« 2024年6月 | トップページ | 2024年8月 »

2024年7月

亡き母親の出現

先日、妻から聞いた話。

ご高齢の知人(最近いろいろ病気があって体調が十分ではない様子)に呼ばれて話をしている時に打ち明けてくれたけれど、「この間、二日続けて夜中に起きたら足元に遠い昔に亡くなった母親が座っていてこっちを眺めていた」と云うのです。「夢じゃないですよ。起きたらそこに居たのですから」「いよいよわたしにお迎えが近いのかな、と悟りました」と。

それを冷静に聞いた妻。口にはしなかったけれど「迎えに来るなら、ご主人か若くして亡くなった娘さんが先に来るでしょ。もっと昔に亡くなったお母さんが降りてきたのだから、何か他の忠告を伝えに来たんだと思う。あるいは、『もっとそっちで頑張りなさい』という叱咤激励かも」と思ったのだそうです。私も妻の意見の方に賛同しますね。

 

| | コメント (0)

ネガティブなコメント

パリオリンピックの競技が地球の裏側で毎日繰り広げられている中、開始早々の日本選手たちの成績は総じて不調でした。勝つ人は根性で勝利をつかみ取ってはいますが、「史上最高」の呼び声高きチームが続々と緒戦から勝てそうな試合を逆転負けしたり、ランキング的には格下選手に完敗したり・・・勝負の世界は非情ですから『オリンピックの魔物』とやらにやられていっています。開始前から思いっきりマスコミが煽ってきたから、どれもダントツの強さで勝ち進むイメージを持っていた人も少なくなかったでしょうから、心は凹みがちにはなります。

某水泳選手が試合直後に「自分のここまで頑張ったことは全部無駄だったんだな」とか口にしたり、試合進行を妨げるほどの大声で辺りをはばからずに長々と号泣する柔道選手など、今までのアスリートのイメージとは若干違う表現をする若者が増えてきたのかなと思います(負けたときの悔しさをグッとかみ殺してこっそりさめざめと泣くイメージ)が、でも最後に「4年後を見ておけよ」と云わんばかりの決意の表現を力強くできるのも”今時の子”の特徴なのかもしれません。

そんな中で、「日本は不甲斐ないヤツばかりだ」「大きなこと云っておいて,何だこのざまは」みたいな吐き捨てるようなSNSへの投稿が目立ってきていると聞きます。なんかそれが一番悲しいと思う老体であります。どんな気持ちで書くのか。それを書いたところでたとえそれに同意する輩がいたとしてもおそらく自分の気分は良くもならないし憂さ晴らしにはならないでしょうに。それでも書くという行動をさせるエネルギーの源は何なのでしょう。わたしが20年来応援しているサッカーチームはいつも不甲斐ない結果ばかりだけど、大部分のサポーターはそれでも応援するポジティブ発言ばかり。とても幸せな環境にいるもので、ちょっとこういう行動する人たちの真意がわからずにおります。

 

 

| | コメント (0)

ミンミンゼミ

この時期になるといつも思うのはセミたちの棲み分けのこと。

東京のセミはいつもミンミンゼミ。でも九州のセミはアブラゼミかクマゼミ。遠い昔、わたしが子どものころは夏の初めにミンミンゼミを聴いたことがあるから、きっと気温の違いによって棲み分けるのだと。東京は九州に比べると気温が上がらないからミンミンゼミで、九州は真夏日・猛暑日が多いからアブラゼミかクマゼミなのだと。ちなみに、私の生まれ故郷の大分では「セミはアブラゼミ」と思っていたけれど熊本ではほぼほぼクマゼミの鳴き声ばかり聞こえる気がします。

ところが、先週6、7年ぶりに夏の東京に一泊してきましたが、聖橋や湯島聖堂辺りの茂みから聞こえる鳴き声はやはりミンミンゼミばかり。立っているだけで汗がぼとぼとしたたり落ちる状況の気温はおそらく九州のそれと変わらないはず。地球温暖化の影響で昔とは明らかに気温が変わっていて、九州でも関東でも連日猛暑日なのです。もはやどこでも熱帯地方なのです。それなのに東京でアブラゼミは聴けなかったということに、ちょっと感動したわけです。気温が30℃以下だとミンミンゼミで、30℃~35℃になるとアブラゼミやクマゼミ、そして盆を過ぎて秋に近づくと今度はツクツクボウシやヒグラシになる、という夏の気温移ろい説はどうも自分たちの勝手な勘違いだったのでしょうか。

