定期報告
時々開けておかないと、ココログはすぐに草が生え始めるので、時々定期点検。水洗の小便器の定期的流れる水みたいなモノ。
先週無事に大腸ポリープ切除が終わり、週末にはスマホの契約変更も無事に終わり、エコリングの日参を繰り返しながら断捨離は続けていますが、まだまだ半分も済んでいない状況です。
それではまた、日常に戻ります。ごきげんよう。
時々開けておかないと、ココログはすぐに草が生え始めるので、時々定期点検。水洗の小便器の定期的流れる水みたいなモノ。
先週無事に大腸ポリープ切除が終わり、週末にはスマホの契約変更も無事に終わり、エコリングの日参を繰り返しながら断捨離は続けていますが、まだまだ半分も済んでいない状況です。
それではまた、日常に戻ります。ごきげんよう。
これからしばらく、このブログをお休みすることにします。
まあ、今やこれを定期的に読んでいただいている方がいるかどうかすらわからない中でいちいち断る事でもないのでしょうが、還暦を迎えた7年前(2018.4.25)に閉鎖宣言をした後、何となく往生際悪くそれまでの「何があっても毎日書く」スタイルから「気が向いたら書く」「書きたいことができたら書く」スタイルに変えて続けてきたブログですので、意図的に「書かない」と決めた時くらいは説明書くのがスジだと思うところです。
わが家の大型リフォームを来月に控えて毎日が断捨離作業で思いの外忙しく、さらに想定外の病気がいくつか見つかって手術も余儀なくされた現状(どれも日帰り手術なので大したモノではありませんが)でもあり、ちょっとブログネタを見つけて書くという体制にココロもカラダもなってくれない今日この頃。その上、仮住まいの借家にはネット環境がありません。ほんの5ヶ月くらいですが、その間Wi-Fiも含めてどうなるかわからない状況です。だから思い切って、休止宣言をした次第です。
どうせ、前回同様、どこかで書いておきたくてたまらなくなる状況が訪れることはわかっています(訪れない時はわたしのアタマの終焉か)が、その再開の日をいつにするかはまだ決めていません。「今日から始めるよー」と新聞広告出すわけでもないから、このままお別れになる方もおりましょう。とりあえず、長い間読んでいただいてありがとうございました。
さ、今日も今日とても断捨離作業だ!
”ダイエットではどのくらいの時間、有酸素運動をすれば痩せることができるだろうか。この疑問について、英国のインペリアル・カレッジ・ロンドンの公衆衛生学部疫学・生物統計学科のAhmad Jayedi氏らの研究グループは有酸素運動と脂肪率の指標との用量反応関係を明らかにするために文献の系統的レビューと用量反応のメタ解析を行った。その結果、週30分の有酸素運動は、成人の体重または肥満者の体重、ウエスト周囲径および体脂肪値の緩やかな減少と関連していることが明らかになった。この結果はJAMA Network Open誌2024年12月26日号に掲載された。”(Care Net 2025/02/07公開)
”「週30分の有酸素運動への取り組みは、成人の過体重または肥満者における体重、ウエスト周囲径および体脂肪測定の緩やかな減少と関連していた。その一方で、臨床的に著明な減少を達成するためには、中等度以上の強度で週150分を超える有酸素運動が必要かもしれない」”
この手の報告は何度も定期的になされますから、本当に『人間には運動欲という”欲”はない』というのは真理なのでしょう。つまり、「動かなくても良いのならできるだけ動きたくないけれど、動かないと支障を来すからやむを得ず動くだけだ」というのが”動物”の本音なのだと云う、何とも不思議なパラドクス。運動以外のこと(飲み食いや睡眠やストレスなど)を十分加味しているわけではないけれど、週30分の有酸素運動でも効果があるというのだから一日5分だけエクササイズすれば良いというか、週末に30分の散歩をすれば良いということ。そんな簡単なことなら、現代社会で生活している人間なら皆が皆クリアする条件なのではありませんか? でも、多くの人がダメなわけじゃん! ダイエットどころかむしろ増えていくわけでしょ。運動を始める・続ける・楽しむのきっかけ作りにはなるけれど、これだけでは結局何かが決定的に足りないのだということも判明した報告のように思えます。
