかりだから、これくらいにしておくわ。静かに穏やかな寝姿・・・今日はインディくんの誕生日です。

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怖いだろうな

1ヶ月ちょっと前にリンパ腫の診断を受けて、一時はステロイドで元気に食べたり小走りしたりするまでに回復していたわが家の老犬ですが、その幸せな時はそう長くなく、食べても痩せていく状態からさらにステロイドの効果がなくなると一気に病状は進行しました。昨日からほとんど立てなくなり、尿は出ず、便失禁を繰り返す状態。異常に大きくなったリンパ節が喉を圧迫するのか夜中に悲しい苦しそうな啼き声が続きました。

抗がん剤治療をしないと決めた日から、わたしたちはこの日が来るのは覚悟していました。だから辛いけれど最期まで見届ける気持ちで彼女を見ています。でも、当の本人には何も伝えていません。彼女は急激に自分の中に起きていることが理解できずに慄いているに違いありません。なんとなく続く下痢と急に声が嗄れ始めたときには、本人どころかわたしたちもこんな大病だとは思ってもいませんでしたから。「何かおかしい」と感じたときから、突然何が起きるかわからなくなったから得体が知れずにとても怖いでしょう。ほんの1週間前には普通にフードを食べていたのですから。

わからないけれど、彼女もおそらく「今までとは違う」「自分に死期が迫っている」ことは感じているかもしれません。でもどこかで「そんなはずはない」「何かの間違いだ」とも思っているような気がします。だから、もう立てないのに夕方5時前になると「散歩に行かなければ」と騒ぎ始め、なんとか立ちあがろうとする。それは彼女のプライドなのかもしれません。

おそらく、人間も同じなのでしょう。覚悟していても怖いものですが何も知らせられていないならもっともっととてつもなく怖い。どこかで諦めていても、でも「死ぬよ」とは云われていないのだから「良くなるかもしれない」とも思う。遠いむかし、末期の胃噴門がんだった母に最後まで病名を知らせなかった(当時はそれが当たり前だった)ときのことを時々思い出しては心を痛めます。おそらく今、目の前の愛犬も同じなのかもしれないと思うと、心が痛いのであります。

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「炊き割る」

「熊本弁で、『事業に失敗する』『破産する』という意味を『炊き割る』って云うの?」

先日、わたしのお気に入りのリール(熊本弁のワンコがつぶやくやつ)でこの話題が出ていて、聞いたこともないので妻に聞いたら、「そうよ。『あそこん息子は店を出したごたんけど、すーぐに炊き割らしたごたん』とかいう使い方するよ」と即答。やっぱり方言は奥が深い。因みに、『炊き割る』の語源は、貧乏して炊く米もなくなったのに空っぽの釜を空焚きして釜を割った(壊した)ということらしい。

「え、これはどこでも使っているんじゃないの?」とわたしが知らないことに返って驚いている妻。「あなたが知らないだけなんじゃないの? 大分のお友だちに聞いてごらんよ」と強気。「絶対、熊本だけの言葉だよ」と検索をしてみた。

『破産する 熊本弁』…検索の一番最初からこの言葉が出てきました。「じゃあ、逆に大分弁で『破産すること』をなんて云うの? 絶対に似たような方言があるはずよ!」と引かない妻。やむを得ず、これも検索してみた。

『破産する 大分弁』…検索で出てくるのは、『自己破産』『大分県弁護士会』。「ほーらみろ、大分にはそんな方言ないよ」と勝ち誇ったように云ったら、妻は全然違うところにハマって笑う。「あなた、これからfacebookやInstagramに『破産』とか『借金』『融資』みたいな怪しい広告がどんどん入ってくるかもよ。メールにも怪しいやつ来ると思うから気をつけてね」と。

インターネットは本当に怖い、というオチでした。

 

 

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酒のつまみ

最近、夕食の食卓がとってもシンプルです。ヨシケイの料理だからだというのもありますが、つい数週間前まではもっと何品も料理が並んでいたような気がします。アレルギーが年々多くなって自分で食べられない物が増えてきた妻ではありますが、そもそも料理好きでしかも自他共に認める料理上手ですから、作ろうと思ったらもっとたくさんの料理をちゃっちゃっと作ってくれることでしょう。まあ、わたしも妻も、あるいは偶にやってくる友人も、若い頃より少食になったので「作りすぎてもなぁ」という思いはあるのかもしれません。

でも、夕食の食事内容が変化した一番の理由は、わたしが晩酌習慣を基本的に止めたことによるのだろうと考えています。夕食の準備をするときに、これまで何年もまず「これを酒のつまみにして先に始めといて」というパターンで料理が出ていました。「うちは小料理屋ができるよね」と自分で云うくらい、妻の料理は酒のつまみにうってつけの量と味なのです。それを食べながら酒を飲み始めるもので、いつからが晩酌でいつからが夕食なのかよくわからなくなるというパターンでした。それが「原則として夕食前に酒を飲まない」と云ったものだから最初からメインディッシュになって、主菜と副菜というシンプルメニューに変わったわけでしょう。

晩酌をするとき、「酒のつまみとしての料理」なのかそれとも「料理のアテとしての酒」なのか、と考えたことはありますか。わたしの中学時代の同級生は「ボクは明らかに後者だね。おいしい料理を食べるときにそれが活きるような酒を選ぶから、まず料理ありきだね」と断言していたのを思い出します。わたしは明らかに前者。酒を飲むためにそのつまみになる料理を見繕うわけで、云うならば「酒さえあればつまみは何でもいい」というパターンです。のんべーに云わせれば「そんなのどっちでもいいよ。とにかくおいしい酒とおいしい料理を一緒に食べられるのが最高さ!」と締めくくるわけでしょうけれど・・・でも、最近その違いがちょっと気になるようになってきたわたしです。

 

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