ちなみにwikipediaを見たら、「ミンミンゼミは、アブラゼミやクマゼミと比べると暑さに弱い、とする説がある」とのことですから、あながち間違いでもなかったのか?と思いましたが、一方で「ミンミンゼミとクマゼミの鳴き声は、人間の耳で聞く限りは全く違って聞こえるが、この2種のセミの鳴き声のベースとなる音はほぼ同じであり、その音をゆっくりと再生すればミンミンゼミの鳴き声に、早く再生すればクマゼミの鳴き声となる」と書いてあります。それはまったくもってショックな情報でした。

まあ、どっちにしろ、朝早くから聞こえてくるセミの声は暑さの感覚を逆なでします。それでもこの鳴き声が聞こえなくなったりあるいはツクツクボウシなどに代わってきたりなんかすると急にうら寂しくなったりるものではあります。

 

| | コメント (0)

顎関節

先日、ちょっと固くなった菓子パン(一日置いたらフランスパンのようになっていて)を食べたら、異常に顎が疲れたというか顎が痛くて食べ終わるのに難渋しました。おいしかったから最後まで食べましたが、何度も休み休みしながらやっとこさ食べ終わったという感じ。そういえば、1ヶ月くらい前もステーキ屋さんでお肉を食べていて、同じように顎が痛くて疲れ果てたことがありました。

「顎関節炎かな」とも思うのですが、別に大きな口を開けても何ともないし、日常で何度も噛んでも何も問題ありません。今週の初めに4ヶ月ごとの歯のメンテナンスのために歯科受診したときにも何も指摘されませんでした(こっちから切り出すと必要以上に調べ始めるから云い出したくない)。日常生活に何の支障もないのだけれど、思いの外痛くて疲れることが気にはなっています。顎関節の問題ではなく、噛む力そのものが衰えているのではないかと懸念するからです。噛む力が落ちると、誤嚥もしやすくなろうし認知症にも関連すると聞きますし。毎晩ナイトガード(マウスピース)を嵌めて寝ているのだけれど、それが悪の根源だなんて本末転倒なことはないのでしょうか。なんか確認の方法がないものでしょうか。

 

| | コメント (0)

人生の履歴(2)

転居の歴史が大したことないとなると、あとはもっと面白くないぞ。

職歴は大学卒業後に地元に帰って、新設されたばかりの大学(1県1医学部の政策によって国立の医科大学が作られたころ)研修医になりました。当時の医局長から「どうして歴史ある出身校で研修せずにこんなできたての大学に来たの? 医者としての基礎を培う場所なんだよ」と云われたのを覚えています。それでも新設校ならではのこと(研修医でも多くの検査をさせてもらえるなど)も沢山経験しました。研修1年後に今の病院の循環器内科に研修医として半年働き、大学に戻った後に残りの研修を終えたところで再就職・・・当時のボスが「あと1年だけうちで働いてみないか?」と誘われただけだけど、大学の教室の方がそれを「ノー」と。「他の先生への示しがつかないので、行くのなら大学の教室を辞めてから行きなさい」と云われたので、大学を辞めた次第。

その3年後、「各自が他人に負けない自分の専門分野を培う」というボスの方針で、わたしは心筋シンチグラフィ検査を習得するために東京の虎の門病院に”内地留学”の形で転職しました。「もしそのままそこに残りたい、あるいは国外に留学したいとなったら自由に選べるように」ということで一旦退職しましたが、諸般の事情があって結局留学することもなく3年後に再び今の病院に再就職し、そのまま定年までずっと居座った形。わたしの専門が検査学だったこと(治療をするのに居なくては困る立場ではない)とうちの夫婦に子どもが居なかったことがあって、遠方の関連病院への出向候補にいつも入りました。循環器内科を辞めるまで、1年ごとや半年ごとに出て入っての繰り返しでした(出向病院は4病院)。

ま、それぞれは自分なりに濃厚な歴史ではあったけれど、医者の人生としては大して深くもない陳腐なものだったかもしれません。

PS)「車は動けばいい」というスタンスのわたしの車歴は書いてもしょうがないのでやめましょう。

| | コメント (0)