<大腸がん内視鏡検査、熊本市が無償化検討 実現なら全国初 50代後半対象に25年度から>
”日本人で一番多いがんである大腸がんの早期発見・治療を目的に、熊本市が2025年度から、50代後半の市民を対象に大腸内視鏡検査の無償化を検討していることが4日、分かった。大腸がんは診断されて5年後の生存率が7割超と比較的高く、早期発見・治療が死亡率の抑制につながると判断した。市によると、大腸の内視鏡検査の無償化は全国の自治体で初めて。関連経費を一般会計当初予算案に盛り込み、17日開会の市議会定例会に提出する方向で調整している。”(2025年2月5日 (水) 熊本日日新聞)
この大英断には拍手を送りましょう。さすがは、人間ドックに造詣の深い市長さんだ。たしかに大腸がんは大腸ファイバーをすれば早期発見に繋がります。健診では便潜血検査をするからそれで十分だという専門家も多いけれど、かく云うわたしは来週大腸ポリープ切除術をおけます。2年前に続いて2度目です。どちらも便潜血は陰性でした。前回は大腸CT検査、今回は大腸内視鏡検査で発見されましたが、どちらも便潜血は陰性でした。症状もなく、便潜血も正常の方が一度全大腸検査を受けると今の自分の腸の状況がわかります。今がキレイなら多分5年は大丈夫とか。さらに一度検査を受けると検査を受ける敷居が低くなります。日本の大腸検査を行う医療施設のレベルは総じて高いです。
”大西一史市長は10日の定例記者会見で「検査の効果は高い。ぜひ皆さんに受けていただきたい」と呼びかけた” 若すぎる年齢では異常がないのが当たり前だし、高齢者が頻回にこの検査を受けることは一概には薦めません。その点、『50歳代後半』というのは絶妙な対象年齢だと感心しました。
もう今日は2月10日です。2月も1/3以上過ぎました。本当に過ぎるのが早い。早すぎる!
どうも今のわたしの精神状態は通常ではありません。日々の生活のわらわら(愛犬との関係やら趣味のことやら)も仕事のわらわらもどこか気がそぞろで、滞りなくすることはしているつもりだけど「身が入ってない」という実感があります。
それはもちろん、今年に入ってからの想定外の出来事に振り回されているからでしょう。もうあと一ヶ月後には引っ越ししなければならないのに断捨離がちっとも進まない不安、来週に控えた大腸ポリープ切除術は施術自体は2度目なので問題ないけれどその後2週間の駆動制限が断捨離作業にどう響くのか。そして何より、もっとはるか先だと思っていた白内障手術が急に4月に決まってしまって、今から2ヶ月間のコンタクトレンズNGの生活が強いられ、施術後の生活がどうなるのかも分からない不安。さらには毎月毎月減っていく預金に歯止めが利かない感じになっている中でのリフォームにかかる諸経費の不安(工事見積りだけでなく、工事中の仮住まいの家賃や引っ越し代や新しい家具購入など)や手術に関わる医療費の不安や・・・この歳になっての経験したことのないものへの得体の知れない不安ときたら、思っていた以上にボディブローの様に効いているのでしょう。
こんな得体の知れない不安はひとつひとつこなしていくしかないのでしょうが、それを乗り越えるための何か楽しみとなる様な息抜きが欲しいものです。でも、今はゴルフをしてもサッカー見ても気が入らないし酒飲んでもおいしくないし・・・ダメだ、こりゃ!
