ありがた迷惑?
職場であれ、コンビニの入り口であれ、ドアを開けるときのはなしです。わたしが前の人に続いて(といっても2、3メートル後ろを)歩いているとき、前を歩く人がドアを開けて、そのままドアを押さえて待ってくれることがよくあります。わたしは職場では院内を何度も散歩するのでそういう場面には何度も出くわします。一般常識のある人ほど、躾のできている人ほど、そんな行動を取ってくれる若者がたくさんいます。云っちゃ悪いけど若手のドクターなどほとんどそんなことはしません(そういう教育の中で生きてきていないのでしょう)。わたしも以前はそうやって後ろに来る人を待つことが常でしたが、そうすることを敢えてやめました。
なぜなら、そうやって待ってくれていると「あ、どうもすいません」とか頭を下げながら小走りで慌ててその取っ手を受け取らないといけないから。それはありがたいことだし社会人としては当たり前のことかもしれないけれど、そのまま無視して行ってしまってくれてもさほど支障はないのです。云うならば「ありがた迷惑」っぽい印象を受けたから、自分がしていることも親切の押し売りになるかも、と気づいたからです。ちょっと冷たい印象かもしれないけれど、そのまま勝手に行った方が後ろに続く人も妙な気遣いをしなくてすむじゃないかと思うから(自分がそうだから)。もちろん後ろを来る人が車椅子の人とか大きな荷物を抱えた人とかならちゃんとエスコートしますけど。
同じようなことは、運転中もよくあります。最近は信号機のない横断歩道の前で待っている人が居たら走行中の車は一旦停止して歩行者を渡らせないと交通違反になります。だから、横断歩道の場合はOKです。でも横断歩道のない交差点とかあるいは公園の入り口の歩道とか、そんなところで停止してじっと待ってくれる車。「どうぞ」と云っても頑として動こうとしないからやむを得ず走って渡りますけど・・・その車の後ろは何も来ていないのだから、あなたが頑なに自分の妙な正義心に浸ってさえくれなければ、わたしは自分のペースでしかも無駄な会釈をすることもなく道を歩けるのに、と思ってしまうこと。だから、よほど後ろが続いているのでない限り、わたしが運転中の場合は敢えて無視することにしています。
| 固定リンク
« も少し恩恵が欲しい | トップページ | 紅白歌合戦 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- サブスク社会(2025.01.15)
- 若さに憧れる(2025.01.14)
- 21世紀は未来にあらず(2025.01.09)
- 文字が爺さん(2025.01.06)
コメント