サプリ

サプリメントは効果がある? マルチビタミンは「効果あり」「なし」の両論が ビタミンDのサプリは推奨

マルチビタミンのサプリメントを利用しても、死亡リスクを低下させる効果はみられないことが、米国の約40万人の成人を20年以上にわたり追跡した調査で示された。一方で、マルチビタミンのサプリを飲むことで、高齢者の認知機能の老化を遅らせる結果が示されたという、別の調査結果も発表された。またビタミンDは、カルシウムの吸収を促し、骨を丈夫にする重要な栄養素だ。ビタミンDのサプリについては、高齢者・小児・妊婦、さらには2型糖尿病のリスクの高い人に対しては、十分な量のビタミンDを摂取することが推奨されている。”(保健指導リソースガイド2024年07月08日公開)

サプリメントの功罪をひとことで評価するのはむずかしいところです。特に今回の紅麹事件があって以降、特に単純な理屈だけでは何も推奨できない時世になったと云っても過言ではありません。サプリメントは『足りないモノを補う』という概念だったはずなのに、欧米から「健康的な食べ方を放棄して代わりにサプリを取っておけば偏食があっても全然大丈夫」という考え方が蔓延るようになり、まるでそれがハイセンスなオシャレな生き方だと勘違いする方向に向かってしまった気がします。もちろん、土壌が瘦せてきている昨今、自然の食材から得られる栄養素がどんどん少なくなってしまったものを補うという意味ではサプリを上手く利用したいものだという思いはありますが。サプリ万能というわけではありませんから、今一度、原点に立ち返ってサプリメントの本来の使い方を見直してみてはいかがでしょうか。

もっとも、一概にマルチビタミンと云っても商品によって栄養素の含有量も違うし純度も違うし、あるいは酸化の有無などでもまったく効果は違うものだと思うので、十把一絡げに『サプリ』『マルチビタミン』で統計分析して真の結論が出るはずがないという気がしております。
 

| | コメント (0)

『肝(きも)に銘じる』

定期の機関誌が発行されましたので連載コラムを転記します。先月分と一緒に書き上げておいたのでもう長いこと触っていない文章ですが、やっと世に出ました。

********************

『肝(きも)に銘じる』

「貴殿の仰(おお)せを肝に銘じて、より一層精進(しょうじん)いたします。」

テレビのリバイバル時代劇を見ていると、こんなフレーズをよく聞きます。『肝に銘じる』というのは「しっかり心に刻み付けて忘れないようにしておく」という意味ですが、「”こころ”に刻みつける」のに、決して『心に銘じる』とか『脳に銘じる』とか言いません。どうしてでしょうか。きっと、心臓や脳はすぐにごまかしたりウソをついたりする臓器で、しかも忘れっぽいから今一つ信用できないということを先人は知っていたからでしょう。たしかに、“こころ”はいつもどこか移り気で、喉元過ぎればすぐに忘れてしまうもの。その点、肝臓は真面目に黙々と働く臓器だから皆からの信頼が厚く、一度銘じたら本当に一生忘れずに覚えていてくれる感じがします。肝臓は物言わぬ臓器でありながら生命の源の全てを制御するもの・・・決して裏切ったりしません。そうですよね、それが肝臓ですよね。

昔から『肝腎要(かんじんかなめ)』と言うように、肝臓の次に信用できてしかも生命維持に重要な臓器は腎臓・・・循環器内科が専門である私としては『肝心』として腎臓より心臓の方が重要だと言いたいところですが、やはり心臓は“こころ”と書くだけのことはあって、どこか軽い。まあ、それが取り柄なのでしょうけれど、こういうときには二の次、三の次に回されるのもいたしかたありますまい。

ただ、肝臓も腎臓も生真面目で一途すぎるのが玉に瑕(きず)です。大したこともないのにすぐに「動悸がする!」とか「めまいがする!」とか大騒ぎする心臓や脳と違って、肝臓や腎臓は滅多なことでは根を上げません。『沈黙の臓器』というキャッチフレーズに恥じないほどに、どんなことがあっても表に出さずにひとり黙々と頑張って頑張り抜きます。そして、その挙句に前触れもなく突然力尽きたりする困った堅物(かたぶつ)です。症状がないので、健診などで異常を指摘されて精査を指示されてもついつい放置しがちですが、肝臓も腎臓も一定レベルより悪化すると機能が元には戻れなくなる危険性がある臓器。時期を逸すると取り返しのつかない事態になりかねません。最近はマスコミや自治体広報などでも肝臓病や腎臓病の怖さをさかんに告知していますが、あれは決して大げさなことではありません。精密検査を指示されたら一度は必ず専門医の元を尋ねてください。

もちろん、「異常だ、異常だ!」と大騒ぎしている心臓や脳もたまに本物のことがあるので無視はできませんが。

 

| | コメント (0)

誤嚥?

