ネタ作りの苦悩
山の日絡みの連休や盆期間の間、記事アップを休んでいました。私の職場は別に”盆休み”などはなくてカレンダー通りの勤務(15日だけは墓参りのために有休とりましたが)でしたが、単にパソコンに向かう気力が湧かなくて、しかも無理して書きたい内容があるわけでもなかったので、ブログを休みました。
昨日、某テレビ番組で漫才師さんが、「毎日ネタを考えているけれど、歳と共にだんだんネタが浮かばなくなるんです。ずっと漫才ばかりやっていると一層何も浮かばなくなるので、漫才だけではなくバラエティやコメンテータや各種イベントなどにも積極的に出させてもらって視野を広げようとしているんです」と語っていたのを聞きながら、とても共感できました。わたしも、ほんの10年くらい前までは「話のネタなんていっぱい転がっていていくつでも話にまとめることができる」と芯から思っていましたが、徐々に世間への関心が薄れてきてそれとともに何も浮かばなくなってきています。ちょっとしたキーワードは浮かぶけれど、そこから話を膨らませられない。やはり社会への関心をきちんと持ち続けることがアンチエイジングの基本だということが実感としてわかる歳になりました。
某外科医が後世や自分の息子のために自分の自叙伝のようなエッセイを出しました。将来、挫折しそうになった時に読んで欲しいということで、自分が歩んできた若い頃からの歴史をエッセイにしたものらしい。わたしも20年くらい前にはそんなこと考えたことはありました。後世のためではないけれど、自分の若い頃からの自叙伝みたいな振りかえりを書いてみたい。あの時何を考え、何をしたかとか。このブログが何のかんの云ってもう15年以上続いているから、ここに一部書いたこともあるけれど、もう今は無理です。何も思い出せません。若い頃に何を考えたか?などということ、あれだけ鮮明に覚えていたのにほとんどおぼろげ・・・近視の目で遠くを眺めたり、老眼の目で近くの文字を見たりするのと同じくらい、何もかもが霧の中に沈んでいこうとしています。
そうなると、ネタ云々ではなくて、社会に何の役にも立たなくてもいいから、思ったことはその場でしたためておくというのが大事だのだと、再確認いたしました。
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