”緑茶やコーヒーには認知機能低下の予防効果があることが報告されているが、認知機能に対する長期的な影響は、よくわかっていない。慶應義塾大学の是木 明宏氏らは、中年期における緑茶やコーヒーの摂取が認知症予防に及ぼす影響を調査した。Journal of Alzheimer's Disease誌オンライン版2025年1月8日号の報告。”(Care Net 2025/01/30公開)
過日、AI認知機能検査のデモ検査を受けて、海馬が年齢平均の正常下限にあると判定されたわたしとしては、認知機能を保持できるモノがあるなら(無料で)極力取り入れたいと思うところ。この報告によると、
●毎日2〜3杯の緑茶を摂取する人(特に男性)は、認知機能低下リスクの有意な減少(=認知機能保護効果)が認められた。しかし4杯以上の摂取で有意差は消失した。
●高齢者では、毎日1杯以上のコーヒー摂取により認知機能低下リスクの有意な減少が確認された。
つまり、朝1杯のコーヒーを飲むか、毎食時に緑茶を飲むかするのがわたしにとっての得策だということで良いのでしょうか。『緑茶』としか書いていないのですがこれは別に急須に入れた温かいお茶でなくても綾鷹のようなペットボトルのお茶でも効果は同じなのでしょうか(コーヒーはさすがにホットコーヒーでしょうけれど)。というのも、わたしは若い頃からお茶は冷たいのが好きで、なかなか温かいお茶を飲む習慣がないのです。
人間ドックの仕事をするようになって約20年。毎日大量の検査結果の読影をしなければなりません。循環器内科が専門のわたしは安静時心電図や運動負荷心電図の判読をするのが主たる業務でしたが、当初は心電図の判読ソフトが判定しているものを極力見ないようにして自分の力で読んでいましたし、他のドクターにもそうするように指導しました。「どうしても分からなかったり判定に迷ったら参考にしても良いけど、極力自分の力を信じて読影してください」と。それは最初から器械の読みに頼ると自分の力がすぐ退化するに違いないと思ったからです。実際、胸部レントゲン写真の読影など、最初に答を見たら(専門医が先に読影してしまってそれを見てから自分が読影しようとしたら)もはや、その影しか見えなくなることを経験していました。読影というモノはそう云いうものです。だから二重読影とかは他人の読影結果を見ないでダブルブラインドでしないと意味が無いと云われているのです。
でも最近は最初に判読はするものの、毎回1件1件判読ソフトの結果も確認する様になりました。もはや今さら「実力を付ける」もないもんだというのもありますが、むしろ客観的な評価をする上では器械の判読をないがしろにするのは得策ではないと思うからです。院長などは「判読システムが読むのならもう人間の目は不要なのではないか?」とまで云います。もっとも、それは大きなまちがいで(AIがもっと発達したらどうなるかわかりませんが)器械はとんでもないミスを時々冒します。そこに何もないのに「重病だ」と読んだり、明らかに異常なのに「異常なし」と読んだりするものを何度も目にしてきました。それでもやはり準備された読影システムの結果は有効に使うべきだと思う今日この頃です。
胸部レントゲン検査も今はAI判読が搭載されています。自分たちが気づかなかった所見を見つけ出してくれます。今では必ずAIの判定を確認した上で自分の目で判定するというのがルーチンになりました。これもまた、AIが読んでいるものの中には「異常なし」と読んでいるところに大きな影が見つかったりします。
現代社会では、「器械が読むことの妥当性」とともに「器械に頼ったら誤診が起こり得る」というのも正解。その上で、それでもきちんと器械の判読結果は参考にして最終判定を人間が下すというのが一番大切なことだろうと思っています。
昨日は朝の勤務中にインスタのお友達(イヌ仲間というか、会ったことはないけど我が家と同じ散歩コースの人)から、「こんにちは オンラインインフルエンサープログラムのアンバサダーに立候補しているのですが、投票していただけますか?」とメッセージ。へーそうなんだと思って呼応したら、携帯番号聞かれて認証コード送られてきてコピペして送ったら、おしまい。