今朝、お昼のお弁当の残り物の卵焼き二切れを食いながら出勤準備してたら、ちょっと息を吸ったはずみで見事に誤嚥しそうになって、吐きそうなくらい何度も咳をしました。朝の卵焼きはかなり前からわたしの難敵なのでかなり注意していたのに、またやらかしました。

「最近、あなたはモノを食べた後とか座っているときとかに変な咳をするでしょ。すごく気になるの。あなたは多分逆流性食道炎だろうって云うけれど、わたしは軽い誤嚥をしてるんじゃないかと心配しているのよ」と先週末に妻に云われたことを思い出しています。

確かにそれはあるかもしれないと思わないでもありません。でも、平日の勤務中(人間ドックの説明中)に咳が出てきてその後しばらく声帯が麻痺して話せなくなるのは、決まって15時ころだから、これは誤嚥じゃないと思うんですよね。まあこっちはこっちでそれなりに心配な話。一日中話をして喉を使う仕事をしているとはいえ、夕方に声がかすれて出なくなるなんてことは10年前には絶対なかった現象です。

「歳とって、声帯がどんどん痩せていってるのよ。ちゃんとケアしないと誤嚥の原因になるんだよ」とまたまた妻にダメ出しされました。「女はね、何やかやといつも喋ってばかりいるでしょ。男はそれがないモノ」「僕だって話すのが仕事だから毎日ずっと喋ってるよ」「あなたのはボソボソと小さな声で喋っているだけだから、筋肉は鍛えられないよ。カラオケかなんか習い始めたら?」とまで云われましたが、これまた一理あるなあと思うわけですよ。大学時代演劇部出身で発声には自信を持っていたけれど、確かに舞台で発声する様なお腹から声を出すこと、最近ほとんどないモノなあ。こりゃ、「早急に何とかせねば!」です。

| | コメント (0)

ジュースとうつ病

糖質の多い甘い清涼飲料が「うつ病」のリスクを高める ブラックコーヒーはリスクを低下

糖質の含まれる甘味飲料・炭酸飲料・野菜・果物ジュース・コーヒー飲料の摂取量が多い人は、うつ病の発症リスクが2.3~3.6%高いことが、国立精神・神経医療研究センターなどが40~74歳の中高年8万人超を5年間追跡した大規模な調査で明らかになった。一方、ブラックコーヒーの摂取量が多い人は、うつ病のリスクが1.7%低かった。糖質の過剰摂取による脳由来神経栄養因子の減少や炎症作用、カフェインによる抗酸化作用や抗炎症作用の影響が考えられるとしている。”(保健指導リソースガイド2024年07月08日公開)

・これまで野菜・果物を食べると、うつ病に予防的に働くことが示されていたが、野菜・果物ジュースを飲むと、逆にリスクは高くなることが分かった。(次世代多目的コホート研究「JPHC-NEXT」)

つまりは、「ジュースが悪い」と云いたいわけか。糖質や炭水化物は脳の活性化のためには取るべき栄養素ではなかったのか? 結局は量の問題?それとも化学物質の問題?

「糖質の含まれる飲料による、脳由来神経栄養因子の減少や炎症作用が影響していると考えられます。また、コーヒーを飲む習慣はうつ病に予防的に働くことが示唆され、カフェインによる抗酸化作用や抗炎症作用が影響したと考えられます」”って安易に理論づけても大丈夫なのかしら?

なんか、釈然としませんが、「疲れが溜まったらジュースじゃなくてブラックコーヒーを飲みなさい」と本当に指導しても大丈夫なのかしら。
 

 

| | コメント (0)

ストレスを管理する

ストレスはメタボ・肥満のリスクを高める

ストレスは加齢にともない増えるさまざまな健康リスクを高める。ストレスは、体内で炎症を悪化させ、肥満やメタボリックシンドロームのリスクを高めることが分かった。労働安全衛生法の改正にともない、50人以上の労働者がいる事業所ではストレスチェックの実施が義務付けられている。6項目の質問票で構成されるストレスチェックプログラムを用いると、従業員の精神疾患による長期病欠を予測できることも明らかになった。”(保健指導リソースガイド2024年07月08日公開)

