どうでもいいことなのですが、何となくわたしの人生の履歴を整理してみたくなりました。生き様や詳しいキャリアのことではありません。自分が住んできた住所の遍歴とか、乗ってきた車の歴史とか、働いた病院の歴史とか・・・何かこだわりを持った生き方をしてきていないので、これだけは他人に誇れる趣味があるとか譲れないコレクションがあるとか、そんなものは一切ありません。だから、わたしの生きてきた証はこんな履歴を列記するしかないのかな~と思うわけであります。
まずは住所。正直なところ細かくは思い出せません(40歳代くらいまでは住所や電話番号はソラで全部云えたものですが)が、『国民年金手帳』を引っ張り出してみたら、そのオレンジ色のアナログな手帳の中に住所が変わるたびに書き込んだ記録が残っていました。こういうところに几帳面な人間の痕跡が出てきます。それでもこれは働き始めてからのもの。学生時代までのことがちょっとあやふや。
・小学校に上がるもっと前に大分市高松の実家に父が平屋の家を建てました。それまでは隣町の禅宗のお寺の離れに間借りして住んでいました。その頃の記憶はまだうっすらあります。時々前を通ってみますがお寺は今でも立派な構えで存在しています。
・高校時代に2階建て家に建て替えをしたものの高校卒業後に予備校で福岡(姪浜)の下宿屋さんに住むようになってから実家に住むことはありませんでしたから2年も住んでいません。
・大学時代(熊本)は教養学部のある黒髪地区の下宿屋さん(薬園町)に4年、医学部近くのアパート(南熊本)に2年。
・卒業後に研修医として大分に戻って大学病院近くのアパート(大石町)に住んで、熊本の病院(移転前の今の勤務先病院)の半年間の研修時のアパート(新町)は病院が準備してくれたけれど、改めて正式に就職してからは車で通えるアパートを探し(十禅寺)、その間に結婚もして3年住んでから東京(虎の門病院)に行きました。
・東京の3年間は練馬区石神井町の新築アパートから1時間かけての通勤の日々。
・熊本に帰ってきて最初の2年を福岡に移り住んだ義叔父の持ち家(広木)を借りましたが、平成6年に自宅を新築して現在にいたります。先日30年ローンの借金を完済し、抵当権移動手続きすれば晴れて私の持ち家になります。30年の現病院勤務の間にはあちこちの出向があり、高千穂や龍ヶ岳(天草)の官舎にも住みました。
もっともっとうろうろした気がしていたけれど、この程度か。大して面白い転居人生ではなかったんだな。
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