なんか不安になって「オンラインインフルエンサープログラムのアンバサダー」検索したらまあ出てくる出てくる。見事な詐欺メールでした(泣)何で先に気づかなかったんかな。慌ててインスタとフェイスブックに「乗っ取られたと思うので私からのメッセージは無視してください」とアップしたけれど、早速数人から「もう届いた」と返信。うち2人は「もう返信した」と。私はフェイスブックからの連携でインスタ開いているので、フェイスブックのパスワードは何度も何度も変えてみたけれど、昼前には「メッセージャーもやられてる?」と連絡。駄目だ。こりゃアカウントを変えるしかない(というか閉鎖だな)。待て待て。携帯番号情報からでは大した個人情報は抜かれないと思うけど、携帯番号乗っ取られてどこぞの犯罪に転売されたらどうなるの? と急に不安になったりしました。試しに自宅にかけたら留守電設定忘れていたらしく妻が出てきて驚いた。
とりあえず、家に帰ってパソコンからロックされていたアカウントを動かしてパスワードを複雑なモノに変えてみて、メッセンジャーも繋がるようになったみたいなのだけど、これで大丈夫なのかな。SNSのアカウントなんて全部捨ててもかまわないのだけれど、携帯番号自体は個人認証の大事なツールだから変えるわけにもいかないやん。あーーー難儀だ。
(楽天ブログと同じものコピーしました)
断捨離作業をしていたら、熊本地震で倒れた本棚の中にあった書類(その後本棚を使わずに床に直置きで紙袋に整理していたもの)を見つけ出しました。中には住所録。パソコンが壊れても大丈夫なように何年かごとに紙に書き出しておいたもの(といってももう10年以上はそんな作業はしていません)。それは全部処分しましたが、それに混じって大学時代のサークル活動の名簿や高校時代のクラスの住所録や20年以上前の同窓会の時に配布された住所録など。妻のモノはさらにステンドグラス教室や東京時代のテニスサークルのモノまで。どれもこれもセピア色に変色し、名前は懐かしいけれどおそらくその住所にはだれも住んでおらず電話番号も意味の無いであろうモノ。大学時代などはこれを作るために手書きの原稿をガリ刷りをして手作業で編集したものです。当時の達筆な部長の字が懐かしい。もっていても何の役にも立たないモノだから捨ててしまえばいいのだけれど、何か捨て難い。思い出ってそんなものなのでしょうね。
そしてもうひとつ、薄い冊子が出てきました。表紙には『寿』の文字。表紙を開けた1ページ目には若き日の紋付き袴のわたしと文金高島田姿の妻の記念写真。そう。わたしたちの結婚式のときに、招待者ひとりひとりに前もって書いてもらったメッセージをワープロで打ってその各々に返事のコメントを自分で書き込んだ、そんな手作りのメッセージ集です。久しぶりにページを開け、少しだけ薄くなってきた印刷文字を辿りながら、もはや故人になられた方々やあちこちで偉い立場になられた方々の当時のありがたいことばにこころ温かい気持ちになることができました。
「もう遠い昔のものだけどさ、とてもありがたいことが書いてある。今だからこそそのありがたさが身に染みるから、これだけは捨てないで取っておいて」と妻。もちろん、大事に残しますよ。もしかしたらもう読むことはないかもしれないけれど、その存在だけでも十分だからね。
断捨離を敢行する日々が続いています。雑誌類や辞書類を2回に分て紙ゴミの収集の日に出し、ブックオフで買ってもらえるモノは箱に入れて持っていってもらい、わが家には本がほとんどなくなりました。残っているのは恩師の書いた本や友人の書いた脚本の一部や妻の占いの本やあるいはわたしの人生の考え方を変えたバイブルのような数冊の本のみ。つまり、わたしの大学以降の歴史は概ね処分しました。スッキリはしているのだけれどどこかうら寂しい気持ちも付いて回ります。
学生の頃、分厚い医学書や講義ノートを指して、「これは君たちの医者としてのバイブルだ。一生大事にして持って歩き、判断に困ったときにはページを開けて原点に戻って確認しなさい」と教授たちに口酸っぱく云われたものですが、現代社会の日進月歩の医療の進歩は想像以上に著しく速く、もはや当時の教科書など何の役にも立ちません。後生大事にセピア色に変色した教科書など持ち出しても鼻で笑われるかもしれません。しかも今や分厚い内科や外科の教科書など場所を取るばかりで、何でもかんでもデータ化され電子書籍として存在します。それを使えばスペースも取らない上に必要な内容は検索すればすぐに出てくる時代。さらに、教科書がなくても医療現場で判断に迷ったらその場でネット検索すればそれなりの解答はすぐ手に入る時代です。
そんなことを考えたら、少なくとも医学書の類を処分したのは良かったのかもしれません。
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