・ストレスは、体内で炎症を悪化させ、肥満やメタボリックシンドロームのリスクを高める。
・インスリン抵抗性が、大きく関わっていると考えられている。
・「ストレスは心の病気に関わるもの、つまり心理的なものだと考える人が多いのですが、慢性的なストレスは炎症やメタボなど、さまざまな身体的な問題に関わっていることが示されました」

京都大学環境安全保健機構附属健康科学センターの川村孝教授らは、ストレスチェックプログラムを用いると、従業員の精神疾患による長期病欠を予測できることを明らかにし、多変量回帰分析により6項目の独立した予測因子を特定し、予測モデルを開発した。その6項目の質問は、
▼ 職場の方針に自分の意見を反映できる (オッズ比 0.652)
▼ イライラすることがある (オッズ比 0.559)
▼ 非常に疲れを感じることがある (オッズ比 1.799)
▼ 落ち着かない気分になることがある (オッズ比 1.580)
▼ 悲しい思いをすることがある (オッズ比 1.590)
▼ 家庭生活に満足している (オッズ比 0.627)

ストレスがメタボになって動脈硬化疾患を誘発するということと、ストチェで長期病欠予測ができるということを書いています。えーと、だから・・・具体的にはどう活かしたらいいんだろう?

| | コメント (0)

人生の履歴(1)

どうでもいいことなのですが、何となくわたしの人生の履歴を整理してみたくなりました。生き様や詳しいキャリアのことではありません。自分が住んできた住所の遍歴とか、乗ってきた車の歴史とか、働いた病院の歴史とか・・・何かこだわりを持った生き方をしてきていないので、これだけは他人に誇れる趣味があるとか譲れないコレクションがあるとか、そんなものは一切ありません。だから、わたしの生きてきた証はこんな履歴を列記するしかないのかな~と思うわけであります。

まずは住所。正直なところ細かくは思い出せません(40歳代くらいまでは住所や電話番号はソラで全部云えたものですが)が、『国民年金手帳』を引っ張り出してみたら、そのオレンジ色のアナログな手帳の中に住所が変わるたびに書き込んだ記録が残っていました。こういうところに几帳面な人間の痕跡が出てきます。それでもこれは働き始めてからのもの。学生時代までのことがちょっとあやふや。

・小学校に上がるもっと前に大分市高松の実家に父が平屋の家を建てました。それまでは隣町の禅宗のお寺の離れに間借りして住んでいました。その頃の記憶はまだうっすらあります。時々前を通ってみますがお寺は今でも立派な構えで存在しています。
・高校時代に2階建て家に建て替えをしたものの高校卒業後に予備校で福岡(姪浜)の下宿屋さんに住むようになってから実家に住むことはありませんでしたから2年も住んでいません。
・大学時代(熊本)は教養学部のある黒髪地区の下宿屋さん(薬園町)に4年、医学部近くのアパート(南熊本)に2年。

・卒業後に研修医として大分に戻って大学病院近くのアパート(大石町)に住んで、熊本の病院(移転前の今の勤務先病院)の半年間の研修時のアパート(新町)は病院が準備してくれたけれど、改めて正式に就職してからは車で通えるアパートを探し(十禅寺)、その間に結婚もして3年住んでから東京(虎の門病院)に行きました。

・東京の3年間は練馬区石神井町の新築アパートから1時間かけての通勤の日々。

・熊本に帰ってきて最初の2年を福岡に移り住んだ義叔父の持ち家(広木)を借りましたが、平成6年に自宅を新築して現在にいたります。先日30年ローンの借金を完済し、抵当権移動手続きすれば晴れて私の持ち家になります。30年の現病院勤務の間にはあちこちの出向があり、高千穂や龍ヶ岳(天草)の官舎にも住みました。

もっともっとうろうろした気がしていたけれど、この程度か。大して面白い転居人生ではなかったんだな。

 

| | コメント (0)

予防医療の限界

わたしが臨床現場から予防医療の世界に移ってから20年以上が経過しました。ボロボロになった身体のごく一部の修繕屋みたいな仕事をしていることに限界と無力感を感じてこの世界に移ったのですが、ここのところわたしの担当する受診者の方に立て続けに起きた病気に、つい凹んでしまっています。

毎年受ける人間ドックの受診から約1ヶ月後に脳出血を起こしてしまった男性。まだまだ倒れるわけにはいかないから、自分の健康を守るために人間ドックに入って病気を予防するのだと強い意志を持って毎年受診されていたのに。それも昨年はいつもより半年早めて受診したのに、結局脳出血を未然に防ぐことができませんでした。脳出血は脳梗塞以上に予測が難しく、今回もやむを得ない発症だったとはわかっています。でも、当の本人や家族にしたらいたたまれません。「自分は何のために大金叩いて毎年ドックを受けていたのか?」「金をドブに捨てた様なものだから、今から自分の考えで生きていきます」と云いながら去っていった姿を、とてもつらい思いで見送りました。かつて、生活習慣病の予防に目覚めて頑張り始めた矢先に突然死したり脳出血で半身不随になったりした方を数人知っています。「健康に目覚めなければこんなことにはならなかったのではないか」という思いは、本人家族だけでなくわたしたちにも重くのしかかります。

一方で、突然の息切れと著しい下肢浮腫で救急を受診した女性。いつも元気で家族のことばかり心配していた彼女が救急現場で下された診断はがん性腹水に右心不全。耳を疑いました。昨年、最後に受けた健診の検査結果を見直しても何かの兆候を見逃した様な所見はまったく見当たりません。まだ原発がどこなのか何もわかっていませんが、「どうして毎年多くの検査を受けていたのにこんなことになったの?」と本人も家族も思うことでしょう。かつて、PET検査まできっちり受けて問題なかった方がその3ヶ月後に進行性の膵臓がんが発見されて治療の甲斐もなく亡くなられたことがありました。その様なパターンが数人続き、さすがに予防医療の限界を痛感したものです。

この世界で専門医として生きてきたわたしたちにとっては「彼らは単に運が悪かっただけ」ということになるのでしょうが、当の本人にとっては「どうしてこれだけ健康に注意してきたわたしがなるの?」となる。その場で彼らに何も云ってあげられない自分の情けなさと云ったら例えようがありません。それでも、その他多くの皆さんを健康な人生に導くために今の業務を遂行するしかないのでしょうか。

| | コメント (0)

無愛想

『カスハラ』という、あまりに不愉快な単語が世に出回って、いろいろな意味で、する側もされる側も翻弄させられます。

先日SNSの投稿に、レジのお嬢さんに向かって「愛想がない、笑顔がない」と文句を云っている高齢男性の話が書かれていて(その話は、後ろに並ぶ女性が「あんなしかめっ面の不機嫌な顔で睨まれて笑顔なんてできるわけないよね」みたいなことをこれみよがしに独りごと云って老人を退散させたというオチでしたが)、それを読みながら思い出したことがあります。

以前、受診者さんに検査結果の説明をしていたとき、ちょうど午後出勤してきたスタッフが後ろを通ったのですが、彼がいつもの様にニッコリと笑顔で会釈して通り過ぎました。そのとき、その受診者さんが急に怒り始めました。「あいつはなんで俺の顔を見てニヤッとわらったのか?俺のことをバカにしているのか?」と。そう云って怒って帰ってしまいました。さすがにあのときは私も驚きました。いつも受診者さんに笑顔で接していた彼はしばらく凹んでいました。人の受け取り方はそれぞれです。性格の問題だけではなく、そのときの気持ちの有り様にも大きく左右されます。そんな気はないのに相手から誤解されること、そんなことはわたしも日常茶飯事です。

くだんのレジの嬢さんも凹むかもしれませんが、まあ単なる“経験値”として受け止められると良いですね。その男性、またやってくるかもしれませんが、そのときにどんな態度を取るのか見ものです。もしかしたらそのお嬢さんのことが気に入っているのかもしれない。本当に頭に来ていたら声なんかかけないものですし。怒りの表出は、一見鬱憤の発散になる様に見えるけれどものすごいエネルギーが必要です。今度やってきたら、最大限の笑顔で見返してやって欲しいものだと思いました。

| | コメント (0)

水曜日

水曜日は不思議な日です。

「これだけ毎日頑張って働いているのに、今日はまだ水曜日だよ」と思うときと、「今日はもう水曜日だ。あと2日働いたらまた週末だよ」と思うとき。物理的には全く同じ水曜日だし、仕事の量も内容もほとんど変わりないし、体調にも差は感じていないのに、この感じ方の差はかなり大きいと思います。今日は後者でした。たしか先週は前者でした。意図的にポジティブに生活しているとかネガティブに考えているとかそういう差は多分ないと思うのですが、潜在意識や気づかないレベルの体調の差なのでしょうか。

必ずしも『もう』がポジィティブで『まだ』がネガティブとは限りません。やりたいことがもっとやれるのは『まだ』のときの方かもしれませんし。だからその感覚によって何かを変えようとは思わないけれど、少なくとも今日は気分がいいのでその感覚に乗じて何かいろいろやっておきましょうか。

| | コメント (0)

歩数目標

1日9,000歩で健康寿命が延伸

 ”死亡や心血管疾患発症のリスクを低下させる1日の歩数については複数の報告があるが(関連記事「週1~2日でも8,000歩で死亡リスク減」)、健康寿命を延伸するための目標歩数は明らかになっていない。京都府立医科大学大学院循環器内科学の西真宏氏らは、国民生活基礎調査と国民健康・栄養調査のデータを基に1日の歩数と健康状態および健康寿命との関連を検討。健康寿命延伸には1日9,000歩、自覚的な健康状態の改善には1万1,000歩の歩行が勧められることを、BMJ Health Care Inform(2024年4月30日オンライン版)に報告した。”(Medical Tribune2024年05月28日公開)

まず、歩数と健康寿命を反映する指標(HCAL)の関連についてスプライン曲線を用いて解析すると、年齢に関係なく歩数の増加に伴いHCLAが上昇した。特に歩数の少ない例で歩数が増加したときの影響が大きく、歩数の多い例では歩数が増えてもHCALの上昇幅は小さかった”
”健康増進のためには多く歩くことが重要だが、一定値を超えて歩いてもそれ以上の効果は期待できない

やはり、目標数値というのはエビデンスに従って提示されることが重要なのでしょうね。決して健康寿命を延ばすために歩いているわけではないのだけれど、どうせ歩くなら効果ある数まで歩いていたいと思うもの。わたしのスマホの歩数目標は7000歩に設定してあります。以前は8000歩でした。実際は毎日12000歩程度(雨の日は9000歩程度)歩くのですが、たまに忙しくて目標歩数に達しなかったときに<不合格>表示されるのが癪に障るから7000歩に減らしたのです。あるいはあと500歩で目標に達すると分かったらちょこっと追加ウォーキングとかやっちゃったりして(それがあと1500歩になると「まあ、いいか」と思って返って何もしなくなったりとかしがち)。その日だけの微妙な歩数の差にどの程度の意味があるかはわかりませんが、『目標達成』か『未達成』か、そこには自分の気持ちの上では大きな違いがあるわけです。

| | コメント (0)

コロナの現状

週末、大学の後輩がInstagramに抗原検査キッドの画像と共にコロナに感染したことを報告していました。

今、巷では新型コロナがかなり流行している様で、職場の情報によると感染者は県内でも全国でも毎週増えています。罹ってもよほど酷くないと病院には行きませんし、こっそり抗原検査して風邪薬飲んでやり過ごす(検査もせずにやり過ごす)人も多いはずだから、実際はもっともっと多いのでしょう。先週産業医に行った会社でも明らかに感染者が増えた模様。「きっとコロナじゃないよと云っていたけどさすがに熱が39度になって受診したらしっかりコロナでした。昨日から職場復帰したばかりです」と話す若い社員さん。世間はそんな状態なのですよ。皆さんお気を付けて。ちなみに今日本で一番感染者が多い沖縄に出張して沖縄観光を堪能していた知人は感染せずに無事かしら。

あーそんな話題を書くと月末の東京旅行が不安になります。「いまだにマスクして歩いている人いるんですけど、なぜですか?」というSNSの投稿を読むたびに、まあマスク装着の有無の意義付けは本人が考えれば良いとして、都会ではマスクしている人を奇異な目で見る人だらけなのだろうか?と不安になるわけです。日頃、職場ではもちろんフルタイム装着ですが、日常はよほどの人混みの中や電車内くらいしかマスクをしなくなったわたしでも、さすがに東京旅行中はホテルの部屋の中以外はしっかりマスクすると思うから。でもまあ、テレビ等見ているとしている人はしている様子なのでちょっと安心しました。出発は今月末。その頃現象に転じていると良いな、と淡い期待。

うちもこっそり抗原キット買っておこうかしら(仕事柄、原則として「風邪ひいたかな」と思ったら職場でPCR検査させられますが)。

| | コメント (0)

« 2024年6月 | トップページ | 2024年8月 »